Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
FIAT 2000
Fiat 3000 L5/21 / Fiat3000 L5/30 (ポーランド)
Ansaldo 9t (P)
CV-29
L3-33 / L3-35 (中国)(スペイン)(ブルガリア)(ハンガリー)(ユーゴ)(ギリシャ)
L3-33/35 LF / L3-33 Solothurn / L3-35Brixia
L3-38
Carro Radio OA
L6/40 / L6/40 CA / L6/40 Ricerca (ユーゴ)(ドイツ)
L6/40 [37] (RSI)
L6 Lanciaflamme
L6 Munizioni
SMV L/40 47L32 (ブルガリア)(ユーゴ)
Centro Radia OA
M11/39 (ANZAC)
M13/40 (ANZAC)(ユーゴ)
M14/41
SMV M.40 75L18 (クロアチア)
SMV M.41 75L18
Semovente 90L53
Carro M.40 OA / Carro M.41 OA
M.41 Munizioni / M14 Sgombratore
イタリアが初めて開発した戦車。
イタリアは同盟国フランスから「シュナイダーCA1」を購入、FIAT社によりシュナイダーCA1を参考に1917年に設計されました。
試作車輌(プロトタイプ)が1917年と1918年に1輌ずつ完成しましたが、その後、生産はされませんでした。
旋回砲塔に65mm歩兵砲、車体に機銃口が7つありましたが、重量が40トンもあり、速度が最高でも4km/h程度しか出ませんでした。
1919年、2輌のFIAT2000と3輌のルノーFTを配備した機甲部隊が、植民地である北アフリカのリビアでの反政府ゲリラに対する鎮圧(リビアキャンペーン)に派遣されましたが、ゲリラとの戦闘にFIAT2000は向いていませんでした。
これが唯一の実戦でしたが、この結果から山岳地形の多いイタリアでは重戦車よりも機動力に優れた軽戦車にするべきという結論となり、以降イタリアは軽戦車への道を進むこととなります。
これは65mm歩兵砲で山岳部隊用でしたが、WW2では対戦車砲としても利用されています。
副武装は6.5mmフィアットレベリM1914機銃7挺(ゲームでは3挺)
装甲値2
移動力4
車輌の行方ですが、1号車はリビアにそのまま置いていかれその後解体され、2号車は1934年の軍事パレードに参加しその後おそらく解体されています。
購入は軍事パレードのあった1934年6月までとなっています。
フランスのFT-17をコピーして作られたイタリアの軽戦車「FIAT 3000」
外観はルノーにそっくりですが車内は広くなっており、砲塔は八角形で、エンジンはフィアット社のエンジンを使っていてスピードが24km/hとFT-17よりも速いのが特徴。
1920年に試作車輌が完成、1923年から150輌が作られました。
(L5/21が約100輌、L5/30が約40輌)
最初に作られたのが「FIAT 3000 mod1921」で、これは砲塔に空冷式の6.5mm機関銃(SIA 1918)が2挺装備されました。
その後、1930年代後半に機銃は6.5mmから8mmのM35あるいはM38に換装されました。
ゲームでは6.5mm機銃で登場します。
スピードが7 (FT-17は6)
砲塔の装甲値が弱体化しています。
1930年から1943年7月まで購入可能
その後、機銃に代わり37mm砲を搭載した型が作られ、1930年からわずか52輌が生産されています。
砲塔装甲が若干改良されており、装甲値も2になっています。
主砲に強力な37mm砲(Vickers-Terni da 37-40)を搭載。
この主砲はイギリスのVickers社で開発され、イタリアのテルニ製鉄工場で作られた砲です。
貫通力(PEN値6)に優れており、M11/39戦車にも搭載されました。
こちらも1930年からシチリア島での戦いの1943年8月まで購入可能。
1922年に部隊に配備され、1935年の第二次エチオピア戦争に実戦で使用されました。
1939年には90輌のL5/21と37輌のL5/30がイタリア軍にはあり、1943年7月の連合軍のシチリア島上陸作戦でも数輌が戦っています。
日本でも1930年代初めに何輌かを購入し、イギリスやフランスの戦車と同様、研究材料としたそうです。
ゲームで登場する車輌のうち、なぜか装甲値1の車輌がでてきます。
これは解読不明ですw
検証委員会のほうにあげておきます。
ゲームではポーランドにも試作車輌として登場します。
イタリアのアンサルド9トン戦車
(P)というのは試作車輌(Prototype)という意味です。
1929年にアンサルド社で開発が行われ、1932年に試作車輌が完成しました。
砲塔のない突撃砲のような戦車で、主砲はイタリア製の65mm野砲(65L17)を装備していました。
多くの写真は残っていますが、実物は現存しておらず、装甲の厚さなどは詳しくは分かっていません。
1935年に計画は中止され生産には至りませんでした。
↑の写真は側面に装甲板を取り付けて幅が広くなっています。
主砲は65mm野砲
野砲ですが対戦車砲としても使用されました。
機銃を1挺装備していますが、車体に機銃口が4つありました。
スピード14
最大装甲不明
(以前は、Armato M32(P)として登場していましたが、アップデートで名称が変更されました)
イタリアのCV-29豆戦車
CVは、「Carro Veloce」の略で「Fast Tank」という意味。
スピードの出る戦車を必要としていたイタリアは1929年、イギリスから25輌のカーデンロイドを購入しました。
4輌はサンプルとして、残りは21輌はイタリアのフィアット社がライセンス権を購入したため、イタリア国内で組み立てられることになりました。
CV-29はカーデン・ロイド豆戦車のイタリアでの名称です。
機銃は6.5mm Fiat-Revelli1914の航空機用機関銃を装備
イタリアにおける豆戦車はスピードを活かした機動力のみならず、小型のため輸送が容易だったことがイタリアの地形と戦術にあいました。
CV-33が開発されるまでの短期間用の運用となりました。
イタリアのL3-33もしくはCV-33豆戦車
CV-29をイタリアで改良させた車輌。
CV-29はカーデンロイドそのものですが、CV-33は車体から新しく設計され、若干大きくなり、エンジンはフィアット社のエンジンを搭載し、装甲は14mmとわずかに増加しました。
1933年から1935年までに約1200輌が作られました。
CV-33はイタリアで最初に大量生産された戦車となりました。
後にL3-33と改称されました。
武装の異なる2種類の車輌が登場します。
後期型は8mm ブレダM38か、フィアットレベリM1935が2連装
スピード14(42km/h)
最大装甲15mm
Ricercaは偵察、索敵の意味
L3-33を少しだけ改良したL3-35
装甲がボルトで固定されました。
その他の性能は全く同じです。
1935年から1938年までに約1300輌が作られました。
また輸出用に様々な武器を搭載できるようになりました。
主武器は8mm ブレダ機関銃2連装
1936年の第二次エチオピア侵攻、1936年のスペイン内戦、WW2でのイタリアの全ての戦場など様々な場所で使用されました。
海外の多くの国に輸出されたことで有名になりました。
イタリアのL3火炎放射戦車
1935年の初期型は500リットルの燃料及びガスは専用トレーラーで牽引して使用しましたが、後期型にエンジンの上に燃料タンクを装備しています。
火炎放射は約40m
LanciaFiamme(LF)は火炎放射器の意味
機銃1挺を装備
イタリアのL3 Contro Carro(駆逐戦車)
L3-33、35の車体から機銃を取り除き、代わりにゾロターンのS-18/1000対戦車ライフルを装備し駆逐戦車としました。
1941年ごろに北アフリカで改造されたと言われ、1942年のチュニジアの戦いまで使用されました。
L3-35を改造して作られた自走迫撃砲
45mmBrixia迫撃砲が付けられましたが、画像を見る限りどうも外付けのようです。
それでも一応、自走砲ですけど。
現地での改造だということですが、アフリカなのでしょうか。
どれくらいあったのかは不明です。
機銃はそのままです。
イタリアのL3-38豆戦車
1938年にL3-35の改良型が作られました。
サスペンションと装備が強化されました。
この車輌はブラジルからのオーダーメイドとして開発されたもので、自国分は1942年ごろから生産されました。
少数はイタリアでも使用されていますが、ほとんど記録には残っていません。
武装が異なるタイプが登場します。
機銃を2挺装備したタイプと13.2mmブレダ重機関銃を装備したタイプが登場します。
L3-33、L3-35 、L3-38は安価だったことで南米での輸出に成功しました。
ブラジル(23)、ボリビア、パラグアイには40輌が輸出されました。
イラク、アフガニスタン、アルバニア、中国(20)、スペイン(150)、ブルガリア(14)、オーストリア(72)、ハンガリー(150)、ユーゴスラビアでも購入されました。
ドイツは鹵獲した車輌をPzKw CV35 731(i)として使用しました。
ギリシャも鹵獲した車輌を使用しました。
(以前はL3-38にも様々な武器を持つ車輌が登場していましたが、アップデートで削除されました)
イタリアのL3/r 無線指揮車
(L3/r のrはRADIOのこと)
L3豆戦車の車体を改造し無線機を搭載させた車輌。
画像のように車体後部に輪のようなアンテナがありました。
RF 3CV無線機を装備し、中隊および大隊用の指揮官用車輌でした。
ゲームではFO車輌として登場します。
イタリアのL6/40軽戦車
イタリアは山岳地帯であることから、戦車の開発、設計には山岳戦闘に適した車輌のみが求められました。
そのため山道や小橋でも走ることができる軽量な戦車が適していました。
L3豆戦車に代わる新しい軽戦車の開発がフィアット・アンサルド社で1935年から行われましたが、なかなか軍が容認するものが作れず、ようやく完成、採用されたのが1940年、Carro Armato L6/40となり、1941年のイタリア参戦の年に生産が始まりました。
生産はイタリアが降伏した後はドイツ軍の元で1944年まで生産が行われ、イタリア生産が415輌、ドイツ生産が17輌。
(生産数に関してはwikiには283輌と書かれていますが、283輌生産後も生産は続いていたそうです)
1942年7月、30輌が東部戦線に送られましたが、スターリングラードの戦いで全損しています。
北アフリカの戦場でも多くを失いました。
副武装は同軸機銃のブレダM38機銃
スピード14(42km/h)
最大装甲40mm
CAは、MGCA(対空機銃)を搭載している車輌のことです。
イタリア人フォーラムの情報によると、騎兵学校に配備され、1941年12月にアフリカに送られたそうです。
こちらはRicercaは偵察という意味。
第1火器が対空機銃になっている車輌ですが、この車輌は生産型ではなく試作車輌として作られたものです。
試作車輌ですが、画像を見るときちんと迷彩も施されています。
また砲塔のない車体に機銃を搭載した試作車輌も作られました。
イタリアのL6/40 軽戦車
こちらは37mm砲を搭載した試作車輌。
試作車輌の3番目は、ヴィッカーズテルニ社で製造した37mm砲を搭載させました。
これも生産型ではないため、どれくらい作られたのかは不明です。
ゲームでは砲身長がL40の37mm砲になっていますが、実際はL26だったそうです。
ゲームではRSIでのみ登場します。
またもう一つの試作車輌も紹介しておきます。
これは車体に37mm砲、砲塔に8mm機銃を装備した車輌です。
かなり初期、1936年ごろに作られたものらしいですが、L6/40は開発期間が長かったこともあり、その間にいくつもの試作車輌が作られています。
イタリアのL6 Lf 火炎放射戦車
L6戦車の主砲を火炎放射器に換装した車輌。
試作車輌のみが作られました。
イタリアのL6弾薬運搬車
L6/40を改造して、セモヴェンテ da 90/53の90mm砲の砲弾を運搬する車輌にしました。
90mm砲弾が26発積載でき、さらに40発積載可能なトレーラーを牽引しました。
砲塔がないので武器は搭載されておらず、乗員自らが携帯した武器しかありませんでしたが、ゲームにはM37機関銃が装備されています。
ゲームには弾薬運搬車として、全ての砲の砲弾を積んでいます。
イタリアのセモヴェンテda 47/32
セモヴェンテは自走砲の意味。
L6/40軽戦車の車体を利用して作られました。
オープントップの車体にオーストリア製の47mm砲を搭載させましたが、車内は乗員3人が入るのにやっとの狭さで、砲手は装填するときに上半身をさらけ出すため歩兵用のヘルメットを被りました。
弾薬は70発積載しましたが、無線機は搭載していませんでした。
1942年から生産が行われ、東部戦線のロシアのイタリア遠征軍団に送られました。
北アフリカの戦場、イタリアでの戦いなどで多くが撃破されています。
生産はイタリアが280輌、イタリア降伏後はドイツが22輌、全部で約300輌が作られました。
(414輌という説もあります)
ドイツ軍はクロアチアとスロべニアに送りました。
主砲の47mm砲は第4火器となっているので抑圧があがると撃てなくなります。
第3火器のPerosa M18機銃はイタリアの古い機関銃です。
これは実際に搭載されていた武器ではなく、乗員の対歩兵用機銃としてのものです。
イタリアの指揮戦車47/32
無線機器を搭載した車輌。
小隊用と中隊用があり、中隊用は無線を2基装備するために主砲を取り外しました。
↑のアンテナのある車輌は指揮戦車だと思われますが、主砲がついている小隊用。
小隊用は砲弾の積載量が少なめでした。
93輌が作られました。
ゲームに登場するのは主砲がないタイプで、武装は機銃のみとなっています。
FO車輌として登場します。
イタリアのM11/39中戦車
正式にはCarro Armato M11/39
時代遅れになったFiat3000の後継車輌として開発されたイタリアで初めての中戦車。
イギリスの輸出用に作られたヴィッカーズ6トン戦車の影響を受け、「突破戦車」として開発されました。
当初は8トンだったのを11トンに修正、中戦車として1939年に完成しました。
速度は遅く、機械の故障、装甲も薄く、無線機を搭載していないと欠点が多い戦車でしたが、M13/40が作られるまでの1939年6月までにアンサルド社で100輌が作られました。
1940年5月に24輌が東アフリカ、1940年7月に72輌が北アフリカに送られました。
1940年12月に行われた北アフリカのイギリス軍によるコンパス作戦で、多くの車輌が鹵獲され、1941年4月、トブルク包囲戦でオーストラリア軍に使用された話は有名です。
北アフリカに送られた72輌は砂漠の砂塵で故障が相次ぎ、1941年1月の時点で稼動していた車輌はわずか5輌のみとなり、それも1月に全損しています。
砲塔には連装の8mm機銃ブレダM38
主砲の37m砲は車体に装備されています。
この砲はヴィッカーズテルニ社の37mm砲。
スピード11(32km/h)
最大装甲30mm
イタリアのM13/40中戦車(Carro Armato M13/40)
M11/39中戦車の改良型。
欠点だらけだったM11/39の全ての欠点を改善するために設計されました。
乗員を3名から4名、エンジンを換装、無線機を搭載、装甲を厚くし、主砲を47mm砲にするなど様々な改良が行われ、1939年に完成、1940年にM13/40と制式化されました。
1940年からアンサルド社で生産が始まり、1940年に235輌、1941年に475輌の計710輌が作られました。
1941年4月、ドイツ軍のアフリカ軍団がアフリカに到着した時点で、M13/40とM14/41が合わせて約240輌あったとされています。
砂漠の戦場ではM11/39同様、エンジン故障が多発しロンメルを困らせましたが、イタリア軍の主力戦車として活躍しました。
同軸機銃と車体機銃
スピード11(32km/h)
最大装甲40mm
イタリア第132装甲旅団「アリエテ」(Ariete)は1942年10月23日、129輌のM13/40を保有していましたが、第二次エルアラメインの戦いでほぼ全ての車輌を失いました。
この戦いで戦車兵ルイジ・パスクッチ中尉がイタリア最高の勲章である武功黄金勲章を死後に授与されています。
この車輌もM11/39同様、鹵獲した車輌がオーストラリア軍により使用されました。
イタリアのM14/41中戦車
M13/40は北アフリカの戦場では重大な欠点がありました。
ディーゼルエンジンを砂から保護するフィルターの欠如、またエンジンの出力の弱さ、そして装甲の薄さという欠点でした。
これらを改善するためにM14/41は作られました。
そのためM13/40の車体をそのまま使用し、新たに作り直しています。
そのため見た目がM13/40とほぼ同じです。
1941年に376輌、1942年に319輌が生産され、計695輌が作られました。
(日本語wikiには800輌とありますが)
生産された車輌はすぐに北アフリカに送られましたが、イギリス軍のマチルダやバレンタイン戦車とは互角に戦うことはできませんでした。
主砲はM13/40と同じ47mm砲
最大装甲45mm
イタリアのセモヴェンテ da 75/18
セモヴェンテ75/18は、M13/40の車体から作られたSMV M40 75/18、M14/41の車体で作られたSMV M41 75/18の2つはゲームに登場しますが、M15/42から作られたSMV M42 75/18はゲームに登場しません。
ドイツ軍の3号突撃砲を見たイタリア軍は、これに似た戦車の開発を行いました。
ベースとなる車輌の開発にはコストがかかるため、M13/40中戦車の車体を利用し、そこに75mm榴弾砲を搭載させ、1941年に完成しました。
75mm砲は1929年に作られたイタリア製の75mm L18榴弾砲で、時代遅れの砲でしたが、この砲の砲弾は当時のイタリア軍の倉庫に数千発も眠っており、これを使用しました。
SMV M40 75/18が60輌、SMV M41 75/18が162輌、SMV M42 75/18が66輌作られました。
(SMV M42 75/18は、ドイツ生産分55輌も含めて254輌という資料もあります)
イタリア降伏後もドイツはSMV M42 75/18を生産しており、ドイツ軍は、StuG M42 75/18 850(i)として使用しました。
北アフリカの戦いでは多くの車輌を失いましたが、イタリア軍にとって、この突撃砲は成功した車輌として評価されています。
ゲームでの性能はM40もM41も同じです。
主砲は75mm L18榴弾砲
M41にはHEAT弾が積載されています。
(M40は1942年6月からの車輌に積載されます)
このHEAT弾は、M4シャーマンやM3グラント、クロムウェルなどに700mの距離で有効でした。
このHEAT弾はイタリア製で、47/32砲と75/18砲にのみ作られたものです。
副武装の機銃は搭載されておらず、対歩兵用の機銃がなかったことが欠点であったため、車体上部に機銃用マウントが取り付けられました。
このように機銃用マウントが車体上部にありました。
スピード11(30km/h)
最大装甲50mm
イタリアのセモヴェンテ da 90/53
またはセモヴェンテM41M
東部戦線でソ連軍のT34やKV-1に対抗できる火力を持つ自走砲を開発することとなったイタリアは、ドイツ軍が88mm高射砲を搭載した自走砲が戦場では有効的だったことから、アンサルド社の90mm高射砲を車輌に搭載する計画が進められました。
まずはランチア3Roトラック、ブレダ52トラックへの搭載が行われ、その後、1941年にM14/41中戦車に搭載されました。
しかし砲が大きすぎたため、車体を17cm拡張しています。
90mm高射砲はドイツの88mmと性能は変わらず、強力な砲でした。
1942年から1943年にかけて、30輌(あるいは48輌とも)が生産されましたが、東部戦線には送られず、シチリアに配備され、1943年7月の連合軍によるシチリア上陸の戦いで使用されました。
1943年7月11日、上陸したアメリカ第2歩兵師団と交戦、3輌を失いましたが、9輌のシャーマンを撃破しました。
その後、故障や砲弾切れによる放棄を含め、わずか2週間でほぼ全ての車輌を失い、生き残った6輌の車輌はドイツ軍により押収されました。
主砲は90mm L53高射砲
スピード11(35km/h)
最大装甲30mm
砲弾は6発しか積載できず、そのためL6/40を改造して作られた専用の弾薬運搬車とペアで運用されました。
また対戦車車輌ではなく、HE弾のみを積載する車輌も登場します。
イタリアのM40指揮戦車、M41指揮戦車
M13/40の砲塔を外し、車内に無線器を搭載させました。
自走砲部隊を指揮する戦車であり、車体上部のハッチを開け、乗員が弾着観測をしました。
30輌が作られました。
主武器は8mm連装機銃
M14/41の砲塔を取り外して作られた指揮戦車
これも自走砲の指揮戦車として、79輌が作られました。
また対空機銃として、車体上部にM37機銃が装備されました。
これらの車輌はゲームではFO車輌として登場します。
この2つの車輌は今のところ現存したという資料は見当たりません。
まずM41 Munizioniですが、これは弾薬運搬車輛のことです。
M41ということなので、M14/41戦車を改造して作られたものなのでしょうが、そのような資料はなく、イタリア人フォーラムでも知らないということです。
弾薬運搬車輛は、L6/40を改造して作られたL6 Munizioniは有名です。
しかしそれ以外は、作られたという記録はありません。
もう一つのM14 Sgombratoreという車輌です。
M14とあり、M14/41のことかと思いましたが、主砲が47mm L40 M42なので、これはM15/42の車体のことではないかと推測します。
アイコンを見ると、車体前面に盾のようなものが取り付けられており、Engineer Tankということなので、工兵車輌、すなわち地雷除去戦車の可能性が高いです。
しかし実際はこのような車輌が作られたという資料はなく、イタリア人フォーラムでも分からないということでした。