Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
90mm AT-Gun (アメリカ)
105mm Howitzer (アメリカ)
105mm How M3 (アメリカ)(海兵隊)
75mm Pack How (アメリカ)(海兵隊)(中国)
Ansaldo 90mm M39 (イタリア)(RSI)
Ansaldo 75mm (イタリア)(RSI)
Hotchkiss M1914 (フランス)
Type 3 MMG (日本)(中国)
Type 92 MMG (日本)
CKM wz.14 Pl (ポーランド)
アメリカ軍が開発した「M1 90mm 高射砲」
アメリカ軍の対空砲には、「M1918 3インチ高射砲」(76.2mm)がありましたが、大戦に入り、さらに強力な対空砲を開発しました。
(「M1918 3インチ対空砲は「3 Inch AT-Gun」として改造されます)
1940年、「M1 90mm高射砲」が生産されました。
1943年、「M2」に改良され、ドイツ軍の88mm高射砲のように水平射撃が可能となり、対戦車砲としても使用することが可能となりました。
「M3」に改良され、「M26 Pershing」や「M36 Jackson」の主砲に搭載されました。
一方、対戦車砲として生産されたのかどうかは、1944年のアルデンヌの戦いで90mm対空砲でティーゲルを撃破したという記録が残っていますが、これは高射砲の水平射撃によるものらしく、対戦車砲としては試作のみで終わっているのではないかと思います。(戦後のことは分かりません)
ゲームにはHVAP弾(SABOT)を積載するユニットは登場しません。
1944年10月〜1946年12月
正式名称「M101 105mm榴弾砲」または「M2A1 105mm榴弾砲」
あまりにも有名な砲です。
アメリカ軍が使用していたフランス製の「M1897 75mm野砲」の後継砲として設計されました。
1940年から生産が始まり、終戦までに8536門、その後、1953年まで生産は続き、10200門が生産されました。
アメリカ軍では第2次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争まで現役でした。
大戦後はアメリカ以外の50の国の軍隊で長い間使用されてきました。
日本でも陸上自衛隊が使用しました。
砲自体も少しづつ改良されています。
ゲームに登場するのは「M2」「M3」「M4」が登場します。
「M2」(M2A1)は、砲兵隊が使用する砲として大戦中は多く生産されました。
この「M2」型を搭載した車輌には、
「M3」型は軽量型です。(後に紹介)
「M4」型は戦車に搭載させるための砲で、
M4A3シャーマン戦車
M45
1940年3月〜1946年12月
この砲は上の「M2 105mm榴弾砲」の改良型で、「M3」です。
「M3 105mm榴弾砲」は空挺部隊用に作られました。
砲身を短くし、砲架は「M1 75mm榴弾砲」のものを使用し、全体の重量をできるだけ軽量化しました。
「M2」の重量が2260kgなのに対し、「M3」は1130kgと半分の重量になりました。
1943年から45年にかけて、2580門が生産されました。
ゲームでは1940年3月から登場しますが、空挺部隊用の砲は1943年3月からとなっています。
1940年3月〜1946年12月
アメリカ軍が開発した「M1 75mm 榴弾砲」(M1A1)
通称、「Pack Howtzer」(パックハウザー)と呼ばれています。
1920年代に作られはしたが、生産はされていませんでした。
しかし戦争が始まり大量生産され、1940年から1944年までに5288門が作られました。
元は山砲として設計されたこともあり、アメリカ陸軍では山岳部隊と空挺部隊に配備されました。
海兵隊にも配備されました。
またアメリカ軍に採用される以前、中国にも供給されています。
中国には全部で762門が供給されました。
「M1」「Pack How」は初期型
「M1A1」はその改良型
「M8」は空挺投下用
ゲームでは
アメリカ陸軍には「M1A1」
海兵隊には「M8」
中国国民党には「Pack How」
が登場します。
アメリカ軍は1936年6月〜1946年12月
海兵隊は1930年1月〜1945年1月
(この1930年というのは早すぎると思います。1940年の間違いでは?)
中国国民党は1942年9月〜1946年12月
またアメリカ軍は、この砲を車輌に搭載させた「T30 75mm HMC/GMC」を生産しています。
イタリアのアンサルド社で作られた90mm高射砲。
名称は「Da 90/53」
大戦中、イタリアで最も多く製造された高射砲。
1938年、イタリアは高高度の爆撃機に対する高射砲の開発に乗り出します。
1939年に完成し、イタリア王国陸軍で採用されました。
539門が生産されました。
1941年に北アフリカで使用され、その後、シチリア島、ローマ防衛で使用されました。
ドイツ軍の88mm高射砲との性能の差は、対空射撃時の射程は12000mに対し、88mm砲は9900mでした
そのほか、初速や使いやすさも90mm高射砲の砲が優れていたと言われますが、対戦車砲としての性能は88mm砲の砲が優れていました。
ドイツ軍でもこの砲を「9cm Flak 41 (i)」として使用しています。
またイタリア軍は、この砲を搭載させた車輌を開発しています。
同じくイタリア軍の75mm高射砲。
上記の90mm砲と同じく、アンサルド社で製造されました。
名称は「Da 75/46」
1934年に完成し、1935年から生産され318門が作られました。
この砲も高射砲でしたが、対戦車砲として使用されました。
ゲームでは高射砲ではなく、対戦車砲として登場します。
スペイン戦争から大戦でのイタリアのほとんどの戦場で使用されました。
イタリアでは、1936年1月〜1945年12月
RSIでは、1943年10月〜1945年12月
SPWW2に登場する機関銃の歴史を見てみましょう。
まずはフランスからです。
フランスでは以前紹介した「St.Etienne Mle1907」という機関銃があります。
「St.Etienne Mle1907」機関銃の軍での採用はわずか1907年から1908年までで、その後フランス軍は、この故障の多かった「St.Etienne Mle1907」に代わり、オチキス社の「Mle1908」を採用し、この「Mle1908」が改良されたのが、この「Mle1914」です。
8mm弾のこの銃の特徴は水冷式マキシム式とは異なり空冷式銃身でした。
故障率も低く、65000挺が生産され、フランスでは第二次大戦でも使用されています。
また国外でも多くの国の軍で使用されました。
日本では、この銃を改造した三年式機関銃が開発されました。
ゲームでは機関銃部隊(MMG)として使用でき、「FM14」と表示されています
([FM]というのは「fusil-mitrailleur」(機関銃)の略です)
1930年1月〜1943年4月まで購入可能。
日本陸軍で使用された「三年式機関銃」
日本の機関銃はホチキス社の「Mle1897」が原型です。
この「Mle1897」をフランスから購入し、1902年に「保式機関砲」として正式採用しています。
(保式の「保」はホチキスの「ホ」です)
イギリスから「ヴィッカーズ機関銃」も輸入しましたが、ホチキス社の方がよかったみたいです。
その後、この「保式機関銃」を改良して作られたのが、「三年式機関銃」です。
1914年に正式に採用されました。
この三年式機関銃は、満州事変、上海事変、日中戦争で活躍しました。
空冷式で、故障も比較的少なかったため、兵士には好評だったそうです。
しかし6.5mm弾が次第に威力不足となり、また対空砲としての使用では射程距離も足りないことから、新しい機関銃「九二式重機関銃」が開発されるようになりました。
1933年まで生産が行われ、約3000挺が生産されました。
日本では、1930年1月〜1942年12月まで「MG Unit」として購入可能
中国では、1930年1月〜1946年12月まで
三年式機関銃の6.5mm弾では威力不足だったことから、7.7mm弾を使用できる機関銃として1932年に完成。
1937年の志那事変に実戦に投入され、その後、第二次大戦まで日本の主力重機関銃として使用されました。
45000挺が生産されました。
故障は少なかったが、命中率は高かったですが、発射速度は一分間に250発と遅く、これはアメリカのブローニング1919の500発に比べると、約半分ほどでした。
日本では、1933年1月〜1946年12月まで
中国、モンゴル、タイでも使用可能です。
フランスの「Hotchkiss 1914」機関銃は、ポーランドでも使用されました。
ポーランドは、1919年に起こった「ポーランド=ソビエト戦争」の際に、フランスからこの機関銃を2600挺購入しました。(CKM wz.14)
この中には、7.62mmの弾を使用できるように改造した「CKM wz.25」もありましたが、銃身の過熱、そして命中精度の悪さなどにより、評判はよくありませんでした。
ゲームでは、8mmの「wz.14」が登場します。
1930年1月〜1939年10月まで
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