Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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L6/40 (クロアチア)(パルチザン)
SMV L40 47L32 (クロアチア)
SMV L40 75/18 (クロアチア)
M13/40 (パルチザン)
M15/42 (パルチザン)
PzKw Wh (クロアチア)
JPz38(t) Hetzer (ユーゴスラビア)
SU-76M (ユーゴスラビア戦後)
SU-85 (ユーゴスラビア戦後)
イタリアのL6/40軽戦車
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ゲームではユーゴスラビアの中に、2つのL6/40が登場します。
一つはクロアチア
1943年、イタリアの降伏によりそれまでイタリアが統治していた旧ユーゴ領はイタリア軍が撤退してしまいました。
それと共にパルチザンの勢力が拡大したため、ドイツ軍はクロアチア軍に頼らざる得なくなってきました。
ドイツ軍はイタリアから鹵獲押収した兵器やAB41装甲車とL6/40軽戦車をクロアチア軍に提供しました。
1943年に少なくとも26輌のL6/40を受け取ったとされています。
もう一つはパルチザンに鹵獲された車輌です。
パルチザンはドイツ軍やイタリア軍から何輌かを鹵獲しています。
イタリア降伏後にも2輌を鹵獲しています。
時代遅れになった戦車でしたが、パルチザンにとっては貴重な兵器でした。
Captured Tank(鹵獲戦車)として登場
イタリアのセモヴェンテda 47/32、セモヴェンテda 75/18
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↑の写真はパルチザンがドイツ軍から鹵獲した車輌を列車で輸送しているものですが、SMV L40 47L32が2輌映っているのが分かります。
バルカン半島ではパルチザンの鎮圧のために、多くの部隊で使用されました。
クロアチア軍は1943年12月に5輌を受け取り、1944年末に10輌があったとされていますが、種類など詳細は不明です。
1945年5月には、4輌のSMV 47/32があったとされています。
イタリアのM13/40中戦車
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この車輌はユーゴスラビアのパルチザンの車輌として登場します。
1943年9月、イタリアの降伏により、イタリアの兵器、武器はドイツ軍が鹵獲されましたが、このときパルチザンはイタリア軍から武器、兵器を鹵獲しました。
戦車30輌、装甲車12輌があったと言われますが、パルチザンは車輌の種類や数など正確な数字を残していないため、今となっては画像で判断するしかありません。
M13/40中戦車は、パルチザンが保有したという記録、写真はありませんが、↑の画像はベオグラード市内の博物館に展示されているM13/40で、これを見ると現物が何輌かあったのではないでしょうか。
登場年代が1943年9月からなので、イタリア降伏時の鹵獲車輌と見て間違いなさそうです。
イタリアのM15/42中戦車
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ドイツ軍はイタリアの降伏により、100輌以上のM15/42中戦車を手にいれました。
そしてこれらのイタリア製の兵器のほとんどはバルカン半島でそれまで使用していたフランス製の戦車と交替し、使用しました。
バルカン半島のパルチザンは対装甲車輌用の兵器がなかったため、時代遅れの戦車でも十分通用しました。
1944年ごろから配備されましたが、次第にスペアパーツがなくなり、修理するために車輌を犠牲にしたそうです。
どれくらいの数のM15/42が鹵獲されたのかは不明ですが、写真を見る限りでは、多くの鹵獲された写真が残っています。
また1944年末にはバルカン半島に輸送される予定だったM15/42はハンガリーのブダペストに送られ、ブダペスト防衛戦に使用されました。
ドイツの4号戦車H型
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クロアチア軍は1944年の終盤、3号戦車と同時に4号戦車を受け取っています。
4号F型が10輌、H型が5輌。
ただしクロアチアの兵士がドイツで戦車訓練を受けたことは明白ですが、クロアチアに4号戦車があったのかは今のところ確かな証拠はありません。
ドイツのヘッツァー軽駆逐戦車
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1945年4月29日の時点で、バルカン半島に9輌のヘッツァーがあったというドイツ側の記録があります。
詳細なことは分かりませんが、これらを鹵獲したものではないかと推測します。
1945年5月に開放されたベオグラードの戦車訓練学校には、何輌かのドイツ製戦車があり、その中にヘッツァーも1輌ありました。
↓の写真がそれかもしれません。
ソ連のSU-76M自走砲
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ユーゴスラビア軍は解放後、ソ連から多くの物資を購入、あるいは受け取りました。
T-34/85が大部分でしたが、SU-76Mも87輌ありました。
1946年に52輌、1947年に35輌を受け取っています。
ソ連のSU-85自走砲
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この車輌も戦後、ソ連から供給されたものです。
戦後のユーゴスラビアには様々なソ連製の車輌がありました。