Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 25

Churchill 1cs2 (イギリス) 
A33  (イギリス)
AEC Deacon (イギリス)
M4 Crocodile (アメリカ) 
M10 76mm (アメリカ)(フランス) 
M10  3in (アメリカ)(フランス)(カナダ)(ポーランド)(イギリス)(ソ連)

M10 17Pdr (イギリス)(ポーランド)(ANZAC)
Archer (イギリス)
Sexton (イギリス)(カナダ)(ANZAC)(ポーランド)
M18 GMC Hellcat (アメリカ)

Churchill 1cs2 (イギリス)


チャーチル歩兵戦車Mk.1型の改造車輌。

主砲と車体前方に3インチ榴弾砲を装備しています。

非常にレアな車輌で、どれくらい作られたのは全く不明。

チャーチル I や II は、主砲か車体の砲のどちらかが、2インチ砲になっているが、この車輌は両方とも3インチ榴弾砲。

(画像を見ればお分かりいただけるだろう)

1942年10月〜1943年7月


A33 (イギリス)


A33は、正式名称「エクセルシアー重突撃戦車」です。

「Excelsior」とあるのが日本語だと、「エクセルシアー」とか「エクセルシオー」と訳されています。

イギリスには「突撃戦車」(Assault Tank)という分類の戦車はありませんが、この車輌は歩兵戦車と巡航戦車の中間的な意味合いを持った戦車です。

歩兵戦車は重装甲だが、スピードが遅い。

巡航戦車はスピードが速いが軽装甲。

イギリスはこの二つを足した戦車、即ち、シャーマン戦車のような戦車の開発に乗り出しました。

原型はクロムウェル歩兵戦車

主砲には長砲身の6ポンド(75mm)砲、装甲は最大114mm、また速度は38km/h

これはアメリカのシャーマン戦車の性能を凌ぐものでした。

1943年に試作車輌が完成しましたが、生産には至りませんでした。

理由はいくつかあります。

・チャーチル歩兵戦車の改良型が極めてよかったこと

・シャーマン戦車を大量に供給できたこと

・生産ラインの問題

ゲームでは[Prototype]の中で登場します。

1943年11月〜1946年12月


AEC Deacon (イギリス)



イギリス軍が軍用トラック「AEC マタドール」に6ポンド砲を搭載させた非装甲車輌。

「AEC マタドール」は4輪駆動のトラックで、砲の牽引に使用されました。

アフリカの戦場では機動力が必要であったことから、このトラックの後部に6ポンド砲を装着させ自走砲車輌が作られました。

1942年12月に生産が始まり、175輌が作られました。

画像のように普段は単なるトラックであるように見せるために車輌にはカバーが取り付けられています。

イギリスでは自走砲に対しては、教会にまつわる名前を付けることになっているそうで、「ディーコン」という名前は、「助祭」という意味で、これはキリスト教の職務のこと。

ビショップ キリスト教の司教
M7プリースト 聖職者
セクストン 教会の掃除人(?)

(対戦車自走砲は例外)

北アフリカでのみ使用されました。

1942年10月〜1943年4月

6ポンド砲をトラックに載せた改造車輌は、この他に「6prd Portee」が有名です。

M4 Crocodile (アメリカ)


「チャーチル・クロコダイル」がイギリスのワニならば、こちらはアメリカのワニ。

アメリカ軍ではシャーマン戦車に火炎放射器を取り付けた車輌「M4 E4-5」がありました。

この「E4-51」はアメリカ独自の火炎放射器でしたが、1944年10月、イギリスのチャーチル・クロコダイルの活躍を目にしたパットン将軍は、アメリカ軍の「M4 E4-5」の火炎放射を見て、「小便かよ!」と言ったそうです。

チャーチル・クロコダイルの射程は110mに対し、E4-5は65mしかなく、また火炎放射の時間も短く、比べ物になりませんでした。

そのためアメリカ軍はイギリスにシャーマン戦車の改造車輌「M4 Crocodile」を100輌発注しましたが、うまくいかなかったのか、6輌のみが完成しました。

1944年11月、その6輌は、アメリカ第9軍の第739戦車大隊に配備されました。

1945年2月の「ユーリッヒ要塞」(Julich Citadel)の戦いで要塞に立て籠もるドイツ軍を攻撃するのに活躍しています。

このユーリッヒ要塞は、中世に作られた要塞で、要塞の形が↓のようになっています。


(五稜郭とは関係ありません)

1944年11月〜1945年12月


M10 76mm (アメリカ)(フランス)
M10 3in (アメリカ)(フランス)(カナダ)(ポーランド)
(イギリス)(ソ連)


大戦初期、アメリカ軍には戦車駆逐車輌と呼ばれる車輌が、小型トラックに37mm砲を搭載させた「M6 Fargo」、ハーフトラックに75mm砲を搭載させた「M3 GMC」しかありませんでした。

その後、戦車の車体を利用した自走榴弾砲「M7 プリースト」が成功したため、駆逐戦車の開発にも乗り出します。

M4 シャーマン戦車の車体を利用し、砲塔はオープントップです。

主砲には「M5 3 inch」砲を改良した「M7 3inch」砲(76.2mm)を搭載。

 この76.2mm砲はシャーマン戦車の75mmよりも貫通力に優れており、ドイツ軍の4号戦車の長砲身75mm砲と同じ威力を持っていました。

またアメリカ軍が開発したHVAP弾(高速徹甲弾)を使用すると、ドイツ軍の88mm砲と互角の威力があったそうです。

(ゲームではSABOT弾で登場します)

1942年から生産が始まり、6400輌が生産されました。

1943年、北アフリカのチュニジアで初めて投入され、その後はノルマンディー上陸後も使われましたが、パンテルやティーガーには正面からはHVAP弾を使用しなければ貫通できなかったのと、ドイツ軍のパンツァーファーストや市街戦での至近距離での戦闘にオープントップの砲塔が無防備すぎるということから、1944年秋、90mm砲を搭載した「M36 ジャクソン」が開発されました。

駆逐戦車でしたが運用は歩兵支援用に使用されたこともあり、対戦車戦としての用途ではなかったそうです。

アメリカ軍に登場する「M10」は、「M10 76mm」と「M10 3in」がありますが、主砲に「3in M7 L53」を搭載した「M10 3in」の方がメイン生産された車輌です。

こちらは1943年1月〜1945年9月

「M10 76mm」の方は、主砲に「76mm M1A1 L55」を搭載しており、生産の終わりごろに300輌が作られました。

こちらは1944年8月〜1946年12月


砲の性能はどちらも同じです。

自由フランス軍でも使用されました。

「M10 3in」は1943年5月〜1944年7月
「M10 76mm」は1944年8月〜1946年12月

カナダ軍でも使用されました。

「M10 3in」は1944年8月〜1946年12月

ポーランド軍では

「M10 3in」は1943年11月〜1945年6月

イギリス軍には、レンドリースで1748輌が供給されました。

そしてニックネームを付けるのが好きなイギリス兵からは「ウルヴァリン」と名付けられました。

(一説にはカナダ兵によって付けられたとも言われる)

イギリスでは

「M10 3in 」が1943年9月〜1944年12月

ソ連にも52輌が供給されました。

ただしレンドリースではありません。

「M10 3in 」が1944年5月〜1946年12月


M10 17 Pdr (イギリス)(ポーランド)(ANZAC)


1943年、イギリスに供給された1748輌の「M10 対戦車自走砲」は、主砲の3インチ砲からイギリスの17ポンド砲へと換装されることになりました。

これは17ポンド砲(76.2mm)への換装が簡単だったことからです。

17ポンド砲に換装した車輌は「M10 C」と呼ばれ、砲の他にGM社のディーゼル・エンジンを搭載しています。

1944年から主砲の換装が始まり、全部で1017輌が完成しています。

イギリスでは1944年5月〜1946年12月

ポーランドでは1946年7月〜1946年12月

ANZACでは1944年9月〜1946年12月

余談ですが、M10 対戦車自走砲で最も有名になった人物と言えば、アメリカの軍人「オーディ・マーフィー」でしょう。

(エディー・マーフィーじゃないです)

この人、リアルコンバットのような軍人で、西部戦線で何度も負傷していますが、その度に昇進、二等兵から少尉になります。

1945年1月、ドイツ軍とのホルツヴィアでの戦闘で128名いた自分の中隊が19人になってしまいます。

それでも残った部下を後方へ逃がすために、なんと撃破炎上しているM10に乗り込み、戦車の機関銃を撃ちまくりドイツ兵を撃退します。

ドイツ兵は3方向から戦車に近づきマーフィーを殺害しようとしますが、マーフィー少尉は燃え盛る戦車の中で機関銃を撃ち尽くします。

やがてドイツ軍は50名の死傷者を出し後退しました。


(なんだか映画「フューリー」の最後のシーンの元ネタのような気がします)

自身も負傷しましたが、不屈の勇気で味方を守ったとして「名誉勲章」(Medal of Honor)を受章しました。

この名誉勲章は第二次大戦では464名しか受章していません。

マーフィーは「最も勲章を受けた兵士」として有名になりますが、戦後、映画俳優に転身し、多くの戦争映画にも出演しました。


Archer (イギリス)


「アーチャー」対戦車自走砲はバレンタイン歩兵戦車を改造した車輌です。

バレンタイン戦車を改造した車輌の第1弾は「Bishop」で、「アーチャー」は第2弾です。

17ポンド砲(76.2mm)は砲身も長く、また重量も重いため、防衛戦以外では使いにくかったため、車輌に載せる開発が進められました。

しかしバレンタイン戦車の砲塔には、この長砲身の砲を載せるスペースがなかったため、自走砲式のオープントップの戦闘室になりました。

ただし、ドイツ軍の「Marder」自走砲のように、美しく、かっこいいというものではないところがイギリスですw

なんとこの車輌、車体の後ろ向きに砲が取り付けられています。

画像をよく見ると、あれは車体後部です。

開発したヴィッカーズ社のエンジニアも「これはだめだろうな」なんて思ったことでしょう。

しかし、後ろ向きの態勢で射撃体勢に入るため、射撃後の後退がスムーズで効果をもたらしました。

ただしアーチャー自走砲は、射撃中は操縦士が外に出て退避しなければならなかったため、移動しながらの射撃は不可能で、用途は防衛または待ち伏せに限られました。

1943年に生産が始まり、655輌が生産されました。

1944年9月〜1946年12月


Sexton (イギリス)(カナダ)(ANZAC)(ポーランド)


イギリス軍が開発した自走砲。

イギリス軍の初代自走砲「Bishop」は25ポンド榴弾砲を搭載していましたが欠点が多く、その後にアメリカで生産された「M7 プリースト」自走砲がそれに代わりました。

イギリス軍も「M7自走砲」を使用しましたが、イギリス軍はこの「M7自走砲」に「QF 25ポンド榴弾砲」(88mm)を搭載しようとしました。

しかし砲の搭載がうまくいかず、そのためイギリスでは「QF 25ポンド砲」を搭載した車輌を開発することにしました。

一方、カナダではラム巡航戦車に25ポンド砲を搭載させることに成功、このカナダのラム巡航戦車は「M3 リー」中戦車の車体を使用していることから、「セクストン」は「M3 リー」中戦車、(後に「M4 シャーマン」戦車の車体)を利用することになりました。

生産は1943年から始まり、2150輌が生産されました。

1943年9月のイタリア戦線で初めて投入され、その後は終戦まで一線で活躍しました。

なおイギリス軍とカナダ軍では、ドイツ軍のように自走砲を直接射撃では用いず、間接射撃でのみ使用しました。

イギリス軍では1943年9月〜1946年12月

カナダ軍では1943年9月〜1946年12月

ANZAC軍では1944年1月〜1946年12月

ポーランド軍では1944年1月〜1946年12月

なお、オーストラリア軍では戦後、「M3 グラント」中戦車の車体を利用し、25ポンド砲を搭載させ、改造して作った自走砲「Yeramba」があります。

「Yeramba」とはオーストラリア先住民が槍を投げるための器具の名前です。

1950年〜1952年に14輌が生産されました。

(ゲームには当然登場しません)



M18 GMC Hellcat (アメリカ)


アメリカ陸軍が開発した駆逐戦車。

通称「ヘルキャット」と呼ばれ、「GMC」は「Gun Moter Carriage」(自走砲)のこと。

アメリカ軍の「M10」と並行して開発が進められた車輌で、「M10」はM4中戦車の車体を利用したが、この「M18」は新しく開発された車体です。

そのせいか、アメリカ軍の戦車なのに、どことなく珍しい気がしてきます。

主砲には76mm砲を搭載、車体には機銃はありませんが、砲塔上部に50cal機銃があります。

そして最大の長所はその機動性です。

限りなく軽く作られたことと、トーションバー式サスペションというドイツ軍の3号戦車についていたものを搭載させ、時速80km/hという速度を出しました。

(ゲームではスピード27!)

これは第二次大戦はおろか、その後、M1エイブラムスが出現するまで破られませんでした。

しかしその反面、装甲が薄く、前面装甲が25.4mmしかなく(ゲームでは装甲値2)、機銃などでも貫通してしまい、撃破率が非常に高い車輌でした。

(第二次大戦中の損失率の記録を持っています)

なのでアメリカ軍でもこの戦車よりも、M10の方を要求した部隊もあったそうです。

1943年に生産が始まり、2507輌が生産されました。

M18ヘルキャットの活躍した戦記です。

1944年9月18〜29日にフランスのナンシーでのアラコートの戦い(Battle of Arracourt)です。

9月19日の戦闘で、アメリカ第4機甲師団の第704駆逐戦車大隊は、視界不良の霧の中、ドイツ軍の第113装甲旅団と遭遇しました。

ドイツ軍にはパンテルや4号戦車がありましたが、この時期のドイツ軍の戦車兵は戦闘経験のない兵士や練度不足の兵士でした。

そうしたドイツ戦車の熟練度の差が戦術に現れ、わずか数分でM18中隊は6輌のパンテルを撃破、そのほかにも10輌以上のドイツ戦車を撃破する戦果を挙げています。


(アラコートでの戦いで撃破されたパンテル)

またバルジの戦いでも活躍を残しています。

アメリカ軍では1944年5月〜1946年12月

M10同様、オープントップ式の砲塔です。

また「M18」の車体を利用した「M39」多用途装甲車輌があります。

このM18が大活躍する映画「フューリー烈火の戦場」

(注意:あのブラッド・ピットのフューリーの続編ではありません)



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