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R-35 bis (フランス)
R-40 (フランス)(ポーランド)
AMR 33 / AMR 35 / AMR 35/13mm (フランス)
AMR 35 ZT2 / AMR 35 ZT3 (フランス)
AMC34YR / 35 (フランス)
ACG-1 (ベルギー)
T.13 B1/B2 / B3 (ベルギー)
Carro H-35i / H-39i / R-35i / S-35i (イタリア)
Renault R-35 / R-35/45 (ルーマニア)
R-35 / H-39/SA18 (ポーランド)
FR AMR-35 / FR AMR-35 ZT / FR Somua S-35 (ポーランド)
FR Char-B1 / FR Char-D2 / H-35 (ポーランド)
R-35 / PzKw 35R-731(f) (ユーゴスラビア)
H-39 / Somua S-35 (ユーゴスラビア)
フランスの軽戦車「R-35」も以前、「戦車・装甲車3」で紹介しました。
今回、紹介するのは「R-35 bis」ですが、もう少し「R-35」の説明を補足した方がいいかと思い、ここで取り上げました。
なんせこの戦車は、第2次大戦のフランスの主力戦車であっただけでなく、第1次大戦後の主力戦車であった「FT-17」の後継車でもありました。
前々回に紹介した「ルノーD1」や「ルノーD2」は、その後継車輌と期待されましたが、重戦車で高価であったことから大量生産には至りませんでした。
そこで白羽の矢が当たったのが、この「ルノーR35」と「ホチキスH35」です。
この2つの車輌をテストした結果、 「ルノーR35」が正式採用されました。
(ホチキスH35は、採用されませんでしたが、1000輌以上も生産されてます・・・)
1935年のこの時点で、フランスが求めたのは機動力と装甲、それに乗員2名乗りというもので、 対戦車能力を求めなかったことがまさかの落とし穴になるとは想像つかないのは無理もありません。
1935年に生産が始まり、1940年までに1500輌が生産されたと言われます。
装甲は砲塔前面が最大の45mm(装甲値6)とドイツ軍の37mm砲でも600mの射程に入れなければ貫通できませんでしたが、その代わり、 主砲の37mm砲(SA18)は旧式化しており威力不足でした。
そのため改良型であり、後期型と呼ばれる「R-35 bis」は、主砲に37mm砲(SA38)を搭載しています。
ゲームでは「37mm SA35」で登場します。
どちらも37mm砲で、砲身の長さもそんなに変わりませんが、こちらの方が数倍ましです。
上が37mmSA18、下が37mmSA35です。
SA18 がどれだけ絶望的かよく分かりますね(涙)
37mmSA18を装備した「R35」はドイツ軍の前では無力でした。
37mmSA38を装備した「ルノーR35bis」は少数のみが、互角に戦えましたが、なんせごくわずかしかなかったそうです。
その証拠に購入は、1940年7月のみ!!
「R40」は「ルノーR35」の後期型である 「R35bis」を改造した車輌です。
「R35」の足回りは超壕性能が低かったため、この走行性能改善のために AMX社が開発した走行装置を取り入れました。
上の写真を見ると、装甲スカーフで覆われているので分かりにくいですが、12個の転輪を2個づつに連結し、それを垂直サスペンションで支えています。
ただ改造はしたものの、性能的にはあまり差がなかったようです。
ゲームに登場する「R40」は、データ上では「R35bis」と同じです。
主砲には37mm(SA35)と機銃1
生産は1940年から始まったために、140輌程度だったとされています。
完成した車体は、すぐにフランス軍の戦車大隊に配備されました。
1940年4月〜1940年6月まで
また、ポーランドはドイツ軍とソ連軍の侵攻を受けたため、一部の軍隊はハンガリーに撤退、その後、フランスでマチェク大佐率いる第10ポーランド騎兵旅団が結成され、この部隊にもR-40は配備されました。
ポーランドでは1940年5月〜1940年6月
「ルノーAMR」豆戦車(軽戦車)は、1930年代初めにフランス軍の騎兵隊により発注され、ルノー社が開発しました。
「AMR」は偵察用装甲車輌の略です。
騎兵部隊の機械化に伴い作られた車輌であったので、何よりも速く走ることができることが求められました。
そのスピードは時速50km/hを出すことができ、しかも不整地をも走破できたため、乗員からは非常に好評でした。
「AMR33」は、1935年までに123輌生産されました。
武器は機銃1のみです。
移動力は18
豆戦車なので乗員は2名
AMR33はサスペンションの弱さが欠点であったため、1935年に「AMR35」が開発されました。
しかし、ルノー社の財政状況の悪化により生産が遅れ、1936年から生産が始まり、1939年までに187輌が生産されました。
こちらはサスペンションの強化と、いくつかのバリエーションでは火力を増強しています。
画像上の「AMR35」は7.5mm機銃のみ装備で移動力が20。
87輌が生産。
「AMR35/13mm」 は、「AMR35」の改良型で「AMR35 ZT1」とも呼ばれます。
砲塔に13.2mmの重機関銃を装備。
80輌が生産。
「AMR35 ZT2」は砲塔が「APX」社の砲塔に変わりました。
25mm SA35と機銃を装備。
1940年までにわずか10輌のみ生産。
こちらが「AMR 35 ZT3」
砲塔がない自走砲戦車です。
主砲は「25mm SA34」と機銃を装備。
1939年2月までに10輌が生産されました。
購入は
AMR33は1934年6月〜1940年6月
AMR35は1935年9月〜1943年7月
AMR35/13mmは1938年12月〜1943年7月
AMR35 ZT2は1939年9月〜1940年6月
AMR 35 ZT3は1939年9月〜1940年6月
この車輌もフランス侵攻後、当然のごとくドイツ軍に鹵獲されましたが、 ゲームではドイツ軍の車輌としては登場しません。
「AMC34」は上記の「AMR33」戦車の発展型です。
騎兵用として開発された「AMR33」豆戦車は、優れた機動性はあるものの、その機動性を生かすために装甲を薄くし、そして武器も機銃のみでした。
そのため騎兵部隊では「AMR33」の装甲と武器を強化した車輌をルノー社に注文しました。
当初、「YR」型と呼ばれたこの車輌は装甲が20mmと増加し、主砲には砲塔に短砲身の47mm砲(SA34)を装備しました。
生産は1934年に12輌が作られただけです。
また翌年の1935年、「AMC34」の改良型である「ACG1」(AMC35)を開発しました。
(上の写真は AMC35です)
この「ACG1」(AMC35)は「AMC34」の改造型というより、新設計の戦車で車体も少し大きく、砲塔も新型で、主砲には47mmですがSA35になりました。
(ゲームでは同じ47mm砲のSA34で登場します)
このACG1(AMC35)は、ベルギー陸軍が購入することになっていました。
しかし主力戦車の生産に圧され生産が思うように進まず、1940年までに50輌あまりが生産されたにすぎませんでした。
ゲー ムでは「AMC34」と「AMC35」は、車体後部の装甲とサイズ(AMC35が3)だけで、性能的には同じです。
「AMR34 YR」は1935年4月〜1940年6月まで
「AMR35」は1936年1月〜1940年6月まで
ベルギー軍はフランスに25輌の「ACG-1」 (AMC35)を発注しました。
しかしフランスではACG-1の生産が遅れ、受け取ったのは12輌だけでした。
(この12輌という数字は正確な数字ではありません)
このベルギー陸軍の車輌は砲塔が異なり、ベルギー国内で生産されたものを使用しています。
主砲には47mm砲、 そして機銃は13.2mm重機関銃を装備しています。
(ただしゲームに登場する47mm砲はフランスのSA35)
ベルギーには「T-15」軽戦車、「ルノーFT」軽戦車、 「T.13」自走砲、そして「ACG-1」戦車など、約200輌の戦車がありましたが、そのうち装甲・火力とドイツ軍と互角に戦えたのはこの「ACG-1」だけでした。
8輌のACG-1戦車は、1940年5月のドイツ軍と戦闘し、4輌が37mm対戦車砲で撃破されました。
1938年1月〜1940年6月まで
ベルギー戦車の「T.13」も紹介しておきましょう。
この車輌はイギリスのヴィッカース製の装軌式砲牽引車「軽ドラゴン」の車体を利用した自走砲です。
本来は75mm砲を牽引するために購入したのだが、なんと車輌が余ってしまった。
そこでこの車輌に47mm砲対戦車砲を搭載することになった。
「T.13」は、「B1」「B2」「B3」と改造されていきます。
「T.13 B1」と「B2」は合わせて50輌。
上の図を見ても分かるが、砲が後向きになっている。
いくらなんでも後ろ向きで射撃はないんじゃないの?と思って調べてみたら、どうやら後向きが標準で、砲を発砲するときは砲を旋回させて撃つらしい。
主砲はベルギー製の47mm対戦車砲
(ゲームではフランスの47mm(SA37))
1934年1月〜1940年6月まで
こちらが「T.13 B3」
B1、 B2と違い、こちらは砲牽引車「軽ドラゴン」のMk.2を使用している。
主砲には47mm砲、そして機銃が1丁。
生産はドイツ軍との戦い直前まで行われ、150輌が作られました。
この図だけを見ると、ちょっとまともな戦車に見えますが、装甲は最大で13mmしかなく(装甲値は1)、 しかもオープントップの自走砲なので非常に弱いです。
1939年1月〜1940年6月
ドイツ軍は鹵獲したフランスの戦車を自国以外の枢軸国にも供給しています。
イタリアに登場する「Carro H-35i」「Carro H-39i」「Carro R-35i」「Carro S-35i」もその車輌です。
R- 35iは1941年に124輌を受け取りました。
この車輌は1943年のシシリー島での連合軍との戦いで使用されました。
イタリア降伏後は再びドイツ軍に移されています。
S-35iは 1941年に32輌をドイツ軍から受け取りました。
この車輌もシシリー島での戦いに使われ、イタリア降伏後はドイツ軍に戻されています。
また「H-35i」と「H-39i」、 すなわちオキチス戦車についてはイタリア軍に供給された数字やイタリア軍が使用したという資料がありません。
購入は
「H-35i」 「H-39i」「Carro R-35i」は1942年1月〜1943年8月
「S-35i」は1942年1月 〜1943年9月
ルーマニアではフランスの「R-35」を1939年、 41輌購入しました。
その後、ドイツ軍とソ連軍のポーランド侵攻によりポーランドから逃亡に成功した34輌のR- 35を押収することになり、計75輌となりましたw
この75輌のR-35は、1941年からのソ連軍との戦いに投入されました。
1943年に残った車輌全てが主砲をソ連製の45mm砲へと換装されました。
これが「R-35/45」です。
その後もソ連軍との戦いに使用されましたが、終戦まで生き抜いた車輌もありました。
R-35は1938年1月 〜1944年7月
R-35/45は1944年1月〜1945年5月
ポーランドでは戦前にフランスから100輌の「R- 35」を購入しましたが、そのうちの50輌だけがポーランドに到着し、残りはポーランドの敗戦により受け取ることができませんでした。
ポーランドの「R-35」は一応、45輌が第21軽戦車大隊に配備されたものの、ドイツ軍のポーランド侵攻のときは、 まだポーランド南東部のルーマニア国境付近で準備中でした。
9月17日、ドイツ軍に続きソ連軍がポーランドに侵入してきたため、この部隊は、ルーマニアへの撤退を余儀なくされます。
そうして34輌の車輌はルーマニアへたどり着きました。
(上のルーマニアの「R-35」のところでも書きました)
ポーランドは戦前、3輌のオチキスH-39を購入していました。
そのオチキスH-39の3輌と、そして第12装甲大隊に配備されていた4輌のR-35のうち、使用可能な状態の2輌の計5輌の戦車を率いて、「R-35戦車独立中 隊」を作りました。
この「R-35戦車独立中隊」は、9月17〜20日にソ連赤軍と戦い、22日にはドイツ軍と戦いました。
赤軍との戦闘で2輌、ドイツ軍との戦闘で1輌がやられ、残りの2輌はその後の移動の際に故障をしてやむなく放棄しています。
そして部隊も戦車を全て失ったことで解散しました。
ゲームには「R-35」はフランスからの「Lend -Lease Tank」として登場します。
そして「R-35」だけの部隊を購入できます。
またオチキスH-39は「Prottype」車輌として登場しますが、これは実際に3輌のみしかなかったためだと捉えてもよさそうです。
R- 35は1939年7月〜1939年9月まで
H-39/SA18 も1939年7月〜1939年9月まで
ポーランドに登場するフランス戦車はまだあります。
ただし、これらの戦車は事実上、ポーランドが敗戦してから登場する車輌です。
どういうことかというと、ポーランドは国内をドイツ軍とソ連軍に侵攻され消滅しました。
そのため国内にいた政府幹部と軍隊は国外であるルーマニアとフラ ンス(ハンガリー経由)へと逃亡しました。
35000人の兵士がフランスへ逃亡し、フランスに移民していた 45000人のポーランド人が加わり、8万人の亡命ポーランド軍がフランスで誕生しました。
この部隊は「自由ポーランド軍」と呼ばれ、フランス戦線やノルウェーで戦いました。
ゲームに登場するポーランド敗戦後の車輌は、 「FR」(フランス)の文字が入っています。
これはフランスから供給されて使った車輌という意味でしょう。
そのためか、これらの車輌は全てポーランド敗戦からフランス降伏までの期間しか登場しません。
全ての車輌は1939年11月〜1940年6月まで
これらの車輌はアップデートで修正が入り、全て削除されました。
次はユーゴスラビアです。
ユーゴスラビアでは1940年4月に、54輌の「R-35」をフランスから購入し、第1戦車大隊に配備されました。
1941年4月のドイツ軍によるバルカン侵攻で、これらの戦車部隊もドイツ軍の第11戦車師団と戦いました。
そして全ての車輌は破壊されています。
その後、ドイ ツはユーゴスラビアを占領し、ユーゴスラビアの領土は解体され、枢軸国の領土となっていきます。
そしてナチスドイツの傀儡政権である「セルビア救国政府」が1941年4月30日に発足。
以降、ユーゴスラビアは共産主義パルチザンによりドイツ軍に抵抗していきます。
ゲームでも傀儡政権下でドイツ軍から供給された、「R-35」(ドイツ名称「PzKw 35R-731(f))が登場しますが、実際に何輌ほどがあったのかは不明です。
R-35は、 1940年1月〜1941年4月まで(対ドイツ)
PzKw 35R-731(f))は、1941年7月〜1944年12月まで(対パルチザン)
ユーゴスラビアに登場するフランス戦車は、他にも「H- 39」と「S-35」があります。
これらの車輌は、ユニットが[Capture Tank](鹵獲戦車)となっているのが特徴です。
でも、どういうことかちょっと分かりにくいですよね。
これらの車輌の登場年代を見てみると、1941年4月以降になっています。
すなわち、ユーゴスラビアがドイツ軍に占領された後に登場するということです。
ということは、ドイツ軍から分捕った車輌ということになります。
画像もその一枚で、パルチザンがドイツ軍から鹵獲した「S-35」です。
S- 35はパルチザンによりドイツ軍から2輌を鹵獲したそうです。
H-39もパルチザンにより鹵獲されましたが、何輌 があったのかは不明で、傀儡政権衰退後の1944年7月に作られた第1戦車大隊はフランス戦車だったということから数輌はあったことと思われます。
H- 39は1941年9月〜1945年12月
S-35は1942年1月〜1944年12月
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