Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 13

FT-17 (ユーゴスラビア・ルーマニア・中国・ベルギー・スペイン・
ポーランド・チェコスロバキア・オランダ・フィンランド・ギリシャ)

Ko-Gata (日本)
Renault Type79 (満州国)

Char NC2 (ギリシャ)
NC -27 (ユーゴスラビア・中国・ポーランド)
M26/27 (ポーランド)
Char NC1(f) (ギリシャ)

Otsu-Gata (日本)
Type87 /  Type89 (満州国)

Type89   Yi-Go / Type89B  Yi-Go / Type89C  Yi-Go(日本)
Type 89 Chi-Ro (中国)
Type 89 Yi-Go (タイ)

Char D1 (フランス)
Char D2 SA34 / SA35  (フランス)
Char 2C (フランス)
Char-B1  /  B1 ter  (フランス)

FT-17
(ユーゴスラビア・ルーマニア・中国・ベルギー
スペイン・ポーランド・チェコスロバキア
オランダ・フィンランド・ギリシャ)

ft-17
ft-17

FT-17と各国の派生型を紹介してきたわけですが、 このFT-17という戦車が世界に与えたインパクトは後の戦車史を知る上でも重要なことです。

なので、めんどくさい度100%でしたが、ゲームに登場する国の中で、FT-17を輸入した国を調べてみました。

(ここであげる国は、 ゲームの中で「FT-17」を購入できる国です)

なお、各国が購入した台数についてですが、資料にばらつきがあることはご了承ください。

ユーゴスラビアは56輌を購入しました。

8輌は1920年に購入、残りは1930年に購入していますが、ポーランド製のFT戦車も何輌か購入しています。

また56輌の中には「M.28」も含まれています。

FT-17 (7.5mm機銃) 

1930年1月〜1941年4月まで

ルーマニアは 1919年に72輌を購入しました。

しかし戦闘には1輌も参加していません。

そのためか数輌は戦後まで生き延びました。

FT-17c (37mm砲) 1930年1月〜1945年4月

FT-17m (7.5mm機銃) 1930年1月〜1945年4月

中国は1924年に14輌、1930年代にポーランドから「FT-17 CWS」を36輌を購入しました。

ただし、 中国軍の数輌のFT-17は後に日本軍に鹵獲されています。

FT-17 MG (6.5機銃) 1930年1月〜1937年11月

FT-17 TG (37mm砲) 1930年1月〜1937年11月

ベルギーは75輌を購入しました。

FT-17H (7.5mm機銃) 1930年1月〜1940年6月

FT-17C (37mm砲) 1930年1月〜1940年 6月

スペインは1921年に12輌を購入しました。

Renault M 17m (7.5mm機銃) 1930年1月〜1939年3月

Renault M 17c (37mm砲) 1934年6月〜1939年3月

ポーランドは 最も多い174輌を購入しました。

またポーランドには自国で改良した「FT-17 CWS」というFT戦車があり、これは中国とスペイン、ユーゴスラビアに輸出されました。(ゲームでは個別には登場しません)

FT -17 (7.5mm機銃) 1930年1月〜1940年6月

FT-18 (37mm砲) 1930年1月 〜1941年10月

チェコスロバキアで は5輌を購入しました。

元々、ルノー戦車はチェコ人によりデザインされたものですが、当時、ルノー戦車は高価だったため、財政難のチェコでは購入できませんでした。

1921〜23年に、なんとか5輌を購入し、その後の10年は チェコが保有する唯一の戦車でした。

しかし1935年以降は、スクラップか訓練用となりました。

FT-17 (7.92mm機銃) 1930年1月〜1936年9月

FT-17C (37mm砲) 1930年1月〜1937年10月

オランダは1 輌のみを購入しました。

ただし部隊には配備されませんでした。

1930年1月〜1940年5月

フィンランドでは34輌を購入しました。

しかし冬戦争の始まる頃には、既に旧式化していたため、砲塔のみがブンカーに使用されたりもしました。

砲塔ブンカー

FT-17 (8mm機銃) 1930年1月〜1939年11月

FT-18 (37mm砲) 1930年1月〜1940年4月

ギリシャでの購入数は不明です。

FT-17 (7.5mm機銃) 1930年1月〜1940年11月

FT-18 (37mm砲) 1933年6月〜1940年11月


 Ko-Gata (日本)
Renault Type79 (満州国)

type79

日本もルノー FT戦車を購入しました。

1919年に10〜15輌を購入しました。

(この数輌には諸説あり詳しくは分かっていません)

そして戦車の開発が行われる中、1925年に福岡でルノー戦車からなる「戦車第1大隊」が始めて創設されました。

日本ではルノーFT-17は、「ルノー甲型戦車」と呼ばれました。

(後述のルノーNC27を「ルノー乙方戦車」)

日本版のルノーFT-17の主砲には、「37mm L21 Type11」(11年式平射歩兵砲)が使用されています。

このルノー甲型戦車は、1931年に起こった満州事変で臨時派遣第1戦車隊に配備され、速度の遅さから歩兵支援の任務を任されました。

1930年1月〜1940年6月まで

満州国では1930年1月〜1940年6月まで

(V8.0で日本軍のユニット名が「Renault Type79」から「Ko-Gata」に変更されました)


Char NC2 (ギリシャ)

nc2

もう少しFT戦車シリーズは続きます。

1917年に作られたFT-17は世界的ベストセラーとなりましたが、FT-17は低速であったため、新たな高速戦車の開発が急がれました。

1925年に足回りを改良した、キャタピラにゴムクローラーを使用した「FT Kegresse」がわずかながら作られました。

→ 「M.28

その後、「NC1」と「NC2」の2つの試作車輌を作りました。

NC2は前出のケグレス方式のキャタピラと64馬力のエンジンを搭載しました。

(ちなみにFT-17のエンジンは39馬力です)

しかしNC2の計画は中止になりました。

ギリシャは「NC2」を1輌のみ保有していました。

ゲームに登場するギリシャのNC2は、「Char NC2」となっていますが、本来は「Renault NC2」と呼ばれています。

武器は7.5mm機銃が2丁

移動力は8に増えています。(FT-17は6)

1937年6月〜1941年1月まで

NC1 とNC2に関しては不明点が多く、調べる限りではこれぐらいが限界です

特にNC1、NC2とM24/25、M26/27、またはM27/28などとの関係性が不明瞭です

引き続き研究していきたいと思います(多分しない)

また前出のM28の記述を改めました


NC-27 (ユーゴスラビア・中国・ポーランド)
M26/27 (ポーランド)
Char NC1(f) (ギリシャ)

nc-27

上の「NC2」の続きで、こちらは「NC1」

FT -17を改良した「NC1」と「NC2」ですが、その後、開発計画が進行したのは、「NC1」の方でした。

まじでややこしいんですが、「NC2」が1925年、「NC1」が1926年に、と2の方が先に車輌は完成しています。

この「NC1」は、それまでのルノー戦車の足回りとは全く違うもので、写真のように3つのスプリングで12個の転輪を固定しています。

NC1

この足回りの開発が、この後、歩兵随伴用軽戦車「Char D1」へと引き継がれていきます。

フランスはこの「NC1」を輸出用としていくつかの国に売りました。

そのため呼び名な国により異なります。

ゲームではユーゴスラビア、ギリシャ、ポーランド、中国、また日本(後述)で購入できます。

呼び名ですが、輸出された車輌は「NC-27」と呼ばれましたが、ギリシャでは「NC2」、ポーランドでは「NC-27」と「M26/27」で登場します。

「M26/27」は、開発当時の名称です。

移動力は8です。

ユーゴスラビアでは、 7.5mm機銃搭載

1937年1月〜1941年4月

中国では6.5mm機銃搭載

1930年1月〜1937年11月

ポーランドでは「NC-27」は 7.92mm機銃搭載で、装甲値が3になっています。

「M26/27」は7.92mm機銃搭載型と37mm砲搭載型の2種類

共に1930年1月〜1939年9月

ギリシャでは7.5mm機銃搭載

1936年6月〜1940年12月


Otsu-Gata (日本)
Renault 87 / 89 (満州国)

nc

日本はルノーNC戦車を1930年にフランスから10〜12輌購入しました。

(正確な数輌は不明)

前出の「Type 79」(FT-17)が、「ルノー甲型」と呼ばれたのに対し、こちらの「ルノーNC」は「ルノー乙型」と名づけられました。

当時、日本は1929年に八九式中戦車の試作車が完成しましたが、初の戦車生産のため生産化が遅れました。

それで急きょ、その間を埋めるためにこの戦車を購入したと言われます。

しかし期待されていたのとは裏腹に、この戦車、故障は多発するわ、トラブルは多いわ、挙句の果てには八九式中戦車よりも性能が劣るということも判明してしまいました。

1931年の満州事変には「臨時派遣第1戦車隊」に配備されました。

このときの戦車は、FT-17(ルノー甲型)とルノー NC(ルノー乙型)しかありませんでした。

1932年の上海事変では、八九式中戦車と共に配備されましたが、やはり故障の連続で戦車兵からは不評でしたw

6.5mm機銃搭載の車輌は

1930年1月〜1942年12月まで

37mm狙撃銃を搭載の車輌は

1932年1月〜1940年6月まで

(v.8.0でユニット名が変更されました。あと購入年月と主砲名も変更されました)

満州国に登場するユニットは修正がされていません。

Renault 87は、1930年1月〜1942年12月

Renault 89は、1932年1月〜1945年12月

Type89   Yi-Go
Type89B  Yi-Go
Type89C  Yi-Go
(日本)

type89
89type

前出の「九二式重装甲車」のところで触れたが、戦車開発 に乗り出した日本は秘匿名称「イ号」「ロ号」「ハ号」という3つのタイプの戦車を設計した。

その「イ号」がこの八九式中戦車である。

外国での表記には「Type 89  Yi-Go」とあり、この「Yi-Go」というのが最初どういう意味なのか分からなかったが、これは「イ号」のことであることが判明 (汗)

この八九式中戦車には、前期型(甲型)と後期型(乙型)がある。

前期型と後期型の大きな違いは、

前期型(甲型)はガソリンエンジン
後期型(乙型)はディーゼルエンジン

である。

生産は1931年から始まり、

前期型は1931〜1934年までに220輌
後期型は1935年〜1939年までに184輌

主砲には90式57mm砲、その他6.5mm機銃が2丁

さて、問題はここからである。

実はゲームに登場する八九式中戦車ですが、3種類が登場します。

[Type 89]       90式57mm砲  前面装甲値2  1930/1〜1942/12
[Type 89 B]  97式57mm砲 前面装甲値3  1930/1〜1942/12
[Type 89 C]  97式57mm砲 前面装甲値3  1943/1〜1946/12

このどれかが前期型と後期型になるわけですが・・

一般的には外国では、

前期型(甲型)は「Type 89A  Yi-Go Ko」
後期型(乙型)は「Type89 B Yi-Go Otsu」

と呼ばれています。

ゲームでは「Type 89 A」という表記はされていませんが、上の違いからみて「Type 89」は前期型とみてよさそうです。

ということは残りの「Type 89B」と「Type 89C」が後期型ということになります。

が!

ここでまたもや問題が・・

八九式中戦車には前期型も後期型も主砲は、90式57mm砲が搭載されており、97式 57mm砲は搭載されたことはありません。

そんなの気にすることないじゃん!

と言いますが、性能は

90式57mm

97式57mm

(上が90式57mm、下が97式57mm)

かなり違います。(数値が1違うだけでも大きい)

そもそも97式57mm砲は 九七式中戦車チハに装備されたものです。

いろいろ海外の資料なども見ましたが、97式57mm砲が搭載されていたという記述は見つかりませんでした。

これはまたまたSPWW2のスタッフのミスなんでしょうか。

(この件は検証報告にも取り上げておきます)

装甲も前期型と後期型で改良されたという話はありませんが、ゲームでは2から3になっています。

さらに「Type 89 C」ですが、これはなんとHEAT弾を積載しています!

5発積載型と10発積載型がありますが、 どこからこんなネタが出てきたんでしょうか。

(これも検証報告にのせておきます)

八九式中戦車は1939年のノモンハンの戦いをはじめ、中国、太平洋戦線のフィリピン、マレー、ビルマなどでも使用されました。


Type 89 Chi-Ro (中国)
Type 89 Yi-Go (タイ)

type89

SPWW2には八九式中戦車が日本以外の中国とタイ国で 登場します。

しかし実際に、中国やタイに輸出されたという記録はありません。

(見当たりません)

なので当初、これは鹵獲した九八式中戦車なのかと思いましたが、いろいろ調べてみると、中国で は九四式軽装甲車、九五式軽戦車、九七式中戦車などは使用したことが分かりました。

ということは・・・

ドサクサにまぎれて八九式中戦車もあったかもしれないと考えられますw

またタイには九五式軽戦車が50輌輸出されたということなので、これも八九式中戦車が使われたという可能性はあるでしょう。

なお中国に登場する「Type 89 Chi-Ro」は、「八九式中戦車 乙型」のことであり、

甲型が「チイ」、乙型が「チロ」という秘匿名称の ことです。

ただし、ここでも上記と同様、分類が不明です。

中国に登場する2種類

「Type 89 Chi-Ro」 九十式57mm砲 1942/4〜1946/12
「Type 89 B Chi-Ro」 九七式57mm砲 1945/1〜1946/12

タイに登場する2種類

「Type 89 Yi-Go」 九十式57mm砲 1933/3〜1937/1
「Type 89 B Yi-Go」 九七式57mm砲 1942/6〜1946/12

主砲が九十式から九七式に変わっているだけです。

これだけでは判断材料にはなりませんが、上記の例で見れば、九十式は前期型(甲型)で、九七式は後期型(乙型)ということになりますが・・


Char D1 (フランス)

CHARD1

NC-27の 続きです。(NC-27は上の方にあります)

1928年にフランスでは軽歩兵戦車の開発が進みます。

「Char D」計画と名づけ、2つの試作車輌が完成し実験が行われました。

その結果、NC-31が採用され生産されることになり「Char D1」とされました。

生産は1935年までで160輌が作られました。

フランスでは初となる主砲に47mm砲(SA34)を搭載し、前面装甲は40mm(ゲームでの装甲値は4)となっています。

ただしスピード(移動力)は、FT-17と変わらない(ゲームでは6)

旧式と化したFT-17に代わる新しい戦車として戦車部隊は期待をしましたが、この戦車、トランスミッションの故障から火災が発生するわ、シャシーが折れてしまうわ、と設計と低コストによる問題が相 次ぎました。

1937年、北アフリカのチュニジアで植民地強化のために配備されましたが、1943年2月のカセ リーヌ峠の戦いを最後にその後残った数十輌も引き揚げられました。

1931年1月〜1943年4月まで購入可能


Char D2 SA34 / SA35  (フランス)

CHARD2

1930年、上記の「Char D1」がまだ生産されていない時期に、ルノーは「Char D2」の計画に同意しました。

何種類かの試作車輌が完 成し1934年から生産が始まりましたが、ルノー社が財政難となり、最初の発注の50輌と、1940年までに50輌の計100輌が生産されました。

Char D2の砲塔は、APX社のB1重戦車の砲塔が使われており、D1に比べると砲塔装甲がかなり厚くなっています。

CHARD2

また主砲は、前期型はD1と同じ47mm(SA34)砲ですが、後期型は47mm(SA35)砲で、こちらは砲身長がL35です。

1940年のドイツ軍のフランス侵攻で は5月24日のアミアン近郊でドイツ軍と初めての戦闘をしましたが、このときは7輌が対戦車銃により行動不能になりました。

その後はドイツ軍にやられるよりも故障による離脱が後を絶ちませんでした。

Char D1 SA34は、1935年12月〜1940年6月まで

Char D2 SA35は、1936年6月〜1943年4月まで


Char 2C (フランス)

2C

フランス戦車はまだまだ続きます。

この「Char 2C」という戦車、第1次大戦の戦車です。

なんといってもでかい!!

大きさから言えば、世界最大ではないでしょうか。

ドイツ軍のマウス重戦車が全長10mなのに対し、このChar 2Cは全長10.27mありますw

どれだけ大きいかは写真を見ればお分かりいただけますが、それでもあまり実感がわきませんよね。

日本では「FCM 2C」とも呼ばれますが、海外では「Char 2C」です。

(Char (シャール)は戦車という言葉なので特に意味はない)

この戦車は、フランスのFCMという造船会社で作られた戦車 ですが、FT-17を作ったルノー氏らが設計に携わりました。

当初、フランスは200輌の生産を命じましたが、ほどなくWW1が終戦。

時代はFT-17のような安価でしかも小型戦車に移り変わっており、巨大戦車を必要としていませんでしたが、それでも1918年までに10輌だけは生産されました。

その後、完成した10輌の「Char 2C」戦車は一応、部隊に配備されました。

とは言っても、これだけでかくて重い(69t)と、当時では動かすためのエンジンに問題がありました。

そのため250馬力のガソリンエンジンを2基搭載しましたが、それでも時速 15km/hしか出ませんでした。

しかもこれだけ巨大でありながら、装甲は最大で45mm、薄い部分は13mmと対戦車銃でも貫通するほどです。

主砲には75mm砲、その他には歩兵による肉弾攻撃を防ぐために機銃が車体の至る所に設置されています。

(実際には4丁、ゲームでは3丁)

10輌の Char 2Cには個別に愛称のような名前が付けられました。

とにかくこの巨大戦車はフランス市民には無敵の象徴でもあったようですw

1940年、ドイツ軍のフランス侵攻の際、「Char 2C」の投入が下され、鉄道で前線に移送中に、ドイツ軍の航空機により線路が破壊されたため、仕方なく自爆処置がなされたそうです。

(そ の後、ドイツ軍は回収して修理していますw)

2c

移動力は6、乗員は11名(!)、搭乗人員は13名 (もっと乗れるでしょ)

1930年1月〜1940年6月まで


Char - B1 /  B1 ter  (フランス)

b1

「Char B1」戦車は、「戦車・装甲車2」で「Char B1bis」を紹介しましたが、今回はその他の「Char B1」戦車を紹介します。

Char B1戦車は、

Char B (プロトタイプ ゲームに登場しません)
Char B1
Char B1bis
Char B1ter

の4種類がありました。

そのうち、最もメインだったのが、以前紹介した「B1 bis」です。

(ちなみにこの「bis」っていうのは、「第2の」とか「改」と同じ意味です)

Char B1は1935年に生産は始まり、B1bisが生産されるまでに少数のみが作られました。

B1 bisは1937年に生産が開始、約400輌が生産されました。

そのため写真はほとんど全てが「B1 bis」しかなく、上の写真も「B1 bis」です。

(そんなに違いがないから写真の区別がつかなかったんですが)

また「Char B1ter」は1937年に試作車輌が完成し、1940年から生産される予定でしたが完成目前にフランスは戦乱に巻き込まれてしまいます。

しかしドイツ軍 占領下の中でも秘匿研究が進められ、この車輌を元に「ARL 44」戦車が終戦直後に完成しました。

(「ter」 は「第3の」という意味)

(ARL 44はゲームには登場しません)

ARL44

(これはSPMBTに登場する「ARL 44」です)

さ て、プロトタイプの「B1」を除いた、3種類の戦車の性能ですが、

B1  主砲47mm砲(SA34)、75mm砲、機銃1、最大装甲40mm(装甲値6)

B1bis 主 砲47mm砲(SA35)、75mm砲、機銃2、最大装甲60mm(装甲値9)

B1ter 主 砲47mm砲(SA35)、75mm砲、機銃2、最大装甲70mm(装甲値10)

また、B1terはエンジンが 300馬力のエンジンなので移動力が10です。

(B1は9、B1bisは8)

購入は、

B1は、1935年12月〜1940年6月

B1terは、1937年12月〜1940年6月

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