Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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T1 Halftrack
T1E2 Halftrack
T5 Halftrack
M3 Halftrack (ソ連)(イギリス)(ANZAC)(フランス)(ポーランド)(インド)(オランダ)(中国)
M3-MG Halftrack
M3 Ammo Carrier
T14 Halftrack (イギリス)(カナダ)
Halftrack AOP (ポーランド)
M3 75mm GMC / SPM (日本)(イギリス)(カナダ)(フランス)(ポーランド)
T48 75mm GMC (ソ連)(カナダ)
T30 75mm HMC / T30 75mm GMC
T19 105mm HMC (フランス)(中国)
M13 MGMC
M14 MGMC (カナダ)
M16 MGMC (イギリス)(フランス)(ポーランド)(インド)(中国)
M17 MGMC (ソ連)
T28E1 MGMC
M15 MGMC
M15A1 MGMC (ソ連)(インド)(ベルギー)
M4 81mm MMC (フランス)
M21 81mm MMC (カナダ)(ANZAC)(ポーランド)(インド)(中国)
60mm Mor H/T (フランス)(中国)


アメリカのハーフトラック
1920年代、フランス人のケグレスがロシアでケグレス式という半装軌車を開発、その後、フランスへ帰国しシトロエン社で、シトロエン・ケグレスハーフトラックを開発しました。
アメリカ陸軍はこのシトロエン・ケグレスハーフトラックとライセンス権を購入し、1932年にT1ハーフトラックを作りました。
その後、改良が行われ、T1E1、T1E2、T1E3となり、1938年にM1となりました。
またフォード社では、T2、T3、T5が開発されました。
1935年にホワイト社がM3スカウトカーにフランス製の装軌車台組み立て部品を組み込んだT7を開発、その後、エンジンを強力にしたT14が作られ、これがM2ハーフトラックとなりました。
車体後部を歩兵1個分隊を乗車させることができるように延長したT8が作られ、これがM3ハーフトラックになりました。
M2とM3は、4社で生産がおこなわれ、総計53000輌が作られました。



ゲームにはM2、M3の前身である車輌が3種類登場します。

アメリカのM3ハーフトラック
M3ハーフトラックは、M2ハーフトラックと共に、1940年後半から生産が開始され、1941年に納入されました。
実戦参加は1942年の北アフリカ上陸のトーチ作戦が最初です。
オープントップのため榴弾に無防備であり、薄い装甲板はドイツ軍の機銃弾でも貫通する恐れがある欠点はありましたが、反面、時速72km/hで走ることができ、機動力には優れていました。
武器は機銃用の支柱があり、50calブローニングM2重機関銃を装備できました。

主武器は50calブローニングM2重機関銃
スピード24(72km/h)
搭乗人数13名
最大装甲12mm

主武器の他に30cal 機関銃を装備した車輌
M3A1と呼ばれ、右前部座席上に機関銃リングマウントを備えました。

車体にトレーラーがついた弾薬補給用車輌。

アメリカのM3対戦車自走砲
GMCは、Gun Motor Carriageの略
アメリカには1941年まで自走砲と呼べる車輌は1輌もありませんでした。
そこでM3ハーフトラックに、大量に保管してあったフランス製のM1897 75mm砲を搭載させ自走砲としました。
このM1897 75mm野砲は、フランスのシュナイダー社が1897年に開発した野砲で、WW1にアメリカはフランスから1900門を買い、その後、自国でライセンス生産をしたため、大量にありました。
1941年9月から1943年4月までに、2200輌が生産されました。
(そのうち約1300輌は、砲を取り外し兵員輸送車輌に改造されました)
1942年の北アフリカの戦いで使用され、カセリーヌ峠の戦いでは、ドイツ軍に多数が撃破されました。
欧州戦線では1944年以降、M10駆逐戦車に替わっていきましたが、日本軍との戦いは、フィリピン、サイパン、ペリリュー、沖縄と海兵隊により使用されました。
イギリス、フランスにも供与されました。
日本軍ではフィリピンで鹵獲した車輌を使用しています。

主砲は、75mm M1897榴弾砲

こちらは、M3 75mm SPMという名称
SPMは、Self Propelled Mountの略で海兵隊に登場します。
1941年9月、暫定SPM旅団が編制され、フィリピンに輸送されました。
これらはフィリピンのバターン半島の戦いで、使用され、日本軍に鹵獲されました。

アメリカのT30 75mm自走榴弾砲
HMCは、Howitzer Motor Carriageの略
M3ハーフトラックの車体に、M1A1(M116)75mm榴弾砲を搭載させた自走砲。
1927年に作られたM1 75mm榴弾砲を改良し、1940年にM1A1榴弾砲として生産された砲で、Pack Howtizer(PH)と呼ばれ、空挺師団や山岳部隊に配備されました。
後に自衛隊にも配備されています。

1941年10月から生産が始まり、500輌がつくられましたが、1942年にM8自走榴弾砲が開発されたため、生産終了となりました。
1942年に戦線に投入されましたが、榴弾ではドイツ戦車を撃破できないことがわかり、砲兵としての任務を任されました。
T30と、Tで始まるのは正式採用ではなく、暫定的であったため。
(正式採用はMで始まります)
主砲は75mm M1A1榴弾砲
PHは、Pack Howtizerの略
こちらは海兵隊にのみ登場するT30 75mm自走榴弾砲
75mm砲が、75mm M8 PHになっています。
75mm M8は、M1の派生型で、空挺投下用に車輪がゴムタイヤになっているのが特徴で、海兵隊にも配備されました。

T30 75mm HMCではなく、T30 75mm GMCになっているのは、HEAT弾を積載していて、日本軍の戦車にも使用できたためだと思われます。
HEAT M66弾というHEAT弾があり、91mmの装甲板を貫通できました。

アメリカのT19 105mm HMC
M3ハーフトラックの車体に、M2 105mm榴弾砲を搭載した自走榴弾砲。
M2 105mm榴弾砲は、WW1でドイツ軍から鹵獲した105mm砲がモデルになっており、1927年にM1 105mm榴弾砲として制式化したもので、1932年に改良型のM2(M2A1)が作られました。
T19 105mm自走榴弾砲は、1942年1月から4月までに、324輌が作られました。
1942年4月から、M7 105mm自走榴弾砲が生産されるようになっていたため、あくまでも暫定的な生産でした。
積載できる砲弾がわずか8発のみで、後部に42発の弾薬を積んだトレーラーを運搬しました。
105mm M2榴弾砲を搭載した車輌は、M7 自走砲、M4(105)、M4A3(105)、M45重戦車などがあります。
(戦車用は105mm M4榴弾砲)

アメリカのM13対空自走砲
M3ハーフトラックの車体に、M33 2連装M2 12.7mm重機関銃を搭載した車輌。
1940年から開発が始まり、1942年に完成。
1942年7月から1943年5月までに1103輌が作られました。
そのうちの半数は、納入される前に、M16 MGMCに改造されています。
1944年1月のアンツィオ上陸作戦で、初めて使用され、上陸後は対地上用兵器として使用されました。
1944年4月には、M16に代わったため、わずか139輌のみが配備されました。


アメリカのM16 対空自走砲
通称ミートチョッパー(ひき肉製造機)
M13 MGMCの後継車輌で、M3ハーフトラックの車体にM45 4連装対空砲を搭載した車輌。
M13 MGMCの2連装では威力不足とされ、4連装のM45が開発されました。
1943年5月から1944年3月までに、2877輌が生産されました。
アメリカ軍により、イタリア戦線、ノルマンディー上陸作戦、アラクールの戦い、バルジの戦いなどに使用されました。


アメリカのT28E1、M15、M15A1対空自走砲
アメリカ陸軍は、北アフリカでの戦いの支援のために、移動式対空砲の開発を急がせました。
当初、M2ハーフトラックの車体を利用しましたが、M3ハーフトラックに変更し、37mm対空機関砲1門、12.7mm重機関銃2挺を装備し、M2E1照準器を取り付けたT28E1が完成。
1942年7月から8月にかけて、先行で80輌が作られました。

T28E1は、北アフリカでのトーチ作戦で初めて使用され、カセリーヌ峠の戦い、シチリア侵攻で100機以上を撃墜する戦果を挙げました。
アメリカ陸軍はM15 MGMCとして制式化しました。

M15 MGMCは、砲の周りに防盾を取り付け、12.7mm重機関銃を水冷式から空冷式に変更しました。
1943年に、680輌が生産されました。


M15A1は、M3A1ハーフトラックの車体を利用した車輌。
37mm機関砲と2挺の重機関銃の位置が上下で逆になりました。
また↑の写真のように防盾が開閉式になりました。
1652輌が作られ、ソ連にもレンドリースされました。

アメリカのM4 81mm 自走迫撃砲
MMCは、Motor Mortar Carriageの意味
M2ハーフトラックの車体に、81mm M1迫撃砲を搭載させた車輌。
1941年に制式化され、572輌が作られました。
(M4とM4A1合わせて、1172輌が作られました)
画像のように、迫撃砲は後部収納室に搭載され、後方向きになっていました。
緊急時を除き、通常は迫撃砲を車体から降ろして使用することを想定しており、車輌搭載の迫撃砲は旋回範囲が狭く限られていました。
M4A1では改造され、前向きに固定されました。

また迫撃砲を前向きに搭載したM21 81mmMMCが作られました。
M21は、110輌のみが作られ、54輌が自由フランス軍に提供されました。
ゲームでは、アメリカ軍には登場しませんが、フランス軍に登場します。


アメリカの60mm迫撃砲搭載のハーフトラック
このユニットに関してですが、AIにも訊いたり、いろいろ調べましたが、アメリカ軍には60mm迫撃砲を搭載したハーフトラックは公式にはありません。
ではこのユニットは何かというと、通常の輸送型ハーフトラックが60mm迫撃砲班を運搬したということではないかという結論です。
アメリカ軍の歩兵中隊には3門の60mm迫撃砲を装備した部隊があり、機械化歩兵にはM3ハーフトラックつきの迫撃砲小隊がありました。
ゲームでは機械化歩兵中隊あるいは機械化歩兵小隊を購入するときのみ登場するユニットで、単独では購入できません。


機械化歩兵は、通常、全ての兵が車輌に搭乗します。
60mm迫撃砲部隊の車輌つきユニットと見て間違いなさそうです。