Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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Vickers 6-Ton
Ansaldo-Fiat (CV-33)
Renault R-35 / AS 35R 731(f) / Munition 35R
Hotchkiss H-39
Skoda 35(t) / Skoda T-11
PzKw ��n
Maybach T-��g
Scafo L-40
40M Turan P.K.
StuH 42
Praga Pz 38e(t) / Praga Pz 38d(t)
SO Praga
Maybach T-��h / T-��g
SO Maybach T-��
T-34/85
PzKw �� Pantera
SU-76M (戦後)

イギリスのヴィッカーズ6トン戦車
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ブルガリアはWW1での敗北により、1919年に連合国とヌイイ=シュル=セーヌ条約という和解条約を結びました。
これにより戦車・爆撃機・潜水艦・重砲を持つことも禁じられ、軍隊の制限も20000人とされ、ブルガリアにとって軍備の再編は難しいものになりました。
1934年ごろから軍備を再編し、1938年に本格的に動き出しました。
ブルガリアは1936年に8輌購入しました。
この車輌は単砲塔のMk Fで、ロールスロイスのエンジンを搭載した型です。
しかしこの戦車の購入は、条約違反にあたるという問題があったようで、ブルガリアでは主に訓練用に使用されました。

主砲はイギリスの3ポンドMk.�機�47mm砲)を装備。
機銃はシュワルツローゼ機関銃

イタリアのL3-33(CV-33)豆戦車
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ブルガリアでは軍備再編のため、1935年にイタリアから極秘裏にCV-33を購入しました。
これは初めてブルガリアが購入した戦車で、↑のヴィッカーズ6トン戦車よりも早く購入しています。
14輌を購入、1935年にブルガリアに到着しました。
ブルガリアは武器の機銃が本来の2連装ではなく、1挺のみとしました。

武器はシュワルツローゼ機関銃
主に訓練用に使用され、何輌は1945年まで生き残りました。

フランスのR-35軽戦車
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1940年のドイツ軍のユーゴスラビア侵攻とギリシャ侵攻で占領したユーゴスラビアとギリシャの一部をブルガリアは占領統治することになりました。
1941年3月、ブルガリアは枢軸国に加入しました。
しかしブルガリア政府はドイツを信用しておらず、ブルガリア国王であったボリス3世はソ連に対して宣戦布告を行いませんでした。
1943年ボリス3世はドイツ訪問後、突然死去してしまいましたが、一説ではナチスに毒を盛られたと言われています。
結局、ブルガリアという国はWW2で枢軸国でしたが、一度も連合国とは戦わなかった国となりました。
何をしていたかというと、ユーゴスラビアとギリシャの治安維持をしていました。
そして1944年9月9日、無血クーデターが起こり、ソ連が侵入してきます。
その後1945年にドイツに対して戦線布告をしてドイツ軍と戦いました。
話を戻しましょう。
ドイツはブルガリアが対ソ連に参戦するために、鹵獲したR-35を提供しました。
1941年に40輌が到着し、戦車中隊が結成されました。
それまでブルガリア軍にはイタリアのCV-33があり、それに代わる戦車として期待されましたが、スピードは遅く評価は低いものとなりました。
ドイツはブルガリアの装甲部隊を再編するよう指示を出しましたが、ボリス3世はこれに対し許可を与えませんでした。
しかし国王の死後、1943年にR35を廃棄し、ドイツからの4号戦車、3号突撃砲、LT-38を受け取り、またフランスのH-39、S-35も受け取っています。
またブルガリアには弾薬運搬車に改造された車輌と砲牽引車輌が登場します。
これはドイツ軍がブルガリアに古い車輌を廃棄するのに、改造して使用することをアドバイスしたためです。



フランスのオチキスH-39軽戦車
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ブルガリアは1943年のボリス3世の死後、ドイツにより戦車部隊が再編されました。
それに伴いドイツから3号戦車を購入する約束をしたものの、生産終了になり受け取ることができず、訓練用の1号戦車も受け取れませんでした。
ドイツはその代わりに、フランスから鹵獲した19輌のオチキスH-39と6輌のソミュアS-35を提供しました。
しかしブルガリアはルノーR-35を1940年にドイツから購入しており、フランス製の戦車の性能の悪さを知っていたため、H-39とS-35は軍では使用されませんでした。

H-39は1938〜39年以前に作られた車輌は、37mm SA18を装備しています。

チェコスロバキアのLT-35軽戦車
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1939年8月、ドイツのパーダーボルンでブルガリア軍は初めてPz.35(t)(LT-35)を視察し、ドイツから26輌を購入しました。
この車輌はドイツにあった余剰分の車輌でした。
その後、1940年にアフガニスタン王国(当時は中立国)が発注した10輌をブルガリアが購入しましたが、これは改良型で、無線器や主砲が強化されたものでした。
これはT-11と名付けられました。
ブルガリアのLT-35およびT-11は、1944年まで戦闘には参加しませんでした。
そして初陣は1944年秋のブルガリアが連合国に寝返ってからで、ドイツ軍との戦いになりました。
山岳地帯での戦闘では成功しましたが、古い戦車だったためすぐに一線を退いています。
しかしこの車輌はシュコダ社から随時部品が供給されていたため、戦後も生き延び、1950年にT34/85に替わるまで使用されました。
ユニットの名称がSkodaとしかありませんが、ドイツ軍から購入したのでPz.35(t)です。
主砲は37mm A3砲
改良型のT-11
主砲は37mm A7砲
このA7砲はシュコダ社で作られた戦車砲で、この戦車専用に作られました。

ドイツの3号戦車N型
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ブルガリアに登場する3号戦車に関してですが、1943年、ブルガリアはドイツに3号戦車10輌を注文しましたが、ドイツは送りませんでした。
4号戦車、3号突撃砲、SdKfz.222、223などは送っていますが、3号戦車は生産が終了したこともあり、代わりにチェコ製のPz.38(t)を送りました。
ただし終戦後の1950年11月の時点でブルガリアには3輌の3号戦車あり、第2装甲師団に配備されていたことが分かっています。
これは3号戦車J型、M型、N型でした。
これらがどこから供給されたのかは不明です。
ソ連軍の鹵獲車輌かもしれません。


ドイツの3号突撃砲G型
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ブルガリアにとってソ連の脅威が大きくなってきたため、1943年に旧式の戦車を新しいものに替えるため新たにドイツに大量の発注を行いました。
55輌の3号突撃砲が送られました。
1943年2月に15輌、5月に10輌、7月までに10輌、8月に10輌、11月までに10輌。
またこのときに4号戦車も受け取っています。
ブルガリアでは「Stormovo orvdie Maybach T-��」と名付けられました。
3号突撃砲で2つの自走砲大隊を編成しました。
一つがソフィア、もう一つがプロブディフと呼ばれました。

イタリアのセモヴェンテda 47/32
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ブルガリアは1945年にソ連が鹵獲した車輌を2輌受け取っています。
この時期、ブルガリアはソ連軍と共にドイツ軍と戦いました。

ハンガリーの40M トゥラーン中戦車
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ユニット名の40M Turan P.K.のP.K.は、指揮戦車のこと。
ゲームにはハンガリーには登場しませんが、ブルガリアにだけ登場します。
この車輌は、弾薬の搭載量を減らし、その代わりに無線機を装備した車輌で、40M Turan P.Kは、R4T無線機を装備しました。
何輌が作られたのかは不明ですが、25輌編成の3個中隊にわずか2輌しか配備されなかったので、20輌ほどだと推測されます。
41M Turanの方でも、P.K(指揮戦車)が作られる予定でしたが、こちらは1輌の試作車輌が完成しただけで終わっています。
ブルガリアに登場するハンガリーの戦車は、ブルガリアがソ連に降伏した後に登場する車輌です。
ブルガリアは1944年9月6日にソ連に攻撃され、9日に国内でクーデターが起こり、政権が交代しました。
そして連合軍側に寝返り、ドイツとの戦いになりました。
1944年9月9日の時点で、ブルガリアには134輌の戦車がありました。
そしてその中にハンガリーの戦車が数輌ですがありました。
1945年7月の時点では、1輌の40M トゥラーン中戦車と2輌の40M ニムロッド対空自走砲があったと記録、写真が残っています。
(40M ニムロッドはゲームにはブルガリアには登場しません)
ただしブルガリア降伏前にドイツ軍が供給した車輌なのか、ドイツ軍から鹵獲した車輌なのかは不明です。
弾薬の積載量が大幅に減っています。
本家の40m Turanは、HE弾40発、AP弾61発です。
無線機を搭載した車輌ですがFO車輌ではなく、普通の戦車です。

ドイツの10.5cm突撃砲42
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ブルガリアにドイツの10.5cm突撃砲42があったのは、記録として残っています。
1945年7月に記録では、数輌がありました。
これはブルガリア降伏前にドイツから供給されたものだと思われます。



チェコスロバキアのLT-38軽戦車
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ブルガリアは1943年、ドイツからPzKw 38(t)を10輌受け取りました。
このとき、4号戦車、3号突撃砲なども受け取っています。
ブルガリアに送られた車輌は、A型、B型、E型、F型、G型など様々な種類でした。
ブルガリアではPraga(戦闘車) Pz 38(t)として使用され、ブルガリアが連合軍になった後、ドイツ軍との戦いに使用されました。


ゲームには、D型(A〜Dはほぼ同じ)とE型として2種類が登場します。

ドイツの軽駆逐戦車ヘッツァー
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ブルガリア軍は連合軍に寝返った後の1945年3月17日、第3ウクライナ戦線で倉庫の中にあった4輌のヘッツァーを戦利品として鹵獲しました。
そしてPraga突撃砲として使用しましたが、戦後、廃棄されています。



ドイツの4号戦車G型、H型
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ブルガリアは枢軸国でしたが、ソ連とは戦線布告をしませんでした。
しかしブルガリアがソ連の侵攻の脅威にさらされたことで、1943年、ドイツから多くの戦車を受け取りました。
1943年に3回に分けて、ドイツから輸送されました。
G型とH型合わせて56輌です。
ブルガリアではエンジンの名前である「Maybach」と名付けられました。
ブルガリア軍は降伏後、これらの戦車で連合軍としてドイツ軍と戦ました。
また終戦後、ソ連から鹵獲した4号戦車を48輌受領し、1945年12月には102輌があったと記録されています。



ドイツの4号駆逐戦車
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ブルガリアは1944年の降伏後の1945年3月、ソ連が鹵獲した2輌の車輌を受け取りました。
1輌は48口径(L48)、もう1輌が70(V)です。
70(V)の方は戦後、博物館に展示されていましたが、もう1輌のL48の方は、砲台に使用されたまま埋もれてしまっていて、2000年代に回収され、現在は修復され展示されています。
SOと表記されているのは、ソ連軍から鹵獲品をもらったという意味です。
ゲームでは70(V)の方が登場します。

ソ連のT-34/85
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ブルガリアは降伏後、1945年にソ連からT-34/85を2輌受け取りました。
↑の写真はそのうちの1輌です。

ドイツのパンター戦車
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ブルガリアは、1945年3月から4月にかけて、ソ連軍から鹵獲したパンター15輌(A型、D型、G型)を受け取りました。
ブルガリアでは主に訓練用に使用され、その後、トルコとの国境付近にトーチカとして使用されましたが、1950年代には解体されています。


ソ連のSU-76M自走砲
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ブルガリアには戦後に登場します。
詳細は不明です。