Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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Flammpanzer 38 (ドイツ)
sIG33 Hetzer (ドイツ)
Maresal M-05 (ルーマニア)
Vadasz Toldi (ハンガリー)
Borgward B IV (ドイツ)
M-H CTL-3 (海兵隊)
M-H T-16 (アメリカ)
MHarrington 4TA (オランダ)(中国)
M-H 4TA (ANZAC)
M-H II / M-H III / M-H IV (イギリス)
M-H II (ANZAC)
M-H III (オランダ)
M-H IV (ギリシャ)
M-H II / III / IV (ポーランド)
Mrm-Hrtn II / III (フランス)
M-H II (日本)
Combat Car M1 (アメリカ)
M3A1 Satan / M3A1 Flame (海兵隊)
ヘッツァー駆逐戦車を改造した火炎放射戦車です。
主砲を取り外して火炎放射用の放射器を取り付けています。
画像でも分かりますが、砲身が細く短くなっています。
700 リットルの燃料を積んでいたということですが、ゲームではわずか6回の射撃回数しかありません。
20輌が作られ、 バルジの戦いに投入されました。
1944年12月〜1946年12月
長く続いた「LT vz38」シリーズもこれで最後です。
いや〜長かった。
最後が「38 (t) 15cm自走重歩兵砲ヘッツァー」です。
15cm重歩兵砲を搭載した車輌「sIG33 Grille」の生産が1944年9月で打ち切られることになったため、 この車輌の後継車輌として設計されました。
グリレよりも見た目は車高が低く、装甲も前面装甲は 60mmと厚くなりました。
チェコのBMM社で生産されたとありますが、前線から回収されたヘッツァーを修理改造し、 39輌が作られたそうですが、戦闘での写真、記録等は残っていません。
1944年12月〜1946年12月
ヘッツァーシリーズのおまけ。
1942年、ルーマニアはT34やKV戦車に対抗できる駆逐戦車の開発を始めました。
「M -05」とあるのは、試作車輌が「M-00」から「M-06」まであるためです。
この車輌は、ソ連の「T-60」 の車体を使用、エンジンはフランスのホチキス社製、無線機、照準器はドイツ製、履帯はチェコ(ドイツ)の38(t)戦車のもの、 主砲の75mm砲のみは国産のものを使用しています。
T-60はソ連からの鹵獲で、「TACAM T-60」と同じです。
念願叶い、1944年5月に完成。
性能は3号突撃砲を上回ったとされています。
しかし生産が始まろうとした5月、ルーマニアの工場は爆撃に遭い、その後8月、 ソ連に降伏したため日の目を見ることはありませんでした。
なお、この「マレシャル駆逐戦車」は、形状が ヘッツァーにとても似ていることから、ヘッツァーに影響を与えたとも言われますが、実のところは不明となっています。
1944 年8月〜1944年10月
ハンガリーの「トルディ対戦車自走砲」
ハンガリー軍がドイツ軍のマルダー自走砲のような対戦車砲を搭載した自走砲を生産しようとした車輌。
車体には「トルディ」戦車を利用、 主砲にはドイツ軍の「75mm PaK 40」を搭載させました。
プロトタイプ(試作車輌)は完成しましたが、時間がかかりすぎてしまい、生産には至りませんでした。
1944年3月〜1946年12月
「Borgward」 (ボルクヴァルト)はドイツのボルクヴァルト社が開発した爆薬運搬車輌。
ボルクヴァルト社というのは、1920年に設立されたドイツの自動車メーカーです。
戦前、戦後は自動車を作っていましたが、戦時中は軍用トラック、そしてあのゴリアテを作った会社です。
(会社は1961年に破産しています)
ゴリアテは爆薬を搭載し、 遠隔操作により起爆する兵器でしたが、この「ボルクヴァルト」もその兵器として開発されました。
「Borgward B I」と「Borgward B II」(SdKfz.300)は、地雷除去のための無人誘導車輌で自爆用の使い捨てでした。
ゲームに登場するのはその後に開発された 「Borgward B IV」型(SdKfz.301)です。
この車輌は完全な自爆用ではなく、 有人で操縦ができ、かつ、無人で無線誘導ができるもので、簡単に言えば、敵陣まである程度は有人で操縦して近づき、その後、 爆薬を投下し無人に切り替えて爆破するというものです。(らしいです)
この「Borgward B IV」は、A型、B型、C型と作られました。
A型は1942年5月から1943年6月に生産、616輌。
B型は1943年6月から1943年11月に生産、260輌。
C型は1943年12月から1944年9月に生産、305輌。
C型はパンツァーファーストを積んでいたそうですが、 画像を見る限りではパンツァーファーストなのかどうなのかは確認できません。
ほとんどがベルリンの戦いで使用されたらしく、 ソ連軍の戦車に対して攻撃を行ったという記録が残っていますが、 この車輌の写真を調べてみると、ベルリンの廃墟に残骸として写真しか見当たらず、車輌が鮮明に映っている写真はほとんどありませんでした。
ゲームではパンツァーファーストの代わりにパンツァーシュレッケが搭載されています。
ゲーム内では「Light Infantry Tank」として分類されています。
購入は[Infantry]の中の[JgPzZerstorer]の中で購入でき、 パンツァーファースト部隊がついてきます。
そしてこのパンツァーファースト部隊(2名)は、 車輌に搭乗させることが可能です。
しかも移動力が13と結構早い。
どうやって使ったらいいのかはまだ不明ですw
1945年4月〜1946年12月
余談ですが、 2010年3月、南ウィーン駅の解体工事で地中から、2014年2月、オイスキルヒェンの駅で見つかりそれぞれ修復され現在は展示されています。
正式名称は「Marmon - Herrington Conmat Tank Light」
アメリカの「マーモン・ヘリントン」社で開発された車輌です。
マーモン・ヘリントン社は1931年にマーモンとヘリントンにより設立された会社です。
戦前はトラックなどを製造していましたが、戦中は装甲車や戦車を製造、戦後はトロリーバスを製造しています。
この 「マーモンヘリントン」戦車は軽戦車で、1935年に最初のタイプが造られました。
これが「CTL-3」で、 2人乗りで画像のように砲塔のないタイプです。
武器は機銃(30cal)が3丁装備されています。
アメリカ海兵隊はこの戦車の開発に資金を提供し、1930年代後半から海兵隊の戦車として使用し、「ベティス」(Betties) というあだ名が付けられました。
海兵隊で1937年3月〜1943年3月まで購入可能
また1940年にオランダ領の東インド陸軍(KNIL) からの発注を受けて作られた車輌は「CTLS-4TA」で、この車輌は画像のように砲塔があります。
この車輌は完成後、 1942年に船により東インド軍に輸送されましたが、当のKNIL軍が日本軍に降伏してしまったため、 その52輌がオーストラリア陸軍により使用されました。
また240輌はアラスカの米軍により訓練のために使用されました。
この「CTLS-4TA」は、「M-H T16」とも呼ばれています。
武器は50cal機銃が1つと30cal機銃が2つ
アメリカ軍で1940年9月〜1946年12月まで
マーモン・ヘリントン社は、 後に「M22」軽戦車(空挺戦車)を生産しました。
マーモンヘリントン 「4TA」は本国アメリカ以外でも使用されています。
「M-H 4TA」は、砲塔の位置が左右異なるタイプがあり、「4TAC」と「ATAY」と区別されています。
アメリカ軍では「4TAC」を「M14」、 「4TAY」を「M16」としています。
オーストラリア陸軍では52輌が使用されました。
(画像はオーストラリア軍の車輌)
オランダ軍は南アメリカのオランダ領スリナムで 28輌を受けました。
中国軍でも数輌が使われたという記録がありますがはっきりしたことは分かりません。
ANZACでは1942年3月〜1943年12月
オランダでは 1941年8月〜1946年12月
中国では1940年9月〜1943年12月
ただしゲームに登場する車輌は 「4TA」となっていますが、実際には砲塔のない「CTL-3」が登場します。
この車輌は南アフリカ連邦政府が開発した車輌です。
正式には「南アフリカ偵察車」と言いますが、 「マーモン・ヘリントン装甲車」と呼ばれる方が一般的です。
しかしマーモン・ヘリントン社で製造したものではありません。
南アフリカでは自国で車輌を開発するほど産業がありませんでしたので、 他国からの輸入品を使って生産しました。
この車輌は、車体にフォード社の車輌が使われ、 四輪駆動などの部分をマーモン・ヘリントン社、武器はイギリス製が使われています。
そのため「マーモン・ヘリントン装甲車」 と言われます。
1940年に完成した車輌は、5700輌が生産され、「Mk I」から「Mk.VIII」までバリエーションがあり、 戦後は世界各国で配備されました。
また1990年代後半まで(つい最近)、 現役だったことも忘れてはいけません。
ゲームに登場するのは、「Mk II」「Mk III」「Mk IV」です。
画像の上が「Mk II」、 下が「Mk III」
なお「Mk II」と「MkIII」は、武器のバリエーションが 異なる車輌がたくさん出てきます。
例えば、「Vickers機関銃」、「AT ライフル」「2Pound Gun」「37mm砲」「47mm砲」です。
これは車輌を現地で改造し、 武器を強力なものに交換し使用したものです。
イギリス軍は、北アフリカでこの車輌の「Mk II 」と「Mk III」を使用しました。
生産は「Mk II 」が887輌、 「Mk III」が2630輌。
「Mk IV」は1943年に完成し、 2人乗りの砲塔を持った車輌で、主砲には「2Pound砲」が搭載されています。
生産は2000輌以上。
イギリス軍では 「Mk IV」は使用しましたが、北アフリカ戦線は終了していたため、実戦で投入されたかどうかは不明です。
「M-H II」は1940年11月〜1942年3月
「M-H III」は1941年5月〜1943年6月
「M-H IV」は1943年7月〜1944年12月
また、イギリス軍では「Colonial」部隊、いわゆる植民地での部隊用の車輌としても登場します。
こちらは全て「Mk II」ですが、 上に挙げたような様々な武器の車輌が登場します。
マーモン・ヘリントン装甲車は南アフリカとイギリス以外でも使用されました。
ANZAC軍では、「Mk II」が使用されました。
1939 年9月〜1942年12月
オランダ軍では、「Mk III」がオランダ領東インド陸軍で使用されました。
1942 年1月〜1942年3月
ギリシャでは、「Mk IV」が抵抗軍(レジスタンス)により使用されました。
1943 年7月〜1946年12月
ポーランドでは、「Mk II」が第2機甲旅団で使用されました。
(ゲームには「Mk II 」以外にも「Mk III 」「Mk IV」も登場)
1942年5月〜1945年10月
フランスでは、自由フランス軍により使用されました。
1941年3月〜1942年7月
日本軍は1941年12月からのイギリス領マレーでのマレー作戦で、 イギリス軍から鹵獲した車輌を使用しました。
(鹵獲[Captured]車輌として購入)
1942年4月〜1944年12月
この車輌は「Combat Car」(戦闘車)と呼ばれ、「Tank」(戦車)ではありません。
これは1920年代のアメリカでは、 歩兵部隊のみが戦車を持つことが国家防衛法により定められていたためです。
そのため騎兵部隊用の車輌には「戦闘車」という 呼称が与えられました。
マッカーサーの要求により、1933年に開発が進められ、1936年に試作車輌が完成。
試作車輌の段階では「T5戦闘車」と呼ばれ、 「T5E1」が後の「M1戦闘車」となりました。
砲塔には2丁の機銃を装備、 車体にも機銃が装備されています。
ゲームに登場するのは、機銃が4丁装備されていることから、「M1A1」 と思われます。
アメリカ陸軍では1940年に機甲師団が誕生し、全て戦車として命名されました。
M1A1 は17輌が生産されました。
1937年1月〜1940年7月まで
M2A1 軽戦車はこちら
M3A1は以前、 紹介しましたが今回はその改造車輌です。
M3A1はこちら
M3A1 は、1942年〜1943年2月の間に、4621輌が生産されました。
その中で、海兵隊仕様としての火炎放射器車輌も作られました。
M3A1には2種類の火炎放射器戦車があります。
1つは主砲の37mm砲をイギリス製の「Ronson」火炎放射器に転換したもの。
この「Ronson」火炎放射器は、 M4シャーマンにも取り付けられました。
M4 火炎放射戦車はこちら
(SPWW2のバージョンアップにより、 ユニットの表記やデータが変更されましたので、M4火炎放射戦車の記述を更新しておきました)
この車輌は海兵隊専用の車輌として 「Satan」と呼ばれました。
20輌が生産され、日本軍との戦いに使用されました。
1944年6月〜1945年12月
もう1つは、車体前面にある機銃の 部分に火炎放射器を取り付けたもの。
これはゲームでは「M3A1 Flame」となっていて、 どれだけの車輌が生産されたのかは分かりませんが、実戦でも使用されています。
1944年2月〜1944年5月
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