Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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FT-17 / FT-17c (ユーゴ)
Renault M.28 (ユーゴ)
Skoda T-32
ユーゴスラビア王国の崩壊後について
TK-3 (クロアチア)
CV-33 / CV-35 / CV-38 / CV-33/35 LF(クロアチア)(パルチザン)
7TP(Hypothet) (ユーゴ)
BT-7(Hypothet) (ユーゴ)
PzKw��(クロアチア)
R-35 / PzKw 35R 731(f)(ユーゴ)(パルチザン)(クロアチア)
H-39(パルチザン) / PzKw 39H 735(f)(クロアチア)
Somua S-35(パルチザン)
PzKw ��n (クロアチア)
PzKw ��J (パルチザン)
M3A1 Stuart (パルチザン)
M3A3 Stuart (パルチザン)
M3 Stuart PaK (パルチザン)
M3 Stuart FlaK (パルチザン)
Stuart SPG (パルチザン)
Sherman SPG (パルチザン)

ユーゴスラビアは1918年から1941年まで「ユーゴスラビア王国」でした。
1920年後半に戦車部隊が作られ、最初の戦車にフランスからFT-17を購入しました。
1929年、フランスからFT-17を11輌、FTケグレス(M28)を11輌購入
1932年にポーランドからFT-CWS 14輌。
1935〜36年にフランスから中古のFT-17を20輌。
ドイツ軍侵攻当時、ユーゴスラビアにあった戦車は、
FT-17 約45輌
FTケグレス(M28) 11輌
R-35 54輌
T-32(S-Id)8輌
と記録されています。
FT-17はドイツ軍との戦いで多くが失われ、また生き残った車輌はドイツ軍により鹵獲されました。
機関銃搭載型の車輌は、「8mm FM14 TMG」に換装されています。
これはホッチキスMle1914機関銃で戦車用にも使用されました。
主砲の37mm砲はフランス版と同じです。
FT-17c、FT-17共にユーゴスラビア侵攻までの1941年4月まで購入可能
1941年7月から1941年12月に購入できる「FT-17」は機銃がフランス版と同じ「7.5mm FM31」になっています。

フランスのルノーNC2、またはRenault M28。
ルノーFT-17の後継機としては、NC1とNC2の2つの改良型がありました。
NC1の方は日本が10輌を購入し「ルノー乙型」として使用しました。
ここではもう一つのNC2について解説していきます。
FT-17の欠点だったスピードを改善するために1925年、ロシア人のアドルフ・ケグレスが発明したケグレスサスペンションと鋼芯入りの履帯を装着させたのがNC2です。
この1925年から26年にかけて作られたタイプは[M24/25]で23輌が完成し、フランスはスペインのリーフ戦争にモロッコで13輌が使用されましたが履帯がはずれやすいことが分かり、戦闘で4輌が失われました。
モロッコから帰還した車輌は改良され、1926年から1927年にかけて[M26/27]タイプが29輌作られました。
ポーランドが5輌購入
ユーゴスラビアは11輌購入
ユーゴスラビアでは「M.28」と呼ばれています。


スピード6
装甲値2
どういうわけかFT-17と性能は同じになっています。
ポーランドに登場する「M26/27」が装甲値3、スピード8
ポーランドと同じ型を購入したはずなんですが・・
検証委員会の方に報告しておきます。
1941年4月のユーゴスラビア侵攻まで購入可能です。

チェコスロバキア製のT-32豆戦車
チェコスロバキアのシュコダ社が開発したMU-4という戦車をベースにチェコスロバキア仕様に改造して作られました。
製造はシュコダ社で、ユーゴスラビアは8輌を購入しました。

ユーゴスラビアではT-32、またはŠ-IDとも言われます。
MU-4は機銃のみでしたが、これを37mm砲に換装しています。
わずか8輌でしたが、1941年4月のドイツ軍との戦いでは、1輌が故障しており、残った7輌はベオグラードへの道を封鎖してドイツ軍を待ち構えました。
数輌はドイツ軍と交戦しましたが、特に戦果はなく、ドイツ軍は2輌を鹵獲し、武装親衛隊の訓練用車輌として改造され、PzKpfw T-32 732(j)として使用されました。
主砲は37mm砲
これはチェコスロバキア製の37mmvz.34砲です。
機銃は7.92mm vz.30
スピード(41km/h)
最大装甲22mm
ユーゴスラビア王国は第二次大戦が始まった当初はドイツ寄りで日独伊三国同盟にも加入するという姿勢を表していました。
しかしそれに反対するセルビア人将校らによるクーデターが1941年3月27日に勃発、この政治的混乱の隙をついてドイツは4月6日、ユーゴスラビアに侵攻をしました。
ぺータル2世国王はイギリスへ亡命、ユーゴスラビアはドイツの侵攻からわずか11日で降伏しました。
ユーゴスラビアは、ドイツ、ハンガリー、ブルガリア、イタリアによって分割されることになります。
ドイツはセルビアに傀儡政権であるセルビア救国政府を設置
ハンガリーは東部ヴォイヴォディナ、バチュカを占領
ブルガリアはヴァルダル・マケドニア、セルビア・コソボのストルマ川西岸を占領
イタリアはモンテネグロに傀儡政権モンテネグロ王国を設置
またムッソリーニはクロアチアのファシスト組織ウスタシャを支持、クロアチア独立国が誕生しました。
クロアチアはドイツ・イタリアの傀儡国家で、クロアチア軍はUstaseと呼ばれています。

その後、ユーゴスラビア王国政府はロンドンで亡命政府を樹立、国内にはチトーがパルチザンを率いて枢軸国に対し抵抗をしました。
1943年、チトーはユーゴスラビア民主連邦を成立、枢軸国との抵抗運動が続き、1946年にユーゴスラビア連邦人民共和国が成立しました。
ゲームに登場するユーゴスラビアは、1941年の分割前と分割後も同じ国として編集されています。
A0司令部は1941年4月まではユーゴスラビア司令部ですが、それ以降はMilitia司令部となります。
これが傀儡政権のクロアチアなのか、セルビアなのか、そこまでは区別がなく、また1943年以降はチトー率いるパルチザンなのか、傀儡政権なのかが区別ができません。
クロアチアは装甲部隊を創設しており、少数ですが戦車も購入しています。
ポーランドのTK-3豆戦車
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傀儡国家であったクロアチアは、ドイツ・イタリアから戦車・兵器の支援を受けていました。
1942年にドイツからポーランドで鹵獲したTK-3が20輌が引き渡されました。
↑の画像もクロアチアでのTK戦車です。
武器はポーランドの7.92mm wz.25機関銃

イタリアのCV-33豆戦車
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傀儡政権クロアチアは、1941年4月に軍隊の創設を開始しました。
1942年に装甲部隊を結成するために、旧ユーゴスラビアのドイツ軍との戦いに使用されたFT-17とR-35戦車をかき集めました。
クロアチアには戦車を製造する技術がなかったため、ドイツ、イタリア、ハンガリーに頼るしかなく、イタリアは6輌のCV-33、4輌のCV-35をクロアチアに提供しました。
またハンガリーから1942年に10輌のCV-33豆戦車を購入しました。
イタリア降伏後、ドイツからも数輌の支援を受けています。



一方、パルチザンによっていくつかの車輌が鹵獲されています。
1941年11月26日、モンテネグロのパルチザンにより3輌のCV豆戦車がパルチザンにより鹵獲され、1942年から1943年にかけてボスニアでCV豆戦車と装甲車が数輌、鹵獲されました。
また1943年9月のイタリア降伏後、イタリア占領下にあった領土からイタリア軍の車輌が大量に鹵獲されました
この車輌がゲームにも登場します。


これらのCaptured Tankは、パルチザンによって鹵獲された車輌とみていいでしょう。
ポーランドの7TP軽戦車
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7TPはポーランド以外の国には輸出されなかったので、ドイツ軍が鹵獲したものかと最初は思いましたが、そうではありませんでした。
ゲームでは[Hypothet Tank]という名目で購入できます。
これは「仮説としての戦車」という意味で登場するもので、万が一あったと仮定しての購入となります。
ユーゴスラビアがドイツ軍と戦った月の1941年4月の一か月限定で、7TPの他にソ連のBT-7も仮説戦車として登場します。

前面装甲が3になっています。

ソ連のBT-7
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ユーゴスラビアはソ連からBT-7を購入する予定でした。
しかし戦車が届けられる前にユーゴスラビアがドイツに降伏してしまったので受け取ることはできませんでした。
この車輌も↑の7TPと同じく、[Hypothet Tank](仮説としての戦車)として、1941年4月のユーゴスラビアの戦いがあった月限定で購入できます。
「もし受け取っていたら?」という仮定で購入してください。

ドイツの1号戦車
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クロアチアは、戦車をイタリア、ドイツ、ハンガリーからの購入しました。
イタリアから購入した戦車はCV-33
ドイツでは戦車不足だったため、中古の1号戦車が4輌。
これは↑の写真からも分かります。
(ただし転輪が見えないのでA型かB型か分からねえ)
時期的に考えてB型だと思います。

フランスのR35軽戦車
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ユーゴスラビアの戦車は、FT-17とFTケグレスM28という古い戦車しかなかったのですがフランスとの良好が関係だったこともあり、1940年フランスに54輌のR-35を購入しました。
このときすでにWW2は始まっていましたが、1940年4月に54輌はユーゴスラビアに到着、ユーゴスラビアの主力戦車となりました。
ユーゴスラビアは第1戦車大隊と第2戦車大隊の2つがあり、新しいR-35は全て第2大隊に配備されました。
1941年4月6日、ドイツ軍の侵攻により第2戦車大隊はクロアチアへ移動し、反政府勢力の鎮圧にあたりましたが、ユーゴスラビア軍は既に崩壊しており、今度はボスニアへと移動になります。
ここでドイツ軍第14装甲師団と戦い、車輌を失うか放棄。
残った第2戦車大隊もドイツ軍との戦いで全て撃退されました。
ドイツ軍はユーゴスラビアのR-35を鹵獲、そのままユーゴスラビアで使用されました。
ユーゴスラビアに登場するR-35は3つあります。
↑こちらはユーゴスラビア軍が購入した54輌のR-35です。
↑こちらはドイツ軍の手に落ちた車輌をパルチザンとチェトニックが鹵獲した車輌です。
1941年9月から10月にかけて2輌を鹵獲しました。
その後も何輌かを鹵獲しましたが、詳しい数は分かっていません。
パルチザンに鹵獲された車輌は戦後も何輌かは生き残ったと言われています。
最後はクロアチア軍のR-35

↑の写真の1号戦車の一番右にチラッと見えているのがR-35です。
ドイツ軍はクロアチアにR-35を供給するのをしぶりましたが、↑の写真から1輌は確実にあったことが分っており、また1944年ごろには何輌かを供給していますが正確な数は不明です。

フランスのオチキスH-39
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ユーゴスラビアに登場するH-39は2通りあります。
まずこちらは、[Captured Tank]として登場する車輌です。
これはドイツ軍がユーゴスラビア侵攻後に使用したものをパルチザンが鹵獲した車輌ということです。
1941年10月、パルチザンとチェトニックの部隊はドイツ軍から3輌の戦車を鹵獲しました。
R-35とH-39とS-35です。
そしてこの3輌(または2輌)を使い10月にクラリエボという町に攻撃を仕掛けましたが失敗に終わっています。


こちらはクロアチア軍のH-39
クロアチア軍には1号戦車、R-35、TK-3、CV-33などの戦車が数輌しかありませんでした。
1943年、イタリアの降伏に伴いドイツはユーゴスラビアのパルチザンに対抗するために、クロアチアの装甲車輌を増やしました。
ここにフランスのR-35、H-39、S-35が含まれますが、どれくらいあったのか詳細は不明です。

フランスのソミュアS-35中戦車
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ドイツ軍はフランス戦で大量の戦車を鹵獲しましたが、それらはユーゴスラビアの対パルチザン用に使用されました。
1941年9月から10月にかけて、パルチザンとチェトニックの部隊はドイツ軍からR-35、H-39、S-35を鹵獲しました。
それがユーゴスラビアに登場するS-35です。

S-35はUstasa(クロアチア軍)としては登場しません。
[Captured Tank]としてのみ登場し、これはパルチザンかチェトニックの軍隊のものです。
この車輌は後に改造され、イギリス軍の6ポンド砲を搭載させた車輌となったと言われます。

実際には数輌はクロアチア軍(Ustase)にはあったようですが、それを証明するものは残っていません。

ドイツの3号戦車N型
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クロアチア軍がドイツ軍からの提供された戦車に関してははっきりしたことは分かりません。
3号戦車、4号戦車があったのですが、それがドイツ軍の部隊のものか、クロアチア軍(NDH)のものかは不明です。
20輌の3号戦車N型があったと言われています。
1944年の後半になると、パルチザンが勢力を拡大し、パルチザンに降伏する部隊が出てきました。
1944年10月、連合軍になったブルガリアがベオグラードを攻撃しました。
ゲームに登場する2号戦車J型はこのときドイツ軍から鹵獲された車輌だと推測します。


アメリカのM3軽戦車
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はじめはゲリラだったユーゴスラビアのパルチザン(ユーゴスラビア人民解放軍)はゲリラから次第に組織化されていきました。
1944年後半には65万人の兵士に膨れ上がり、軍隊組織となり、イギリス、ソ連からの軍事援助を受けました。
1944年7月16日、チトー率いるパルチザンに初めて戦車部隊が結成されました。
これが第1戦車旅団で、イギリスはM3A1とM3A3を56輌、M3A1 Recceを2輌、24輌のAEC Mk.�兇鯆鷆,靴泙靴拭�
これらはドイツ軍との戦いで多くが失われました。


ユーゴスラビアの7.5cm対戦車砲自走砲、SO-75
M3A3の車体にドイツの7.5cmPaK40対戦車砲を搭載させた自走砲。
ユーゴスラビアではM3軽戦車の修理用のパーツが不足していたため、故障や損傷を受けた車輌は修理することができず、改造されました。
M3軽戦車を改造した車輌はこの他にも、
珍しい7.5cmPaK50を搭載させた車輌が5輌
15cm sIg33重歩兵砲を搭載させたSO-150が1輌
81mm迫撃砲を搭載させた車輌が2輌
Flakvierling 38対空砲を搭載させた車輌が1輌
などがあります。
Pak40を搭載した車輌はM3A1とM3A3で作られ、5輌が作られました。

ドイツ軍の2cm FlaKvierling38を搭載した対空自走砲
わずか1輌が作られたそうですが、詳細は不明です。

アメリカのM8自走榴弾砲、M7自走榴弾砲
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1945年4月、連合軍はユーゴスラビアのパルチザンにM7を19輌、M8を9輌提供しました。
M8はコディラック(Kodilaks)と呼ばれました。

M7はシャーマンと呼ばれました。
こちらは1945年4月に到着しています。
戦後も56輌が供給され、1996年まで使用されました。