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戦車・装甲車 9

T-26 M1931 / TU M1931 / T-26 M1933 / M1933s / T-26 M1937s / M1939 / M1939+ (ソ連)
OT-26 / OT-130 / OT-133 / OT-131 / OT-132 (ソ連)
SU-5-1 / SU-5-2 / SU-5-3 / SU-6 / AT-1 / SU-76P (ソ連)
T-26 M31 / M33 / M37 / T-26E  (フィンランド)
T- 26(OT-130) / T-26(OT-133) / OT-133 (フィンランド)

T-26a / T-26 M33 (中国)
T-26 M33 / T-26 M33aa (スペイン共和国)
PzKw 740(r) (ドイツ)

M3 75mm GMC (アメリカ)
T19 105mm HMC / T30 75mm HMC/GMC (アメリカ/海兵隊)
SU -57 (ソ連)
M6 Fargo (アメリカ)
M7 105mm HMC (アメリカ)
Priest (イギリス)

M8 HMC (アメリカ)
M12 155mm GMC / M39 (アメリカ)


T-26 M1931 / TU M1931
T-26 M1933 / M1933s
T-26 M1937s / M1939 / M1939+
 (ソ連)

どどーんとお次は T-26を一気に紹介します。

というより、ヴィッカース戦車からの流れはまだ続いています。

第1次大戦後に作られたイギリスのヴィッカース戦車は、当時の戦車としては優秀な車輌でした。

ポーランドでライセンス生産され、「7TP」として生産され、ソ連でもライセンス生産により「T-26」となりました。

T-26 M1931

最初に生産されたのは、双砲塔を持つ「T-26 M1931」です。

二つの砲塔には7.92mm機銃が装備されています。

そして「T-26 TU M1931」は、この砲塔の一つに無線機を搭載した型です。

この1931年型は、軽戦車として分類されています。

T-26 M1933

「T-26 M1933」からは、中戦車としての分類になり、砲塔が一つのみとなります。

砲塔に45mm砲を搭載し 装甲も厚く装甲値が3に強化されたのが「M1933」からです。

T-26 M1939

そして最終型の「M1939+」は、さらに装甲が 強化され装甲値は4になりました。

このT-26はバリエーションも豊富ですが、なんといっても生産数が半端なく、1930年代に一番多く生産された戦車で、12000台が生産されました。

このT-26戦車は、 満州・モンゴルで日本軍戦車とも戦っています。

当時、89式や95式戦車は、T-26の持つ45mm砲の威力に歯が立ちませんでした。

「M1931」「TU M1931」は1931年9月〜1941年10月まで

「M1933」は1933年3月〜1941年10月まで

「M1933s」 は1935年1月〜1941年11月まで

「M1937s」は1938年1月〜1942年11月まで

「M1939」 は1939年1月〜1942年12月まで

「M1939+」は1941年4月〜1942年12月まで


 OT-26 / OT-130 / OT-133 
OT-131 / OT-132
(ソ連)


さて、次は「T-26」戦車を改造した火炎放射戦車です。

OT-26

まずは「OT- 26」(KhT-26)

この車輌は1931年型の双砲塔型のT- 26を改造したもので、一つに火炎放射器、もう一つは燃料タンクとなっています。

1935年までに552輌が生産。

1933 年1月〜1940年12月まで購入可能

OT-130

次は「OT- 130」(KhT-130)

こちらは単砲塔型のT-26 1933年型がベース。

1939年までに401輌が生産されました。

1935年6月〜1941年6月まで

OT-133

 「OT- 133」(KhT- 133)はT-26 の1937年型をベースに改造された車輌。

1939年と1940年に269輌が生産されまし た。

1939 年1月〜1942年3月まで

「OT-131」と「OT-132」は試作だけに終わった火炎放射戦車。

詳しいことは不明。

OT-131は1939年3月〜1940年6月

OT-132は1939年4月〜1940年6月


SU-5-1 / SU-5-2 / SU-5-3
 SU-6 / AT-1 / SU-76P
(ソ連)

T-26という車輌の何がすごいって、この車輌のバリエーションが途方もなくたくさんあることです。

そのほとんどが大戦が始まる前のものですが、後にT34/76が登場するまで、そりゃもう、あーでもないこーでもないの繰り返しだったような気がします。

ここで紹介するバリエーションは、全て砲を載せたタイプ。

ただし、「SU-5-2」と「SU-76P」を除いては全て「プロトタイプ」(試作車)として登場します。

車輌の名前の横に「*exe*」とあるのは、試作もしくは実験用車輌 という意味です。

SU-5-1

「SU-5-1」は76mm砲を装備しています。

1934年に6輌が作られました。

1936年6月〜1941年6月まで

SU5-2

「SU -5-2」は、122mm榴弾砲を装備。

1934年に約30輌が生産されました。

1936年1月〜1941年6月まで購入可能

SU5-3

「SU-5-3」は152mm榴弾砲を装備。

1934年にわずか3輌が生産されました。

1936年1月〜1941年6月まで

SU-6

「SU -6」は76.2mm対戦車砲を装備

下段左の写真を見る限りでは、車体にただ砲が載っているだけだが、自走砲に近づいている。

1935年に4輌が生産されたのではないかと言われている。

1935年9月〜1941年6月まで

AT-1

「AT -1」は76.2mm砲を装備し、その両脇には機銃が2丁装備されている。

画像を見ると、一番まともな 戦車に見える。

1935年に10輌が生産されたらしいが、1936年に中止になっている。

1936年9月〜1941年6月まで

SU-76P

最後は「SU-76P」

別名「SU-T- 26」とか「SU-26」とも言い、後に「SU-76P」とされた。

これもオープントップの車体に、76mm砲を装備。

1941年に14輌が生産された。

1941年10月〜1942年6月まで


T-26 M31 / M33 / M37 / T-26E
T- 26(OT-130) / T-26(OT-133) / OT-133
(フィンランド)


約12000輌も生産されたT-26は、その後日本、ドイツとの戦いに使用されました。

そしてフィンランドとの冬戦争でも投入されています。

しかしフィンランドでの戦闘で、T-26の多くはフィンランド軍に捕獲されました。

まずもって戦闘車輌が足りなかったフィンランド軍は、ソ連軍から戦車・装甲車それに兵器などソ連軍が戦場に残していったものを利用しました。

その中で、最も多く捕獲した車輌がT-26

フィンランド軍が捕獲した約100輌のT-26は、皮肉にもその後 フィンランド軍の戦車の中核となり、終戦まで活躍しました。

そして現存しているT-26もフィンランドで多く見られます。

T26 M1931

「T-26 M31」は双砲塔の7.62mm機銃を装備したもの。

1940 年1月〜1942年12月まで

T-26 M1933

「T-26 M33」と「T-26 M37」は、それぞれ1933年型と1937年型のもので、45mm砲を装備。

共に1940年1月〜1946年 12月まで

T-26E

「T-26E」はフィンランドがイギリスから購入したヴィッカース戦車に、T-26の砲塔を載せたもので、45mm砲が搭載されています。

1942年8月〜1946年12月まで

OT133
OT-133

また上記で述べたT-26の火炎放射戦車「OT- 130」「OT-133」もフィンランド軍により捕獲されました。

そして上の写真のように、鉤十字のマークを入れてフィンランド軍のものとなっています。

「T-26(OT-130)」と「T-26(OT-133)」共に 45mm砲を搭載。

1942年8月〜1946年12月まで

また「OT- 133」火炎放射戦車も使用されました。

1940年5月〜1941年12月まで


T-26a / T-26 M33 (中国)
 T-26 M33 / T-26 M33aa (スペイン共和国)
PzKw 740(r) (ドイツ)

t26

中国は1937年から始まった「日中戦争」(1937-1945)において、1938年にソ連からT-26を82輌購入しました。

中国が購入したT-26は1933年型で、第200歩兵師団に70輌が配備されました。

この師団は他に、BT-5を 4輌、CV-33を20輌保有していました。

そして戦車兵はソ連人の軍事顧問に教育を受けました。

第200歩兵師団は1939年12月17日から1940年1月までの「 崑崙関の戦い」や1942年のビルマキャンペーンで日本軍と戦いました。

T-26aは 双砲塔型で、12.7mm機銃と7.62mm機銃を装備

1938年3月〜1939年12月まで

T-26 M33は45mm砲を搭載。

1938年3月〜1942年10月まで

スペイン内戦

スペインではスペイン内戦(1936年7月-1939年 3月)で、共和国側のT-26の45mm砲はドイツの1号戦車やイタリアのCV-33には優勢であったものの、薄い装甲はドイツ軍の37mm対戦車砲はお ろか対戦車銃でも貫通してしまいました。

しかしT-26はスペイン内戦では、BT-5と並び主力戦車でした。

「T-26 M33」「T-26 M33aa」共に45mm砲を搭載

「M33」は1936年10月〜1939年4月まで

「M33aa」 は1937年1月〜1939年3月まで


PzKw 740(r)

最後はドイツ軍の「PzKw 740(r)」

こ の車輌は、鹵獲したT-26の車体に 「7.5cm PaK 97 L36」を載せたもの。

この「7.5cm Pak97」とは、フランスで鹵獲した大量の「M1897野 砲」を対戦車砲にしたもの。

7.5cm PaK40よりも貫通力は劣るが、それでもドイツ軍には7.5cmクラスのPaKが不足していたため、戦場では使用されました。

車体の上に砲が載っているだけのため横から見ると、こんな感じw

PzKw 740

改造によって約 10輌が作られ、1943年10月に実戦で使用されました。

この「PzKw 740」は1943年5月〜1944年3月まで購入可能


M3 75mm GMC (アメリカ)

M3 75mm GMC

アメリカの「M3 ハーフトラック」にフランスの「M1897野砲」を搭載した車輌です。

GMCは、「Gun Motor Carriage」の略

ハーフトラックはドイツ軍で いえば「SdKfz251」にあたるが、実用面でも機動力でもこちらの方が優れていた。

このM3に搭載されている 75mm野砲は、上のドイツ軍の「PzKw 740」と同じように対戦車砲に改造したもの。

これでも初期のアメリカ軍の 「Tank Destroyer」(駆逐戦車)ですw

約2200輌が生産されました。

1942年後半〜1943年前半にかけて、北アフリカのチュニジアで多く配備されました。

しかし対ドイツ戦車には完全に通用しなくなり、その後は太平洋の島々でフィリピンから沖縄まで日 本軍を相手に投入されました。

1941年1月〜1945年12月まで購入可能


T19 105mm HMC
T30 75mm HMC/GMC (アメリカ・海兵隊)


ついでに「M3 ハーフトラック」の派生型を見ておこう。

T19 105mm HMC

「T19 105mm HMC」は、105mm榴弾砲を搭載した型。

写真を見ても分かるように、砲身も大きいため、かなり不安定な感じ。

また砲弾の積載もHE弾8発ときわめて少ない。

324輌が生産

1942年7月〜1946年12月まで


「T30 75mm HMC」は、「M1A1 75mm榴弾砲」を搭載の型。

こちらはHE弾のみの砲。

500輌が生産

1942年2月〜1943年12 月まで

「T30 75mm GMC」は、「M8 75mm榴弾砲」搭載の型。

「GMC」 なのでHEAT弾も20発積載している。

海兵隊でのみ購入可能

1943年1月〜1946年12月まで


SU -57 (ソ連)

SU57

「M3 ハーフトラック」の続きです。

アメリカではこのM3の車体に、「M1 57mm対戦車砲」を搭載させた型「T48 GMC」が開発され、ソ連に650輌がレンドリースされました。

それが「SU-57」です。

ソ連では「パグラチオン作戦」で使用されました。

ただしゲームで登場するSU-57は、強力な「57mm ZIS-4砲」を搭載しています。

1943年8月〜1945年6月まで購入可能


M6 Fargo (アメリカ)

M6 Fargo

初期のアメリカ軍には もう一台、駆逐戦車がある。

それがこれ(涙)

「M3 75mm GMC」はまだ装甲車だし、半装軌車だけど、これはどう見たって装甲車でもないじゃん。

と嘆くのも無理はないでしょう。

ドイツやソ連と比較すると、1941年のアメリカの兵器ってほんとお粗末ですw

この「M6 Fargo」は対戦車自走砲であり、37mm対戦車砲を搭載していますが、簡易対戦車車輌といい、軍用ジープの荷台に砲と弾薬を載せただけですw

1943 年にチュニジアで投入されましたが、威力不足の37mm砲、前を向いて撃てないので後向きに撃たなければならず、兵士からは大不評で、しまいには砲を車輌から降ろし、ただの車輌として使われる始末に。

1941年3月〜1943年5月まで購入可能


M7 105mm HMC (アメリカ)
Priest (イギリス)

M7 105mm

アメリカ軍の自走砲特集です。

「M3 ハーフトラック」を使った75mm砲を搭載した自走砲は、その後、きちんとした戦車の車輌の方がいいということで、M3中戦車の車体に105mm 榴弾砲を搭載する車輌が開発されました。

その結果、1942年に105mm M2榴弾砲を搭載したオープントップの「M7」が完成しました。

この「M7」は、M3中戦車の車体を利用しているため車内スペースも広く、また機動性にも優れていて、兵士からも評判でした。

4200輌が生産されました。

またこの車輌はイギリスにもレンドリリースされ、イギリス兵士から「Priest」(聖職者)という名前をつけられました。

なぜ「聖職者」かというと、車内にある機関銃座が教会の説教台に似ているからだそうです。

m7

この丸い穴のようなところのことですw

またレンドリリースされたイギリスで1942年のエルアラメインで最初に実戦に使用されました。

アメリカでは 1942年4月〜1946年12月まで

海兵隊では1945年3月〜1946年12月まで

イギリスでは1942年7月〜1946年12月まで

アメリカ軍では[Artillery]の中の「SP- Artillery」(間接射撃用車輌)と[Armor]の中の「Asaault Gun」の2種類で購入できます。

105mm 榴弾砲ですがHEAT弾を積載していますので、対戦車用にも有効です。


M8 HMC (アメリカ)

M8 HMC

「M8 HMC」は、 米陸軍最初の装軌式自走砲。

前出の「M7 HMC」と開発及び登場年代は重なります。

こちらはM5軽戦車の車体を利用し、 75mm榴弾砲を搭載しています。

M5軽戦車は機動性にとても優れており、しかも75mm砲を搭載したこの車輌は 前線でも人気の車輌でした。

1778輌が生産されました。

1943年以降のイタリア戦線や北西ヨーロッパ、太平洋戦線でも実戦に参加しています。

しかし、車体は小さいため積載できる砲弾 が少ないのと、威力不足の75mm砲により、 M7の105mm榴弾砲や105mm榴弾砲を搭載したシャーマン戦車に代わりました。

一応、砲塔はありますが、米軍の自走砲はほとんどがオープントップになっていて、砲塔上部の装甲はありません。

また、砲塔上面に機銃がついていますが、これは後部についています。

m8

砲塔の装甲値が赤色は、オープントップになっているということ。

機銃が砲塔後方についていますよね。

また、海兵隊で購入できる M8はHEAT弾が使用可能となっている。

アメリカ陸軍では、購入は[Assault Tank]なのに、AP弾もHEAT弾もないですw

購入は、アメリカ陸軍・海兵隊共に、1943年1月〜1946年12月まで


M12 155mm GMC / M39
(アメリカ)

M12 155mm GMC

「M7」「M8」に続くアメリカの自走砲は、「M12」です。

あまり聴き慣れない車輌で、一度もゲームでは使ったことがありませんが、この車輌は、「M7」と同様、M3中戦車の車体を利用しています。

そして、なんといっても馬鹿でかい 155mmカノン砲をロケットのように搭載しています。

この155mmカノン砲は、第1次大戦のフランス製で、 「M1917」「M1918」と呼ばれているものです。

これだけでかい砲ですから、局地戦には投入されることはなかったようで、生産されてから1943年末までは完全にお蔵入りになっていたそうです。

しかしノルマンディー上陸直後から作戦に参加、その後は建物や施設に立て篭もるドイツ軍に対し直接砲撃をし、その威力に「キングコング」とも言われました。

車体には砲弾が10発しか搭載不可能で、砲員を同伴した「M30」弾薬運搬車が随時必要でした。

生産は1942年から1943年にかけて100輌。

1944年6月〜1946年12月まで購入可能

ただし、海兵隊では購入不可能

またゲームでは、「M12」に同伴した弾薬運搬車「M30」は登場しませんが、その代わりに登場するのが、「M39」です。

M39 Armored Utility Vehicle

「M39」はArmored Utility Vehicle」(多用途装甲車)と呼ばれ、弾薬運搬車や兵員輸送車(負傷車搬送)、または偵察などをする車輌です。

画像は朝鮮戦争でのもの。

車体(というか車体しかないが)は「M18 ヘルキャット」のものです。

M39

ゲームで登場する「M39」は、弾薬運搬車か兵員輸送 (12名)があります。

武器は50cal機銃が1丁。

1944年4月 〜1946年12月まで購入可能

購入は[MISC]の中で、[2 M39]で購入。

これは2輌で購入ということです。

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