Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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アメリカ戦車 1

M1917 / M1917 A1 (タイ) (カナダ)
Christie M1931
Combat Car M1 / Light Tank M1A2
M2A2 "Mae West"
M2A4

Light Tank M3 (日本)(イギリス)(インド)(カナダ)(ポーランド)(フランス)(ソ連)(ルーマニア)
Stuart Hybrid (ANZAC)
Light Tank M3A1 (ANZAC)(オランダ)(ギリシャ)(ソ連)(ユーゴ)
Light Tank M3A3 (中国)(オランダ)(ポーランド)(ユーゴ)
Light Tank M5A1 (イギリス)(インド)(カナダ)(ANZAC)(オランダ)(ポーランド)(イタリア)(フランス)(チェコ)(ベルギー)

M3A1 Flame
M3A1 Satan

E7-7
M8 HMC (フランス)(ユーゴ)
Light Tank M24 (カナダ)(イギリス)(フランス)(中国)(オランダ)
M19 GMC (フランス)
M37 105mm HMC
M41 155mm HMC

M1917 / M1917 A1

アメリカはWW1に参戦しましたが戦車を1輌も保有していませんでした。

アメリカ陸軍のパーシング将軍(後に元帥)は、軽戦車と重戦車の両方が必要不可欠との見解を示しました。

しかし開発にはかなりの時間がかかることが分かり、この問題を解決するためにフランスのFT-17戦車をアメリカでライセンス生産することになりました。

1918年に生産に入りましたが、なかなか生産が進まず、結局戦争には間に合いませんでしたが全部で950輌が作られました。


フランス版ルノーFT-17と若干の違いはありますが、ゲームの性能上は同じです。

M1917は砲塔にコルト社が開発したマーリン・ロックウェルM1917機関銃を搭載しました。

この機関銃はゲームに登場しないので、代わりにコルト1917となっています。

これは、ブローニング M1917機関銃です。

526輌生産

M1917 A1は砲塔に37mm砲(M1916の車載型)。374輌生産

残りの50輌は通信用車輌


アメリカでは訓練用に使われたり、国内の暴動を抑えるために利用されました。

アメリカは1935年にM2戦車が登場するまで、M1917しか購入できません。


Christie M1931


砲塔に立つクリスティー

アメリカのクリスティーM1931戦闘車

アメリカのウォルター・クリスティーが開発したのでクリスティー戦車と呼ばれます。

アメリカ軍は採用はしませんでしたが、実験用として生産を許可、1931年から9輌の試作車輌が作られました。

この試作車輌からCombat Car M1が作られました。

クリスティー式のサスペンションは履帯を外して車輪でも走行できるというもので、当時の戦車としては快速が出せました。

そこでポーランド、ソ連、イギリスはクリスティーと契約を結びました。

ポーランドには納品ができずに契約履行ができず返還しましたが、ソ連とイギリスには納品され、ソ連ではBTシリーズが誕生し後のT34となり、イギリスでは巡航戦車A13の開発につながりました。

アメリカで作られた試作車輌は武器がありませんが、一応機銃がついています。

試作車輌のみの登場です。

スピード17(40〜64km/h)

最大装甲16mm


Combat Car M1 / Light Tank M1A2

アメリカのM1戦闘車

WW1の後、アメリカは自国で戦車を開発するのに歳月がかかりました。

その理由としてはいろいろあったそうですが、M1917が完全に旧式になったことで新しい国産戦車の開発に乗り出しました。

アメリカで最初に開発されたのが、T1軽戦車です。

1927年から1932年まで改良が重ねられ、T1からT1E6まで7種類のバリエーションが作られました。


T1E3

T1E4

T1E6

T1E4とT1E6はイギリスのヴィッカーズ6トン戦車の影響を大きく受けて作られました。

画像を見てもT1E3とは別物のようになっているのが分かります。

このT1E4とT1E6が、後に開発されるM1軽戦車、M2軽戦車へとなっていきます。

(T1シリーズは全て試作車輌のみで生産は行われませんでした)

1930年代に入るとダグラス・マッカーサーはアメリカ陸軍の騎兵科の機械化を進めるため騎兵隊に機械化の許可を出しました。

1933年に新しい車輌の開発が進み、1934年にT5戦闘車が完成しています。

T5のT5E2バージョンが後にM1戦闘車となります。


M1 戦闘車

M1 Combat Car(戦闘車)という名称ですが、これは当時の軍隊にあった歩兵と騎兵の管轄の違いで呼び方を変えていたためです。

日本軍のところでも少し説明しましたのでこちらを参考に

アメリカでは1940年に全て軽戦車で統一されています。

M1戦闘車は1935年に生産が始まり、113輌が作られました。

アメリカはスペイン内戦で戦車の戦い方を見て、主砲を持たない機銃のみの戦車の生産を廃止したため、M1戦闘車の生産は終わりました。

主武器は機銃のみですが、アメリカのジョン・クリスティーが発明したクリスティー式サスペンションにより高速移動が可能でした。

主武器は砲塔機銃が2挺、車体機銃1挺、砲塔上部に対空機銃が1挺

スピード24(72km/h)

装甲6〜16mm

訓練用に使用されましたが、一部はフィリピンに配備され日本軍に鹵獲されたとも言われます。

Combat Car M1は、1940年に名称がLight Tank M1A2に変更されました。




M2A2 "Mae West"
M2A4


M2A2

アメリカのM2A2軽戦車

上記のM1戦闘車は騎兵戦車でしたが、こちらは歩兵戦車です。

M1戦闘車と同じく、こちらもT1E4戦車の派生から誕生しました。

T1E4がM2となりT2E1に改名し、1935年に正式にM2A1となっています。

画像を見ても分かるようにこの時代の戦車はイギリスのヴィッカーズ6トン戦車の影響を受けています。

ポーランドの7TPやソ連のT-26も同じです。

M2A1はわずか10輌の生産でしたが、M2A2は239輌が生産されました。

あだ名「メイ・ウエスト」は当時アメリカの巨乳女優メイ・ウエストのことで、二つの砲塔を巨乳に見立ててそう言われました。

主に訓練用に使用されました。

主武器は50cal機関銃が3挺

スピード19(58km/h)


M2A4

アメリカはスペインで起こったスペイン内戦での戦車の戦いを見て、機銃ではなく砲を装備させ、装甲を厚くした車輌へと改良させました。

1940年、M2A4が完成し、主砲に37mm砲、装甲が25.4mmと強化され、375輌が生産されました。

訓練用に使用されましたが、米海兵隊第1戦車大隊に配備され、ガダルカナルで戦闘に参加しました。(↑の画像)

またイギリスはM2A4を100輌発注し、そのうちの36輌を受け取り、残りはM3軽戦車が完成したためにキャンセルされました。

主砲は37mm M5戦車砲

機銃が3挺

スピード19(58km/h)

前面装甲25.4mm


Light Tank M3


M3

アメリカのM3軽戦車

M2A4の改良型

イギリスでスチュアートと呼ばれたため、M3スチュアートと言われています。

M2A4の正面装甲の薄さが指摘されたため、正面装甲を38mmへと変更した分、重量も重くなり車体も再設計されました。

生産は1941年3月から1942年7月までで4525輌。

ディーゼルエンジンのM3というのも同時に生産され、こちらは1941年6月から1943年1月までに1285輌が作られました。

レンドリース法により、イギリスやソ連、フランス、オーストラリア、中国などの国に送られました。

日本軍も鹵獲した車輌を使用しました。

主砲はM5 37mm砲

これはM3対戦車砲の車載用です。

前期型はM5ですが、後期型はM6 37mm砲になりました。

副武装が機銃3挺

実際は機銃が5挺で、あらゆるところに機銃がついています。

スピード20

最大装甲38mm

M3戦車にはジャイロ・スタビライザー(砲安定装置)が取り付けられ、これにより走行中の命中率が格段とよくなりました。



普段は全く目にしない[Stabiliser]値が1になっています。

SPWW2ではアメリカ軍以外の戦車はほぼ0です。

移動後射撃が本当によく命中します。

海兵隊でも使用されました。


海兵隊のM3

Light Tank M3A1
Light Tank M3A3


M3A1

アメリカのM3A1軽戦車

M3の改良型

車体の機銃が一部なくなり、砲塔旋回が動力での旋回、ペリスコープを装備しました。

1942年5月から1943年1月までに4410輌、ディーゼルエンジンのM3A1は1942年8月から1942年10月までに211輌が生産されました。


ブーゲンビル島のM3A1


主砲はM6 37mm砲

M6 37mm砲とM5 37mm砲は性能には差がありません。


M3A3

アメリカのM3A3軽戦車

M3の最終生産型

M3A3とは車体が異なっているのが分かります。

完全溶接となり、20度の傾斜がつけられました。

また砲弾の積載量が格段にあがり、103発から174発の積載量となりました。

1942年9月から1943年9月までに3427輌が作られました。

M3A3はほとんどが外国へ送られました。


前面装甲値が4→5になっています。

これは傾斜装甲になったためです。


Light Tank M5A1


M5A1軽戦車

アメリカのM5A1軽戦車

M3A3の改良型

M3軽戦車は航空会社であるコンチネンタル社製の航空エンジンを使用していましたが、このエンジンが不足してきたため、自動車会社であるキャデラック社のV8エンジンを2基搭載することになりました。

M5軽戦車は1942年4月から1942年12月までに2074輌が、キャデラック工場とゼネラルモーターズ工場で作られました。

M5A1は砲塔をM3A3の砲塔に換装したタイプで、最も多くの生産がされました。

1942年11月から1944年6月までに6810輌、そして1945年6月までにアップグレードされた車輌が775輌作られています。

その後、M24軽戦車に代わっていきました。

アメリカ軍では1941年9月からフィリピンの第192、194戦車大隊に108輌が配備されました。

そしてアメリカの戦車としては初めての戦車戦が、1941年12月に日本軍の九五式軽戦車ハゴと行われ、日本軍に撃破されています。

日本軍とはイギリス軍のM3がビルマのジャングルで使用され、M3はジャングルでも評価が高く、戦闘力を発揮しました。

ガダルカナルの戦い、ニューギニア戦線でも使用されています。

1944年ごろからM4シャーマン戦車に代わっていきました。




主砲は37mm M6砲

弾薬の数は147発に減りました。

前面装甲64mmに増加しています。


ボカージュを切り倒すためにヘッジロウカッターを装着させた車輌

田宮のプラモデルで有名になったM5A1ヘッジホッグ



M3A1 Flame
M3A1 Satan


M3A1 Flame

アメリカの火炎放射戦車

アメリカ海兵隊は日本軍との戦いで、日本の作ったコンクリートのトーチカに非常に苦戦しました。

このコンクリート製のトーチカは75mm砲弾でも破壊することができなかったのです。

そこで火炎放射器を使用しました。

効果的でしたが、火炎放射器を担いだ兵士がトーチカまで接近する危険性が高かったことから1944年に火炎放射戦車の開発が行われました。

M3A1の車体機銃の部分に火炎放射器を取り付けた車輌が完成し、1944年1月のクェゼリンの戦いで使用されました。

その後、さらに改良されたM3A1サタンが開発されました。

これはカナダのロンソン火炎放射器を主砲に取り付けたもので、射程も長く、サイパンの戦いで初めて使用されました。

24輌が作られ、海兵隊で使用されました。


M3A1 Satan





E7-7


アメリカのE7-7火炎放射戦車

M5A1軽戦車の車体を利用して作られた火炎放射戦車です。

M3A1サタン火炎放射戦車の後継車輌として作られましたが、1943年に試作車輌が完成し、1944年に4輌が作られました。

1945年4月、フィリピンのルソン島の第25歩兵師団に配備され、日本軍に対し使用されました。

名称のE7-7(PTO)のPTOとは、太平洋戦域のことで、欧州戦線ではなく、太平洋戦線で使用したことを表しています。



M8 HMC


アメリカのM8 75mm自走榴弾砲

HMCは、Howitzer Motor Carriageの意味

アメリカではM3軽戦車の車体に75mm砲を搭載させた車輌の開発を進めましたが、M5が作られるようになったため、M5に変更し完成しました。

M5軽戦車の砲塔を外し、75mm M3榴弾砲を搭載させました。

1942年9月から1944年1月までに1778輌が生産され、通称スコットと呼ばれました。

イタリア戦線に初めて投入され、厳しいイタリアの地形に対し優れた走行性を見せました。

海兵隊により太平洋の戦場でも使用されました。

自由フランス軍は170輌を購入、戦後のインドシナでも戦いで使用されました。

砲弾は全て榴弾(HE弾)


Light Tank M24


アメリカのM24軽戦車

通称「チャーフィー」(Chaffee)

M3/M5軽戦車の後継車輌として開発されました。

M3/M5軽戦車の37mm砲は1942年の北アフリカの戦いにおいては完全に時代遅れになっており、アメリカはM5軽戦車の車体を利用して75mm砲を搭載させようとしましたがうまくいきませんでした。

そのため1943年、新しくT24という車体を開発し、75mm砲を搭載させることになりました。

M24として1944年4月から生産が始まり、1945年8月までにGMC社などで4731輌が作られました。

完成した車輌はヨーロッパ戦線に投入され、バルジの戦いで初めて実戦に参加しました。

1945年2月のグレネード作戦では大量のM24が使用されました。

戦後、朝鮮戦争ではアメリカ軍の主力戦車としてT34/85と戦い、苦戦をしました。

また世界各国に輸出されており、日本も自衛隊の前身である警察予備隊が初めての戦車として導入し1952年から使用しましたが、日本人の体形にあって好評だったと言われています。


警察予備隊のM24

主砲はM6 75mm砲

これはM24軽戦車にのみ使用された砲。

50 cal重機関銃と30 cal機関銃を装備

スピード17(56km/h)

最大装甲38mm

スタビライザーつき


M19 GMC


アメリカのM19対空自走砲

M19 Gun Motor Carrige

M24軽戦車の車体を使用し、40mm対空砲の2連装を搭載させました。

1944年8月から1945年8月までに285輌が生産され、朝鮮戦争で初めて使用されました。


主砲はボフォース社の40mm機関砲の2連装

装甲が装甲車なみの装甲値になっています。

ちなみにSPMBTに登場するM19も同じ装甲値です。

乗員の数は4名は間違いで6名です。

ユニット名がM19 Dusterとなっており、DusterというのはM42 Dusterが一般的ですが、M19もDusterと呼ばれるそうです。

(SPMBTではM19となっています)


M37 105mm HMC


アメリカのM37 105mm自走榴弾砲

M24軽戦車の車体に105mm M4榴弾砲を装備させた車輌。

車体の右側つけられた円筒は、50cal 重機関銃を撃つためのものです。

1945年1月から1953年までに、316輌が作られましたが、WW2には間に合わず朝鮮戦争で初めて使用されました。

105mm M4榴弾砲は、105mmM2榴弾砲の戦車砲型です。

ゲームではM2で登場しています。

ゲームでもWW2後に登場します。


M41 155mm HMC


アメリカのM41 155mm自走榴弾砲

通称、M41 Gorillaと呼ばれています。

M24軽戦車の車体に155mm 榴弾砲を搭載した車輌。

1945年5月に生産が始まり、わずか85輌が作られました。

この車輌も朝鮮戦争で使用されました。

朝鮮戦争ではアフリカ系アメリカ人の部隊である第999機甲野戦砲大隊で使用されました。

砲は155mm M1榴弾砲

これはアメリカで開発されたM1 155mm榴弾砲です。