Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 16

Type 2 Ke-To (日本)
Type 5 Ke-Ho  (日本)
SS-Ki Bo Gata (日本)
Penhard 165/175 (フランス) 
AMC P16 Mle29 (フランス) 
Laffly 50 AM / White- Laffly AM / 80 AM (フランス) 
Laffly S20T / 25mm AC / S20 AA / S35T (フランス) 
Laffly V15T / W15 TCC (フランス) 
Cam Blindes  / Dadge Tanake (フランス) 
Dodge T214 WC51 (アメリカ)
Dodge T214 WC53 (フランス) 

Conus Gun (フランス)  
Bren Portee (フランス) 

Type 2 Ke-To (日本)

二式軽戦車ケト

「二式軽戦車ケト」は、前出の九八式軽戦車の改良型で す。

九八式軽戦車は主砲が「一〇〇式37mm砲」(ゲームでは九八式37mm砲)でしたが、二式軽戦車には「一式 37mm砲」が搭載されました。

この「一式37mm砲」は貫通力も優れていて、ゲームではSABOT弾もできる。

一式37mm砲貫通力

ke-to

1941年に試作車輌が完成し1942年に採用、しかし 生産は遅れ、1944年に始まったこともあり、わずか29輌が作られたのみ。

この車輌の特徴は、空挺用戦車として用いられたことです。

空挺部隊である第1挺進戦車隊に配備され、グライダーによる空挺作戦による準備がされました。

しかし大戦末期、日本軍が空挺作戦を行うような戦場はなく、終戦を迎えています。

ゲームでも、普通の「軽戦車」のほか、「「Airbone Light Tank」(空挺用軽戦車)としても登場します。

1944年8月〜1946年12月


Type 5 Ke-Ho (日本)

五式軽戦車

日本の軽戦車シリーズもこれで最後です。

「五式軽戦車ケホ」です。

現存する資料、写真が何も残されていないため、詳細は不明です。

画像は誰が書いたのか知らないが、想像図とありますから、これすらも確かなものではありません。

1942年に開発が始まり、1945年に1輌だけが作られたとあります。

主砲は九八式中戦車改と同じ「1式47mm砲」

もはや軽戦車ではありませんw

九七式中戦車のような車輌になっています。

ゲームでも「Light Tank」ではなく、「CS Infantry Tank」(歩兵支援戦車)として登場。

1942 年9月〜1946年12月

この車輌が1輌が作られたのは1945年ですが、ゲームでは1942年から購入できちゃいます。

1942年でこの車輌を使ってみると、日本でプレイするもも案外面白いですよ。


SS-Ki Bo Gata (日本)

装甲作業機 戊型

この一見、変な生き物にも見える車輌は、名前を「装甲作業機」といいます。

装甲のSと、作業のSで、「SS機」ともいわれますw

しかし正式な名称に関してはよく分かっていません。

元は対ソ連軍との満州での戦闘を想定し、トーチカ破壊用の工兵用の特殊車輌として作られたもので、1931年に試作車輌が完成していますが、 その後、様々な改良型が作られました。

甲(こう)型、乙(おつ)型、丙(へい)型、丁(てい)型、戊(ぼ)型などです。

使用用途は、「トーチカ破壊」「壕の掘削」「火炎放射」「障害物破壊」「地雷除去」「煙幕放射」「散毒」

1944年まで開発は続き、100輌が生産されました。

ゲームに登場するのは「戊型」(ぼがた)で、最も多い77輌が作られました。

戊型は機能が「爆薬投下」「火炎放射器」「架橋」「地雷除去」の4種に絞られました。

装甲作業機 戊型

武器は機銃、火炎放射器が2つ、「Tochca Charge」です。

この「Tochca Charge」というのは、「トーチカ爆薬」で、「KILL値」60、「PEN」値18という恐ろしい爆薬でございまする。

爆薬はHE弾ですが、「PEN」値(対装甲値)が18もあるので、どんな戦車でも爆破できまする。

しかも1934年1月〜1946年12月まで

ほぼいつでも購入が可能なんでやんす。

1934年に車体前面装甲値が5の車輌って・・

Penhard 165 / 175 (フランス)

penhard165

パナール社の装甲車はかなり以前に「Penhard 178/178B」を紹介しました。

「Penhard 178」は1935年に生産されましたが、「Penhard 165」は1926年に作られました。

Penhard 175はPenhard 165の改造型でサスペンションが強化されました。

生産は約60輌。

そのほとんどは当時フランスの植民地であったモロッコやアルジェリアの軍隊に送られ、終戦後の1946年まで生き残りました。

37mm SA17(L21)砲を装備した型は、

1932年1月〜1940年7月まで

13.2mm銃を装備した型は、

1940年7月〜1940年7月まで


AMC P16 Mle29 (フランス)

amc p1

正式には「Schneider AMC P16」と呼ばれるこの車輌は、当初、注文を任されたシトロエン社では生産ができなかったため、シトロエンは車輌のシャーシを提供、 残りはケグレス社とシュナイダー社により作られました。

完成は1924年、生産は1928年から。

見た感じは完全なハーフトラックです。

約100輌が生産されました。

第4騎兵師団に配属され、その後、「SOMUA S-35」戦車の生産により、チュニジアなどで偵察用として使用されました。

1940年のドイツ軍の侵攻までに54輌が稼動していましたが、ほとんどが機械の故障により失われました。

砲塔を装備し、主武器は37mm SA-17(L21)

Cavalry Tankとして、1930年1月〜1937年12月まで

Tanketteとして、1908年1月〜1943年4月まで

Laffly 50 AM / White-Laffly AM / 80 AM (フランス)

Laffly 50

ラフリー社は1849年に創設されたフランスの自動車メーカー。

(1952年に廃業)

ラフリー社は軍用車輌を多く製造しましたが、「Laffly 50 AM」と「Laffly 80 AM」は装甲車輌です。

画像のように4輪、そして砲塔が装備されており、主砲は37mm SA17と機銃。

「White-Laffly AM」は、「Laffly 50 AM」の別名です。

98輌が生産されました。

50 AMは1932年1月〜1940年7月

White-Laffly AMは1930年1月〜1940年7月

Laffly 80

「Laffly 80 AM」は「Laffly 50 AM」の改良型。

こちらはわずか28輌が生産されました。

砲塔の形がこちらの方が角ばっています。

主に北アフリカのチュニジアに配備されました。

主砲は13.2mm機銃と7.5mm機銃。

1934年1月〜1940年7月


Laffly S20T / 25mm AC / S20 AA
S35T  (フランス)

Laffly S20

フランスのラフリー社は第2次大戦中、多くの軍用車輌を生産しましたが、それがこの中型〜大型の六輪トラックです。

S20は3.2トンの中型の軍用トラックで、本来、砲を牽引するために作られましたが、燃料車輌や無線車輌などにも改造されました。

1940年までに630輌が生産されました。

Carry Capacity は118

1935年1月〜1940年6月まで購入可能

25mm AC

こちらは「Laffly S20」を改造しYて作られた「Laffly 25mm AC」

車体に25mm対戦車砲 SA34(L72)を搭載しています。

こちらは約40輌が生産されました。

1939年9月〜1940年6月

S20 AA

こちらは 13.2mm AAMG(対空用機銃)を搭載した「Laffly S20T AA」

こちらは少数が生産されました。

1930年1月〜1943年4月まで購入可能

(Laffly S20シリーズは1934年から生産が始まっているため、上の1930年1月といいうのは明らかに間違い)

Laffly S35T

こちらは5.2トンの大型トラック「Laffly S35T」

大口径の砲を牽引可能

Carry Capacity 132

1935年1月〜1940年6月まで購入可能

Laffly V15T / W15 TCC (フランス)

Laffly V15T

大好評のラフリーシリーズの続きですw

この「Laffly V15T」は小口径の砲を牽引するための4輪車輌。

後に偵察用にも使用されました。 (V15R)

Carry Capacityは106

1935年1月〜1943年4月

Laffly W15 TCC

この車輌は、六輪の車輌「Laffly W15」を改造して作られた対戦車車輌です。

フランスは1939年10月、対戦車砲を搭載した自走砲の必要性に迫られました。

そのため、急きょ作られたのが、「Laffly W15」の車体に47mm対戦車砲 SA37(L53)を搭載させたものでした。

Laffly W15は非装甲トラックであるため、乗員を保護するための装甲板がつけられました。

トラックに対戦車砲を載せただ けの車輌ですが、1940年当時、47mm砲(SA37)は、ドイツ戦車には無敵でした。

わずか数日間の戦いで、20輌以上のドイツ戦車を撃破しています。

70輌が生産されました。

1940年5月〜1940年6月まで購入可能

Cam Blindes / Dadge Tanake (フランス)

cam blindes

「Camion Blindes」はあまり知られていないかもしれません。

この車輌は、フランスの植民地であったレバノンのベイルートで作られました。

レバノンは第2次大戦の始まった頃は、フランスの統治下にありましたが、フランス降伏後、ドイツ軍の占領化になりました。

1941年6月8日、レバノンは独立宣言をし、これにより自由フランス軍とヴィ シーフランス軍(ドイツ側のフランス軍)が戦いました。(シリア・レバノン戦役)

1940年フランスの降伏後、レバノンを統括していた現地フランス軍は米国から購入した商業用トラック「Dodge」を軍用に改造し装甲車輌としました。

この車輌は、約35輌が作られたと言われます。

7.5mm機銃を2つ装備しています。

戦後、1961年まで活躍をしました。

もう一つの車輌、「Dadge Tanake」も同じように「Dadge」トラックを改造したものです。

10輌があったそうです。

「Tanake」というネームが付いていますが、日本人の名前の「Tanaka」ではないことは確かですw


37mm砲(SA35)と7.5mm機銃を装備しています。

どちらも 1940年7月〜1942年12月まで

この「Dadge Tanake」はV8.0で新しく追加されたユニットです。

Dodge T214 WC51 (アメリカ)
Dodge T214 WC53 (フランス)

DODGE WC51

上で紹介した 「Dodge」はアメリカの自動車会社、「ダッジブラザーズ社」のブランド名です。

1914年に創業したこの会社は、第1次大戦で軍用トラックを製造しますが、その後、クライス ラー社に買収されました。

ゲームのアメリカ軍で登場する「T214 WC51」は、ダッジの車輌の中でも最も多く生産され、12万3000輌にものぼりました。

Carry Capacity は108

1942年1月〜1946年12月まで購入可能

Dodge WC53

「Dodge T214 WC53」はフランスで購入可能

Carry Capacity 108

1943年5月〜1946年12月

Conus Gun (フランス)

Conus Gun

「Conus Gun」についての紹介は、この軍人からまず説明しなければなりません。

「Adrien Conus」(1900-1947)

conus

「Conus」はモスクワ生まれのため、コニュスと発音すると思います。

最終階級は大佐。

コニュスは1941年に自由フランス軍に入隊しました。

そして1941年のレバノン・シリア戦役(シリアキャンペーン)に参加し、その後、 1942年5月、あの「ビル・アケムの戦い」に参加します。

「ビル・アケムの戦い」はSPWW2をプレイする方であれば、当然ご存知のことでしょう。

ゲームシナリオ#188は、撤退後の戦闘のようです。

北アフリカのリビア砂漠でわずか3700名たらずの自由フランス軍が、ロンメル率いる45000名のドイツ・イタリア軍の攻撃を16日間、防衛した戦いです。

そして自由フランス軍というのは、ほとんどが当時のフランスの植民地からの志願兵でした。

あまり日本では知名度はありませんが、本国フランスでは「ビル・アケムの戦い」は超有名で、英雄伝となっています。

ビル・アケムの戦いを参照

この戦闘は、砂漠のオアシスの中にある砦を死守するというものでした。

ただし、日本の硫黄島のように全ての兵士が玉砕してしまうというような悲劇ではありません。

16日間、包囲されながらもそこらじゅうに塹壕・たこつぼを掘って粘ります。

やがて食料、水、弾薬が最後の1日分となったところで撤退命令が出ます。

この撤退は奇跡的に行われ、3700名の将兵のうち、約3000名が撤退に成功しました。

しかもこの防御線で自由フランス軍はドイツ軍に甚大な損害を与えました。

後にビル・アケムの戦闘で活躍した 「自由フランス第1旅団」はこのときの功労により、フランスから「レジオンドヌール勲章」を授与されました。

「Conus Gun」というのは、コニュスによって作られた戦闘用車輌で、フォードの車体に75mm砲を 搭載したものですが、この75mm砲には「Conus Gun」というネーミングがされていて、コニュスにより作られたものだと思います。

(どの程度、コニュスがこの砲の製作に携わっているのかは不明です)

この75mm砲はビル・アケムの戦闘では、ドイツ軍の装甲車に対して威力を発揮しました。

またこの車輌はレバノンで作られたものを北アフリカに持ち込んだそうですが、コニュスは北アフリカに来る前は、シリアにいたのでそこで作ったものだと思われます。

ただ残念ながらゲームでは 1942年の北アフリカでの戦いでは購入できません。

購入は1941年3月〜1941年12月

何輌が作られたのかは不明。

Bren Portee (フランス)

Bren Portee

北アフリカで自由フランス軍によって使用された車輌に上の「Conus Gun」ともう1つ「Bren Portte」があります。

当時の自由フランス軍には戦車などはありませんでしたが、機動力のある車輌に武器を装備させた車輌が活躍をしました。

この車輌は、イギリスの「Bren Carrier」(通称:Univeresal Carrier)の車体に、フランスの25mm対戦車砲(SA34 L72)を搭載したものです。

(「Portee」とは、イギリス軍によりトラックに砲を搭載させた車輌のことを言います)

画像の写真は大変貴重で珍しく、この写真 を見つけたときは自分の目を疑ったほどですw

前出のビル・アケムの戦闘では、この25mm対戦車砲搭載のブレンキャリアーが砂漠を駆け巡り活躍したという記述をフランスのサイトでいくつか目にします。

どんな風に戦ったのかは不明ですが、とても興味深いですよね。

1940年10月〜1943年4月


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