Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
> ユニットガイド
Wolseley A/C (満州国)
Type 91 So-Mo
Type 90 Sumida
Type 93 SNLF
Crossley M25
Type 92 Chiyoda (満州国)
Type 92 Osaka (タイ)
F B
Toyota Su-Ki
Type 92 Ni-Ku
Type 98 Shi-Ke
Type 98 Ko-Hi / Ko-Hi SPAA
Isuzu Type 94 / Type 94 SPAA
Isuzu Truck
Isuzu Type 2
Type 96 Mover
Toyota KC
Nissan Truck
Type 95 Kurogane (満州国)
Ho-Ha New !!!
Ho-Ki New !!!
日本で作られたウーズレー装甲自動車。
1905年創業のイギリスの自動車会社ウーズレーは、WW1後、いすゞ自動車の前身である石川島自動車製作所と提携を結び日本でライセンス生産をしました。
わずか数年で提携は解消されましたが石川島自動車製作所はウーズレーCP型トラックを改造した装甲車を1928年に作りました。
提携を解消したことから車名を「スミダ」としたため、この装甲車輌は「ウーズレー・スミダ装甲車」と海外では言われたりもします。
トラックの車体に6mm装甲板を被せ機銃塔がついています。
どれくらい生産されたのかは不明です。
1931年の満州事変にはヴィカーズ・クロスレイ装甲車と共に装甲自動車部隊として参加し写真も残っていますが、車輌に関する記録は残っていません。
1935年ごろまで満州での警備用としての任務に使われたそうです。
主武器は6.5mm三年式機関銃を車載用に改造したものですが、ゲームでは6.5mm 九一式車載軽機関銃 が使われています。
正式名称は九一式広軌牽引車。
海外では「Type 91 So-Mo」と呼ばれています。
中国大陸の鉄道防衛のため、日本陸軍がウーズレー装甲車を作った石川島自動車製作所に発注した車輌です。
1929年に試作車の九〇式広軌牽引車が完成し、これに改良を加えたのが九一式広軌牽引車となりました。
写真のように線路上を走ることもできますが、道路も走行可能でした。
生産を担当したのは「瓦斯電」(ガスデン)
約1000輌が作られ満州鉄道での守備隊や鉄道連隊に配備され、警備だけでなく線路の修復、敷設などにも使われ活躍しました。
実際の車輌には武器は搭載されておらず、乗員は敵との交戦時は銃口から着脱式の機関銃やライフルで応戦していたようです。
ゲームにはありがたいことに十一年式軽機関銃が装備されています。
他にもライフル銃で攻撃できるところがよろしいw
また兵士を6名輸送することが可能です。
日本海軍のすみだ装甲自動車
上記の「九一式広軌牽引車」の改造型です。
九一式広軌牽引車の派生型として陸軍用と海軍用にそれぞれ少数の自動装甲車が作られました。
陸軍用は「愛国号」、海軍用は「報国号」と車体に書かれています。
海軍用は鉄道関係の設備を取り除いたぐらいで、ほぼ九一式広軌牽引車と同じです。
何輌が作られたのかは不明です。
武装は実際にどの機銃が搭載されていたのかは不明ですが、ゲームでは7.7mm九七式車載重機関銃が装備されています。
九三式装甲自動車と共に第二次上海事変に参加しました。
日本海軍の九三式装甲自動車
(SPWW2では以前、九二式と表示されていたが修正されました)
SNLFは「Special Naval Landing Force」の略で、日本語では「海軍陸戦隊」
この車輌は海軍が石川島自動車製造所に発注した車輌。
ほとんど資料が残っておらず、車体に何の車輌が使われているのかは分かりません。
砲塔の形状が他の装甲車と異なり角ばっているのが特徴的。
また写真を見る限り、「報国2」「報国3」という文字が車体に書かれていることで見分けがつけやすいです。
生産は1933年以降に行われ3〜5輌ではなかったと言われています。
上の九〇式と共に第二次上海事変で陸戦隊の貴重な戦力となりました。
武装はヴィッカーズ重機関銃が1挺とその他にも機関銃の銃架が数か所あります。
車輌はWW2終結時にまだ上海海軍陸戦隊に3輌あったそうです。
イギリスのヴィッカーズ・クロスレイ装甲車
クロスレイ社の車体にヴィッカーズ社が装甲を手がけた植民地用に作られた車輌で、1925年までに451輌が生産され、インドには約100輌が送られています。
日本軍が使用したことで戦史に名を残しました。
日本が購入したのは1925年型のM25で、半球型の旋回砲塔が特徴的です。
日本はこの車輌を陸軍と海軍とで12輌を購入したと言われています。
陸軍の3輌の車輌は満州事変で使用され関東軍に支給されました。
ゲームでも満州国に登場します。
海軍の車輌は第一次上海事変で上海陸戦隊(SNLF)の唯一の装甲戦力だったため貴重な車輌となりました。
上海での陸戦隊による活躍により、装甲車が再評価され海軍は上記の九三式装甲自動車を発注しています。
武器は砲塔にあるヴィッカーズ機関銃2挺
スピード23(64km/h)
装甲値1(5.5mm装甲は銃弾が貫通したそうです)
ゲームでは第二次上海事変が終了するまでの購入となっていますが、WW2終結時、上海には1輌があったそうです。
中国にも登場します。
日本で作られたちよだ装甲自動車、または千代田QSW型装甲自動車。
日野自動車の前身である東京瓦斯電気株式会社の六輪の民間トラックをベースにして作られ、このトラックは「ちよだ」と呼ばれていたので、ちよだ装甲自動車となりました。
1930年に採用され、約200輌が生産されました。
他の装甲自動車と同じような外観で見分けがつけにくく、しかも詳細な記録や写真が残ってないため、いまだに謎が多い車輌です。
これは民間企業の製造になったことで、どれだけ生産したとか車輌に関する正確な記録が残されていないことも一因です。
200輌が生産されたというのであれば、もっと多くの写真が残っているはずですが、現存する写真が数枚しかなく、本当にそんなに作られたのか?と思ってしまうほどです。
主に中国に配備されたそうです。
武器は6.5mm九一式車載機関銃が3挺
第2火器の機銃は対空砲(AAMG)でも使用できます。
スピード13
装甲値2
兵員6名輸送可能
日本の湿地車(水陸両用車輌)
またはFB器とも言われています。
湿地の多いソ連との戦闘を想定し作られた車輌。
1933年に開発が行われ、1934年に完成しました。
1945年までに146輌が生産されました。
特徴はゴム製の浮袋式の履帯で、この履帯により、湿地のみならず、水上、泥濘、そして雪上でさえ容易に走ることができました。
また搭載能力もあり、兵士なら40名、砲は2門を輸送できました。
スピードは陸上10、水上3
砲1門、兵士12名積載可能
日本のスキ型4輪駆動水陸両用車、スキ車
ガダルカナル島などの戦場での経験により、補給艦から直接、内陸に物資を陸揚げできる車輌の開発が行われました。
1943年、トヨタは4輪駆動のKCY型トラック(To-Ki)を開発、この車輌をベースに水陸両用車を作りました。
1943年から1944年までに198輌が生産されました。
1943年11月から1944年2月に繰り広げられたギルバート・マーシャル諸島の戦いで多くの車輌が使用されました。
武器は搭載されていませんが、ゲームには機銃が搭載されています。
スピードは陸上12、水上4
兵士24名、砲1門を輸送、牽引可能
装甲は5mmの装甲板でしたが、機銃弾にも耐えられるものではありませんでした。
日本の九二式8トン牽引車(ニク)
大口径の八九式15cm加農砲が1930年代になり作られ、戦場に用いられました。
この15cm砲を牽引するために作られた車輌。
砲牽引時は約8km/hで走行しました。
1932年に作られた最初の型は甲型と呼ばれ、1936年にはディーゼルエンジンを搭載した乙型が作られました。
1657輌が作られました。
似た車輌で九二式5トン牽引車がありますが、なかなか見分けは難しいです。
砲1門、兵士25名を牽引、輸送可能。
日本の九八式4トン牽引車シケ
九〇式75mm野砲を牽引するために開発されました。
九四式4トン牽引車の改良型として、1938年につくられ、781輌が生産されました。
砲1門、兵士11名を牽引、輸送可能
日本の九八式半装軌輸送車コヒ
1930年代に、フランスのシトロエン・ケグレスハーフトラックをテスト用に輸入し、半装軌(ハーフトラック)の開発が進められました。
日中戦争で日本軍は歩兵の自動車化、機械化が困難であったことから1938年に兵員輸送用、または砲の牽引用として作られました。
どれくらい作られたかは分かりません。
スピード16(50km/h)
砲1門、兵士15名輸送可能
↑こちらは九八式のもう一つのタイプで大型です。
(ゲームには登場しません)
日本の九八式20mm対空機関砲車輌
名称ははっきりしていません。
九八式半装軌輸送車の荷台に九八式20mm高射機関砲を搭載させた車輌。
九八式20mm高射機関砲を車輌に搭載させる試みは様々に行われており、戦車では九七式軽装甲車に搭載したキト車、九八式軽戦車に搭載したタセ車などがありますが、試作のみに終わっています。
この半装軌車に搭載させた車輌は、試作あるいは数輌が作られたとありますが、詳細は不明です。
日本の九四式6輪自動貨車(トラック)
日中戦争から太平洋戦争まで、日本を代表する軍用トラックとして活躍した車輌。
歩兵部隊のみならず、砲兵部隊や後方部隊、飛行部隊など様々なところで使用されました。
東京自動車工業(いすゞ自動車)の民間向けトラックがベースとなっており、1934年ごろから1945年までに約5000輌が生産されました。
これも甲型はガソリンエンジン、乙型はディーゼルエンジンとなっています。
スピード18(60km/h)
砲1門、兵士18名搭乗可能
またこの車輌に九八式20mm高射機関砲を搭載させた車輌も作られました。
九八式20mm高射機関砲は九四式6輪自動貨車の他、日産の自動貨車、トヨタの自動貨車などにも搭載され、対空用に多数の車輌が作られました。
日本の九七式4輪自動貨車(トラック)
ゲームには「いすゞトラック」としか表記がありませんが、いすゞは当時、東京自動車工業という名前でした。
TX40という民間トラックの車体で作られたのが、九七式4輪自動貨車です。
九四式6輪自動貨車と同様、日本陸軍の足となり活躍しました。
スピード18(75km/h)
砲1門、兵士18名搭乗
登場年代が1930年からになっていますが、実際はもう少し後からです。
日本の二式大型自動貨車
1941年、東京自動車工業からヂーゼル自動車工業に社名が変更となりました。
1942年、積載量7トンのTB60型が開発され、陸軍により二式大型自動貨車として採用されました。
砲1門、兵士32名(!)搭乗可能はすごいです。
登場年代が古すぎます。
日本の九六式高射砲運搬車
この車輌は九四式6輪自動貨車の改造車輌です。
九四式6輪自動貨車は様々な車輌に改造されました。
救急車、偵察気球係留車、消毒車・・
八八式75mm高射砲を運搬する車輌としても作られました。
砲1門、兵士15名搭乗可能
日本のトヨタKC型トラック
トヨタは1935年にG1型トラックを発売しましたが、量的・質的に課題がありました。
自社で製銅所を持たなければ質のいい鋼材が手に入りにくく、量産もできませんでした。
そのため1939年、製銅所を作り、そこで新たに1942年にKB型トラック、1943年にKC型トラックを開発し陸軍で使用されました。
砲1門、兵士18名搭乗可能
日本の日産トラック
日産自動車は1937年に初めて大型トラックを製造しました。
それが日産80型と呼ばれている車輌です。
この車輌は日中戦争が始るとすぐに軍用車両として満州に送られました。
満州の過酷な条件下では耐久性に難がありましたが、1941年にこれらを克服するための180型が開発されました。
80型は1937年から1940年まで生産され、年に1万2000輌が作られていますが、180型は資材が乏しくなったため1944年から生産中止となりました。
砲1門、兵士13名搭乗可能
80型か180型かははっきりしません
登場年代が古すぎますw
日本の九五式小型乗用車
日本初の4輪駆動車で、くろがね四起と呼ばれましたが、これは日本内燃機が開発した3輪自動車くろがねにちなんでつけられました。
日本陸軍の主力乗用車として活躍しました。
1936年から1944年までに4775台が作られています。
助手席には軽機関銃を装備可能でした。
2013年に京都市内の工場で見つかったくろがねが、2016年にレストアされ公開されました。
砲1門、兵士6名搭乗可能
砲の牽引はゲームのみです。
日本の一式半装軌装甲兵車ホハ
日中戦争で日本軍は歩兵の身を守りつつ、輸送できる装甲車輌が必要であることから、ドイツのSdKfz.251/1のような車輌の開発を進めました。
1941年に完成し制式化されましたが、1942年に生産が大幅に削減となり、1944年に再び再生産化されました。
その理由は、資源・人員の不足、速度が遅かった、攻撃力の不足などがありました。
1944年になって再生産化されましたが、資源不足のため約300輌の生産に終わっています。
一部はフィリピン、中国の戦場に送られましたが、詳細は不明です。
ほとんどは本土決戦用として内地にあり、戦後は解体されました。
主武器は7.7mm九二式機銃1挺
スピード18(50km/h)
砲1門、兵士15名搭乗可能
最大装甲6mm
日本の一式装甲兵車ホキ
一式半装軌ホハと共に1941年に制式化された車輌。
こちらは半装軌ではなく、全装軌です。
生産は一式半装軌ホキと同じ日野自動車で行われ、約200輌が作られました。
一部がフィリピンの第14方面軍に送られましたが、レイテ島、ルソン島の戦いで全て破壊されました。
ほとんどが本土決戦用に内地に配備されました。
主武器は7.7mm九二式重機関銃
↑の画像のように機銃用のソケットが4つあり、機銃を装備することができました。
砲1門、兵士15名搭乗可能
最大装甲6mm