Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
> ユニットガイド
Panzerwerfer 42 (ドイツ)
Vielfachwerfer (ドイツ)
4.5" Mk.7 MRL (海兵隊)
Xylophone MRL (アメリカ)
Honeycomb MRL (アメリカ)
RL M17 Whizbang (アメリカ)
FT-17 BS (フランス)
M1917 / M1917A1 (アメリカ)
Fiat 3000 L5/30 / Fiat 3000 L5/21(イタリア・ポーランド)
Fiat 2000 (イタリア)
MS / MS-1/T18 / T-18m (ソ連)
M.28 (ユーゴスラビア)
Type 92 (日本)
ドイツにはロケット砲弾を搭載した車輌が他にもある。
この「パンツァーヴェルファー」もその一つ。
車体部分がSdKfz251に似ているが、トラックの後輪部分を簡易に改造して造られたハーフトラック。
その車体に、15cmロケット弾を上下5発づつの計10発を発射できる装置が取り付けられている。
ゲームに登場する車輌は、10発10発の計20発の砲弾を積載しています。
このような車輌が出来たのは、やはりロケット弾を発射する際の噴煙から位置がばれてしまい攻撃されるということがあったため。
約300輌が生産されました。
1943年4月〜1946年12月まで
この車輌は8cmロケット砲弾を搭載した車輌。
上の15cmロケット砲とこの8cmロケット砲のどちらを生産化するかでヒトラーは15cmロケット砲を許可し、この8cmロケット砲は許可が下りませんでした。
そのためこの車輌の名前「Vielfachwerfer」は「多連装発射器」の意味で、特別に車輌に名前が付いていません。
(ドイツ語なのでこれでも普通にかっこいいと思ってしまいますが)
この8cmロケット砲はソ連のカチューシャのコピーでしたが、15cmロケット砲のパンツァーヴェルファーと性能を比較したら、この8cmロケット砲を搭載したこちらの車輌の方が優れていたそうです。
ヒトラーの許可は下りませんでしたが、武装親衛隊によりこの兵器は独自に生産されています。
(武装親衛隊が兵器を作っていたこと自体知りませんでしたが)
車体にはフランス製のハーフトラックが使われていますが、他の車輌を使ったという記録もあります。
上の写真のものは、12発が上下で24発となっている。
ゲームに登場するのも、12発12発の24発。
武装親衛隊が生産したということで、16輌が生産されたらしいが、 詳しい記録や写真も残っておらず、また、親衛隊に配備されたが国防軍には配備されなかった。
ゲームではそんないざこざは全く関係なく購入可能w
1943年6月〜1944年11月まで
アメリカ軍のロケット砲弾を搭載した車輌です。
大戦中、アメリカには「M8」と「M16」という4.5インチ(114mm)のロケット砲弾がありました。
それらは、専用の発射器で使用されましたが、この発射器を取り付けた車輌がいくつか作られました。
有名なのは、以前紹介した「T34 Caliope」です。
これはシャーマン戦車に、M8ロケット砲弾の発射器を取り付けた車輌。
「Xylophone MRL」と「4.5" Mk.7 MRL」は、通常のトラックの荷台に発射器を取り付けた車輌で、米軍では「Xylophone」海兵隊では「Mk.7」が購入できます。
共に16発の砲弾 を積載しています。
ちなみに「Xylophone」とは「木琴」のこと。
「スターリンのオルガン」をもじってこのような名前が付けられたんでしょう。
「Honeycomb MRL」(ハニカム)は、トラックにM16ロケット砲の発射器を取り付けた車輌。
こちらはハニカムの名前(蜂の巣)のとおり、24発もの砲弾を積載しています。
こちらは米軍でのみ購入可能
購入は全て 1945年1月〜1946年12月まで
この車輌は、M4シャーマンの砲塔に、7.2インチのロケットランチャーの発射器を取り付けたもの。
7.2インチ(180mm)のロケット砲弾は、アメリカ海軍によって対潜水艦用に作られましたが、陸軍でもブンカーやトーチカ攻撃用に使用されました。
M8やM16の4.5インチロケット砲弾よりも小さいく、射程も24へクスと極端に短いですが、破壊力は31と大きくなっています。
このロケット砲は、1944年8月のフランスでの「ドラグーン作戦」で海上からの攻撃で初めて使用されました。
砲弾は写真のとおり、10発10発の計20発。
もちろん、ロケット弾の他に10.5cmの主砲も撃つことが可能です。
この車輌、発射器が砲塔のハッチを塞いでしまったため、乗員からは嫌われたそうですw
1944年8月〜1946年12月まで
今度はフランスのFT戦車を紹介しましょう。
FT-17については「 戦車3」で紹介しましたが、若干、説明不足な感もあったので、もう一度、ここで紹介しておきます。
というのも、このFT-17という戦車は、簡単に素通りできないぐらい当時としては歴史的な戦車だったからです。
なにがそんなに画期的だったのか?
・全周旋回式砲塔を初めて採用した
・ 機関室と戦闘室を分離した車体
すなわち、現在まで採用されている戦車の元となったわけです。
フランスって、ちょっとすごいですね。
この戦車が作られたのが1917年。
そして世界各国に輸出され、第一次大戦〜第二次大戦初期まで、世界の戦場で活躍しました。
主砲には37mm砲(SA17)を搭載しています。
この37mm砲はSABOT(APCR)弾を撃つことができるのがポイント。
しかしこの戦車の弱点は、
・37mm 砲のAPCR弾は有効射程距離が短いこと。
オーマイガー!
敵戦車と4へクス内での交戦でなければ、全く威力がありませんw
・足が遅いこと
軽戦車なのに移動力がたったの6しかありません。
これは道路以外を走らせると、歩兵並みですw
(実際、最高速度が7.7km/だったそうです)
そのため、敵に接近するのにも時間がかかります。
この点を踏まえれば、1939年以前の戦闘ではかなり活躍してくれるはずです。
今回、紹介する「FT-17 BS」戦車は、75mm短身砲を搭載したタイプです。
この車輌は、HE弾のみのタイプと、AP弾も搭載のタイプがあります。
1930年1月〜1943年4月まで
この 「M1917」は、フランス製FT-17をアメリカがライセンス生産したもの。
正式には「6トン戦車 M1917」
この戦車はアメリカで最初の大量生産された戦車です。
アメリカは戦車を保有せずに、第一次大戦に参加しました。
軍は重戦車の必要性を考えましたが、イギリスとフランスの両国の戦車の中から、最も早く供給が可能であった戦車ということで、FT-17が選ばれました、
1918年に生産が始まり、当初4400輌が生産される予定でしたが、950輌が1919年までに生産されました。
しかしM1917は 一度も実戦には参加することはなく、スクラップか、あるいは訓練用に使用されました。
M1917は機銃搭載
M1917A1は37mm砲搭載
購入はM1917が、1930年1月〜1940年12月
M1917A1は、1930年1月〜1939年12月まで
イタリアがFT-17をベースにし開発したのが、 「Fait 3000」戦車です。
(見た目はそのままですが、スピードが7)
1919年に1400輌が発注されましたが、作られたのはわずか100輌。
後の改良型の「L5/30」は50輌。
それでもこの戦車の偉いのは、アメリカの「M1917」戦車のようにスクラップ扱いにされなかったことですw
6.5mm 機銃を2丁搭載したのが、最初のタイプ「L5/21」
しかしこれでは不十分ということで、1930年代には 37mm砲を搭載した「L5/30」に改良されました。
Fiat 3000戦車は、1926年2月にリビアで初めて実戦に参加しています。
「砂漠のライオン」(1981)というイタリアとリビアの戦争を描いた映画にはこの戦車がよく出てきます。
1943年のシシリー島の戦いでは、イタリア軍最後の戦車となりながらも、連合軍と戦いました。
偉い!
「L5/21」は、1930年1月〜1943年7月まで
「L5/30」 は、1930年1月〜1943年8月まで
ポーランドでは[Prototype]として37mm砲装備の 「L5/30」が登場
1930年1月〜1939年9月まで
Fiat3000を紹介したついでに、「Fiat2000」も紹介しておこう。
写真を見たらお分かりだと思うが、こちらはFT- 17とは全く関係ありません。
1917年に作られましたが、重量40トンは第一次大戦で生産された戦車の中で最も重い戦車。
しかもイタリアが開発した最初の戦車。
武器は主砲の65mm砲と6.5mm機銃がなんと7丁!
(ゲームでは3丁までが限界)
すげえぇー
こんなことで驚いたらいけません。
アイコンを見ると、
これ戦車じゃなくて虫!
(アイコンでは一応、機銃は7丁ついてますね)
もうお笑い要素満載な戦車です。
が!
この戦車、試作機を含めてわずか2輌のみの生産で終わりました。
唯一、実戦配備されたリビアでは、移動速度の遅さに2ヶ月で引き揚げられています。
そりゃそうでしょう。
速度が4〜6km/h しか出ないため、敵の動きに全くついていくことが出来ませんでした。
(ゲームでの移動力は4)
この戦車、それ以降、完全お蔵入り状態で倉庫に眠っていましたが、1934年の軍事パレードにお化粧直しされ参加したそうです。
1930年1月〜1939年9月まで
さて話をFT-17に戻しましょう。
ソ連でもFT-17を参考にした戦車が作られました。
それが「T-18」で、別名「MS」戦車とも言われる。
なにはともあれこの戦車、ソ連が初めて設計した戦車です。
(試作として「T-16」というのもある)
1928年〜1932年に960輌が生産されました。
「MS」戦車は、37mm砲搭載
「MS -1/T-18」戦車は、写真のように37mm砲と7.62mm機銃を砲塔に搭載しています。
改良型「T- 18m」は、45mm砲と機銃を搭載しています。
1929年に満州北部で勃発した中ソ紛争では鉄道を守るために、 T-18の実験部隊が戦闘に参加しました。
「T-18」は成功作ではありませんでしたが、ハリコフの戦車工場では この戦車の後、T-19、T-20、T-24が作られ、そしてT-34が作られることになります。
「MS」は 1930年1月〜1935年12月
「MS-1」は1930年1月〜1937年12月
「T -18m」は1938年1月〜1941年12月
1925年代にフランスではFT-17の改良型である 「FT Kegresse」が作られました。
これはFT戦車の欠点であるスピードを改善するためで、ケグレス方式という ハーフトラックに使用するキャタピラを戦車に用いました。
ちなみにハーフトラックのキャタピラは鉄ではなく、ゴム クローラーです。
余談ですが、このケグレスというゴムクローラーを作ったケグレス氏は、あのドイツ軍のゴリアテを 作った人です。
1925年に42輌のみが生産され、アフリカのモロッコの反乱に使用されました。
また、5輌はユーゴスラビア軍が購入し、ユーゴスラビアではこの「FT ケグレス」戦車を「M.28」としました。
FT -17とM.28合わせて56輌が王立ユーゴスラビア軍に配備されました。
武器はフランスの37mm砲 (SA17)
改良型ですが、「M28」は移動力がFT-17と同じ6ですw
1930年1月〜1941年4月まで
(↑写真よりもプラモデルの箱絵の方が絶対いいと思ふ)
「九二式重装甲車」です。
まずは日本の戦車の開発から。
日本が戦車の開発に動いたのは1918年。
イギリスからヴィッカーズMk.IV(菱形戦車)、マークAホイッペ中戦車、 フランスからルノー FT-17を輸入し、研究が始まりました。
その結果、秘匿名称が
イ号・・・ 八九式中戦車
ロ号・・・ 九二式重装甲車
ハ号・・・ 九五式軽戦車
とされ、研究開発が進められました。
この九二式重装甲車は、 1932 年に試作車輌が完成、1933年から生産が始まり、167輌が作られました。
間違いやすいので一応言っておきます が、
重戦車じゃないですから!
重装甲車です。
この九二式重装甲車は、後に機械化により馬を失った騎兵部隊により使用されたのですが、 陸軍における歩兵化と騎兵化との縄張り意識から、呼び方を「戦車」「装甲車」に区別したそうです。
かといって重装甲車なのででかいのかと言うと、豆戦車ですよw
こんなサイズです。
武器は砲塔に6.5mm機銃と車体に13.2mm機銃
装甲はわずか6mmしかなく、ゲームでの装甲値はごらんのとおり
しかし速度は FT-17よりも断然優れていて、時速40km/hは出た。
ゲームでの移動力は13
九二式重装甲車はその後、九四式軽装甲車、九七式軽装甲車の登場で1937年には一線から退くことになり、特に 目立った活躍はしませんでした。
1933年1月〜1946年12月まで
> 戦車・装甲車13