Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
<日本>
6.5mm Type3 MMG (日本)
Type 3 MMG (中国)
Type 3 MMG (満州国)
7.7mm Type 92 MMG (日本)
7.7mm Type92 MMG (中国)(満州)
6.5mm Type11 LMG (日本)
6.5mm Type91 LMG (日本)
6.5mm Type96 LMG (日本)
7.7mm Type99 LMG (日本)
7.7mm Type97 MG (日本)
7.7mm Type88 MG (日本)
13mm Type93 AAMG (日本)
13mm Type2 MG (日本)
12.7mm MG (日本)
20mm Type99-2 (日本)
20mm Ho-3 (日本)
20mm Ho-5 (日本)
37mm Ho-203 (日本)
40mm Ho-301 (日本)
30mm Type 5 (日本)
20mm MG-151 (日本)
<イタリア>
6.5mm Fiat M.14 (イタリア)
8mm Fiat M.35 (イタリア)
6.5mm Breda M30 LMG (イタリア)
7.35mm Breda M37 LMG (イタリア)
8mm Breda M.37 HMG(イタリア)
8mm Breda M.38 (イタリア)
【8mm Breda M30の謎を追え!】
13.2mm M.31 MG (イタリア)
7.7mm MG / 12.7mm MG (イタリア)
Perosa M18 BMG (イタリア)(中国)
<スウェーデン>
Ksp m/42 MMG (スウェーデン)
Kg m/37 BAR (スウェーデン)
6.5mm M21 LMG (フィンランド)
Kg m/40 (スウェーデン)
Ag m/42 (スウェーデン)
<ベルギー>
SAFN BAR (ベルギー)
7.92mm FN D LMG (フィンランド)
<ポーランド>
7.92mm wz.28 LMG (ポーランド)
<フィンランド>
Lahti LMG (フィンランド)
<デンマーク>
Madsen BMG (中国)
6.5mm Madsen LMG (ノルウェー)
Madsen M20 LMG (フィンランド)
Madsen M.15 LMG (オランダ)
6.5mm Madsen LMG (タイ)
<スペイン>
Tropote LMG (スペイン)
PWU 28 [BAR] (スペイン)
日本の三年式機関銃
日本が初めて機関銃を購入したのは1901年で、フランスのホッチキス社からホッチキスMle1897を購入しました。
これは後のホッチキスMle1914の初期型で、1896年に試験用に4挺を購入したということは、かなり早くから機関銃に目をつけていたのでしょう。
フランスでホッチキス機関銃が陸軍で採用されるのはWW1の頃で、日本軍はそれよりも早い1902年に保式機関砲として制定しています。
1904年、日露戦争が勃発し、ここで日本軍の保式機関砲は大活躍を見せました。
日露戦争で保式機関砲の欠点が見つかったため、南部麒次郎により改良され、三八式機関銃となりました。
しかし改良できない欠点があったことから、南部麒次郎は新しい機関銃、三年式機関銃の開発を行いました。
1914年に制定とあるので、完成はもう少し早かったと思われます。
1914年から1932年まで生産され、推定3000挺が生産されました。
1919年のシベリア出兵にも使用され、極寒の地でも作動し、兵士からは信頼されました。
その後、満州事変から上海事変、日中戦争と幾多の戦場で使用されました。
戦車の車載銃として、ホイペット、ルノー甲型、ルノー乙型、八九式中戦車などに搭載されましたが、ゲームではホイペットにのみ搭載されています。
(他の車輌は九一式に換装されています)
6.5mm弾
射程24
KILL値4
チリは数百挺を購入しましたが、7mm弾使用だったことから、フランス製の銃身を使用し、組み立ては日本だったそうです。
日本の三年式機関銃
中国では張作霖の奉天軍が購入したと英語のwikiにはありますが、詳しいことは不明です。
↑の画像は日本の傀儡政権であった和平建国軍の訓練の様子ですが、三年式機関銃を使用しています。
これらは日本から受け取ったもので、和平建国軍は三年式機関銃と十一年式軽機関銃を受け取りました。
日本の三年式機関銃
満州国が建国された1932年には3年式機関銃は既に旧式化しており、実際に配備されたのは九二式機関銃ですが、当然3年式もあったことと思われます。
写真もなく、詳しいことは不明です。
日本の九二式重機関銃
6.5mm弾の3年式機関銃は装甲車、あるいは対空機銃として航空機には威力不足であることから、新しい機関銃の開発が行われました。
3年式機関銃を作った南部麒次郎は、三年式機関銃を改修し、口径を7.7mmにした機関銃を1932年に開発、九二式重機関銃と名付けられました。
射撃精度は向上しましたが、発射速度は遅く、有効射程距離は800mでした。
1933年から1941年まで生産され、45000挺が作られました。
射撃時の発射音がキツツキが鳴くような音がしたことから、連合軍の兵士からウッドペッカーと呼ばれました。
ノモンハンから太平洋戦争まで日本軍の主力機関銃として活躍しました。
射程24
KILL値5
日本の九二式重機関銃
九二式機関銃は日本以外の国でも供給され使用されました。
中国に登場する九二式機関銃は第二次上海事変で日本軍から鹵獲した兵器だと思います。
中国兵は射撃音がにわとりの鳴き声に似ているということで、チキンネックと呼びました。
WW2終結後もアジアの戦場では使用され続け、ベトナム戦争でも使用されていたそうです。
ゲームでは第二次上海事変後の1938年から登場します。
また満州国軍でも使用されました。
満州には日本から供与されました。
満州国軍には1933年から登場します。
日本の十一年式軽機関銃
日露戦争での経験、WW1での戦術から、日本軍でも歩兵が前進するときの援護射撃ができる機関銃が必要不可欠であるとされ、1922年、南部麒次郎により完成しました。
十一年式というのは、大正11年から取ったものです。
着脱式の銃床と給弾システムが特徴的で、6.5mm弾は歩兵が持つライフル銃の銃弾と同じもので、この銃弾を使用できました。
しかし内部構造が複雑になっていたため故障やトラブルが頻発しました。
小倉工廠、名古屋工廠、日立製作所、東京瓦斯電気などで1922年から1941年までに約29000挺が生産されました。
1931年の満州事変で初めて使用され、1938年7月のノモンハンのハサン湖のソ連軍との戦いで、ソ連軍に40挺が鹵獲され、ソ連はこの軽機関銃の複製品を生産しようとしましたが、至りませんでした。
また車載用として九一式車載機関銃が作られました。
日本の九一式車載軽機関銃
十一年式軽機関銃は戦車などの車載用機銃、または航空機用の旋回機銃に改造されました。
車載用機銃は九一式軽機関銃として、八九式中戦車、九二式重装甲車、九四式軽装甲車に搭載されました。
1932年から1936年にかけて約2000挺が作られました。
またこの車載機銃は取り外しが可能であり、取り外して対空機関銃としても使用できました。
取り外した九一式軽機関銃はゲームでは1942年のINA(インド国民軍)の部隊に登場します。
航空機銃としては、6.5mm弾から7.7mm弾に変更し八九式旋回機関銃として航空機に搭載されました。
日本の九六式軽機関銃
1922年に開発された十一年式軽機関銃は、戦場では埃や砂が入り詰まるトラブルが多かったことから、1932年、新しい軽機関銃の開発が行われました。
日本が中国から鹵獲したチェコスロバキアのZB vz.26軽機関銃を模倣したとも言われるほど外見は似ています。
空冷式でガス圧作動は十一年式軽機関銃と同じですが、上部に取り付ける30発入りの弾倉が特徴的で、これはイギリスのブレン軽機関銃とよく似ています。
1936年から1943年まで41000挺が作られました。
十一年式軽機関銃に代わる軽機関銃として1936年から配備されましたが、終戦まで両方が使用され続けました。
日本の九九式軽機関銃
6.5mm弾の威力不足や他国が7mm弾を使用するようになったことから、7.7mm弾の軽機関銃の開発が行われました。
基本設計は九六式軽機関銃とほぼ同じです。
1939年に制式採用され、九九式軽機関銃となりました。
1939年から1945年までに約53000挺が生産されました。
小倉工廠、名古屋工廠、奉天などで生産されました。
終戦後、中国軍に大量に鹵獲され朝鮮戦争からベトナム戦争まで共産軍に使用されました。
KILL値5
6.5mmの4より高くなっています。
日本の九七式車載重機銃
日本の初期の戦車に搭載されていたのは、6.5mm弾の九一式車載軽機関銃でしたが、威力不足や不具合の問題から改良型の7.7mm弾使用の九七式車載重機関銃が開発されました。
1931年に開発に入りましたが、なかなか完成に至らず、1937年に完成、1938年から生産に入り、名古屋工廠で約18000挺が作られました。
九五式軽戦車、九七式中戦車、一式中戦車など多くの車輌に搭載されました。
日本の八九式旋回機銃
ゲームに登場するType88という機銃は存在しないため、これはType89の間違いでしょう。
Type88という機銃がどのユニットに装備されているかを調べたところ、Armoured Boat(装甲艇)に装備されていました。
他にはなく、このユニットだけです。
これは陸軍が上陸支援用に開発した装甲艇と呼ばれた船です
主砲はゲームと同じ57mm砲、副武装に7.7mm機銃が2門装備されていました。
この7.7mm Type88が、本来はType89であり、これが八九式旋回機銃となります。
八九式旋回機銃は連装になっていて、ゲームでも(2)と2連装になっています。
ちなみにですが、日本陸軍には八九式機銃と呼ばれた機銃は2つありました。
一つはこの八九式旋回機関銃で、これは6.5mm十一年式軽機関銃を元に作られたもので、ホッチキス社の機関銃の系統になります。
そしてもう一つは八九式固定機関銃と言い、これはイギリスのヴィッカーズ機関銃をライセンス生産したものです。
またゲームに登場する日本軍の航空機の「7.7mm MG」は、どの機銃かを断定することはできませんが、陸軍機は八九式旋回機銃か八九式固定機銃、海軍機は九七式固定機銃、あるいはイギリスのルイス軽機関銃をライセンス生産した九二式7.7mm旋回機銃になるかと思われます。
日本海軍の九三式13mm機銃、あるいは日本陸軍のホ式13mm高射機関砲。
日本海軍がフランスのホッチキス社のホッチキスM1929重機関銃をライセンス生産し、1933年に採用しました。
艦船の対空機銃、太平洋諸島の防御陣地の固定機銃に設置されました。
地上目標も射撃できました。
単装、連装がありました。
日本陸軍でも同じくライセンス生産を行い、保式機関砲として1933年に準制式化しています。
(保式は、ホッチキス社のホ式とも書かれます)
ゲームには保式機関砲は登場しません。
第13号型駆潜艇にも搭載されています。
特四式内火艇にも搭載されました。
日本海軍の三式13mm旋回機銃
ゲームに登場する13mm Type2 MG は、二式13mm旋回機銃と言われ、ドイツの航空機銃MG131を日本海軍がライセンス生産したものです。
しかし当時の日本の工場ではドイツ製兵器をそのまま製造できず、またニッケルなどの材料も不足していたことから難攻したそうです。
そのため二式13mm旋回機銃がどれくらい作られ、使用されたのかは分かりません。
ゲームに登場するのは、1943年以降に登場する零戦A6M5、A6M7、A6M8cの3機種ですが、実際にこれらの機種に搭載されたのは、13.2mm三式固定機銃です
三式固定機銃は日本海軍がアメリカのブローニングM2機関銃をコピーして作ったもので、1943年以降の零戦に搭載されました。
これらのことからゲームに登場する13mm Type2 MGという航空機銃は、Type2ではなく、Type3の13.2mm三式固定機銃だと思われます。
日本陸軍の一式12.7mm固定機関砲
日本陸軍の一式機関砲で、ホ-103とも言われます。
ノモンハンでソ連機との戦いで教訓となった7.7mm機銃の威力不足を補うため、12.7mm機銃の開発が行われました。
ホ101、ホ102、ホ103、ホ104と試作がありましたが、その中で採用されたのが、ホ103です。
ホ103はアメリカのブローニングM2機銃の航空用機銃であるブローニングAN/M2のコピーです。
1939年以前に日本が購入していたもので、これをコピー生産することで一式機関砲として1940年に採用しました。
弾薬は日本製。
太平洋戦争が始るまでに全ての一式戦闘機「隼」、二式戦闘機「鍾馗」に搭載されました。
以降、多くの戦闘機、爆撃機にも搭載されました。
日本海軍の九九式20mm2号機銃
1935年、日本海軍は零戦に搭載する大口径の機銃を模索し、1936年、スイスのエリコン社とのエリコンFF20mm機関砲のライセンス契約を結び、1938年に生産に入りました。
初期の九九式1号機銃は、初速が低く、命中率も悪かったため評価はよくなかったそうですが、1943年に改良型の九九式2号機銃が開発・生産され、初速もあがり、破壊力も増大したため、パイロットから大好評でした。
ゲームには零戦に搭載されています。
ただしA6M2零戦には実際は九九式1号機銃(Type99-1)が搭載されていました。
ゲームには九九式1号機銃は登場しないため、九九式2号機銃になっています。
また九九式2号機銃は1943年のA6M3aから搭載されましたが、ゲームではA6M3aはなく、A6M3になっています。
日本陸軍の試製20mm固定機関砲
通称、ホ3(保三)とも言われます。
日本陸軍の航空機に搭載する機関砲の開発は、「ホ○○」という仮称になっています。
試作品で終わったものや完成し使用されたものなどいろいろありますが、資料が残っているものが少なく、詳細はいまだに不明な点が多いです。
ホ103、ホ1、ホ3、ホ5、ホ155-1、ホ155-2、ホ203、ホ204、ホ301、ホ401、ホ402、ホ501
戦後、米軍によって残された調査された記録が残っており、貴重な写真もわずかにあります。
↑の画像にはホ1とホ3が映っています。
B-17爆撃機に対抗するために作られたものでホ1とホ3は、対戦車ライフルの九七式自動砲を元にして開発されました。
ホ1は一〇〇式重爆撃機「呑龍」の後部砲座に搭載されました。
一〇〇式重爆撃機「呑龍」はゲームに登場しますが、高高度爆撃機なので機銃は関係ないため爆弾のみの装備となっています。
ホ3もB-17に対抗するために同じく九七式自動砲を元に作られました。
こちらは二式複座戦闘機「屑龍」に搭載されました。
ホ3を搭載したのは、キ45改甲と呼ばれる「甲型」のみで、この機体は機種にホ103(一式12.7mm固定機関砲)を装備していました。
ホ3は胴体下面に装備されています。
多くが本土防衛のためにB-29を迎撃しました。
ゲームには二式単座戦闘機「鍾馗」(キ44)にも搭載されていますが、これは間違いだと思います。
Ki-44 2cとありますが、これはキ2型丙のことで、この機種はホ103(一式12.7mm固定機関砲)を4丁搭載していました。
日本陸軍の二式20mm固定機関砲
通称、ホ5
12.7mm一式機関砲(Ho-103)をさらにスケールアップさせた航空砲です。
口径は20mmになりましたが、ホ103よりも軽量となり、発射速度も速く貫通力に優れていました。
大戦後半に登場した四式戦闘機「疾風」にも搭載され、中国戦線、フィリピン戦線、ビルマ戦線、沖縄戦そして日本本土防空線で活躍しました。
二式複座戦闘機「屠龍」、三式戦闘機「飛燕」、四式戦闘機「疾風」、五式戦闘機、四式重爆撃機などに搭載されました。
ゲームでは「疾風」と「飛燕」に搭載されています。
日本陸軍の37mmホ203機関砲
開発の経緯がよく分かっていませんが、37mm平射歩兵砲を改造して作られたという説があります。
しかも開発したのは日本特殊鋼という民間の会社でした。
1943年に、二式複座戦闘機「屠龍」(Ki-45 kai)に試作用が搭載されました。
この二式複座戦闘機「屠龍」は、B-29との戦いに用いられますが機体の性能差やレーダーの無搭載などで不利な戦いの中で、体当り攻撃をする編隊もあったそうです。
B-29を一発で仕留めることができたことから、B-29に対しては最も有効的な武器だったと言われています。
日本陸軍のホ301 40mm機関砲
口径40mmのロケット弾を発射するグレネードランチャーのような砲でした。
いつどれくらい作られたのかは分かりませんが、二式単座戦闘機「鍾馗」(Ki-44-2乙)と、二式複座戦闘機「屠龍」の一部のみに特別に装備されました。
しかしゲームにはいまのところ装備した戦闘機は登場しません。
ですがゲーム内の日本軍のOOBの中にはこの砲が収められているので、ここで紹介しておきました。
日本海軍の五式30mm固定機関砲
画像はありません。
1944年に実験が終了し、制式化は1945年5月でした。
愛知の豊川工廠で約2000挺が作られ、試験的に航空機に搭載されました。
烈風改、秋水、震電、橘花改などに搭載が予定されていましたが、終戦を迎えました。
ゲームには震電と橘花に搭載されています。
ドイツのMG-151 20mm機関砲
ドイツで開発された砲ですが、日本にも輸送されました。
日本ではマウザー砲という名前でした。
ドイツの潜水艦による隠密輸送で800挺、40万発が到着しました。
日本陸軍では三式戦闘機「飛燕」一型丙に装備されましたが、その威力に敵も味方も驚嘆したと言われます。
この飛燕一型丙は、1943年9月から1944年7月までに全部で387機が作られました。(改修分も含めて)
ニューギニア戦線、フィリピン戦線、本土防空戦などに配備され米軍機と戦いました。
しかしドイツ製の兵器は日本の整備兵では修理することができず、消耗していきました。
イタリアのフィアットレベリM1914重機関銃(中機関銃)
1908年イタリアで開発されたペリーノ機関銃がイタリアの最初の機関銃ですが、これは重量が重く、精度も悪かったため、改良が必要とされました。
その間、マキシム機関銃を採用しましたが、WW1が始まることで機関銃の供給ができなくなり、自国で開発が進んでいたフィアット社の機関銃を採用しました。
1914年から1920年まで生産が行われ、47500挺が作られました。
WW1、エチオピア戦争、スペイン内戦、WW2と長い間、イタリア軍で使用されました。
6.5mm カルカノ弾使用
またFIAT 2000、CV-29、CV-33豆戦車に搭載されました。
また航空機用にも改造されました。
イタリアのフィアットレベリM1935中機関銃
6.5mm弾の威力不足からM1914を改良したM1935が作られました。
イタリアではブレダ37重機関銃が主力生産であったため、この機関銃は少量のみが生産されました。
部隊にはあまり配備されず、豆戦車L3-33やL3-35に装備されました。
ゲームでは、豆戦車L3-33、L3-35に搭載されていますが、これらの車輌は、ブレダM38かフィアットレベリM35かのどちらかを装備したため、「8mm MG」とのみの表記されて登場します。
イタリアのブレダM30軽機関銃
1924年にフィアット社とブレダ社で競合が行われ、軽機関銃はブレダ社が選ばれました。
発射速度が遅く、20発しかない弾倉で、しかも埃や塵がつまりやすく、そして銃身の交換が複雑であり信頼性は低かったものの、1930年から約30000挺が生産されました。
ドイツ軍はMG 099(i)として使用しました。
イタリアでは画像のようにオートバイに搭載させました。
また1937年にイタリア軍は主弾薬を6.5mmカルカノ弾から7.35mm弾カルカノ弾に変更、それに伴い改良したBreda M37 LMG が作られました。
しかしM30からM37への装備の切り替えが遅れ、軍隊ではM30も使われ、多くのM37は使用されないまま倉庫に保管された状態で終戦を迎えたと言われます。
イタリアのブレダM37重機関銃
こちらは8mm弾の重機関銃のブレダM37です。
ブレダM37は↑の7.35mmの軽機関銃もブレダM37です。
6.5mm弾使用のフィアットレベリM1914が威力不足のため、後継として開発されました。
1935年完成、同時期に完成したフィアットレベリ社のフィアットレベリM1935と競合されましたが、イタリア軍はブレダM37を採用しました。
(ただしフィアットレベリM1935も制式化されています)
生産は1937年から1943年まで、どれくらい作られたのかは不明です。
ブレダM30軽機関銃の悪評とは裏腹にこちらは非常に優れた機関銃として戦後1960年代まで使用されました。
重量が40kgもあり、WW2で使用された重機関銃としては一番の重さでした。
イタリアのブレダM38車載機銃
こちらはブレダM37重機関銃を車載用に改造した機関銃。
フィアットL6/40軽戦車、M11/39中戦車、M13/40中戦車に搭載されました。
イタリアに登場する「8mm Breda M30」という機関銃についてですが、これは以前検証委員会の方に書きましたが、再度検討してみることにしました。
以前、この件に関してはSPWW2スタッフのミスではないかと思っていましたが、あれから数年経ってもまだ修正されておらず、しかもよく見るとこの機銃はかなり頻繁に登場しているので、これはもしや何か見落としているのではと思い調べてみました。
8mm Breda M30
まずブレダM30という機関銃は、通称6.5mm弾と7.35mm弾の軽機関銃のことを言います。
またイタリアで8mm弾の機関銃はブレダM37重機関銃とブレダM38車載機銃があります。
問題の8mm Breda M30のデータは、
ACC(命中精度)16、KILL値5、射程24
射程が24となっています。
通常、軽機関銃の射程は10〜12ですから、やはりこれは軽機関銃ではないという解答がでてきました。
ということは、M30は6.5mmや7.35mmの軽機関銃ではないということになります。
じゃあ中機関銃もしくは重機関銃?
射程が24なのでこれは中機関銃、重機関銃ということになってきます。
そこで重機関銃である8mm M37と8mm M38車載機銃を調べてみました。
8mm M37重機関銃 ACC21、KILL値5、射程30
8mm M38車載機銃 ACC21、KILL値5、射程24
この他にイタリア軍はフランス製のホッチキスM1914、サン=テティエンヌ1907、オーストリア=ハンガリー帝国製のシュワルツローゼ機関銃も使用しており、これらも全て8mm弾を使用し、ゲームにもイタリア軍に登場するので調べます。
ホッチキスM1914 ACC20、KILL5、射程24
サン=テティエンヌ ACC20、KILL8、射程20
シュワルツローゼ ACC 17、KILL4、射程30
これを見ると、ホッチキスM1914の数値が一番近いことが分かります。
どれくらいあったのかは不明ですが、イタリア軍はWW1でフランスから購入しています。
これで決まりか!と思いましたが、イタリアの隣国ギリシャを見てみると、ギリシャで8mm Breda M30とホッチキスM1914が同時期に重なって登場していました。
う〜ん
そこで再度、8mm Breda M38車載機銃を調べていくと、Wikiに車載機銃を歩兵用機関銃としても使用できるようにしたとあります。
What !!
これはもしかしてもしかします!
データを比べてみましょう。
8mm M30 ACC16、KILL5、射程24
8mm M38 ACC21、KILL5、射程24
ACC(命中精度)が落ちるのは仕方がないことです。
なんとかくこれが一番可能性が高い気がしてきました。
しかし・・・
登場年代が1931年1月となっているではないですか。
そもそも8mmブレダ弾が製造されるようになったのは遅く、1937年になってからです。
ええええっ・・
結論
ホッチキス社のM1914か、ブレダM38車載機銃かどちらかではないでしょうか。
ホッチキスM1914説も否定できません。
イタリア軍に登場する13.2mm BredaM31という重機関銃がありますが、これはフランスのホッチキス 13.2mm FM30をライセンス生産したものです。
つまりホッチキスという名称ではなく、Bredaという名称になっているのです。
ということは、8mm Breda M30もホッチキスM1914なのかもしれません。
イタリアのブレダM1931重機関銃
フランスの13.2mmホッチキスM1929重機関銃をイタリアは購入していましたが、これを自国のブレダ社でライセンス生産しました。
ライセンス契約が終了した後もイタリアでは生産が続きました。
イタリア海軍の艦艇に対空砲として装備され、陸軍では車載用機銃として搭載されました。
対空砲としては13.2mmは威力不足となり、20mm砲に代わっていきました。
ゲームでは対空砲と車載機銃として登場します。
カルロアルマートM14/41の砲塔を取り除いたM41指揮戦車にも搭載されました。
また豆戦車L3-38にも装備されています。
この機銃を搭載した車輌はブラジルなど南米に輸出されました。
イタリアのブレダSAFAT航空機関銃
1930年代から1940年代のイタリアの航空機に搭載されました。
SAFATはフィアット社がブレダ社に売却した子会社で、Breda-SAFATと呼ばれました。
フィアット社に代わり、イタリア空軍から機関銃の生産を任されたブレダ社でしたが、発射速度は遅く、品質もよくありませんでした。
パイロットからの評価はよかったものの、1940年代になると威力不足になりました。
多くの戦闘機、爆撃機に搭載されました。
イタリアのビラール・ペロサM1915小型機関銃
1915年にイタリアのビラール・ペロサ社で開発されました。
航空機用機銃として開発されましたが、航空機用としては威力不足であったため、ほとんどが地上で軽機関銃として使用されました。
地上用として戦車や装甲車、または自転車にも装備できるマウントが作られ使用されました。
9mm弾使用
1915年から1918年まで生産されました。
また後にベレッタM18短機関銃の開発へとつながっていきました。
ゲームにはセモヴェンテ da 47/32突撃砲にのみ特別に搭載されています。
セモヴェンテはオープントップの突撃砲のため、対歩兵用に乗員が機銃を装備していましたが、ブレダM38機関銃だったそうです。
また中国が購入したイタリアのCV-35にも搭載され登場します。
アメリカのM1919中機関銃の改造型
スウェーデンではM1919 A4を独自に改良しライセンス生産を行いました。
1942年から生産が始まり、7600挺が作られ、1980年代まで使用されました。
6.5mm弾と8mm弾が使用できました。
スウェーデンのKg m/37 BAR
スウェーデンは1920年代にベルギーのFN社から、約700挺のブローニングM1918 BARを購入しました。
ベルギーのFN社はアメリカのコルト社から製造権と販売権を取得したため、欧州におけるBARの販売をしていました。
スウェーデン向けに作られたKg m/21は、スウェーデン仕様の6.5mm弾としてブローニングM1918を改造し作られていました。
その後、スウェーデン国内でもカールグスタフ社でライセンス生産が行われ、1930年代の半ばにKg m/37が開発され、15000挺が生産されました。
(Kg m/21-37とも呼ばれます)
完成度が高く、1980年代まで現役で使用されました。
スウェーデンのKg m/21BAR
冬戦争でフィンランド軍は機関銃が不足していました。
そのためスウェーデンは130挺を無償提供し、またスウェーデンとノルウェーの義勇兵によりもたらされた数十挺がフィンランドにはありました。
冬戦争後、スウェーデンから一部を返還するよう言われたため、105挺を返還しました。
スウェーデンのKg m/40 軽機関銃
スウェーデンとドイツにより開発された軽機関銃。
1930年代のはじめ、ドイツのクノールブレムゼという輸送用車輌の会社で開発が行われ、1935年にLH-35として特許を取りました。
生産はスウェーデンの会社で行われ、武装親衛隊やドイツ国防軍により使用されましたが、その後、武器の信頼性と有効性が不十分と分かり、訓練部隊にのみ使用され、1943年に使用が中止になっています。
スウェーデンでは、Kg m/37に代わり、1940年から使用されましたが、1943年には後方部隊へと引き下げられ、戦後は使用中止になりました。
スウェーデンのAg m/42半自動小銃
冬戦争でスウェーデンはソ連軍のSVT-38自動小銃を1挺鹵獲、それを持ち帰り、国内で自動小銃の開発を行いました。
1941年に開発、1942年からカールグスタフ社で少数生産が行われ、約30000挺が作られました。
1942年にスウェーデンで採用されましたが、1960年代まで使用されました。
この部隊のみが装備しています。
ベルギーのFN Mle 1930自動小銃(BAR)
(SAFNは別称)
ベルギーは1920年代にアメリカのコルト社からBARのライセンス権と販売権の契約を結びました。
これによりヨーロッパでもBARが輸出されるようになりました。
ベルギーのFNハースタル社はBARをライセンス生産し、ポーランドに輸出しました。
またFN社ではBARを独自に改造し、1930年にFN Mle1930、その後FN Dを製造しました。
これらのBARは当時はアメリカのものより先進的でしたが、売り上げには結びつかず、ドイツ軍に侵略された後、ドイツ軍も再生産をしませんでした。
ベルギーのFN D軽機関銃
フィンランドは1940年2月にベルギーから700挺を購入しました。
主に要塞部隊と沿岸部隊に配備され、1943年頃まで使用されました。
ゲームでも沿岸部隊に登場します。
ポーランドのブローニングwz.28自動小銃(BAR)
ポーランドは1923年、新しい機関銃を採用するために、アメリカのM1918、フランスのホッチキス、イギリスのルイスなどの機関銃をテストしました。
その中からアメリカのM1918 BARが選ばれ、ポーランドはベルギーでライセンス生産されているM1924を10000挺購入しました。
これがポーランドで1928年にBrowning wz.1928として採用されました。
その後、1930年からライセンス生産が始まり、1939年まで13000挺が生産されました。
フィンランドのラハティ/サロランタM1926軽機関銃
1925年に有名なラハティとサロランタにより開発されました。
1926年から1942年まで生産されましたが、バナナ型の弾倉は頻繁につまってしまい前線の兵士からの評判は悪く、冬戦争、継続戦争では使用されましたが、兵士はスオミKP-31やソ連製のDP28の方を好んで使用しました。
そのため次第に使用されなくなりました。
1937年に中国が約30000挺を発注しましたが、日本の圧力により1200挺しか受け取ることができませんでした。
デンマークのマドセン軽機関銃
デンマークで開発された世界で最初の軽機関銃。
マドセンによって開発され、1902年にデンマーク軍に採用されました。
その後、世界各国で使用され、WW1、WW2以降、現代まで使用されている歴史的な機関銃です。
6.5mm弾から8mm弾まで使用できる様々なタイプが作られました。
ゲームではマイナー国に多く登場しています。
中国では軍閥により購入し、使用されました。
ゲームにはイタリアから購入した豆戦車L3-35に搭載されて登場します。
ノルウェーでは1914型と1918年型で、6.5mm弾使用、1955年まで現役でした。
フィンランドでは、1923年までに729挺を購入、1937年まで使用されました。
オランダでは、1919年から1939年までの様々なタイプの銃を購入しており、KNIL(東インド軍)でも使用されました。
タイでも使用されました。
スペインのトラポーテ軽機関銃
フランスのホッチキス社のホッチキスMle 1922軽機関銃をスペインでは自国でライセンス生産しましたが、その後継銃として、スペイン人のアンドレス・トラポーテが開発した軽機関銃。
ホッチキス1922と同じく、オビエドの工廠で作られましたが、スペイン内乱までにわずか400挺しか作られませんでした。
ポーランドのブローニングwz.28自動小銃(BAR)
これは解読に時間がかかりました。
PWUというのが分かりませんでした。
PWU というのは、Polish Weapon のことではないかと思いますが、Uが何なのでしょう(笑)
(USEのUかもしれません)
ここにあるように、スペイン戦争でポーランドは多くの兵器をスペインに売却して外貨を稼いだようです。
ただしスペインではポーランド製の武器は品質が悪いと評判があり、あまり人気はありませんでした。
このBARは、ポーランドで生産していたアメリカのブローニングBARで、Browning wz.28と呼ばれたものです。
スペイン内乱の前に200挺、そして1937年半ばに473挺を購入し受け取りました。
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