Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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スウェーデン戦車 1

Strv m/21 / Strv m/21-29
Strv m/31
Strv m/37
Strv m/38                 
L-60  (ハンガリー)
L-62  (ハンガリー)(フィンランド)
Strv m/39  /  m/40L 
Strv m/40K           
Strv m/41 S1
Strv m/41 S2
   
Sav m/43 75
Sav m/43 105
   
Strv m/42        
PvKv m/43      

Strv m/21  /  Strv m/21-29

スウェーデンが開発した最初の戦車Strv m/21

Strvは、Stridsvagnの略で「戦車」の意味

スウェーデンの戦車開発には少し時間をさかのぼって説明する必要があります。

WW1中、ドイツに鹵獲されたイギリスのマークA ホイペット戦車は戦車設計をするチームに大きな影響を与えました。

この影響により、ドイツのダイムラー車の車体を使用した「LK1」という戦闘車輌が開発され試作車輌ができました。

この後、37mm砲を搭載させた「LK 2」が設計されましたが生産はされずに終戦を迎えました。

1918年、LK 2は新たな車体に機銃のみのバージョンが作られ、24輌が生産されました。

WW1後、ドイツはヴェルサイユ条約により戦車の開発を禁止されてしまいますが、秘密裏に開発が進められハンガリーとスウェーデンに輸出しました。

ハンガリーは14輌、スウェーデンは10輌、機銃のみのタイプを購入し、輸出は分解して名目上、トラクターとして船に載せたそうです。

ハンガリーの14輌に関しては、組み立てがうまくいかず6輌のみが完成し、1932年まで使用されました。
(ゲームではハンガリーに登場しません)

スウェーデンではAB ランズヴェルクでドイツ人技師により、10輌全てが正確に元の車輌に復元されました。

AB ランズヴェルクはスウェーデンの会社ですが、ドイツの資本が入った会社だったこともあり、スウェーデンとドイツが共同で開発していました。

1921年にStrv m/21としてスウェーデン軍に配備されます。




武装は6.5mm M/14 機関銃

これはシュワルツローゼ重機関銃をスウェーデンでライセンス生産した機関銃です。

スピード6(16km/h)

その後、1929年に10輌のうちの5輌を改良しStrv m/21-29としました。

エンジンをスウェーデン製にし装甲を厚くしたこの車輌をドイツのグデーリアン将軍は自分の目で確かめに来たそうです。

スウェーデン軍では1939年まで使用されました。


主武器はゲームではKsp m/39を搭載しています。

スピード8に改善

m/21-29で乗員を3名から4名に増やしたことで、戦車長が指揮に専念でき、これがドイツ軍の戦車の成功につながった大きな要因だと言われます。

しかしゲームデータでは、m/21は4名になっています。

これは間違いですね、検証報告~


Strv m/31

スウェーデンのStrv m/31軽戦車、またはL-10軽戦車

1930年にL-10軽戦車(Landsverk L-10)として完成し、Strv m/31として採用されました。

スウェーデンのABランズヴェルク社で1932年から1935年にかけて3輌のみが作られ、この3輌はスウェーデン陸軍に配備されました。

世界で初めての溶接装甲、無線機を装備し、潜望鏡が備わっており、ボフォース社の37mm砲を搭載していました。

故障が多かったため、改良型のL-60(Strv m/38)が開発されました。

部品がドイツで製造されていたため、WW2が始まると、スペア部品を供給できなくなり、砲台として使用されました。

主砲はボフォース社の37mm対戦車砲

スピード17(40km/h)

装甲8~24mm


Strv m/37

スウェーデンのStrv m/37豆戦車(軽戦車)

チェコスロバキアで開発されたAH-Ⅳ軽戦車をスウェーデン仕様にした車輌です。

AH-Ⅳ軽戦車の詳細はこちら

スウェーデンは48輌を注文しました。

チェコスロバキアのCKD社で車体とトランスミッションが作られ、その他はスウェーデンで作られ、組み立てもスウェーデンで行われました。

1938年から1939年2月まで生産が行われました。

砲塔は2連装の機銃を装備

機銃はスウェーデン製のKsp m/39


Strv m/38


Strv m/38

スウェーデンのStrv m/38 (L-60 S/I)軽戦車

L-60はL-10軽戦車(Strv m/31)の後継車として、1934年にABランツヴェルク社で開発されました。

主砲はデンマーク製のマドセン20mm砲、エンジンはドイツ製のエンジンを搭載、そして当時最先端のトーションバー方式を採用し機動性に優れていました。


L-60

L-60はハンガリーに輸出され、ハンガリーでトルディ軽戦車としてライセンス生産されました。

トルディ戦車はこちら

スウェーデン国内では、Strv m/38Strv m/39Strv m/40LStrv m/40Kとして採用されました。

Strv m/38は、L-60のスウェーデン仕様で、L-60-SIと呼ばれ、主砲がマドセン20mm機関砲から、ボフォース37mm砲に換装され、エンジンも国内製になり、1937年に15輌のみが生産され、1939年に配備されました。

主砲はボフォース37mm戦車砲(m/38 L45)

同軸機銃はKsp m/39

スピード15(45km/h)

最大装甲15mm


Strv m/39  /  m/40L


Strv m/39

スウェーデンのStrv m/39、m/40L軽戦車

L-60のスウェーデン仕様として、さらに改良された車輌。

特徴的なのは、画像でも分かるように主砲の横に同軸機銃が2挺あることです。

Strn m/39は1939年に20輌が生産されました。

Strv m/39は、L-60-SⅡとも呼ばれます。

Strv m/39の改良型として作られたStrv m/40Lは、L-60-SⅢと呼ばれ、1940年に100輌が作られました。


Strv m/40L

m/40は前期型をm/40L後期型をm/40Kとしました。

ゲームではm/39とm/40Lは、性能に差がないことから一つのユニットで登場します。


主砲はボフォース37mm砲

副武装はKsp m/39機銃の2連装ですが、ゲームでは砲塔機銃と車体機銃になっています。



Strv m/40K


Strv m/40K

スウェーデンのStrv m/40K軽戦車

Strv m/40の後期型であり、L-60の4度目の改良型

こちらはカールスタード社で製造されました。

(m/40KのKは、カールスタード社のK)

装甲が厚くなり、それに伴いエンジンも強力になりました。

1943年から1944年に80輌が生産され、1950年代まで使用されました。

主砲はボフォース37mm砲

副武装はKsp m/39の2連装

(こちらは2連装になっています)

最大装甲50mm


Strv m/41 S1
Strv m/41 S2


Strv m/41 S1

スウェーデンのStrv m/41軽戦車

チェコスロバキアのTNH軽戦車のライセンス生産車輌。

TNH軽戦車についてはこちら

スウェーデンでは自国で開発したL-60型軽戦車であるStrv m/38、Strv m/39、m/40などが旧型になりつつあったことから、チェコスロバキアのTNH軽戦車に目をつけ、1939年にTNH-Sv型を90輌購入することにしました。

しかしTNH軽戦車(LT vz.38)は、ドイツ軍に生産が最優先されることになった上、スウェーデン用の車輌は38(t)S型としてドイツ軍のものになってしまいました。

スウェーデンはドイツと協議し、この90輌分の代償として、1941年6月、スウェーデン国内でのライセンス生産権と軟鋼が提供されました。

Strv m/41 S1は、1942年12月から1943年8月まで116輌が作られました。

主砲はスウェーデンのボフォース社の37mm砲

同軸機銃と車体機銃はKsp m/39機関銃

スピード14(48km/h)


Strv m/41 S2

1942年に改良型であるS2型が開発され、装甲の強化、エンジンの換装が取り入れられました。

1943年10月から1944年にかけて、104輌が作られました。

発注は122輌でしたが、残りの18輌はSav m/43に変更されました。

S1型とS2型を見分けるのは難しいですが、車輪の2つ目と3つ目の幅が開いているのがS2型です。

これは車体が少し大きくなったためです。

1950年代まで使用され、その後はPbc 301兵員輸送車に全ての車輌が改造されました。

そのとき使わなくなった砲塔および砲は固定砲台として利用されました。



Sav m/43 75  /  Sav m/43 105


75mm砲装備の前期型

スウェーデンのSav m/43自走砲

上記のStrv m/41 S2の生産分の18輌を改造してつくられた車輌。

1943年8月に試作車輌が完成、1944年になって生産が始まりました。

初期型は75mm砲を搭載し、完成した18輌は1945年1月に部隊に配備されました。

その後戦後になり、105mm砲に換装された後期型が作られ、1946年に生産が始まりまり、18輌が作られました。

前期型の18輌も105mm砲に換装されたので、計36輌が作られました。

現存する車輌を含めて105mm砲の後期型の車輌の写真が圧倒的に多く、ほとんどが後期型です。

映画に登場して有名になったので、記憶にある人も多いでしょう。

「プライベート・ライアン」の最後の市街戦でドイツ軍の自走砲として登場します。

このシーンで自走砲は2輌登場しますが、1輌は本物のマルダーⅢM型で、もう1輌がスウェーデンのこのSav m/43で、こちらも実車本物です。




主砲はボフォース社の75mm m/02榴弾砲

最大装甲50mm


105mm砲の後期型

後期型は1973年まで使用されたため、その間、改良が行われています。


主砲はボフォース社の105mm榴弾砲


Strv m/42


スウェーデンのStrv m/42中戦車

1930年代にスウェーデンがハンガリー向けに開発していたラーゴ中戦車という戦車がベースとなりました。

このラーゴ戦車は、スウェーデンのL-60軽戦車を元に作られた中戦車でしたが、ハンガリーはこの戦車の採用を辞め、チェコスロヴァキアのT-21を採用し、それが40M トゥラーン戦車となりました。

スウェーデンでは中戦車の開発が急がれたことから、この開発が止まっていたラーゴ中戦車を元に、75mm砲を搭載させた戦車の開発を進めました。

1943年から1944年にかけて、282輌が生産され、戦後も1970年代まで使用されています。

180輌がランズベルク社、102輌がボルボ社で作られました。

主砲はスウェーデン製の戦車としては初めての75mm砲

同軸機銃2挺と車体機銃2挺

スピード18(42km/h)

最大装甲55mm


PvKv m/43


スウェーデンのPvKv m/43自走砲

PvKvは、Pansarvarnskanonvagnの略

1942年、スウェーデンではドイツの3号突撃砲のような突撃砲の開発が行われました。

↑のStrv m/42中戦車の車体を利用し、砲塔を取り外し、オープントップの自走砲を作りました。

1944年に試作車輌が1輌のみ完成しましたが、生産は戦後になってから行われ、1947年から87輌が作られました。

主砲は長砲身の75mm砲

1954年には兵員を守るために車体上部に装甲が付けられ、1970年まで使用されました。