Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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25mm Portee / 2pdr Portee / 6pdr Portee / 3.7in Portee (イギリス)
Panzerjager l (ドイツ)
Strv m/21 / Strv m/21-29 (スウェーデン)
Strv m/31 (スウェーデン)
Strv m/37 (スウェーデン)
CKD R-1 (ルーマニア)
Strv m/38 / Strv m/39 m/40L (スウェーデン)
Strv m/40K (スウェーデン)
Strv m/41 SI / Strv m/41 SII (スウェーデン)
Strv m/43 75 / Strv m/43 105 (スウェーデン)
Strv m/42 (スウェーデン)
Pvkv m/43 (スウェーデン)
Porttee がでたついでにイギリスのポルティーを紹介しておきます。
どちらかというとイギリスの方がポルティーでは有名です。
Porteeは、トラックに砲を搭載させた車輌という意味ですが、イギリスではその車体に使われたのは、 「Morris 15 cwt truck」「Chevrolet WA or WB 30cwt truck」 「CMP Ford F30 or Chevrolet C30 trucks」などのトラックです。
25mm 対戦車砲を搭載した「25mm Portee」はイギリスの25mm砲ではなく、フランスのHotchkiss社の25mm対戦車砲を搭載させました。
搭載とは言っても、画像のように砲をトラックの荷台に押し入れるわけです。
どれくらいの車輌があったのかは分かりません。
1940年3月〜1940年6月
こちらは「2pdr Portee」
お分かりのように「2Pound Gun」を搭載しています。
2ポンド砲は口径40mmの対戦車砲です。
1940年5月〜1943年5月
こちらは「6pdr Portee」
「6Pound Gun」は、イギリス製のオードナンスQF 6ポンド砲で、57mm対戦車砲です。
このようにトラックに砲を積んだのは、偽装して輸送部隊を守るためでもありました。
1942年5月〜1942年12月
「3.7in Portee」
こちらも同じようにトラックに3.7in 砲を載せた車輌。
3.7in 砲は「QF 3.7インチ山岳榴弾砲」とも呼ばれる砲です。
ただし、この車輌の詳細は不明、画像も見つけることができませんでした。
ゲームには1940年5月〜1943年5月に登場します。
これは「1号対戦車自走砲」です。
ドイツ軍には多くの自走砲がありますが、この自走砲はその先駆けとなった車輌です。
車輌は1号戦車B型、その上部にオープントップの4.7cm対戦車砲が装備されています。
4.7cm対戦車砲は、チェコのシュコダ社が開発したもの。
4.7cm Pak36(t)については こちら
ドイツ軍はチェコ占領と共にこの砲を入手し、37mm Pak36よりも貫通力に優れていることからこの砲を代わりとしました。
生産は1940年〜1941年までで 202輌が生産されました。
フランスの戦い、北アフリカ、東部戦線で配備されました。
1940年4月〜1942年3月まで
ただし1941年1月〜1942年3月までは「SABOT」弾(高速徹甲弾)を積載した車輌になります。
スウェーデンの戦車を紹介します。
あまり知られていませんが、この「Strv m/21」はスウェーデン国内でドイツ人技師により設計された車輌です。
元となったのは第1次大戦終戦間際、ドイツで開発した「LK.1」「LK.2」戦車です。
ドイツは第1次大戦の敗戦により、戦車の開発が禁止されましたが、プロトタイプ(実験用)として開発されたこの車輌をドイツ人技師はスウェーデン軍に提供し、開発が進められました。
(「LK.1」「LK.2」はゲームには登場しません)
武器は砲塔に 6.5mm機銃のみ
1930年1月〜1930年12月
その後、「Strv m/21」は改良され、「Strv m/21-29」としてスウェーデンのABランツヴェルク社で1922年に10輌が生産されました。
「Strv m/21-29」はスウェーデン軍が正式に採用した最初の戦車であり、1930年代になっても現役だったそうです。
こちらも武器は機銃のみ
ただしエンジンを改良したため、移動力が「6」から「8」に向上しています。
(遅すぎますが・・・)
1931年1月〜1939年12月
ドイツ 資本が入ったABランツヴェルク社では密かに戦車の開発が進行しました。
1930年には「L-10」軽戦車が開発されました。
この車輌は、1931年にスウェーデン陸軍により正式採用され、「Strv m/31」と呼ばれました。
(「Strv」は「Stridsvagn」の略)
実はこの車輌、この時代の戦車の中では隠れた名車とも呼ばれていて(勝手に呼んでるだけ)、無線機、照準装置を搭載し、装甲も 傾斜装甲となっています。
主砲は37mm砲に機銃が2丁。
生産は1934年にわずか3輌のみが作られました。
1934年2月〜1940年12月まで
「Strv m/31」の次は「Strv m/37」です。
m/37というのは、スウェーデン陸軍で採用された年度を表すので、 m/31よりもさらにレベルアップしたかと思いきや、「m/37」は豆戦車ですw
というのも、この戦車に関しては、スウェーデン開発されたものではなく、チェコスロバキアからの輸入したものを少し改良したものです。
チェコスロバキアのCKDで開発された 「AH - IV」という戦車なんですが、この「AH - IV」はその前の型である「vz.33」という豆戦車を改良して作られた車輌です。
Tancik vz.33はこちら
チェコスロバキアはこの車輌を、ルーマニア、スウェーデン、イラン、エチオピアに輸出しました。
(チェコスロバキアでは登場しません)
スウェーデンではこの車輌のエンジンをボルボエンジンに改良、武器も重機関銃を2丁砲塔に装備させました。
スウェーデン1937年には48輌を購入しました。
1938年1月〜1940年12月
チェコスロバキアで開発された「AH - IV」豆戦車は、 ルーマニアにも輸出されました。
ルーマニアでは「R-1」と名づけられました。
ルーマニア軍は1936年に35輌を受け取りました。
そして騎兵旅団に数輌づつ配備されました。
(画像は模型の箱絵だが、騎兵部隊らしく馬がいます)
東部戦線では南ウクライナ、コーサカスでの戦線で実戦に使用されましたが、スターリングラードでの敗北をきっかけに、その後は訓練用として使用されました。
武器は砲塔の機銃と車体の機銃
1937年1月〜1942年12月
スウェーデンは1930年に「L-10」を開発し、それを「Strv m/31」として採用したことは上で紹介しました。
その後、「L-10」の後継車として1934年に開発されたのが「L-60」です。
この「L-60」は、もちろんスウェーデンのABランツヴェルク社で作られたもので、見た目がかっこいいだけでなく、ドイツ製のエンジンを搭載し、溶接構造やサスペンションなどにもこれまでにない技術が取り入れられており、 火力、防御力、機動力はどれをとっても当時の軽戦車の中では優秀なものでした。
(上の画像を見るとたしかにかっこいい!)
スウェーデンはこの車輌を海外へ売り込み、その結果、ハンガリーがこの車輌をライセンス生産することになりました。
それが「38M Toldi」です→こちら
スウェーデン陸軍もこの車輌を主力戦車にすることになり、さらなる改良が進められました。
そして「L-60」の火力を強化した型「L-60A」を「Strv m/38」として採用しました。
「Strv m/38」は、主砲に強力なボフォース社の37mm砲を搭載しています。
生産は1939年までにわずか16輌。
1938年2月〜1946年12月
こちらは「L-60」の改良型「L-60B」、通称「Strv m/39」です。
ただし、「Strv m/39」は開発後、不具合が見つかり、わずか数輌が生産されただけです。
そして「L-60C」はその問題点を改善したタイプで、「Strv m/40L」となりましたが、性能上は「m/39」も「m/40L」も違いはありません。
しかし砲塔に主砲の37mm砲と、機銃を2丁も搭載させた砲塔にしたため、画像のように砲塔の形状がかなり変わっています。
1939年に戦争が勃発したため、スウェーデンは急きょ「Strv m/40L」を量産することにしました。
約100輌が生産されました。
ゲームでは「m/39」と「m/40L」は同じものとして「Strv m/39 m/40L」で登場します。
1941年3月〜1946年12月
Strv m/40は前期型と後期型が作られました。
前期型は前述の「Strv m/40L」と呼ばれるもの、後期型は「Strv m/40K」と区別されています。
この「L」と「K」は、生産された会社のイニシャルからきています。
Lはランツヴェルク社のL
Kはカールスタード社のK
前述の「Strv m/40L」(前期型)は、戦争が始まったこともあり、一応、100輌ほどが生産されましたが、1941年になると、 他国の戦車と比べると性能的に劣っていることが明らかになってきました。
そこでスウェーデン軍は1944年に「Strv m/40L」をさらに改造することにしました。
後期型である「trv m/40k」は、装甲が最大50mmの厚さとなりました。
(前期型は最大24mm)
装甲とエンジンは改良されたものの、主砲は前期型と同じ 37mm砲でした。
約80輌が生産されました。
1943年7月〜1946 年12月
「m/40」の次は「m/41」となるのは当然ですが、 この車輌はスウェーデンで開発されたものではありません。
画像を見て、ピンと来た方はやばいですw
スウェーデン陸軍は、1939年の開戦当時、自国で開発した「L-60」軽戦車だけでは圧倒的に数が足りず、それを補うために、 チェコスロバキアから新型戦車を輸入することにしました。
その車輌が「LT-38」です。
しかしそのチェコスロバキアがドイツの侵攻を受け、この計画は頓挫しかけましたが、スウェーデン政府はドイツ政府と交渉の末、 なんとかこの車輌をライセンス生産することができました。
1941年に生産可能となり、初期型である「m/41 SI」は116輌、後期型である「m/41 SII」は104輌が生産されました。
「Strv m/41」は初期型と後期型がありますが、両車には性能に大きな違いはありません。
(装甲が少し厚くなっているだけです)
主砲はお決まりのボフォースの37mm砲です!
初期型も後期型も 1942年12月〜1946年12月まで
スウェーデンが開発した自走砲戦車「Sav 43」
この車輌は、上記の「Strv m/41」の車体を改造して作られたものです。
前期型が「Sav m/43 75」、こちらは75mm榴弾砲を装備しています。
後期型は「Sav 43 105」、こちらは105mm榴弾砲を装備しています。
36輌が生産されました。
スウェーデンは第2次大戦には参加しなかったため、実戦での配備は戦後になってからですが、なんと1973年までこの車輌は現役でした。
「Sav m/43 75」は、1944年1月〜1945年3月
「Sav m/43 105」は、1945年4月〜1946年12月
戦争が始まると、スウェーデン軍は上記で紹介した軽戦車ではなく、20トン級の中戦車の開発を急ぎました。
そこでABランツヴェルク社で1930年代後半に生産した 「ラーゴ」という16トン級の戦車を元にして開発が進められました。
このラーゴという戦車は、ハンガリー軍への輸出向けに開発されたものですが、ハンガリー軍が購入を取りやめたため、そのまま生産も中止になった車輌です。
この車輌を大改造して作られた「Strv m/42」は、主砲に75mm L34短砲身を搭載、エンジンはヴォルボ製でドイツ軍のパンテル並の速度を出せる車輌になりました。
生産は1942年から始まりましたが、生産速度が遅く、1945年までに282輌が生産されました。
それでも1960年代まではスウェーデン軍の主力戦車でした。
1942年7月〜1946年12月
最後はスウェーデンの駆逐戦車「Pvkv m/43」
これはドイツ軍の3号突撃砲や4号突撃砲のような戦車を要望したスウェーデン陸軍により、ABランツヴェルク社で製造された車輌です。
車体は上記で紹介した「Strv m/42」です。
「Strv m/42」は短砲身の75mm砲でしたが、こちらは長砲身の75mm L60を搭載しています。
この75mm砲は ドイツ軍のパンテルの75mm砲とまではいきませんが、4号戦車の75mm砲よりは破壊力があります。
しかし・・
87輌が生産されましたが終戦に間に合わず、その後、1970年代まで配備されました。
1945年11月〜1946年12月
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