Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
M15/42 (ユーゴ)(ハンガリー)
M15/42 CA
SMV M.42 OA
SMV M.42 75/34
SMV M.43 105L25 (ドイツ)
SMV 75L46
SMV 75L34
SMV 76L52
Semovente 149
Semovente 155
P-26/40 (ドイツ)
Celere / Celere 75
イタリアのM15/42中戦車
1942年、イタリアはドイツの3号戦車、4号戦車のライセンス生産の交渉が難航、そして重戦車の開発に時間がかかったため、新しい戦車はM14/41の改良をすることが余儀なくされました。
フィアット・アンサルド社で1942に試作車輌が完成し、1942年10月にM14/41の生産が停止しましたが、すぐには生産が行われず、M15/42は1943年7月からの生産となりました。
そしてイタリア降伏後、アンサルド社はドイツ軍の手に落ちたため、ドイツ軍は引き続き生産を行いました。
イタリア降伏時、ドイツ軍に鹵獲された車輌が124輌、さらにドイツ軍によって生産された28輌、合わせて152輌と言われますが、この数字については現在も正確な数字が分かっていません。
(82-287輌という開きがあります)
北アフリカでは使用されず、イタリア降伏後にドイツが強制的に行った武装解除作戦「アクセ作戦」でドイツ軍とローマ防衛の戦いで使用されました。
またドイツ軍は鹵獲した車輌のほとんどをユーゴスラビアで使用しました。
主砲は47mm L40 M42
これはM14/41の主砲47mm L32 M39を長砲身にしたものです。
スピード14(40km/h)
最大装甲50mm
イタリアのセモヴェンテ da 20/70 クアドルプロ自走式対空砲
北アフリカでイタリア軍はイギリス軍の航空機に対して防空対策が不十分であったため、多くの損失を出しました。
そのためフィアット・アンサルド社は1942年、対空用の自走砲を開発しました。
当時、最新のM15/42戦車の砲塔を取り外し、代わりに多角形の砲塔を搭載、そこに20mm機関砲を4門搭載させました。
1943年1月に試作車輌が2輌完成しましたが、1943年9月にイタリアは降伏したため、生産には至りませんでした。
試作車輌の1輌はドイツ軍が鹵獲し、第5SS山岳師団が保有し、1945年4月の戦いでソ連軍に対し使用されました。
主砲は20mm機関砲の4連装
これはイタリアのスコッティ社が1932年に開発した20mm対空砲で、20/70は1939年に改良されたもので、主にイタリア海軍で使用されました。
イタリアのM42指揮戦車
M15/42の砲塔を取り外したか、あるいは砲塔のないセモヴェンテの車体を改造して作られた指揮戦車。
イタリア降伏までに45輌が作られ、ドイツ軍の占領下でさらに44輌が作られました。
主武器は車体にブレダM31 13.2mm機銃を装備しています。
イタリアのセモヴェンテ da 75/34
M15/42の車体を利用して作られた自走砲。
セモヴェンテ da 75/18の対戦車能力を向上させるために、75mm砲を砲身の長いDa 75/32野砲に換装しました。
この75mm砲は、野砲としてもゲームに登場します。
フィアット・アンサルド社で1943年5月に完成、60輌が生産されたと言われています。
ドイツ軍がフィアット・アンサルド社を占拠し、その後1945年までに81輌が作られました。
ドイツ軍は鹵獲した車輌をStuG M42 75/34 851(i)として使用しました。
主砲は長砲身の75mm砲(75/34)
これは野砲である75mm(75/32)を戦車砲として改良したものです。
この砲は野砲ですが、AP弾やHEAT弾を撃つことができ、東部戦線でT34戦車の76mm砲と互角でした。
イタリアのセモヴェンテ da 105/25
車体の低さから「バソット」(ダックスフンド)というあだ名がつけられました。
イタリアではセモヴェンテ75/18やセモヴェンテ75/46が連合軍の戦車と互角に戦うことができたことから、さらに強力な砲を持つ自走砲を開発することになりました。
1942年秋ごろから開発が行われ、車体にM15/42中戦車を利用しましたが、105mm砲を搭載させるとスペースが狭くなり弾薬を収納できなくなったため、車体を改修し、車体幅を17cm広げ、M43となりました。
主砲はObice da 105L25榴弾砲を戦車砲として改造したものです。
1943年5月に生産が始まりましたが、イタリア降伏までにわずか12輌(?)のみが作られ、これらは第135装甲師団「アリエテ」に配備されました。
(ドイツ軍はイタリア降伏時に26輌を鹵獲したという記録もあります)
ドイツ軍に工場を接収された後、ドイツ軍は91輌を生産しました。
生産数に関しては、これも正確な数は不明で、117〜160輌くらいだと言われます。
ドイツ軍は、StuG M43 105/25 853(i)として使用しました。
1944年4月から5月にかけてのアンツィオ、モンテカッシーノ、ローマでのグスタフ・ラインの防衛戦で集中的に投入されました。
主砲は105mm榴弾砲
HEAT弾を5発装備しています。
副武装はブレダ機関銃
これは対空機銃を兼ねて車体上部に取り付けられていました。
スピード13 (35km/h)
最大装甲75mm
イタリア降伏後の1943年10月からRSIに登場する車輌で、装甲が厚くなっているユニットが登場します。
ドイツ軍により一部の車輌は装甲が増強されました。
セモヴェンテM43 105/25から作られたセモヴェンテ 75/46は装甲が厚く増強されています。
しかしセモヴェンテM43 105/25は装甲が増強されたという資料は見当たりません。
この件はフォーラムでも取り上げられていますので、そのうち修正が入るかもしれません。
イタリアのセモヴェンテ 75/46
イタリア降伏後、イタリア北部にあるアンサルド社はドイツに接収され、そこで作られた戦車です。
ドイツ軍はイタリア軍から鹵獲した車輌のうち、最も性能がよかったとされるセモヴェンテ105/25をさらに対戦車用に改造させました。
セモヴェンテ 105/25の105mm榴弾砲を75mm砲に換装しました。
この75mm砲は、アンサルド社の75mm高射砲で、この砲を46口径の戦車砲として改造したものです。
またドイツ軍の75mm対戦車砲の砲弾をそのまま使用できるようにしています。
装甲を前面、側面の装甲を増強しています。
しかし乗員が3名だったことで、困難な運用でした。
生産数は少なく、1943年に8輌、1944年に3輌のみが作られました。
ドイツ軍により使用されたと言われていますが、訓練で使用され、部隊に配備されましたが実戦に使用されたという記録はありません。
主砲はアンサルド社の75mm砲
副武装は車体上部に取り付ける機銃1挺
最大装甲75mm
こちらは前面装甲が増強されていないタイプ
実際にあったのかどうかは不明ですが、ゲームに登場します。
イタリアのセモヴェンテ 75/34
セモヴェンテ 105/25と同様、M43の車体を使用し、主砲にはセモヴェンテ 75/34で使用した34口径の75mm砲を装備させた車輌。
29輌が作られたと言われています。
ほとんどがイタリアのドイツ軍に配備されましたが、精鋭部隊第1ベルサリエリ師団にも配備されました。
主砲は75mm砲
HEAT弾を使用可能
この車輌に関してはよく分かりません。
いろいろ調べましたが実際に存在していた車輌ではなさそうです。
車体はセモヴェンテ75/46やセモヴェンテ75/34と同じM43の車体ですが、主砲が76mm砲に換装されています。
異なるのは主砲のみですが、この76mmL52という砲はイタリアの砲にはありません。
76mm砲でL52(砲身長)というのは、WW2では一つしかありません。
それはアメリカの76mm M1A2です。
この砲はシャーマンM4A3E8に搭載された76mmL52砲です。
しかしこの砲を搭載させた車輌に関する記録はありませんでした。
余談ですが、戦後、イタリアの軍備を再編成したアメリカは、イタリアに多くの兵器を供給しました。
1952年に130輌のM18駆逐戦車を供給しました。
M18は76mmL52砲を搭載しており、イタリアではSemovente da 76/52と呼ばれました。
同名ですが、SMV 76/52と呼ばれる車輌は、戦後イタリアにはあったことはありました。
イタリアのセモヴェンテ da 149/40
試作車輌として1輌のみが作られました。
車体に使われた車輌が、M15/42中戦車なのか、P26/40なのかはっきりしたことは分かっていませんが、M15/42のステアリングとP26/40のサスペンションを適合させて作られたとも言われます。
砲はアンサルド社の149/40mm Mod.1935野砲。
1943年8月に試作車輌が完成し、12月までに20輌の生産を予定としましたが、イタリア降伏により中止となりました。
その後、この試作車輌はドイツ軍が接収しましたが、後にアメリカ軍により鹵獲され、現在も残っています。
主砲は149mm野砲
イタリア軍には4種類の149mm砲が登場します。
149/12はWW1で使用されたアンサルド社とヴィッカーズ・テルニ社の砲
149/35はWW1で使用された1901年に作られたアンサルド社の古い砲。
149M37は、OTO社の砲
149L40はアンサルド社の砲
ゲームには149M37砲が搭載されていますが、個人的には149L40ではないかと思います。
155mm砲を搭載した自走砲
この車輌に関しては全く情報がなく、開発が行われたのかも分かりません。
分かることは、
・155mmL25砲
・1946年1月からの登場
ということくらいです。
まず155mm砲に関してですが、イタリアには149mm砲はありましたが、155mm砲はありませんでした。
イタリアに登場する Cannone 155L45という重砲がありますが、これはアメリカの155mm M1砲で、通称ロングトムと呼ばれたものです。
イタリアは1943年9月に降伏後、連合軍による上陸・進撃が行われました。
ドイツ軍とRSI(イタリア社会共和国)軍は連合軍と戦いましたが、降伏したイタリア軍は連合軍についたため、1945年にアメリカ軍の155mm砲があったとしてもおかしくはありません。
ただこの155mm砲を搭載させた車輌なのか?
イタリアは降伏後、兵器の開発や生産はしていないことと、戦後もアメリカ軍が武器を供給していることから、アメリカの155mm砲を搭載させた車輌を開発したというのは考えられません。
そこでこれはアメリカの車輌ではないかと思い、調べてみました。
(アメリカ軍の車輌でもイタリアではセモヴェンテと呼ばれます)
アメリカには155mm砲を搭載した車輌は4つあります。
(M44はSPMBTの車輌です)
M12 155mm自走砲はフランスの古い155mm砲を搭載した車輌。
M40 155mm自走砲はM4A3シャーマン戦車の車体に155mm M2砲を搭載した車輌。
M41 155mm自走砲はM24 軽戦車の車体に155mm M1砲を搭載した車輌。
M44 155mm自走榴弾砲はM41ウォーカーブルフドッグ軽戦車の車体に、155mm砲を搭載させた自走砲で、1950年代に作られました。
アイコンを比べると、M12に似ています。
砲身長がL25と短めなのを見ると、M44のような気がします。
M44は1957年にイタリアにも配備されました。
どうなんでしょう。
結論:分かりません
イタリアのP26/40重戦車(中戦車)
重量26トン、1940年に開発が始まりました。
WW2が始まった頃のイタリア軍はL3豆戦車のような快速で走ることができる戦車が主力でした。
その後、M11/39中戦車、M13/40中戦車などが作られましたが、開発されたときはすでに時代遅れになっていました。
ムッソリーニによる命令により1940年に重戦車の開発が始まりましたが、なかなか進展さず、1942年にようやく試作車輌が完成、1943年になって生産が始まりましたが、エンジン工場が爆撃に遭い、エンジンの生産が遅れました。
結局、イタリア降伏までに作られたのはわずか数輌だったといわれ、残りはドイツ軍の元で100輌ほどが作られています。
ドイツ軍は、PzKw P40 737(i)として使用しました。
東部戦線でT34の影響を受けたのか、装甲が傾斜角となり、どことなくT34にも似ています。
主砲はセモヴェンテ75/34と同じ75mm砲
副武装は砲塔に同軸機銃1挺
スピード14(40km/h)
最大装甲60mm
イタリアのサハラ型快速戦車
Carro Armarto Celere sahariano
Celere(チェーレレ)というのは名前ではなく、「快速」を現す単語で、サハリアーノは、サハラ砂漠の意味。
試作車輌が完成したのみで、正式名称はありません。
1941年6月に行われたバトルアクス作戦で、無傷のイギリスのクルセーダー巡航戦車を鹵獲したイタリアは、フィアット・アンサルド社でこの戦車を自国で生産するために、ほぼそのままの形で開発を進めました。
1943年に試作車輌が1輌完成しましたが、北アフリカで枢軸国が敗北したため、計画は中止に終わりました。
主砲は47mm砲
これはオーストリアの47mm対戦車砲を車載用に改造したもの
スピード15(50〜70km/h)
最大装甲30mm
試作車輌(Prototype)として登場します。
また試作車輌の段階で、75mm砲にするかどうかという案もあったそうです。
しかし砲塔が小さすぎたため、こちらは作られなかったと言われています。
ゲームでは登場します。
75mm砲はセモヴェンテ75/34と同じ砲