Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
Renault FT-17c / FT-17m
T-26b (R) / T-26c (R)
T-37A / T-38
Renault R-35
R-35/45 / R-35/T-26
T-60
TACAM T-60
T-28
PzKpfw BT-7(r) / PzKpfw 742(r)
CKD R-2
TACAM R-2
CKD R-1
T3
TA ��g
M3 Stuart
M3A3 Lee
38M Toldi ��A
40M Turan 40
43M Zrini 105
Skoda S-��-D
T-38
JPz38(t) Hetzer
Maresal M-05

ルーマニアで最初の装甲部隊は1919年に創設されました。
その年、フランスから76輌のルノーFT17を購入しています。
48輌が37mm砲(SA18)搭載のFT-17c
28輌が機銃のみ搭載のFT-17m
1939年以降は訓練用として使われましたが、1944年8月のルーマニア革命でも使用されました。
1945年2月、ソ連軍はルーマニア軍の全てのFT戦車を没収しています。
1930年1月から1945年4月まで購入可能

ソ連のT-26軽戦車
詳細はこちら
ルーマニアはドイツ軍がソ連から鹵獲したT-26を譲り受けた33輌と、ソ連から鹵獲した28輌が1942年にありました。
ルーマニアではソ連製の45mmをシュコダ社の37mmに換装する計画がありましたが、これは実現しませんでした。


この車輌はT-26BとT-26Cで、T-26BはM1933製、T-26CはM1938製です。
(R)というのはロシアのことです。
1941年7月に登場するユニットは[CapturedTank]となっており、鹵獲車輌の分類です。


1941年8月から登場のユニットは軽戦車の分類となってます。
性能データは同じです。

ソ連のT-37A、T-38水陸両用戦車
ルーマニア軍はソ連から鹵獲した車輌を使用しました。
T-37A 19輌
T-38 3輌
この数字は少なく見積もった数字だそうで、実際はもう少しあったのかもしれません。


T-38の方はCaputured Tank (鹵獲戦車)として購入可能です。
装甲が全て1になっています。

フランスのR-35中戦車
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ルーマニア軍の装甲車輌は、フランスのFT-17とチェコスロバキアから購入した戦車がありましたが、1937年、フランスとのR-35のライセンス生産の交渉に入りました。
一時、署名はされましたが、国際情勢の悪化からライセンス生産はできず、フランスからの購入となりました。
しかしR-35はユーゴスラビア、ポーランド、トルコなどにも輸出されていたため、ルーマニアは1939年までに41輌を受け取っただけで、フランスが降伏したため残りは受け取れませんでした。
1939年9月、ポーランドの降伏後、生き残ったポーランド装甲車輌は自力でルーマニアまで撤退、ルーマニアはこのポーランドのR-35、34輌を自軍のものにしました。
ポーランドのR-35のところも参照してください
というわけで若干前後しますが、フランスから受け取った41輌と、ポーランドから受け取った34輌、合計75輌がルーマニア軍のR-35です。
ルーマニアではコンスタンティン・ギウライ技師により、サスペンションや転輪が改良されました。
1941年にルーマニア軍は第1戦車連隊と第2戦車連隊が結成され、R-35は第2連隊に配備され、1941年8月〜10月のオデッサの戦い(包囲戦)で使用されました。
主砲は37mm A3砲
これはチェコスロバキアのLT-35(ルーマニアではR-2)に搭載されていた3.7cmKPUVvz.34です。
機銃は7.92mm MG37
これもチェコスロバキアのZB-53機関銃(ドイツではMG37(t))


R35駆逐戦車
ルーマニアは古くなったR-35を改造して45mm砲を搭載させました。
ルーマニア軍はR-35の主砲がソ連のT-34には全く効果がなかいことから、1944年に37mm砲から45mm砲へと換装することにしました。
砲はソ連から鹵獲した45mm M1937砲を車載砲にしました。
この戦車は、Vanatorulde Care R35と名付けられ、R35駆逐戦車となりました。
1944年6月に30輌が作られ、再び第2戦車連隊に配備されました。
1944年8月にルーマニアは枢軸国から連合国に変わったため、この車輌は1945年、ハンガリーとチェコスロバキアでドイツ戦車と戦い、全ての車輌を損失しています。

主砲は45mm M1937砲
機銃はなし

T-26砲塔のR-35軽戦車
こちらの車輌は情報もなく不明点の多いもので、よく分かっていません。
1枚か2枚の写真のみが存在し、それを元にあったとしています。
1942年か1943年に改造が行われたのではないか?と考えられています。

改造はドイツで行われたのかルーマニアで行われたのかよく分かってなく、↑の写真は鉄道で輸送中のルーマニアの第2戦車連隊からの写真となっていますが、詳細は誰も分かりません。
主砲はソ連製の45mm 20K戦車砲
これはT-26の主砲のことです。

ソ連のT-60軽戦車
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ルーマニアはドイツと共に東部戦線に参加し、そこで多くのT-60を鹵獲しています。
ルーマニアには鹵獲してきた175輌のT-60がありました。

ゲームには装甲の薄いM1941年型が登場します。

ルーマニアのTACAM T-60対戦車自走砲
1942年の東部戦線でルーマニア軍が装備していた戦車ではソ連軍のT-34、KV-1戦車に対応できなくなっていました。
しかしルーマニア国内でソ連に対抗できる兵器を作ることは難しかったため、ルーマニアはソ連から鹵獲した175輌のT-60を改造することにしました。
主砲はこれもソ連製の76.2mm 野砲1936年型(F-22)を使用し、自走砲を完成させました。
1943年1月から改造が行われ34輌が作られました。
たった34輌しか作られなかったのは、76.2mm砲が32門しかなかったためです。
16輌が第1ルーマニア連隊、18輌が第2ルーマニア連隊に配備されました。
主砲はソ連製の76.2mm M1936野砲
機銃のZB-53はチェコスロバキアのブルーノvz.37重機関銃

ソ連のT-28中戦車
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ルーマニアは2輌のT-28を1941年夏に鹵獲しています。
ただしこの車輌は使用された記録は残っていませんが、ゲームには登場します。
この2輌はルーマニアの首都ブカレストの中央広場に野外展示されていました。
T-28の何年のタイプかは不明です。

ソ連のBT-7快速戦車
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ルーマニアがソ連からどれくらいのBT戦車を鹵獲したのかは不明です。
またルーマニア軍が使用した写真も今のところ探せていません。
しかしルーマニアにはBT-5かBT-7か分かりませんが、鹵獲車輌があったのは確実です。
というのもルーマニアが作ったTACAM T-60自走砲には、BT-7の装甲板が使われているからです。
ルーマニアでは質のいい装甲板を製造できなかったことから、BT-7の装甲板を使用したということです。
このTACAM T-60は34輌が作られていますが、ソ連から鹵獲したT-60は175輌もあったということから、BT-7も数十輌はあったと考えられます。


PzKpfw 742(r)というのはドイツ軍が鹵獲したBT-2、BT-5、BT-7の名称ですが、ルーマニアにはその名称で登場します。
こちらは[Captured tank](鹵獲車輌)での登場です。

チェコスロバキアのLT-35軽戦車
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ルーマニアは1936年にチェコスロバキアから126輌を発注しました。
1937年5月1日、最初の15輌が到着しましたがルーマニアではエンジンの技術的な問題が生じ、後にルーマニア仕様に改造されたものを受領しています。
R-2としてルーマニア第1装甲師団に配備され、独ソ戦で戦いましたが、ルーマニアは鹵獲したT-34に37mm砲の実験射撃を行った結果、37mm砲ではT-34に対して完全に無力であると分かりました。
1942年のスターリングラードの戦いでドン川を守るルーマニア軍に対しドイツ軍は中古のLT-35を26輌提供し、121輌のLT-35(R-2)と19輌のドイツ戦車(3号戦車、4号戦車)がありましたが、ソ連軍の大攻勢によりルーマニア軍は壊滅的な損害を出し、ルーマニア第1装甲師団は壊滅しました。
1943年、37mm砲から76.2mm砲に改造したTACAM R-2自走砲が作られました。
主砲は37mm A3砲
これはチェコスロバキアのシュコダ社で作られた戦車砲です。
機銃はMG37になっています。

ルーマニアのTACAM R-2自走砲
チェコスロバキアのLT-35の車体を改造し、ソ連製の76.2mm野砲を搭載させた自走砲です。
ルーマニアはソ連のT-34やKV-1に対抗できる自走砲の開発を1943年に行いました。
最初に出来たのが、TACAM T-60でソ連製のT-60軽戦車に、76.2mm砲を搭載させました。
その後すぐに今度は、チェコスロバキアのLT-35を改造した自走砲を開発、1944年に20輌が作られました。
部隊に配備されましたが、ルーマニアが降伏してしまったため、連合国としてドイツ軍相手に使用されました。
ソ連と共に1944年10月のブダペスト攻勢、1945年5月のプラハの戦いに参加しました。
主砲は76.2mm M1942砲
これはソ連製の76.2mm ZiS-3野砲です。
野砲ですが対戦車砲として使用された強力な砲です。

チェコスロバキアで作られ、ルーマニアで使用されたR-1軽戦車、または豆戦車
チェコスロバキアがイギリスのガーデンロイド豆戦車の改良型として開発したvz.33豆戦車のさらなる改良型として作ったのが、AH-�厳收鐚�(豆戦車)です。

このAH-�犬肋�さいながら砲塔を持ち、機銃を2挺装備していました。
この車輌はチェコスロバキアが初めて輸出用として開発した車輌であり、チェコスロバキアでは使用されていません。
ルーマニア(36輌)、スウェーデン(48輌)、イラン(50輌)、エチオピア(20輌)が購入しました。
ゲームではルーマニアとスウェーデンに登場します。
1936年に試作車輌がルーマニアに届き、36輌の購入とライセンス権を購入しましたが、ルーマニアは多くの改良を要求しました。
そのため1938年9月になってようやく受け取ることができました。
35輌はチェコスロバキアのCKD社で作られましたが、1輌のみがルーマニアのマラクサ工場で作られました。
R-1軽戦車はあまり知られていませんが、ラドゥ・コルーネ大佐が率いるコルーネ自動車化騎兵集団に配備され、独ソ戦では大きな活躍をもたらしました。
ラドゥ・コルーネ大佐は1941年9月のアゾフ海の戦い、1942年8月のコーサカスの戦い、そしてスターリングラードで包囲された第6軍の救出作戦「冬の嵐」作戦に参加し、騎士鉄十字章を授与されました。


主武器は7.92mm vz.26機銃が2挺
vz.26機関銃は、チェコのブルーノZB26軽機関銃
スピード16(45km/h)
最大装甲12mm

ドイツの3号戦車N型
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1942年10月に3号戦車N型を11輌受け取っています。
ルーマニアでは3号戦車をT3と呼んでいました。
第1戦車連隊に配備され、スターリングラードで1輌を除いた全ての車輌を失いました。


ドイツの3号突撃砲G型
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1943年にスターリングラードの戦いで、ルーマニア第1装甲師団が壊滅してしまったため、その後、ルーマニアへ撤退し、部隊の再編に取り掛かりました。
ドイツからの援助により、1944年に多くの戦車を手に入れることができました。
その中に3号突撃砲G型が105輌(108輌)ありました。
ルーマニアでは、TA(Tun de Asalt)または、TAT-3と呼ばれ、ルーマニアが連合軍になった後は、ドイツ軍とも戦っています。
戦後、1954年まで使用されました。


アメリカのM3軽戦車
ルーマニアはソ連からM3軽戦車を鹵獲しました。
ソ連は1941年にレンドリースによりアメリカからM3を1232輌を受け取り、東部戦線で使用しました。
ルーマニアはソ連から少なくとも5輌のM3を鹵獲し使用しました。


アメリカのM3中戦車
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ルーマニアはクリミア戦線でソ連からM3中戦車を少なくとも4輌鹵獲しました。
↑の写真は1943年5月のルーマニアのブカレストでのM3戦車の写真です。

ハンガリーのトルディ��A軽戦車、40M トゥラーン中戦車、43M ズリーニ突撃砲
ルーマニアは1944年8月に起こった国内クーデターの後、連合国側に寝返り、ハンガリーから数輌の戦車を鹵獲したとありますが詳細は不明です。
これらは全て鹵獲戦車として登場します。
43M ズリーニ突撃砲は、1944年10月に1輌がルーマニアに鹵獲され、写真が残っています。




チェコスロバキア製のシュコダS-��-D豆戦車
詳細はこちら
チェコスロバキアのシュコダ社で作られたŠ-ID豆戦車は、8輌が作られ、全てユーゴスラビアに送られました。
ドイツ軍との戦いで数輌を失い、2輌(あるいは4輌)がドイツ軍により鹵獲されたと言われます。
ルーマニアにはこの2輌か、それとも1輌が渡ったと言われますが、詳細は不明です。
訓練用としてのみ使用された可能性が高く、実戦では使用されていないと思われます。
主砲のA3J 37.2mm砲はシュコダ製の砲です。

チェコスロバキアのLT-38軽戦車
チェコスロバキアの詳細はこちら
ドイツの詳細はこちら
ルーマニア軍はスターリングラードの戦いで、R-2(LT-35)戦車が残り40輌となってしまったため、ドイツから戦車の補充をうけました。
1943年5月から6月にかけて、ドイツ部隊にあった中古の車輌50輌が供給されましたが、これらは初期型のA型、B型、C型でした。
この50輌で第1戦車大隊を再編成しました。
そして1943年10月からのクリミヤの戦いでの防衛・撤退戦に投入されました。
その後、何輌かはルーマニアに帰還し、連合軍に寝返ったあとはドイツ戦車と戦いました。

A型・B型・C型は装甲値が3ですが、この車輌は装甲値が4になっています。
ルーマニアではT-38と呼ばれました。
(ソ連の水陸両用戦車T-38と間違えやすい)

ドイツの軽駆逐戦車ヘッツァー
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ルーマニアはドイツから1944年7月と8月に15輌ずつの30輌が送られることになっていましたが、生産が追い付かず、その間にルーマニアではクーデターが起こり、連合国に寝返ったため受け取ることはできませんでした。
ドイツはルーマニアにヘッツァーのライセンス生産の許可をしていました。
1944年9月から10月にかけて行われたトランシルヴァニア解放の戦いで、ハンガリー軍から2輌のヘッツァーを鹵獲しました。
この2輌はソ連軍に没収されるまで短期間ですが使用されました。


ルーマニアのマレシャル駆逐戦車
ルーマニアの戦車開発は、鹵獲したソ連製のT-60を改造して作られたTACAM T-60、チェコスロバキア製のLT-35を改造して作られたTACAM R-2がありますが、ルーマニアの国力では戦車を一から生産することは不可能であったため、鹵獲した車輌、あるいは他国の車輌を用いての開発でした。
1942年12月、新しい自走砲の開発が進められ、T-60の車体にソ連製の122mm榴弾砲を搭載させる車輌が開発されました。
これが試作車輌M-00となり、1943年6月に試作車輌の試験に入りましたが、うまくいかず、その後、M-01、M-02、M-03と試作車輌が作られました。
結局、122mm砲から75mm砲へと主砲を換装し、車体もLT-35(R-2)に替え、M-04が作られました。
その後、さらに改良を加えたM-05、M-06まで作られ、1944年5月に完成しました。
装甲はわずか20mmですが、車体全体が傾斜装甲となっており、その他にも射撃性能、機動性でもドイツの3突を上回っていました。
ルーマニアは1944年9月までに、M-05を200輌、M-06を800の合わせて1000輌の発注が出されましたが、5月に工場が連合軍の空爆に遭い、1944年11月に納入日は延期、8月にルーマニアは連合軍に降伏したため、生産は中止となりました。
形状がドイツのヘッツァーと似ているため、一部ではヘッツァーはマレシャルを元に作られたと言われますが、真意は不明です。
主砲はルーマニアの75mmレシツァM43