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戦車・装甲車 34


M15/42  (イタリア)(RSI) 
M15/42 CA  (イタリア)(RSI) 
SMV M42 75L34  (イタリア)(RSI)
SMV M43 105L25 (イタリア)(RSI) 
SMV 75L46  (RSI) 
SMV 76L52  (RSI) 

Semovente 149  (イタリア)(RSI) 
Semovente 90L53  (イタリア)(RSI)

M15/42  (イタリア)(RSI)


この車輌は、イタリア軍の最後の中戦車。

「M13/40」の改良型というか強化型。

「M15/42」は、15トン級の車輌、1942年に開発されたことを表します。

フィアット・アレサンドロ社で開発されました。

生産は1943年から始まり、イタリアが降伏する1943年9月までに90輌が作られました。

また、イタリア降伏後、ドイツ軍は未完成の車輌を全て押収し、28輌が完成し、これらは対ユーゴスラビアでの戦線に使用されました。

主砲には、40口径47mm砲が搭載され、これは「M13/40」の32口径よりも長砲身であったため、威力がありました。

副武装として砲塔機銃と、車体には2連装の機銃があります。

装甲は最大で45mm

イタリア軍では、生産されたのはわずか90輌ですが、この車輌の多くは突撃砲に改造され活躍しました。

イタリアでは、1943年3月〜1945年5月

RSIでは、1943年10月〜1945年4月


M15/42 CA  (イタリア)(RSI)


この車輌は、「M15/42」を改造して作られた車輌。

「M15/42 Carro contraereo」

北アフリカでイギリス空軍機に対抗するために作られました。

砲塔を外し、そこに多角形の360°旋回の特殊な砲塔を取り付けました。

砲塔には4連の20mm対空機関砲が装備されています。

どれくらいの車輌が作られたのかは不明ですが、1945年4月にドイツ軍の第5SS山岳軍団でも使用されていたことが分かっています。

イタリアでは、1943年3月〜1946年12月

RSIでは、1943年10月〜1946年12月


SMV M42 75L34 (イタリア)(RSI)


上記の「M15/42」中戦車の車体を利用して作られた突撃砲戦車。

正式には「Semovente M42 da 75L34」

イタリア軍では北アフリカで活躍を見せた「SMV M41 75L18」の火砲を強力にした車輌の開発が進められました。

そこで75mmL18砲よりも強力な「75mmL34砲」を車輌に搭載させることになり、「M15/42」が選ばれました。

当初は、「P40」という重戦車に搭載する予定でしたが、開発が遅れていたために、まず「M15/42」に搭載されました。

製造はフィアット・アンサルド社で、1943年に完成しました。

500輌が発注されましたが、イタリアの降伏により、完成したのは60輌でした。

その後、ドイツ軍により押収された機体は、ドイツ軍により80輌が生産され、バルカン半島でのドイツ軍により使用されました。

イタリアでは、1943年6月〜1946年12月

RSIでは、1943年10月〜1945年12月

(RSIで登場する車輌はHEAT弾を積載しています)


SMV M43 105L25  (イタリア)(RSI)


先に紹介したイタリアが開発したイタリア版突撃砲戦車は、北アフリカでは対戦車用の兵器として活躍を見せました。

そのためドイツ軍の3号突撃砲のように、本来の用途である歩兵支援用ではなくなりつつありました。

そこで榴弾砲を搭載した「Semovente da 105L25」の開発が始まりました。

この車輌は、計画では車体に重戦車「P40」の車体を利用することになっていましたが、P40の開発が遅れたことから、「M15/42」中戦車の車体を利用することになりました。

しかし、「M15/42」の車体では若干小さかったため、車体を改造し車体幅を大きくしたものが使用され、この車体は「M43」と呼ばれます。

主砲にはアンサルド社の25口径105mm榴弾砲、装甲は前面が75mmです。

生産は1943年に始まり、イタリアが降伏する9月までに、26輌が生産されました。

またドイツ軍はイタリア降伏後、残った車輌をドイツ軍の占領する北イタリアで生産しました。

1945年までに61輌が生産され、ドイツ軍により使用されました。

イタリアでは、1943年5月〜1946年12月

RSIでは、1943年10月〜1946年12月


SMV 75L46 (RSI)
SMV 76L52 (RSI)


この車輌はイタリア軍が開発したものではなく、ドイツ軍により改造された車輌。

ドイツ軍は1943年9月のイタリア降伏後、イタリア軍が使用していた車輌や生産中の車輌を手に入れました。

そして北イタリアのドイツ軍の占領地で、引き続き生産を行いました。

ドイツ軍は上記の「Semovente da 105L25」を対戦車車輌として改造し、主砲にイタリア製の75mm対戦車砲を搭載させました。

この砲は、イタリアのアンサルド社で作られ、駆逐艦に搭載されていた75mm高射砲で、この砲を改造し対戦車用として作られたものです。

またドイツ軍の75mm Pak40の砲弾も使用できるようにしてあります。

1944年に生産が始まりましたが、わずか11輌が作られました。

またゲームにはこの車輌と同じ車輌で、主砲の口径が異なる「SMV 76L52」という車輌も登場します。

こちらに関しては詳しいことや画像などは見つかりませんでした。

(ゲームに使われている画像も、「SMV 75L46」のものです)

76mm対戦車砲はイタリア軍にはありませんので、ドイツ軍のものを使用した可能性が高いです。

RSIでは、1943年10月〜1946年12月


Semovente 149  (イタリア)(RSI)


この車輌は「Semovente da 149」

イタリア軍により作られた自走砲です。

車体には「M15/42」中戦車のものを使用し、砲は149mmカノン砲を搭載させました。

この149mmカノン砲は間接射撃ようの砲なので、この車輌は間接射撃でのみ使用する車輌です。


(このようになります)

46kgの砲弾を使用し、射程は23kmにも及びます。

しかし積載砲弾はわずか6発、射撃時は砲員は無防備になることから、需要がありませんでした。

イタリアのアンサルド社で試作車輌1輌のみが完成しましたが、生産には至りませんでした。

イタリアでは、1943年3月〜1946年12月

RSIでは、1943年10月〜1946年12月


Semovente 90L53 (イタリア)(RSI)



紹介する順番が遅れてしまいました。

この車輌は、「Semovente da 90L53」です。

車体には、「M14/41」中戦車が使用されていますが、若干、幅を広く改造されています。

砲はアンサルド社の90mm高射砲「da 90mm M39」で、この砲は当時、ドイツ軍の88mm砲と比較されるほど優秀な砲でした。

生産は1943年6月まで行われましたが、90mm砲の生産が少なく、また車体の改造にも手間がかかったため、わずか30輌のみが作られました。

この車輌はイタリア軍が開発した最も優れた対戦車車輌とも言われます。

イタリアでは、1942年3月〜1946年12月

RSIでは、1943年10月〜1945年12月