Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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PzKw 35R 731(f)/ PzKw 39H 735(f) (ブルガリア)
AS 35R 731(f) / Munition 35R (ブルガリア)
S-Id (ユーゴスラビア・ルーマニア)
M3 Stuart Pak / M3 Stuart Flak (ユーゴスラビア)
Type94 / Type95 (フランス)
Type 95 Ha-Go (日本)
Type 95 Ha-Go (タイ・中国)
Type 3 Ke-Ri (日本)
Type 4 Ke-Nu (日本)
Type 98 Ke-Ni (日本)
Ta-Se I / Ta-Se II (日本)
Ko-Hi SPAA / Type 94 SPAA (日本)
画像はドイツ軍使用の「PzKw 39H 735(f)
枢軸国であったブルガリアは、1940〜41年にドイツ から「PzKw 35R 731(f)」(R-35)を40輌購入しています。
ただし既に時代遅れになっていたため、戦力としては全く評価されませんでした。
そのため戦後まで車輌は生き残りました。
また、「PzKw 39H 735(f)」も1943年にドイツから19輌を購入しています。
こちらもやはり訓練用として購入したものです。
この車輌は、警察部隊で使用されました。
また ゲームには登場しませんが、S-35も6輌ありました。
PzKw 35R 731(f)は、1941年4月〜1946年12月
PzKw 39H 735(f)は、1944年3月〜1944年12月
「AS 35R 731(f)」と「Munition 35R」は、ブルガリアにのみ登場するユニットで非常に珍しいユニットです。
この車輌ユニットは、フランスの「R -35」を改造して作られています。
車体は上記で説明したドイツ軍から購入したPzKw 35R 731(f)ですが、砲塔を取り外した形になっています。
「AS 35R 731(f)」は砲牽引車輌です。
[Carry Capacity]は[115]ですので、中型の砲一門と兵員15名
「Munition 35R」は弾薬積載車輌。
なぜにブルガリアにこのような車輌が登場するのかですが、ブルガリアでは1940年にド イツからPzKw 35R 731(f)を購入した際、フランス製戦車に対する評価があまりよいものではありませんでした。
そのためせっかく購入した戦車は、部隊に配備されずに訓連用として使用されるか、あるいはこのように改造車輌として使用されたと見ていますw
画像はドイツ軍使用のPzKw 35S 739(f)
AS 35R 731(f)は1944年1月〜1946年12月
Munition 35Rは1944年1月〜1945年12月
「S-Id」という戦車は、チェコのシュコダ (Skoda)社で作られたものです。
ユーゴスラビアは1937年にこの車輌を8輌、シュコダ社に発注しました。
(この「S-Id」は、ユーゴスラビアでは「T-32」とも言われます
そして「S-Id」4輌と装甲車からなる戦車小隊が2つ作られました。
この小隊は、1941年、ドイツ軍との戦いでNisに向かう途中、ドイツ軍と遭遇しましたが、 戦車の乗員は「Panic」に陥ってしまい車輌を放棄して逃げてしまいました。
ドイツ軍の第11装甲師団ではこの車輌を鹵獲し使用しました。
ドイツ名称は「PzKw 32 (j )」です。
((j)はユーゴスラビアの「j 」です)
ただしゲームではドイツ軍には登場しません。
またチェコで作られましたが、この戦車は輸出用として作られたので、チェコでは登場しません。
砲塔はありませんが、車体に機銃が1丁と47mm砲が装備されています。
1938年6月〜1941年4月まで
ルーマニアでも購入可能だが、ルーマニアが「S-Id」戦車を購入した、あるいは使用したという資料は見つけられませんでした。
1942年1月〜1944年10月まで
最初この車輌をみたとき、何これ?って思いました。
まだまだ知らない車輌がたくさんあります。
この車輌はあのアメリカの「M3スチュアート」軽戦車を改造した車輌で す。
ドイツ軍の対戦車砲や対空砲なので、てっきりドイツ軍が鹵獲したM3を改造したものだと思いましたが、そうではありません。
ユーゴスラビアのパルチザンについては歩兵ユニットの「Yugoslavia HQ」のところでも触れましたが、 このパルチザンは連合軍から武器を供給されていました。
1944年7月にパルチザンによる初めての第1戦車大隊が誕生し、 イギリスは75輌のアメリカ製M3A1〜A3スチュアートを供給しました。
そしてその後、 ドイツ軍が残していった兵器などを見つけ改造しました。
この「M3 Stuart Pak」は、ドイツ軍の75mm砲(Pak50)を「M3A3」の車体に取り付けたものです。
(ゲームではPak40です)
画像を見ると、砲の周りが装甲板で覆われているのが分かりますが、これはハーフトラック「SdKfz251」のものです。
全部で5輌が改造され、そのうち3輌は終戦まで生き延びました。
1944年12月〜1945年12月まで購入可能
もう一つの「M3 Stuart Flak」の方は、「M3A3スチュアート」の車体に、「2cm Flakvierling 38」(38式4連装2センチ対空砲)が取り付けられています。
こちらは4輌が改造されました。
1945年1月〜1945年12月まで
フランスに登場する日本軍の戦車を紹介しておきます。
フランス領インドシナでは戦後、独立運動が拡大しその勢力への鎮圧のために、日本軍が残していった車輌が使われました。
どれぐらいの車輌があったのかは分かりませんが、八九式中戦車もあったとされています。
ゲームに登場するのは 「九四式軽装甲車」と「九五式軽戦車」です。
これらの車輌は「Capture Tank」(鹵獲戦車)というユニット分類です。
また、フランス軍は九五式軽戦車の装甲を強化したそうですが、 ゲームに登場する九五式は車体前面装甲値が3から2に減っていますw
両方とも1945年9月〜1946年12月
まだ「九五式軽戦車」の紹介をしていませんでした(汗)
「 八九式中戦車」は日本初の国産戦車でしたが、1930年代に実戦で使用されると、「遅い・重い・運用しづらい」 の悪い3拍子が揃った戦車となってしまいました。
たしかに八九式中戦車は最高時速25km/hしか出ませんから、 ソ連軍のBT戦車を目の当たりにして、
「これは使えん!」
となったことでしょう。
そのため1937年の構想では、
九五式軽戦車
九七式中戦車
という組み合わせでまとまりました。
これはドイツ軍でいう3号戦車と4号戦車、イギリス軍でいう巡航戦車と歩兵戦車というバランス を考えたものだそうです。
生産は1936年から始まり1943年までに、2375輌が作られました。
これは日本の戦車の中では最多生産数です。
それと九五式軽戦車は設計から生産までを初の民間会社(三菱重工業)で行われたというのも付け加えておかなければなりません。
九五式軽戦車の「Ha-Go」というのは、日本語で「ハ号」のことで、これは陸軍の秘匿名称のことです。
詳しいことは、 九二式軽装甲車のとこをご参照ください。
さて、九五式軽戦車ですが、砲塔が小さく 「かんざし砲塔」とも言われていて、八九式中戦車の57mm砲よりも小さい九八式37mm対戦車砲が搭載されています。
「37mm砲じゃあな〜」
とお嘆きの貴兄もおられることでしょうが、この時代の戦車はほとんど37mmが標準でした。
問題は装甲です。
厚さが最大で12mmで す・・・
何かの間違いかと思ってしまいますよね。
(これは実は7tという重量制限を考慮して作られているからですが、この重量制限のおかげで九五式は輸 送がしやすかったというのも忘れてはいけません)
そのおかげで装甲はぎりぎりまで薄くなりました。
なんと7.92mm機銃弾でも貫通ぎりぎりだったそうです(汗)
(ゲームではそんなに薄くなってませんのでご安心を)
しかしその反面、機動力、耐久性には大変優れた車輌でした。
最高速度は40km/h
(ゲームでの移動力は16)
マレー戦線で1000kmを走破しても1輌も故障車が出なかったそうです。
「三菱、す、すご い!」
中国戦線、ノモンハンでの戦い、そしてビルマ戦線、フィリピンでの戦い、ニューギニア戦線、マレー作戦、 ぺリリュー島、サイパン、硫黄島、沖縄
「ほぼ全ての戦場」
で、兵士とともに生死を共にしました。
1936 年1月〜1946年12月
ただし1942年9月からは「SABOT」弾を10発積載している。
また1936年1月〜1939年12月に登場する車輌は、前期型と呼ばれるもので、主砲が「九四式37mm砲」です。
九五式軽戦車からの派生車輌には様々なタイプがありますがゲームに登場するのは、
三式軽戦車ケリ(下記に紹介)
四式軽戦車ケヌ(下記に紹介)
特二式内火艇
で す。
タイ国は1940年(あるいは1941年) に日本から九五式軽戦車を40〜50輌購入しました。
そして1940年11月に勃発したタイ国境で起こったフラン ス領インドシ ナ紛争でフランス軍と戦いました。
このときに九五式軽戦車は使用されました。
そして終戦後もタイには数輌の日本戦車が残っており、現在でも一般展示がされています。
画像もタイの九五式軽戦車
タイでは1941年3月〜1946年12月
ただし、タイに登場する九五式軽戦車にも前期型である「九四式37mm 砲」搭載の車輌と後期型である「九八式37mm砲」の車輌が登場します。
中国でも「九五式軽戦車」は購入できます。
実際にどれくらいあったかは不明です。
1941年3月〜1945年月まで
ただし、1943年4月から購入できる車輌はなぜか車体前面装甲が3から2になっています(笑)
「三式軽戦車 ケリ」は、九五式軽戦車の改造型です。
九五式軽戦車の37mm砲を57mm砲に換装した車輌。
1943年に試作車輌が作られたと言われますが、現存する写真が一枚もないため正体は不明です。
九五式軽戦車の砲塔は、 極端に小さいことは九五式のところでも書きましたが、37mm砲でも狭かったにもかかわらず、57mm砲が果たして搭載できたのだろうかという疑問もあります。
しかも試作車輌にもかかわらず、「三式軽戦車ケリ」とまで名前が残っているのも不思議。
しかしゲームでは購入可能なんだよねー
砲は九七式57mm砲を搭載。
1943年3月〜1943年12月
四式計戦車ケヌも九五式軽戦車の改良型です。
上記の三式軽戦車では、どうやっても常人では砲塔内に入れないことが判明。
(作る前から分かるとは思うのだが・・・)
そのため、九五式軽戦車の車体に、九七式中戦車チハの砲塔を搭載することになったのがこの四式軽戦車。
上の画像のようにチハの砲塔が目立っている。
主砲はもちろん57mm砲
砲塔の装甲は2から3にあがっているが、なぜか車体前面の装甲は3から2に薄くなっている。
(なんでだろー)
終戦になったため量産までには至りませんでした。
わずか数輌が作られたといわれます。
1944年1月〜1946年12月
「九八式軽戦車」は前出の九五式軽戦車の後継車輌として 作られました。
エンジンが強化され、装甲はリベット接合から溶接になり、サスペンションは改善され、 装甲が厚くなりといろいろ手の込んだ設計となっています。
また九五式軽戦車の九四式37mm砲から、一〇〇式37mm砲へと代わっています。
一〇〇式37mm砲は、この九八式軽戦車の開発に合わせ作られた砲で、この車輌にしか搭載されていません。
しかしゲームに登場する「九八式軽戦車」の主砲は「九八式37mm砲」となっています。
つまりゲームには「一〇〇式37mm砲」は登場しません。
しかし、「九五式軽戦車」と同じ九八式37mm砲ですが、 一応、こちらの「九八式軽戦車」の砲は「Fire Control」値が1から2とよくなっています。
せっかく 作った新型戦車でしたが現場では九五式軽戦車への信頼が高く、どこかで活躍したという記録もなく、生産も113輌に終わっています。
1942年3月〜1946年12月まで
日本軍の対空戦車の紹介です
はて?日本に対空戦車なんてあったっけ?
とポカーンとされる方も多いでしょう。
あたくしもその一人です。
ここに取り上げる2つの対空戦車は車体に上記の「九八式軽戦車」を使用したものです。
対空戦車タセは九八式軽戦車の砲塔を取り外し、 そこにオープントップの砲塔を取り付けました。
砲は1938年に開発した「九八式 20mm高射砲」(ホキ砲)で、車輌型にこの九八式20mm高射砲を改良し、「二式20mm高射砲」となりました。
(ゲームでは「九八式20mm高射砲」として登場します)
ただしこの車輌、射撃テストの結果、命中率が悪くなるということが判明し、試作車輌の 段階で不採用となりました。
しかしゲームでは購入可能でーい。
1943年 6月 〜1944年12月
こちらも同じく九八式軽戦車の車体を流用した「対空戦車ソキ」
外国では「対空戦車ソキ」ではなく、「対空戦車タセ II」という名称になっています。
そのためかゲームでの名称 も 「Ta-Se II」
この車輌も「九八式20mm砲」(ホキ砲)の改良型である「二式20mm高射砲」だが、 こちらは「双連型」と呼ばれる砲 身が2丁あるもの。
(かなり格好いい)
「タセ」は不採用となったが、引き 続き対空戦車の開発が行われたのを見ると、現場から対空砲装備の車輌の要望が強かったのではないでしょうか。
数少ない画像をみると「タセ」のような砲塔式ではなく、砲の周りを装甲板のみで覆われている。
この装甲版は、ドイ ツ軍 の対空戦車メーベルワーゲンのように開閉式だったように見えます。
1944年3月に完成予定だったが試 作のみに終わったそうです。
1944 年1月〜1945年12月
この車輌も「九八式20mm高射砲」の対空車輌計画によ り作られた車輌です。
1941年から1943年の間に、九八式20mm対空砲を車輌に搭載する計画により、上記の 「タセ」や「ソキ」が試作車輌として作られました。
また車体に戦車ではなく、軍用トラックや牽引車を使った車輌も 作られています。
「Ko-Hi SPAA」は、「九八式牽引自動貨車 コヒ」です。
これは「九八式5t牽引車」とも呼ばれる半装軌車です。
もちろん九八式20mm高射砲を搭載しています。
詳しいことは不明ですが、試作車輌で終わったと思われます。
1943年1月〜1946年12月まで
こちらは「Type 94 SPAA」
この車輌は「九四式六輪自動貨車」と呼ばれる車輌です。
日中戦争やノモンハン、そして太平洋戦争まであらゆる戦場において、日本軍の 主要トラックとして活躍した車輌です。
元々は自動車工業株式会社(現在のいすゞ)が開発した民間車輌でした。
この車輌にも九八式20mm対空砲を搭載させました。
しかしこれも試作車輌のみが作られたようです。
1942 年1月〜1946年12月まで
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