Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 20

PzKw 38(t) / PzKw 38 B(t) / PzKw 38 E(t) (ドイツ) 
T-38e (ハンガリー) 
PzKw 38(t)+ (ルーマニア) 
Praga Pz 38d(t) / Praga Pz 38e(t) (ブルガリア) 
Pjgr 38(t) (ドイツ) 
Marder III H  (ドイツ) 
Marder III M  (ドイツ) 
sIG33 Grille H  (ドイツ)  
sIG33 Grille K (ドイツ)  
Flakpanzer 38  (ドイツ) 
Aufklarer 38t (ドイツ) 
JPz 38(t) Hetzer (ドイツ) 
JPz38(t) Hetzer  (ハンガリー・ルーマニア・チェコスロバキア・ブルガリア)
SU-38 Hetzer (LWP) 

PzKw 38(t) / PzKw 38 B(t) / PzKw 38 E(t) (ドイツ)

PzKw 38(t)

チェコ製の「LT vz.38」は「LT vz.35」同様、ドイツ軍の車輌となりました。

ドイツ軍での名称は PzKw 38(t)です。

ドイツ軍では様々なバリエーションがあります。

A型 1939年に150輌を生産。

B型 1940年1〜5月に110輌を生産。

C/D型 1940年5〜11月に215輌を生産。若干、装甲が厚くなった。

E/F型 1940年11月 〜1941年10月520輌を生産。砲塔・車体の装甲が強化

G/H/M型 1940年〜1942年に321輌生産。マルダーIII自走砲に改造

K型グリーレ自走砲に改造

S型 90輌生産。スウェーデン向けの車輌(Strv m/41

開戦時、ドイツは戦車の数が補うためと、 2号戦車よりも強力な37mm砲を装備していたため、主力戦車として重要な任務を与えられました。

ポーランド侵攻 には100輌、フランス侵攻には228輌、バルバロッサ作戦には623輌が投入されました。

PzKw 38 E(t)

ゲームでドイツ軍に登場するのは「B型」と 「E型」、そして型の表示が何もない車輌があります。

この無表示の車輌は購入年代から見ると、A型ということにな るかと思います。

E型は装甲強化型で車体前面と砲塔前面が25mmから50mmに、 車体側面と砲塔側面が15mmから30mm に強化されています。

ゲームでの装甲値は3から5になっています。

主砲は37mm KwK35 L47、これはシュコダ製の37mm A7です。

PzKw 38 B(t)は、1940年6月〜1941年12月

PzKw 38 E(t)は、1940年11月〜1944年6月

T-38e (ハンガリー)

T-38e

ハンガリーでは 「LT vz.38」を1940年〜42年にかけて102輌購入し、「T-38」と命名しました。

(購入数は108輌とも言われる)

ハンガリーが購入した車輌はF型とG型で、ほとんどはG型なのですが、ゲームで はなぜか 「T-38e」と表記されています。

この「e」に関しては今のところよく分かりません。

最初、E型の「e」かと思いましたが、ドイツ軍に登場するE型車輌と比べると、性能は同じですが、ハンガリー軍の方が車体が少し後方に大きくなっていますので、 これは同じ型ではないと思われます。

ハンガリー第1機甲師団に配備された 「T-38」ですが、 スターリングラードでのドン川での戦いでそのほとんどを失いました。

1942年1月 〜1943年1月

PzKw 38(t)+ (ルーマニア)

PzKw 38(t)

ルーマニアは1943年5月から6月にかけて、 ドイツ軍から50輌の「PzKw 38(t)」を購入しました。

とはいっても、 1943年ですからドイツ軍では一線ではもう使われておらず、中古車輌でした。

50輌はA型、B型、C型です。

この車輌はすぐにクバン橋頭堡の戦いに投入されました。

クバン橋頭堡は激戦の戦いで、ソ連軍の反撃により、 カフカス方面でドイツ軍は包囲される危険が生じたため、その撤退路を確保するという作戦でした。

クバン橋頭堡の激 戦に参加した兵士145000人には、 「クバン盾章」という勲章がヒトラーから与えられています。

クバン盾章

またご存知の方も多いと思いますが、サム・ペキンパー監督の名作映画 「戦争のはらわた」で主人公シュタイナーがソ連軍と戦ったのがクバン橋頭堡です。

(シュタイナーはドイツ第17軍に配属という設定です)

ゲームでルーマニアに登場する車輌は「PzKw 38(t)+」と表記されており、これは前面装甲値が4になっています。

なので、A型とB型は装甲値が3であり、 E型は5なので、この車輌はC型ということなのでしょう。

1943年5月〜1946年12月


Praga Pz 38d(t) /  Praga Pz 38e(t)  (ブルガリア)

Praga Pz38

ブルガリアは1943年に10輌をドイツから購入しました。

どの型が何輌かは記録にありませんが、1943年ですから、ドイツでは使っていなかったものなので、 適当に売りさばいたのでしょうw

一応、ゲームにはD型とE型が登場します。

こらは表記どおり、D型は装甲値が3、E型は装甲値が5です。

両車輌とも1943年8月〜1946年12月


Pzjgr 38(t) (ドイツ)

Pzjgr 38(t)

それではチェコの「PzKw 38(t)」の派生型車輌を見ていきましょう。

「Pzjgr 38(t)」という名称でゲームでは登場するこの車輌は、「Marder III」です。

マルダーIIIには 「Sd Kfz 139」「Sd Kfz 138 Ausf.H」「Sd Kfz 138 Ausf.M」

の3つのバージョンがありますが、これは「Sd.Kfz 139」です。

1942年には前線では全く使い物にならなくなった「PzKw 38(t)」でしたが、ソ連軍から大量に鹵獲した「76.2mm 野砲」を搭載させ自走砲にしたのが「Sd Kfz 139 マルダーIII」です。

この76.2mm砲は、ドイツ軍で「7.62cm PaK36(r)」と命名され、PaK40 75mm対戦車砲の砲弾を使用できるように改造されました。

76.2mm砲を搭載させた車輌には、「マルダー II」があります。

マルダーIIには2種類あり、76.2mm砲を搭載した型は、「LaS 762」で紹介しました。

車体はPzKw 38(t)のG型が使われました。

生産は1942年から始まり、500輌が作られました。

(ただし正規に生産されたのは344輌)

1942年4月〜1944年6月まで購入可能

ほとんどが1943年の東部戦線に配備されましたが、 66輌は北アフリカに配備されました。

この車輌は積載砲弾がAP弾とAPCR弾を合わせても20発と非常に少ないので、撃ち損じをすると、すぐに弾切れになってしまうことから、 弾薬補給が出来ない場合は使いづらい車輌です。


Marder III H (ドイツ)

Marder III Ausf. H

ドイツ軍の 7.5cm PaK40を搭載したのが、「SdKfz 138 マルダーIII Ausf.H」です。

この車輌は、PzKw 38(t)のH型の車体を改造して作られました。

生産は1942年10月から始まり611輌。

(ただし正規に生産されたのは275輌で、それ以外のは前線から修理に戻った古いPzKw 38(t)を改造し直したもの)

1942年12月〜1944年1月まで購入可能


Marder III M (ドイツ)

Marder III M

マルダーIIIの最後は、「SdKfz 138 マルダーIII Ausf.M」です。

この車輌は、それまでのPzKw 38(t)からの改造ではなく、はじめから自走砲として作られました。

この車輌も、7.5cm PaK40 を装備しています。

しかしH型からM型と改善されたように思えますが、生産性を向上させるために、むしろ装甲は薄くなり、積載弾薬数も減っています。

とはいえ、いろいろと改善もされてもいますが、ゲームでは全く関係ありませんw

生産は1943年5月から始まりヘッツァーが生産されるまでの間、 942輌が作られました。

1943年5月〜1944年1月

映画「プライベートライアン」の終盤で、市街戦に登場するドイツ軍の車輌のうちの1輌としてこの「マーダーIII M」が登場するのはもう当然ご存知ですよね!

Marder III M

火炎瓶を放り込まれ炎上してしまいますが、オープントップの自走砲で市街戦を戦うと、こうなることを教えてくれるいい場面ですw


sIG33 Grille H (ドイツ)

Grille H

チェコスロバキアの「LT vz.38」のドイツ戦車バージョンの続きです。

ドイツ軍には戦車の車体に15cm sIG33重歩兵砲を搭載した車輌、「1号自走重歩兵砲」「2号自走重歩兵砲」、 また「33B突撃歩兵砲」があり、これらの大口径の砲を搭載した車輌は、戦場での歩兵支援兵器としては必要な兵器となっていました。

そのためこれらの後継車輌として、チェコの「LT vz.38」を改造して「Grille」自走重歩兵砲を作る計画が進められました。

当初、上記で紹介した「Marder III H」(SdKfz 138)と並行して計画が立てられました。

1943年2月に完成し6月までに200輌が生産され生産は終了しましたが、その後、1943年11月に再度生産が始まり、196輌が作られたとされています。

この「Grille H」は「PzKw 38(t)」のH型の車体を使用していますが、H型は全てが「Grille H」か「Marder III H」として作られました。

砲弾は15発、ゲームではHE弾12発とHEAT弾が3発となっています。

1943年3月〜1946年12月まで


sIG33 Grille K (ドイツ)

こちらの「Grille K」は、チェコの「LT vz.38」(ドイツ名称PzKw 38(t))のK型の車体に、15cm sIG33重歩兵砲を搭載した車輌です。

「Grille H」はいかにも砲をそのまま乗っけたという感じで車内もごちゃごちゃしていますが、こちらはかなりスッキリした形となっています。

「Grille K」と並行して計画された車輌は、この後に紹介する「Flakpanzer 38」と上で紹介した「Marder III M」があり、PzKw 38(t)の最終バージョンであるK型とL型とM型が使用されました。

生産は急ピッチで行われ、1943年12月から1944年9月までに282輌が作られました。

積載砲弾は18発、ゲームではHE弾が15発、HEAT弾が3発。

1943年12月〜1946年12月


Flakpanzer 38 (ドイツ)


こ ちらが、「Grille K」と「Marder III M」と並行して計画が進められたもう1つの車輌「Flakpanzer 38」です。

日本語では 「38(t)対空戦車」です。

この車輌には「PzKw38(t)」のL型が使用されました。

武器は 「2cm Flak38」のみ

ドイツ軍では「2cm Flak38」から「3.7cm Flak 43」への変更が1943年終盤に行われました。

そのときに余った「2cm Flak38」を使用して作られたのがこの車輌です。

いわゆる 「3.7cm Flak43」を搭載した対空車輌ができるまでのつなぎです。

1943年11月から1944年2月まで生産され140輌が作られ、ほとんどが西部戦線に投入されました。

西部戦線では敵機を追い払うには十分な火力とは言えず、逆に連合軍の爆撃機の格好の餌食とされました(涙)

そのため水平射撃を利用した対歩兵、非装甲車への武器として使用されるようになりました。

1944年1月〜1944年12月


Aufklarer 38t (ドイツ)


この車輌は「PzKw 38(t)」の車体を利用して作られた偵察戦車です。

正式には「38(t)偵察戦車」です。

偵察戦車で思い浮かぶのは 「2号戦車ルクス」でしょう。

その「2号戦車ルクス」の後継車輌となったのが、この「38(t)偵察戦車」です。

一応、砲塔があり、「2cm Kwak38」と機銃を装備していますが、上部は装甲のないオープントップになっています。

車体は前線で回収され修理不能となったPzKw 38(t)のE型〜G型で、それを元にチェコの工場で生産されました。

1944年2月〜3月にかけて70輌が作られています。

生産台数が少なかったためか、写真もあまりありません。

1944年4月〜1944年12月


JPz 38(t) Hetzer (ドイツ)

つ、ついにヘッツァーたん の登場です!

1943年11月の連合軍の爆撃により それまで3号突撃砲を生産していたアルケット社の工場での生産が一時停止になり、急きょ、PzKw 38(t)の車体を使った自走砲の開発が行われました。

設計からわずか4ヶ月でヘッツァーは誕生しました。

主砲には「48口径 7.5cm PaK39」を搭載し、副武装には車内から遠隔操作できる7.92mm機銃を装備。

1944年から生産が開始され生産は終戦まで行われ、チェコのBMM社で2047輌、同じくシュコダ社で780輌の計2827輌が生産されました。

ヘッツァーに関しては、「車内が狭い」 「視界が悪い」「装甲が薄い」「照準が合わせにくい」「すぐ故障する」などという乗員からの評判は相当悪かったらしいです。

ヘッツァーは車体が小さいため容易に隠蔽でき、敵を視界に入れるというよりは、敵が視界に入ってくるのをじっと待ち伏せるという使い方が効果的だったと言われます。

それこそ「Hetzer」(狩りの勢子)という名前にふさわしい駆逐戦車です。

1944年7月〜1946年12月まで


JPz38(t) Hetzer
(ハンガリー・ルーマニア・チェコスロバキア・ブルガリア)
SU-38 Hetzer (LWP)


ヘッツァー駆逐戦車はドイツ以外の国でも使用されました。

1944年12月〜1945年1月までに75輌がハンガリーに送られました。

これは当時、ドイツ唯一の同盟国でもあったためでしょう。

ハンガリーに送られた車輌は、 1945年3月のバラトン湖の戦いでも投入されました。

ハンガリーでは1944年10月〜1945年12月まで購入可能

(上の画像はハンガリー軍のヘッツァー)

ルーマニアでは 1944年の夏に30輌のヘッツァーを送ることになっていましたが、8月にルーマニアはソ連に降伏してしまったため実際には受け取ってはいません。

そのためルーマニアに登場するヘッツァーは鹵獲戦車(Captured tank)となっています。

1944年10月〜1944年12月まで鹵獲戦車として購入可能

チェコスロバキアには戦後、14輌のヘッツァーがあり、 チェコ陸軍により使用されました。

1945年6月〜1946年12月まで購入可能

ブルガリアでも鹵獲車輌がありましたが、何輌かは不明です。

1945年3月〜1946年12月まで

LWP (ポーランド人民軍)にも鹵獲車輌のヘッツァーがありました。

ヘッツァーは初陣である1944年8月の ワルシャワ蜂起の市街戦で火炎瓶による攻撃でいきなり損失してしまったそうですが、その後、 ポーランド人民軍により鹵獲されたこの車輌は修復されポーランド人民軍により使用されたそうです。

1945年5月〜1946年12月

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