Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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FT-17
Carden Loyd ��
VCL M1936 (KNIL)
VCL M1931 Amphibious (KNIL)
M-H CTLS-4TA (KNIL)
[自由オランダ軍について]
Vickers Lt Tank MK��c (自由オランダ軍)
Honey (自由オランダ軍)
Stuart �� (自由オランダ軍)
Grant ��(自由オランダ軍)
Wasp Mk2C (自由オランダ軍)
Sexton (自由オランダ軍)
Sherman �� / Sherman �掘�/ Sherman Crab2 (自由オランダ軍)
Carrier (自由オランダ軍KNIL)
M3A1 Stuart (自由オランダ軍KNIL)
M3A3 Stuart (KNIL軍戦後)
M3A3 Recce (KNIL軍戦後)
Ram�� / Ram�� (戦後)
Ram Kangaroo (戦後)
M24 Chaffee (戦後)
M4 Sherman / M4A3 (105) / Sherman ��C
Sherman Hybrid / Sherman Dozer (戦後)
M10 17pdr (戦後)

オランダでは1927年にテスト用に1輌のみをフランスから購入しました。
オランダ陸軍は国内の対戦車障害物への実験や耐水性などの実験をするために購入したそうです。
写真は1927年にデモンストレーションをしている場面ですが、オランダは水の国と言われるほど水害が多いので、FT戦車を浸水させテストをしました。

この1輌の車輌は1939年にエンジンを取り外されたのですが、ドイツ軍が再利用したとも言われています。
オランダ軍は武器なしの車輌を購入したそうですが、ゲームではさすがにそういうわけにもいかず武器はついています。
フランス版の武装と同じです。
購入はオランダ軍がドイツ軍に降伏した1940年5月まで

イギリスのカーデンロイド6豆戦車
オランダは5輌を購入しましたが、これはオランダが保有していた装甲車輌の全てでした。
1940年5月10日のドイツ軍侵攻で5輌のカーデンロイド豆戦車と歩兵大隊はワールハーフェン軍用飛行場に配置されドイツ降下猟兵と戦い、混戦となりましたが、オランダ軍は空港がドイツ軍の手に陥る前に破壊しています。
この戦闘で5輌全てがドイツ軍により鹵獲されています。


イギリスのカーデンロイド1936年製軽戦車
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(1934年製で説明しています)
オランダは1937年に、KNIL(オランダ領東インド軍)がテスト用に2輌購入、同時にM1931水陸両用戦車も購入。
KNILはさらに1938年、73輌をヴィッカーズ社に発注しました。
これも1936年製です。
しかしそのうちの24輌がジャワに届いたのみで、それ以外はWW2が始まったために輸送できませんでした。
イギリスは届けられなかった完成品の40輌を「ダッチマン」(オランダ人)と呼び、自国で訓練用に使用しました。

KNIL軍(オランダ領東インド陸軍)は、1939年にテスト用車輌を受け取った後、戦車部隊に配備しました。
日本軍とのジャワ島での戦いでは、1942年3月2日、カリジャティ飛行場を占領した日本軍に対し、KNIL軍は約20輌の戦車を率いる装甲部隊と250名の歩兵で大規模な反撃を仕掛け、始めはうまくいきましたが、次第に撃退され戦車13輌、装甲車6輌を失いました。
KNIL降伏後、日本軍は15輌のカーデンロイド軽戦車を鹵獲したと言われます。
1934年製と同じです。
購入は1937年11月からですが注意することがあります。
KNIL軍(オランダ領東インド軍)のみが使用したため、KNILのユニットとしてのみ購入できます。
オランダ本国の部隊は[2FT17/5CL MAX !]というユニットしか戦車は購入できません。
これはオランダ本国には、2輌のFT-17と5輌のカーデンロイド豆戦車しかなかったためです。

イギリスのヴィッカーズ水陸両用戦車
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正確にはオランダ本国ではなく、オランダ領東インド、すなわちKNILで購入しました。
KNIL軍は本国オランダよりも、軍事的に進んでいました。
そのためヴィッカーズ社から1937年にヴィッカーズカーデンロイド軽戦車M1936(上記のもの)と水陸両用戦車を2輌づつ購入しました。
その後、1938年にヴィッカーズカーデンロイド軽戦車M1936を73輌と大量に注文しましたが、戦争が始ったため24輌のみを受け取りました。
水陸両用戦車はわずか2輌しか購入していませんので、↑の画像は貴重な一枚です。

こちらの車輌は水中移動力が1です。
日本軍との戦闘でどうなったのかは分かっていません。

アメリカのマーモン・ヘリントン CTLS-4TA軽戦車
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オランダは当時の植民地であった東インド(現在のインドネシア)で、アメリカから1940年に、CTLS-4TAを234輌、CTMS-1TB1を194輌、MTLS-1G14を200輌の合計628輌を発注しました。
しかし1941年12月から日本軍の侵攻が始まったため、無事に受け取ることができたのは、CTLS-4TAが約20〜24輌のみでした。
オランダ領東インド軍(KNIL)の戦車中隊は、CTLS-4TAが配備されました。
日本軍とのジャワ島のカリジャティ飛行場を巡る戦いで、日本軍の戦線を突破することに成功しましたが、その後、後続部隊がついて来れず、戦車13輌を失いました。
日本軍はこの戦車を鹵獲し使用しました。
戦後、日本軍によって鹵獲された車輌は、再び、インドネシア軍により使用されました。
オランダ領東インド軍(KNIL)には、1946年まで登場します。
これはオランダ領東インドに輸送できなかった車輌の一部の39輌がオランダ領西インドの植民地であった、キュラソー島、アルバ、スリナムのオランダ軍に送られ、スリナムで戦車部隊が作られたためです。
また残りの149輌はオーストラリアに移送され、オーストラリア軍により訓練用に使用されました。

1940年5月15日、オランダはドイツの侵攻により降伏しました。
ドイツ軍のとの戦いで約1万名の兵士が死傷しました。
しかしオランダは全てを失ったわけでなく、オランダ領東インドの植民地はまだこの時点では自由であり、そしてオランダ政府とウィルヘルミナ女王はオランダを離れ、ロンドンに退避しました。

このときドイツの女王捕捉部隊が女王を捕えにきましたが、30分の差で女王は逃げたという脱出劇がありました。
女王はロンドンで亡命政府を樹立、その後、レジスタンス運動の支柱となっていきます。
オランダ王立海軍の艦船はほぼ全てがイギリスへ移動しました。
またオランダ王立空軍のパイロットもイギリスでイギリス空軍として、バトルオブブリテンで戦いました。
そしてその他のオランダ兵は、ベルギーとフランスの港から脱出し、6月には1460名がイギリスに到着しました。
1941年1月、イギリスのオランダ政府は正式に「王立オランダ旅団」を結成、その後、女王の2番目の孫娘にちなんで「王女アイリーン旅団」(別訳:プリンセス・イレーネ旅団)(オランダ王立自動車化歩兵旅団)となり、自由オランダ軍と呼ばれます。
王女アイリーン旅団は、オランダが外国に住むオランダ人を徴兵し、およそ3000名程度になりました。
3個中隊、偵察部隊、砲兵部隊などで構成され、イギリスで訓練を受けました。
1944年のノルマンディー上陸、9月のマーケットガーデン作戦にも参加、終戦までドイツ軍と戦いました。
一方、オランダ領東インドの植民地は、1941年12月8日、オランダ亡命政府は日本軍に宣戦布告をしました。
オランダ領東インドには、85000名のKNIL軍(オランダ領東インド陸軍)と390機の航空機がありましたが、1942年3月8日、オランダ領東インドは降伏しました。
しかし日本軍はオランダ領東インド全てを支配下におかなかったため、多くの兵士はオーストラリアへ逃亡しました。
そしてオーストラリアで再編され、自由オランダ軍としてオーストラリア空軍、海軍、陸軍に編成され、日本軍と戦いました。
ただここを読む限りでは、数名のチームで日本軍のいる島に潜入したりする作戦がほとんどです。
大きな戦いは1945年ボルネオでの戦いで、アメリカ、オーストラリア軍と共に戦っています。

イギリスのマーク6c軽戦車
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この車輌は王女アイリーン旅団が、イギリスで訓練をしたときに使用した車輌です。
ただし王女アイリーン旅団にはどの程度の規模の戦車部隊があったのかは不明です。


アメリカのM3軽戦車
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これらの車輌も王女アイリーン旅団がイギリスで訓練に使用したものと見てよさそうです。

スチュアート6という表記ですが、これはM5A1のことです。

アメリカのグラント中戦車
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自由オランダ軍の王女アイリーン旅団がイギリスで訓練に使用したとみてよさそうです。

カナダのワスプMk2C火炎放射戦車
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これも自由オランダ軍の王女アイリーン旅団が使用したものです。

カナダのセクストン自走砲
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オランダには自由オランダ軍として登場しますが、詳細は不明です。

アメリカのシャーマン戦車
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ゲームには、戦時中にシャーマン�供▲轡磧璽泪鶚靴�登場します。
これらは登場年代が1944年1月、1944年7月となっています。
自由オランダ軍「アイリーン王女旅団」がノルマンディー上陸(8月から)、マーケットガーデン作戦に参加しましたが、この部隊が戦車を使用したのかどうかは不明です。
オランダは戦後、多くのシャーマン戦車を配備しました。
残っている写真は全て戦後の写真です。






アメリカのシャーマン戦車
戦後まもなく、オランダは財政難であったため、戦車を購入することができませんでした。
しかしオランダには連合軍が残していった巨大な武器集積地があり、そこから多くの兵器をかき集めました。
1946年にはシャーマンファイヤフライが57輌あったとされ、すぐに戦車部隊が結成され訓練を行いました。
その後もシャーマンは増え続けましたが、1950年代に次第に廃止され、センチュリオンに代わっていきました。






イギリスのブレンキャリア、またはユニバーサルキャリア
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この車輌はKNIL軍の車輌として登場します。
オランダ領東インドにあったもの、あるいは降伏後、オーストラリアで訓練用に使用したと見てよさそうです。

アメリカのM3軽戦車
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オーストラリアで再編成されたときに、訓練用に使用したものと見てよさそうです。


アメリカのM3A3、M3A3 Recce
この車輌は戦後に登場する車輌です。



カナダのラム巡航戦車
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この車輌は戦後の登場となります。




アメリカのM24軽戦車
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戦後の登場となります。


アメリカのM10駆逐戦車
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オランダに登場するM10は、イギリス製の17ポンド砲を搭載した車輌です。
戦後、相互防衛援助法を通じて、余剰となったM10をオランダ、デンマーク、ベルギーなどの国は提供されました。