Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 10

M40 155mm GMC (アメリカ)
M4 81mm MMC (アメリカ)
Carden Lloyd VI  (イギリス)
Lloyd Carrier (イギリス)

Mk IIa (イギリス)
Carden Lloyd 34 (タイ)
Carden Lloyd 36 (オランダ・タイ)

T-15 (ベルギー)
VCL M1931 Amphib (中国)(オランダ)(タイ)
Mk .VIb / Mk .VIc / Mk .AA (イギリス)(インド)
Mk VIb / Mk VIc (ANZAC)
Mk VIC / Mk VI AA (カナダ)

TK-3 / TKS / TKS.m (ポーランド)
TK-1 / TK-2 / TKW / TK-3 / TKS-B / TKD(TKS)/ TKD (ポーランド)
CV-29 / CV-33 / CV-33/20 / CV-33/35 LF (イタリア)
CV-35 / CV-38 (イタリア)

M40 155mm GMC (アメリカ)

M40 155mm GMC

さてさてアメリカ軍の自走砲もこれで最後です。

前出の「M12 155mm GMC」は、第1次大戦の旧式の砲であり、また車体もM3中戦車であったため、これに代わる自走砲の開発が始まりました。

そして開発されたのは、M4シャーマン戦車を車体にし、M2 155mmカノン砲を搭載した「M40」です。

しかし 時既に大戦も末期に入っており、1945年9月までに419輌が生産されたにすぎませんでした。

一部は1945年 のヨーロッパ戦線で実戦に参加しましたが、その後の朝鮮戦争にも投入されました。

積載砲弾は20発。

やはりこの車輌も弾薬運搬車と共に行動することが望ましいです。

海兵隊では購入不可能

1945年3月〜1946年12月まで


M4 81mm MMC (アメリカ)

M4 81mm MMC

今回の「M4 81mm MMC」は、「M2 ハーフトラック」がベースになった車輌です。

(ゲームではAPC(兵員輸送車)としては「M3 ハーフトラック」のみが登場します)

「M2 ハーフトラック」も「M3 ハーフトラック」も性能上の差はほとんどありません。

ただし、M2の方が兵員室が狭く、M3のように様々な砲を搭載するタイプへと発展しませんでした。

この「M4 81mm迫撃砲」は、M1迫撃砲を搭載していますが、車内スペースの都合上、迫撃砲は後ろ向きの状態でしか撃つことができませんでした。

M4 81mm MMC

こんな感じです。

(またまたプラモデルの箱絵ですが、写真がないんです)

これが兵士からは不評で、後に前向きに撃てるようにしたといわれます。

約600 輌が生産されました。

1942年1月〜1946年12月まで購入可能


Carden Lloyd VI  (イギリス)
Lloyd Carrier (イギリス)

Carden Lloyd VI

さーて、しばらくは豆戦車の特集となります。

豆戦車の始まりは、イギリスの陸軍少佐が自宅のガレージで自動車部品を寄せ集めて一人乗り用の戦車を作ったことから始まります。

冗談にもほどがあるような話ですが、それがきっかけとなり兵器として1926年に最初の車輌が完成しました。

軍の構想は「歩兵の機械化」であり、1人乗りもしくは2人乗りの戦車が作られました。

その後改良を重ね、「カーデン・ロイド VI」が1928年に誕生しました。

この2人乗り「カーデン・ロイド」は豆戦車(タンケッティ)と呼ばれ、 世界の国々に輸出され、ライセンス生産されました。

「カーデン・ロイド VI」は、〈偵察車輌〉と〈機関銃運搬車輌〉がありますが、 ゲームに登場するのは、 「Scout Vehicle」(偵察車輌)と「APC」(兵員および砲牽引車輌)です。

ただし「偵察車輌」 としては、単体では購入できません。

[Armour Car]の中隊で購入すれば、もれなく1輌が付いてくるだけです(泣)

カーデン・ロイドの優れているところは、なんといってもスピードです。

最大56km/hで走ることができましたので、機動力を生かすことができます。

ゲームでは移動力15〜20、なぜか国によって数値に差があります。

ゲームではこの「カーデン・ロイド」はイギリスのほか、カナダ、オランダ、中国、日本、タイ、 モンゴルでも購入が可能です。

この中で、タイのカーデン・ロイドだけは移動力が20になっています。

偵察車輌としては1930年1月〜1934年12月まで


Carden Lloyd VI

また 「Improvised APC」(即席の運搬車輌)としては、兵員12名と中程度の砲を一門牽引可能です。

こちらは1939年9月 〜1946年12月まで


Mk IIa (イギリス)

軽戦車Mk IIa

豆戦車に行く前に、イギリスで開発された軽戦車に触れておきます。

というのは、1928年にイギリス軍に採用されたこの軽戦車というのは、実は前述の「カーデン・ロイド 機関銃運搬車」の車体に豆戦車の砲塔を載せたというものだからです。

それが、イギリスで軽戦車として開発されてい きます。

軽戦車は、「Mk I」「Mk II」「Mk III」「Mk IV」「Mk V」と改良を重ねながら、数十輌のみが作られ、「Mk VI」で大量生産されました。

その全ては戦間期(第1次大戦と第2次大戦の間)に作られています。

ゲームに登場するのは、「Mk II」と「Mk VI」(下記)

それでは「Mk II」を見てみましょう。

マークIIの特徴は角ばった砲塔ですw

それだけですw

(もうこの辺になると、日本語のサイトには詳しい情報はありません)

マークIIは1929年に16輌が作られ、その後、「Mk II a」(29輌)と「Mk II b」(21輌)が作られました。

ゲームで登場するのは「Mk II a」の方です。

砲塔にはヴィッカーズ機関銃が搭載されています。

ただし、装甲値は最低の1です(涙)

イギリスでは1930年1月〜1940年6月まで

インドでは1930年1月〜1941年6月まで

ANZACでは1930年1月〜1940年6月まで

Carden Lloyd 34 (タイ)
Carden Lloyd 36 (オランダ・タイ)

Carden Loyd M1934
Carden Loyd M1936

イギリスの軽戦車は、英語名称では 「Mk. II」という呼び名ではなく、「Carden Loyd M1934」とか「Light Tank  Carden  Loyd  model 1936」または「Vickers Mk.〜]とも呼ばれています。

この紛らわしさは尋常ではないです。(調べるのに何時間かかったことか!)

要するに「Carden Loyd」や「Vickers」という名前がついていますが、車輌は上記の「軽戦車」です。

画像は上が「Carden Loyd M1934」で、下が「Carden Loyd M1936」です。

どちらも同じに見えてきますがよく見ると、砲塔が少し変わっていますよね。

フィンランド、リトアニア、ラトビア、アルゼンチン、ベルギー、スイス、オランダ、中国がそれぞれ購入しました。

オランダでは「Caden Loyd 36」が購入できます。

オランダは大戦当時、東インド植民地を持っていました。

ここの部隊は「KNIL」といい、日本と戦い占領されてしまいます。

KNILについてはこちら

ゲームではオランダと東インド植民地とは分かれていませんので、購入するときには少し注意が必要です。

この 「Carden Loyd 36」は東インド植民地での対日本軍との戦いにのみ購入可能です。

すなわち、この戦車 は欧州の対ドイツ軍との戦いには一切参加していないので購入しないでくださいということです。

このことから、この「Carden Loyd 36」は「Dutchmen」 (オランダ人)というあだ名がついています(笑悲)

武器は砲塔に「Vickers 機関銃」があるだけです。

1937年1月〜1942年3月まで

また、タイ国では「Caden Loyd 34」と「36」の両方が購入が可能です。

ですが、タイ国にこの戦車が あったとい記録や資料が見当たりません。

あったのは、「Carden Loyd VI」と「ヴィッカーズ水陸両用戦車」、「Vickers 6トン戦車」のみ。

でも「Caden Loyd VI」も「ヴィッカーズ戦車」も購入しているので、多分あったと思いますw

34も36も性能は全く同 じ。

主砲は「Vickers 機関銃」のみ

購入は「34」が1934年 10月〜1946年12月まで

「36」が1936年10月〜1946年12月まで

追記:どうやら「1934」は「Mk III」のようです。


T-15 (ベルギー)

T15

上記にイギリスの軽 戦車を購入した国の一つにベルギーをあげました。

ベルギーは注文した軽戦車「Mk III」に、ベルギー独自の改良をイギリスに注文しました。

砲塔にフランスのホッチキス社の13.2mm機関砲を 搭載することにし、これを「T-15」と呼びました。

T-15は持ち味の機動力を活かすために全42車輌のうち、 第1騎兵師団に16輌、第2騎兵師団に16輌が配備されました。

T-15は最大時速64km/h(移動力18)と当時の戦車の中では抜群の機動力を持っていましたが、1940年5月に始まった対ドイツとの「ベルギーの戦い」では、 ドイツ戦車と互角に勝負することは不可能でした。

1935年1月〜1940年6月まで購入可能


VCL M1931 Amphib (中国)(オランダ)(タイ)

VCL M1931 Amphib

日本では「ヴィッカーズ水陸両用戦車」と言われています。

世界初の水陸両用戦車です。

車体は「カーデン・ロイド軽戦車 Mk I」のもので、水上ではスクリューを作動させ操縦したそうです。

武器は機銃のみ

イギリスで1930年代の初めに40輌ほどが作られましたが、イギリスでは採用されませんでした。(イギリスでは購入不可)

しかし、いくつかの国に輸出されています。

ソ連ではこの戦車を購入後、ライセンス生産し、T-37として2000 輌が生産されました。

T-37はこちら

VCL M1931 Amphib

中国はこの戦車を29輌と最も多く購入し、1937年の第二次上海事変で投入されました。

中国では「VCL M1931/T-37」となっていますが、これは後にT-37に代わったためです。

しかし登場する戦車の車体は、 イギリス製の「VCL M1931」です。

また中国でのこの戦車は、水上での移動力が2ではなく、1になっています。

(こういうことは他の兵器にも見られ、中国では兵器の性能をうまく発揮できなかったと見ています)

1931 年9月〜1939年12月まで

オランダでは「KNIL」東オランダ植民地で購入できます。

1931年9月〜1943年4月まで

タイでは1934年に購入しました。

もちろん 詳細は不明です。

ですが、タイの車輌だけは移動力が12、水上では2となっています。

タイで登場する名前は「Vickers Amphib」です。

1933年10月〜1945年12月まで

Mk .VIb /  Mk .VIc / Mk .AA 
(イギリス)(インド)

Vickers Light Tank Mark VIb
Vickers Light Tank Mark VIc

カーデン・ロイドを元にしたイギリスの軽戦車は、 「Mk. I」〜「Mk . VI」まで開発されたが、その中で一番多く生産されたのがこの「Mk.VI」です。

イギリスの軽戦車は、この後「Mk . VII テトラーク」へとなっていきます。

あまり目立たないですが、この戦車、実は1939年開戦当時はイギリス軍の主力戦車だったというから驚きです。

1939 年9月の時点で、イギリス軍が保有していた戦車は、「Mk.VI」軽戦車が1002輌、そして「Mk. I」(A9)巡航戦車が79輌、「Mk. II」(A10)巡航戦車が67輌だけでした。

この「Mk VI」には、「Mk VI」「Mk VI A」「Mk VI B」「Mk VI C」のタイプがあります。

ゲームには「Mk VI B」と「Mk VI C」が登場します。

1682輌が生産され、その中でも「Mk VI B」が最も多く作られました。

この戦車は、1940年5月に始まったフランスでのドイツ軍、北アフリカでのイタリア軍との戦い、ギリシャでの戦い、クレタ島での戦いに投入されました。

「Mk. VIb」は、主砲に「0.5 Vickers」機銃を搭載しています。

通常の「Vickers 機銃」は7.7mmですが、この「0.5 Vickers」機銃は、<0.5インチ=12.7mm>で、重機関銃クラスの弾丸を使用します。

「Mk . VIc」は、主砲に「15mm besa重機関銃」を搭載し、火力を強化しています。

といっても、装甲の強化 はなく、共に前面装甲が14mm(装甲値2)という薄っぺらさです。

Vickers Light Tank Mark AA

「Mk . AA」は、「Mk .VI」を対空型に改良したタイプで、主砲には「7.92mm Besa重機関銃」を搭載しています。

  この対空型の「Mk .AA」は、ドイツ軍とのフランスでの戦いの後、ドイツ軍の航空機に対処するために作られました。

またイギリス軍はこの戦車を植民地領の治安維持と警備に最適であると判断し、植民地にも「Mk .VI」軽戦車を配備しています。

イギリスでは

「Mk .VIb」は、1935年3月〜1941年10月まで

「Mk .VIc」は1935年9月〜1941年10月まで

「Mk . AA」は1941年1月〜1942年12月まで

ただし、「Mk .VIb」の[Colonial](植民地軍)は、1936年9月〜1946年12月まで

これは [MISC]の中の[Col Tank]で購入可能。

インドでも購入できます。

インドではインド仕様の「Mk VI」があったそうですが、ゲームでは全く同じです。

「Mk. VIb」は、1935年3月〜1941年12月まで

「Mk. VIc」は、1932年9月〜1942年12月まで

(この「Mk VIc」の1932年9月というのは誤りだと思います。「Mk VI c」は1932年にまだ生産されていません)


Mk VIb / Mk VIc (ANZAC)
Mk VIC / Mk VI AA (カナダ)

Mk VIb

「Mk VI」は海外にも輸出されました。

ゲームではオーストラリア(ANZAC)とカナダに登場します。

カナダでは「Mk VI (C)」と「Mk VI AA」が登場しますが、この「Mk VI (C)」は武器から見れば、「Mk VI B」のことです。

オーストラリアには「Mk VI b」と「Mk VI c」が登場します。

オーストラリアでは騎兵部隊に配属され、1941 年のシリアので戦いで使用されました。

オーストラリアでは

Mk VI bは1935年3月〜1943年6月

Mk VI cは1932年9月〜1941年12月

(この「Mk VIc」の1932年9月というのも誤りだと思います。「Mk VI c」は1932年にはまだ生産されていません)

カナダでは

Mk VI(C)は1938年9月〜1941年10月

Mk VI AAは1941年1月〜1942年12月

TK -3 /  TKS /  TKS.m (ポーランド)


カーデン・ロイド豆戦車について書いていくうちに、泥沼化して抜け出せなくなりました。

(どんだけあるんだ!)

イギリスで作られたカーデン・ロイド豆戦車は、400輌が世界に輸出され、そしてライセンス生産や、この戦車をモデルに新しい戦車が作られました。

なぜこんな小さな戦車がそれほど人気があったかというと、ずばり低コストだったからです。

当時も今も戦車ってめちゃくちゃ高価で、戦車は欲しいけれども、装備できる国は限られていました。

それで、注目されたのがこの「カーデン・ロイド VI」です。

さて、このポーランドでは「カーデン・ロイド」を元に開発がかなり進みました。

TK-3

「TK -3」は、1931年に生産が始まった初の量産型戦車です。

300輌が生産されました。

一応、砲塔はあり、7.92mm機銃を搭載しています。

装甲値は前面のみ2、後はもちろん1。

装甲値が1とか2だと、初期のドイツ軍戦車の20mm砲でも簡単に撃破されますぜ(泣)

だけどさすがに速度は速い! 迷わず逃げろ!!(移動力15)

1931年9月〜1939年10月まで

TKS

2番目の「TKS」は後期量産型の車輌。

こちらはかなり手がほどこされている(みたい)

1934年に生産が始まり280輌が作られた。

装甲値も全面2に向上している。

1934年2月〜1939年10月まで

TKS.m

3番目の「TKS .m」は、その改良型。

主砲に「20mm FK-A wz.38機関砲」を装備している。

この機関砲、対戦車にも威力を発揮できます。

しかし生産が遅く、1939年から始まったため24輌のみでした。

1939年6月〜1939年10月まで


TK-1 / TK-2 / TKW
TK-3 /  TKS-B / TKD(TKS)/ TKD
(ポーランド)


恒例のプロトタイプ (実験・試作車輌)の紹介です。

ポーランドという国は、ドイツとソ連に挟まれているため、開戦のずっと以前から一応の準備はしていました。

戦車の開発も怠っていませんでした。

最終的には「TK-3」となっていくTK豆戦車ですが、この「TK-1」や「TK-2」 はそれ以前に試作として作られたものです。(上の画像はTK-1)

TK-1

きちんと写真が残されていますが、生産はプロトタイプの 1輌のみ。

一応、7.92mm機銃はついています。

TK-1は1930年 2月〜1932年12月まで購入可能

いくらなんでも1930年は早すぎ!

どこと戦えばいいのか分かりませんw

TK-2

この画像はTK-2 ですが、ゲームにはなぜか2種類のTK-2が登場します。

TK-2はプロトタイプ車輌だったので、1輌しか作られていないという記録がありますのが、どっちみちプロトタイプなのでいいとしましょう(汗)

砲塔のあるタイプとないタイプの2種類。

砲塔があってもなくても機銃のみ。

砲塔無しが1930年5月〜1931年1月まで

砲塔有りが1931年2月〜1933年12月まで


TKW

この変な車輌は、「TKW」です。

TKWは、TK戦車に砲塔をつけようと試みた車輌です。

砲塔ってなかなか難しく、360度回らなかったそうです。

たった1輌だけしか作られなかったとありますが、ゲームでは長い間購入が可能です。

1933年7月〜1939年9月まで

TK-3

このTK-3は、プロトタイプ型と生産型の2種類が登場します。

生産型は上記で説明しました。

このプロトタイプの「TK-3」は上記の「TKS.m」の「20mm FK-A wz.38機関砲」が搭載されていますが、こちらはその砲を搭載する以前の試作機で、スイスの20mmゾロトゥルン機関砲を搭載させました。

これも1輌のみ。

1936年10月〜1938年8月まで


TKS-B

これは「TKS-B」です。

TKSの改造型ということで、ほんといろいろ試したんだなあと頭が下がります。

ですが、1937年になると豆戦車自体が構想から外されていきました。

当然といえば当然です。

このTKS-Bの車体は、この後のTKDへと流用されました。

1937 年1月〜1939年9月まで

最後に「TKD」ですが、ゲームの中の 「TKD」には2種類あり、37mm砲搭載型と47mm砲搭載型があります。

TKD

こちらは37mm砲搭載の「TKD」

この車輌は自走砲となっています。

1933年1月〜1936 年12月まで


TKD

こちらが47mm砲 を搭載した「TKD」

4輌が生産されました。

1932年5月〜1939 年9月まで

CV-29 /  CV-33 /  CV-33/20 /  CV-33/35 LF
(イタリア)

CV29

ガーデン・ロイド豆戦車シリーズはまだまだ始まったばかりですよー

次はイタリアです。

イタリアでは購入した4輌のガーデン・ロイドをイタリア独自の車輌に開発を進めました。

(イタリアには「フィアット」という車で有名な会社がありますが、 ここでは昔は兵器も作っていました)

とはいっても、1929年生産の「CV-29」は写真のように、ガーデン・ロイド豆戦車そのままですw

1930年1月〜1939年12月まで

その進化形は「CV-33」から見られます。

CV33

1933年に生産されたCV-33は、戦闘室が広くなりました。

武器は6.5mm機銃のみ

なお、CV-33はのちに「L3/33」と呼ばれるようになりました。

ゲームでは「CV-33」として登場。

主に偵察任務に用いられました。

1933年5月〜1942年11月まで

「CV-33/20」(L3 cc)は、あまりにも貧弱な武器を改良して作られました。

(写真はなし)

CV-33の車体に「Solothurn M41 20mm砲」を搭載したものです。

ゾロトゥルンの20mm機関砲は、上のポーランドのTK戦車にも出てきたものです。

対戦車用戦車として、北アフリカの現地で数輌が改造されたそうです。

1941年3月〜1942年11月まで


CV33LF

「CV-33/35 LF」は、火炎放射戦車です。

(LF は火炎放射器のこと)

この車輌は、CV-33とCV-35で作られましたが、ゲームではCV-33とCV-35を 合わせて「CV-33/35」としています。

車体が小さいため、燃料・ガスは別の運搬車を牽引しています。


lf

1935年6月〜1945年12月まで


CV-35 / CV-38 (イタリア)

CV35

1935年に生産された「CV-35」はCV-33の改良型です。

改良とありますが、実際はCV-33とほぼ同じ。

ただし武装の機銃が8mm機銃になっています。

CV-35ものちにL3/35と呼ばれました。

1935年1月〜1945年3月まで

またこのCV-35に20mm砲を搭載させたCV-35[20]や、37mm砲を搭載 させたCV-35[37]もゲームに登場します。

CV-35[20]は、1935年6月〜1943年3月まで

CV -35[37]は、1935年9月〜1942年11月まで

CV-35を改良したCV-38は、装甲が厚くなっています。

(装甲値は1から2になっただけですが)

ほとんど写真も残っていないほど少数生産だったらしいです。

武器は8mm機銃を搭載したものと、13.2mmブレダ機銃を搭載したものがあります。

8mm機銃搭載型は、1938年3月〜1945年3月まで

13.2mm 機銃を搭載した型は、1940年1月〜1945年12月まで

CV38 20mm

他にも20mm砲搭載のCV-38[20]やCV- 38cc、それにBrixia 45mm迫撃砲を搭載した CV-38/Brixiaがゲームでは登場します。

CV -38[20]は、1938年6月〜1945年9月

CV-38ccは、1938年9月〜1945年12月

CV-38/Brixiaは、1938年9月〜1945年12月

上記の全てのL3(CV)豆戦車は、イタリア降伏後は、RSIでのみ購入可能となります。

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