Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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フランスの装甲車 1

Peugeot AC /Peugeot AM (ポーランド)(ルーマニア)
White AM (ユーゴ)
Laffly 50 AM  /  Laffly 80 AM (ポーランド)
Citroen-K P17 /  P19  /  P19AA / P19 25mm AC(ポーランド)
AMC P16 Mle29 
Renault UE (ルーマニア)(ドイツ)
Lorraine 37L / Lorraine VBCP
Panhard 165/175
Panhard 178 / 178B / 178(MG) / 178PC  (ドイツ)
Laffly V15 T / V15 R
Laffly S15 T
Laffly W15 TCC

Laffly S20T
Laffly 25mm
Laffly S20T AA

Laffly S35T
Loyd Carrier
Bren Portee(自由フランス軍)

Conus Gun(自由フランス軍)
Dodge Tanake  (自由フランス軍)
Cam Blindes   (自由フランス軍)

Dodge T214 WC51


M3 Halftrack
M3 75mm GMC
T19 105mm HMC
M16 SPAA
M15A1 AAMC

M4 81mm MMC
60mm Mor H/T

White AM

アメリカのホワイト社のトラック車輌をベースにして作られたフランスの装甲車。

アメリカのホワイト社が作った車輌は「White armoured car」ですが、フランス版は「White AC armoured car」と異なります。

1915年から250輌が作られました。

WW1ではフランス軍にとって最も優れた装甲車として西部戦線で使用されました。

武装は主砲が37mm砲と副武装がホッチキスM1914機関銃
(ゲームでは後に換装されたFM31

装甲値は1

スピード15


Laffly 50 AMD /  Laffly  80 AMD


AMD 50

1930年代になると古くなったホワイトAM装甲車をアップグレードするために、フランスのLaffly社の車輌を用いて「White-Laffly  AMD50」と「White-Laffly AMD 80」が作られました。

車輌は完全なフランス製となりましたが名前だけはアメリカのホワイト社の名前が入っています。

より強力なエンジンを搭載し、「AMD 50」は最高速度60km/h、「AMD 80」は80km/h出せるようになり、走行距離も向上しています。

1928年から1932年にかけて、「AMD 50」は96輌、「AMD 80」は28輌が作られました。




AMD 80


「AMD 80」は主武器がホッチキスM1929重機関銃に代わりました。

装甲値も前面が2になっています。

フランス軍では1937年まで使用され、その後はフランス領北アフリカに配置され、ドイツ軍も鹵獲し使用しています。

Laffly 80 AMは1942年11月から1946年12月までも購入可能です。



Citroen-K P17 /  P19  /  P19AA / CP19 25mm AC


シトロエン・ケグレス P17

フランスのシトロエン・ケグレスハーフトラック

ケグレス式という半装軌車を開発したフランス人のアドルフ・ケグレスは、ロシアで最初のオースチン・ケグレス半装軌車を作りました。

その後、ロシア革命によりケグレスはフランスへ帰国、フランスのシトロエン社に自身のケグレス式を売り込み、シトロエン社はそれを元に開発を進めました。

ケグレス式の車輌は1922〜25年のサハラ砂漠の横断で一躍有名になりました。

軍事用には装甲車、砲牽引車や兵輸送車輌として各国で作られるようになりましたが、コストの高さやメンテナンスの難しさからWW2以後は姿を消しました。

フランス以外にドイツ、アメリカ、日本などでも開発されています。

フランスでは

シトロエン・ケグレス C4 P17
シトロエン・ケグレス C6 P19
AMC P16シュナイダー

があります。

シトロエン・ケグレス P17は1929年にフランスで採用され、75mm砲の牽引車輌に用いられました。

ゲームでも砲牽引車輌として登場します。


シトロエン・ケグレス P19

こちらはP17の後継車輌です。

P17よりもエンジンが大きく、速度も50km/h出せ、兵輸送車輌としても用いられました。





こちらは対空砲装備の車輌


主武器はホチキス社の13.2mm重機関銃



こちらは25mm SA34対戦車砲を搭載した車輌

いずれも少数が改造され作られました。


主武器は25mm SA34対戦車砲


AMC P16 Mle29


フランスのシトロエン社が開発したシュナイダーAMC P16装甲車。

AMCは「Auto Mitrailleusede Combat」の略で「戦闘装甲車」

シトロエン社がハーフトラックを作ったのは、ケグレス履帯を発明したロシアのアドルフ・ケグレスがシトロエンに勤務していたためでした。

シトロエン社による開発、シュナイダー社による製造により1928年に生産が始まり、100輌が生産されました。

完成した車輌は1932年に偵察用車輌として騎兵部隊に配備され、フランス第1機甲師団に所属しました。

1937年までに新型戦車R35ソミュアに交替しましたが、1940年5月の段階で約54輌が残っていました。

砲塔の主砲は37mm砲

副武装は7.5mmレイベル機関銃

装甲値1

スピード13

フランス軍では1940年までですが、ヴィシーフランスでは1943年4月まで購入できます。


Renault UE


フランスのルノーUE小型装甲トラクター

戦車でも装甲車でもなく補給物資、あるいは砲牽引用の運搬車両です。

イギリスのカーデンロイド豆戦車を参考にしてフランスのルノー社が開発しました。

カーデンロイドは機関銃を装備していますが、こちらは武器は何も装備していません。

車体上部は走行で密閉されており、ドーム型をした半球上のハッチが特徴的。

弾薬、物資、食料、対戦車砲などを運搬するときにより安全に任務ができるように作られました。

1935年に改良型のUE2が開発され、1939年に完成しました。

ゲームではUEもUE2も性能上はほぼ同じのためUEとして登場します。

UEとUE2は1940年までに約5000輌が生産されました。

砲の牽引、歩兵の乗車のユーティリティタイプ


こちらは弾薬補給車


こちらは砲牽引、兵員輸送用車輌

これは多分、フランス領シリアに残っていた車輌だと推測。

シリアは戦後もルノーUEを使用しており、中東戦争にも使われました。

ドイツ軍はフランスから約3000輌の車輌を鹵獲し、Infanterie Schlepper UE630(f)として使用しました。

ルーマニアはライセンス生産をし、Mexala tip UEとして使用しました。


Lorraine 37L / Lorraine VBCP


フランスのロレーヌ37L補給用車輌

後にドイツ軍により使用され有名になりました。

1937年にフランスのロレーヌ社で弾薬・燃料運搬車両として開発されました。

上記のルノーUE小型牽引車輌の代替車輌として作られ、ルノーUEよりも大きく、速度も35km/h出すことができました。

1938年から生産が始まり、1940年までに478輌が作られました。

それまではトラックでの燃料補給でしたが、トラックでは銃弾の飛び交う中での補給はできず、また大量の補給に時間がかかりましたが、この車輌はその問題を解決しました。

ゲームに登場する車輌は弾薬補給車[Ammo Carrier]です。


こちらは兵員輸送車に改修されたタイプで、Voiture blindee de chasseurs portes 38Lという名称で、 Lorraine VBCPと言われます。

操縦手含め12名が搭乗できることになっていますが、車体に6名、牽引車輌に6名です。

画像のように砲も牽引できました。

こちらは130輌が作られました。

ゲームでも軽砲の牽引と12名の兵士の輸送が可能となっています。

武器はありません。

フランス戦後、ドイツ軍は約360輌を鹵獲し、ロレーヌ・シュレッパー(f)として使用し有名になりました。

ドイツ軍では補給車、牽引車以外にお得意の自走砲に改造されたマルダー1としても使用されました。



Panhard 165/175


Panhard 165/175

フランスのパナール165/175

またはパナールTOEとも言われます。

フランスのパナール社は、1890年にフランスで最初にガソリン車を製作した世界最古の自動車メーカー。

当初は、パナール・エ・ルヴァッソール社と呼ばれました。


パナール・ルヴァッソール1914

パナール社は高級車を作り続けましたが、1946年に小型車に転身、1965年に経営不振により、シトロエンに合併されました。

現在は軍用車両を生産しています。

パナール165/175は、1929年代に植民地向けに開発された車輌ですが、WW2でも使用されました。

1930年から1933年にかけて、59輌がつくられました。

パナール165が最初に作られた車輌で、パナール175は1933年にサスペンションを強化したバージョンです。

ゲームでは同じ車輌として登場します。

ほぼ全車は、フランスの植民地であったモロッコとアルジェリアに送られ、偵察用または反乱の鎮圧などに使用されました。

フランス降伏後も植民地では、ヴィシー政権下で連合軍を撃退するために使用されました。


主砲はフランスのSA18 37mmピュトー砲

スピード25(75km/h)

最大装甲9mm



Panhard 178 / 178B / 178(MG) / 178PC


フランスのパナール178装輪装甲車

1931年、フランス陸軍騎兵部隊が偵察用装甲車の開発を依頼し、フランスの4社の競合で、パナール社の試作車が採用されました。

これがパナール178で、この車輌はパナール165/175を改良させたものでした。

フランス陸軍騎兵部隊は、1935年にAMD 35として採用しましたが、生産は遅れ、1937年から始まり、1940年5月までに約340輌が生産されました。

後に、フランス降伏後もドイツ軍向けに生産は行われ、総生産数は729輌でした。

当時の装甲車としては、速度、走行性能、装甲、武装など全てにおいて高い水準であり、ドイツ軍も、PzSPW P204(f)として使用しました。



主砲はオチキス SA35 25mm砲

スピード24


  南ベトナム軍の47mm砲搭載のパナール178B

パナール178の主砲を47mm砲にする計画が、1940年にあり、わずか1輌のみが47mm砲に換装され、ドイツ軍と交戦し、撃破されています。

これとは別に、連合軍によるフランス解放により、再び、自由フランス軍により、47mm SA35に換装したパナール178Bが作られることになりました。

この車輌は、1945年7月から生産が始まり、414輌が作られました。

主に植民地で使用されました。

主砲は47mm SA35戦車砲


機銃のみの車輌

また一部の車輌は↑の画像のように、機銃を2挺装備した車輌もあったようです。




指揮車輌

砲塔の主砲を取り外し、無線機を搭載させた指揮車輌。

20〜30輌が作られました。



ゲームではFO車輌として登場します。



Laffly V15 T / V15 R


Laffly V15 T

フランスのラフリーV15

1930年代にフランスのラフリー社は様々な軍用車両やトラックを開発しました。

ラフリーV15 Tは4輪駆動の軽砲兵用トラクターで、25mm対戦車砲の牽引用の車輌でした。

1938年から1940年までに、約100輌が生産されました。

また偵察用車輌として、Laffly V15 Rも作られました。




Laffly V15Tの登場年代が、1935年1月になっていますが、生産は1938年からなので、これは早すぎます。


Laffly S15 T
Laffly W15 TCC


Laffly S15 T

Laffly W15 T

フランスのラフリーS15、W15

ラフリー社が開発した6輪車輌

砲兵用トラクターとして開発されました。

S15 Tは、M1897 75mm野砲、M1935 105mm榴弾砲の牽引車輌として、約400輌。

W 15 Tは、M1937 47mm対戦車砲の牽引車輌として、約80輌。

ゲームに登場するラフリーS15 Tは、1940年2月、北アフリカの植民地に配備された車輌で、75mm砲を牽引ではなく荷台に搭載させました。

詳細は不明ですが、アフリカの砂漠の気候に適していませんでした。


Laffly S15 T



Laffly W15 TCCは、ラフリーW15 Tの車体に、47mm対戦車砲を搭載させた自走対戦車砲。

(CCは、フランス語の駆逐戦車の意味)

フランス軍は、新たに導入された47mm対戦車砲をラフリーW15の荷台に搭載させる計画を進めました。

1940年3月に完成しましたが、車体上部を装甲板で覆ったため、砲は後方からの射撃しかできませんでした。

ソンムの南に築いた防衛線を強化するために、早急に作られ、62輌が完成、1940年6月20日に投入されたと言われています。


Laffly W15 TCC



主砲は、47mm SA37対戦車砲


Laffly S20T
Laffly 25mm
Laffly S20T AA


Laffly S20T

フランスのラフリーS20

ラフリー社が、1935年に開発した6輪駆動トラック

ラフリーS20Tは、砲牽引用ではなく兵員輸送車輌でした。

1937年から1940年までに、660輌が生産されました。

ラフリー社では、生産が追い付かなかったため、1939年分からはオチキス社に生産が移され作られ、オチキス S20TLと命名されました。

また一部の車輌は、オチキス 25mm SA34対戦車砲を荷台に搭載させた改造車輌が約40輌作られました。


初期型バージョン





またオチキス 13.2mm M1929対空機銃を荷台に搭載させた車輌も存在しました。

ただしこの車輌に関しては、画像も↓の一枚しかなく、詳細は不明です。





登場年代が1930年1月になっていますが、Laffly S20Tは、1937年から生産されているので早すぎます。


Laffly S35T


フランスのラフリーS35T

ラフリー社が、1937年に生産した大型トラクター

155mm砲、220mm砲が牽引でき、重戦車の回収用として開発されました。

1937年から1940年までに、165輌が作られました。




Loyd Carrier
Bren Portee (自由フランス軍)


Bren Portee

イギリスのブレンキャリアとブレンポルティ

フランス軍は1940年6月のフランス降伏後、一部は自由フランス軍として、アフリカのフランス領や、シリアなどで戦いました。

その多くは、フランス本土ではないフランス人で、西アフリカの徴集兵でした。

自由フランス軍はイギリスから武器供与を受けており、イギリスのブレンキャリアがありましたが、このブレンキャリアにフランスの25mm SA34対戦車砲を搭載させた車輌がありました。

どれくらいあったのかは不明ですが、ドイツ軍が鹵獲した車輌もあります。

porteeとはフランス語で、トラックなどに砲を搭載させた車輌のことです。


ドイツ軍に鹵獲された車輌






Conus Gun (自由フランス軍)


Conus Gun

フランスのコヌス自走砲

この車輌もアフリカで改造された車輌です。

砲のネーミングはエイドリアン・コヌス(1901〜1947)という軍人から取られました。

(Conusは、コニュスなのか、コヌスなのかよく分かりません)


コヌスはアフリカで土木技師をしていましたが、1940年8月に自由フランス軍に入隊、1941年6月のシリアでの戦いで評価されました。

その後、少尉に昇進し、行政職に就きましたが性に合わず、単身エジプトでの遠征軍に参加します。

1942年、技術者でもあったコヌスは、フォードやシボレーのトラックを改造し、フランス製のM1897 75mm野砲を搭載させました。

これがコヌス自走砲で、火力と機動性に優れ、エルアラメインからチュニジアまでドイツ軍の装甲車輌に大きな損害を与えました。

コヌスはアフリカで2度負傷し、イギリスで治療後、今度はSAS空挺隊員として1944年7月のユーカリ作戦で降下します。

ユーカリ作戦は特殊作戦で、イギリス、フランス、アメリカの6チームが、ドイツ占領下のフランスに降下し、レジスタンスのマキと合流、支援をするというものでした。

しかしドイツ軍に捕まり、銃殺刑で次は自分の番というときに、危機一髪脱出をしました。

戦後は、少佐として特殊部隊コマンドス・コヌスを結成し、インドネシア戦争に参加、1947年に病死しています。



鹵獲したPaK38を搭載した車輌

主砲はM1897 75mm野砲

この砲は対戦車砲としても利用されました。

コヌス自走砲は1942年に作られたので、登場年代が早いです。


Dodge Tanake (自由フランス軍)
Cam Blindes (自由フランス軍)






フランスのダッジ・タナケ装甲車

トラックを改造した即席の装甲車

ダッジ(Dodge)というのは、アメリカのダッジ社のトラックです。

ダッジトラックはアメリカ軍に採用されていましたが、他国にもレンドリースで輸出されました。

ただしレンドリースは1942年からで、この即席装甲車になった車輌は、それ以前にフランスが購入したもののようです。

というのも、このダッジ・タナケという車輌については、いまだによく出どころが分かっておらず、正確なことは不明です。

一説によると、エジプト経由で輸入された多目的トラックが、ベイルートのフランス軍基地で、改造されたとも言われています。

画像を見てもかなり即席とは言えど、きちんと作られているのが分かります。

約12mmの装甲板と37mm砲と機銃を備えていました。

作られた数は、10〜30輌と正確には分かっていません。

第13外人准旅団により、1942年に北アフリカでロンメルと戦いました。

その後、ヴィシーフランス軍にも使用されています。




Dadge Armored Car

もう一つ登場する即席装甲車

こちらはダッジT110の車体を利用し、パナール165/175装甲車の砲塔を取り付けました。

1941年に、シリアで20輌ほど作られました。

↑の画像は、25mm SA34砲を搭載した車輌で、これはパナール165/175の主砲を37mm砲から25mm砲に換装させたものです。

(ゲーム内で使用されているのは、↑の画像と同じものです)

ゲームに登場する車輌は、たぶん、↓の機銃のみを装備した車輌だと思われます。


ダッジ・ホワイト装甲車

こちらは旧式化したホワイト装甲車の砲塔を取り外し、ダッジトラックに取り付けた車輌で、ダッジ・ホワイトと呼ばれています。

これもシリアで作られ、警備およびパトロールに使用されました。

ユニット名の「Cam Blindes」(Camion Blindes)は、フランス語でトラック装甲車の意味。


Dodge T214 WC51


Dodge WC51

アメリカのダッジWCトラック

詳細はこちら

アメリカのダッジ社の軍用トラック。

ダッジトラックには様々なバージョンがあり、フランスは1940年に1500輌を購入していますが、WCシリーズは1942年からレンドリースで受け取りました。




M3 Halftrack


フランス第2機甲師団のM3ハーフトラック

アメリカのM3ハーフトラック

詳細はこちら

アメリカは自由フランス軍にレンドリースにより、M3ハーフトラックを供与しました。

全て合わせて1244輌でした。








M3 75mm GMC
T19 105mm HMC
M16 SPAA
M15A1 AAMC


M3 75mm GMC


T19 105mm HMC


M16 SPAA


M15A1

アメリカのハーフトラック

詳細はこちらから

自由フランス軍は、アメリカからレンドリースで受け取りました。









M4 81mm MMC
60mm Mor H/T


M4 81mm MMC

アメリカのM4 81mmMMC

詳細はこちら

ゲームではM4 81mm MMCが登場しますが、自由フランス軍がレンドリースで受け取ったのは、M21 81mm MMCの方です。

M4とM21では、弾薬の積載量や移動力などに差があります。

M21 MMCは、全部で110輌のみが生産されましたが、そのうちの54輌が自由フランス軍に送られました。



また60mm Mor H/Tの方は、実在しない車輌と見ています。

詳しいことはこちらで