Steel Panters World War 2 JAPANESE HQ
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GGFF (イタリア:青年ファシスト部隊)
Royal Marines (RM) (イギリス王立海兵隊)
Commando (Cdo) (イギリス:コマンド部隊)
Obrona Naradowa (ポーランド:国民義勇兵)
ZOB / ZZW Partisan (ポーランド)
NSZ Partisan (ポーランド)
Cavalry (満州国:興安軍)
German Squad (中国:国民革命軍ドイツ訓練師団)
Cossacks (ソ連:赤コサック兵)
Ost Kavallerie (ドイツ:白コサック兵)
Legionnaire (フランス:フランス外人部隊)
Dragoons (オランダ/ノルウェー/チェコスロバキア:竜騎兵)
Dragons (フランス:軽騎兵部隊)
Chasseurs (フランス:猟兵部隊)
GGFFは、「Giovani Fascisti」と呼ばれる「青年ファシスト」部隊。
約19000人の志願兵が募り、そして2つの大隊に組織されました。
1941年11月にリビアに派遣され、第136歩兵師団となりました。
北 アフリカでのイギリス軍のクルセーダー作戦において、この部隊の活躍は多くの犠牲者を出しながらもイギリス第7機甲師団と戦い丘を守りました。
その後も、エルアラメインでの戦いでも勇敢に戦っています。
そして1943年5月、ドイツ軍は北アフリカで降伏しますが最後の部隊となるまで戦い壊滅しました。
経験値が+10
イタリアでのみ、1941年7月〜1943年8月まで購入可能
エンサイクロペディアにはこの部隊名でのユニットはないが、購入時のみ「GGFF」の部隊として登場する。
「Royal Marines」(RM)はイギリス王立海兵隊。
その歴史は古く、17世紀に編成され、7年戦争、ナポレオン戦争、クリミア戦争、第1次、第2次大戦、フォークランド紛争、湾岸戦争、ボスニア紛争、コソボ戦争、シエラレオネ南北戦争、イラク戦争、アフガン戦争など 常にイギリス軍と共に行動してきました。
1942年8月19日、フランスへの奇襲上陸作戦、「ディエップの戦い」 (Dieppe Raid)にイギリス海兵隊も参加しましたが、この作戦は始まる前からドイツ側に作戦内容が漏れていて俗にいうドイツ軍の逆奇襲作戦とも言われ、ドイツ軍は連合軍にばれないようにして完全なる防御態勢を整えていました。
この戦闘で、連合軍6000人 の兵士のうち、生還できたのは2000人と言われています。
その1ヶ月後、トブルクでの「Operation Agreement」で、ドイツ・イタリア軍と戦いますが、ここでも敗北し部隊のほとんどを失いました。
そのため、1942〜43年にかけて再編成され、以下の戦闘に参加しています。
第1コマンド旅団(第45海兵隊コマンド 部隊)は、シシリー、ノルマンディー、ラインでの戦いに参加。
第2コマンド旅団(第40、43海兵隊コマンド部隊)は、イタリアでのアヴァランチ作戦のサレルノ上陸、アンツィオ、コマッキオの戦いに参加。
第3コマンド旅団(第42、44海兵隊コマンド部隊)は、シシリーとビルマ
第4コマンド旅団(第41、46、47、48海兵隊コマンド部隊)は、ノルマンディー、アントワープでの戦闘に参加。
いつもイギリス軍の部隊について調べると、イギリス軍の部隊に関して日本語 で分かる情報はあまりにも少なく、もう少し何とかならないかと思います。
経験値は+10
士気値は+15
これだけみても、SASやグルカ兵、コマンド部隊と変わらない高い数値です。
購入は[RM Commnando]か[RM Commando Trp]の2種類でしか購入できません。
[RM Commando]は、1個中隊規模(6個小隊)まるごと購入なので値段が超高額!
[RM Commando Trp]の「Trp」は「Troop」(部隊)なので、歩兵1小隊よりも多い部隊の編成となっています。
1942 年2月〜1946年12月までの購入
コマンドーとか、コマンドスとかとも言われる。
前述の「イギリス海兵隊」も独自のコマンド部隊であるが、イギリスは1940年6月にチャーチル首相の命令で、コマンド部隊が編成されました。
コマンド部隊は陸軍からの志願者や 外国からの義勇兵によって編成されました。
特殊部隊として特別な訓練を受けた者たちで、サバイバル訓練まで受けています。
また緑色のベレー帽を被っていることでも知られています。
コマンド部隊は襲撃任務が主で、それも一晩でケリをつけるという作戦が多かったそうです。
1940年〜1944年にかけて、北西ヨーロッパで57回の襲撃作戦を行いました。
そのうち、フランスが36回、ノルウェーが12回、チャンネル諸島が7回、ベルギー・オランダが1回となっています。
しかし、全てが成功したわけではなく、逆に作戦中に戦死者や捕虜を出すことが増えたため、1944年以降は襲撃作戦は中止となりました。
第2次大戦でコマンドスから8名 のヴィクトリア十字章受賞者が出ています。
この「ヴィクトリア十字章」は 軍人に与えられる最高の戦功章。
この章は授章基準が厳しいことで有名!
功を立てても生きて生還したらもらえないとまで言われました。
(現在は違いますが)
コマンドスは経験値が+11、士気値が+13
1941年1月〜1946年12月まで購入可能
「Obrona Naradowa」は、英語で言えば「National Defense」、つまり日本語で民兵(涙)
民兵といっても、 志願兵だけでなく予備兵なども含まれ、1936年に正式にポーランド軍をサポートする部隊となった。
ドイツ軍との戦いには5万名の兵士が存在した。
1930年1月〜1939年10月まで
士気値・経験値共に-10
「ZOB Partisan」は「Zydowska Organizacja Bojowa」の略で、「ユダヤ人戦闘組織」のこと。
こうやって読むだけで、実に歴史の勉強までできてしまうというユニットガイドである。
この「ユダヤ人戦闘組織」とは 何ぞやというと、ワルシャワ市内に住むユダヤ人、俗に言う「ワルシャワ・ゲットー」というやつ。
(ワルシャワ・ ゲットーとはユダヤ人隔離地域のこと)
このワルシャワ・ゲットーにおいて、ドイツ軍による収容所移送に対して抵抗 しようと1942年に結成された組織。
もう一つの「ZZW」というのは、同じように結成された「ユダヤ人軍事同盟」
1943年4月、ワルシャワ・ゲットー蜂起の際、約750名の「ZOB」「ZZW」の兵士は果敢にドイツ軍に向かって戦った。
しかしドイツ軍は、ワルシャワ・ゲットーを焦土作戦により完全に破壊し、5月8日、組織は壊滅した。
そしてワルシャワ・ゲットーに住んでいた5万5000人のユダヤ人全てが収容所に移送されました。
1945年1月、ソ連軍が到着したときにワルシャワ市内で見つからずに生き残っていたユダヤ人は200人だったそうです。
1942年7月〜1943年5月まで
士気値が+10
なお、エンサイクロペディアに は「ZZW」はなく、購入画面で「ZZW/ZOB Partisan」として登場します。
こちらの「NSZ」 は「Narodowe Sily Zbrojne」の略、英語で「National Armed Forces」、日本語ではやはり民兵w
だけど民兵というより地下組織(人数も多かった)
先の「Obrona Naradowa」も民兵であったが、侵略するドイツ軍相手の民兵であり、こちらの「NSZ」は、侵略された後のドイツ軍とソ連軍に対する兵士です。
1939 年11月〜1945年12月まで
経験値・士気値ともに-10
満州軍に登 場する騎兵部隊を紹介しましょう。
1932年4月(ゲームでは満州軍は3月から登場)に満州国軍が成立し、関東軍 はモンゴル人の義勇兵である内蒙古自治軍を満州国軍に編入させます。
そして興安(こうあん)警備軍として編成しました。
この興安警備軍は、主に騎兵部隊が主力でした。
主力というか、 ほぼ騎兵部隊しかありません。
昔からモンゴリアンの騎兵は強いことで有名ですよね。
この興安軍はノモンハン(ハルキンゴル)の戦いで、日本軍と共にソ連軍と戦いました。
しかし7月、ソ連軍の大反撃 が 始まると、戦力の半分に当たる3000名近い死傷者、また逃亡兵も続出し、残った兵がわずか300名となったところで日本軍と交替し 後方へ移送されました。
その後、終戦間際になり再びソ連軍の侵攻に対し戦闘命令を受けましたが、部隊で叛乱が相次ぎ、解散しソ連軍に投降しました。
経験値・士気値は+5
たったの+5か!と思ってしまいますが、これでも満州軍の中では最高の補正値です。
武器はライフル銃と手榴弾のみ
ただし騎兵隊が装備する「Type44 Carbine」銃は「四四式騎銃」と呼ばれる銃
この銃は、馬上での利便性を考えて作られており、 全長も短くまた軽量になっている。そして白兵戦ように銃剣が取り付けられる。
ゲームでは一般の「三八式歩兵銃」 (ライフル銃)に比べ、射程が短い。
(三八式は10へクスだが、この四四式は8)
1932 年3月〜1945年8月まで
(写真の人物は元横綱ではない)
以前、中国の歩兵ユニット「KMT」のところで少しだけ 紹介しましたが、今回、個別に取り上げることにしました。
このユニットは、特別にエンサイクロペディアには登場し ませんが、購入画面で「German」という部隊名称で購入できます。
写真のようにドイツ式ヘルメットをかぶり、ドイツ製の武器を装備した軍隊です。
蒋介石は国民革命軍の改革を行おうと、それまでのソ連よりからドイツへと方向 を転換しました。
そして1930年、ドイツから軍事顧問を呼び、中国革命軍「80個師団計画」を立てました。
これは80個師団をドイツ式精鋭部隊に作りかえるというものです。
しかし国内における軍閥勢力の反対もあり、この計画は達成しませんでした。
ですが、1937年に勃発した盧溝橋事件までに、6個師団がドイツ式訓練師団としてありました。
この部隊はその後の日中戦争では活躍したと言われています。
1936 年7月〜1942年2月まで購入可能
このユニットは「Rangers」としての区分となっているため士気値・経験 値が+7と高い。
(でもドイツ式のヘルメットって、東洋人には似合わないんですね〜)
コサック兵を紹介します。
ゲームに登場するコサック兵は騎兵とは異なります。
騎兵はユニット区分が「Cavarly」ですが、コサック兵は「Lancers」です。
この「Lancers」は 「槍騎兵」と呼ばれるもので、中世に鎧をまとい長い槍を手にし馬に乗って戦った兵士です。
さすがにSPWW2で は、そのような槍は武器に登場しませんが、「Cavarly」との違いは、武器の装備にあります。
普通の 「Cavarly」はライフル銃と手榴弾ですが、この「Lancers」は一般歩兵と同じ武器を装備しています。
しかも移動力は騎兵と同じ12。
経験値と士気値は騎兵が経験値+5+、士気値+5ですが、コサック兵は経験値のみ が +15となっています。
これは精鋭部隊の証しでしょう。
コサック兵は 「クバーニ・コサック」と言います。
コサックは、本来、ウクライナやロシアの荒野で生活をする人たちの集団でした。
天性の馬乗りであり、ロシア帝国時代にはコサック騎馬兵としてロシア軍に仕える親衛隊でした。
1918 年にはクバーニ人民共和国が樹立されコサックの国が誕生しましたが、国内で白クバーニと赤クバーニとに分裂してしまい、共産主義政権の赤クバーニが勝利 を収めた1920年に滅亡しました。
と、簡単に書きましたが、クバーニ・コサックの悲劇はここから始まります。
国を失ったクバーニ・コサックですが、レーニン-スターリン政権は彼らを半革命分子とみなしコサック根絶計画を推し進め、440万人のコサックのうち 308万人が死刑・流刑にされたと言われます。
このときに一部の裕福なコサックは欧米へ逃亡、また弾圧を逃れた者たち はドイツ軍に加わりました。(白コサック軍)
なので、ソ連には本来のコサック兵はいません。
1936年、ソ連は赤軍の将兵、秘密警察の将兵、現地の農民などを集め、赤クバーニ・コサック軍を編成しました。
これがソ連のコサック兵です。
ゲームでは1930年〜1946年、つまりいつでも購入は可能ですが、
1930年1月〜1942年12月までのコサック兵はライフル銃と手榴弾のみ
1942年1月〜1946年12月のコサック兵は重装備となっています。
ソ連でのコサック弾圧から逃れたコサックたちは、ドイツ 軍の味方となりました。
ドイツ軍になったコサック兵を、白クバーニ・コサックと呼ばれます。
有名なところでは、SS第1、SS第2コサック騎兵師団があります。
しかしドイツ降伏後、 ソ連の捕虜となったコサックたちをスターリンは決して許さず、家族も皆処刑されました。
白コサック兵はゲームでは 「Ost Kavalleire」として登場します。
「Ost Kavallerie」」は「東方の騎馬部隊}ということになりますが、このユニットはユニット区分が「Lancers」になっているので、間違いなく「Cossacks」です。
普通のOst部隊は経験値・士気値が低いですが、この部隊だけはコサック兵と同じ経験値+15です。
1942年7月〜1946年12月まで購入可能
フランスに登場する「Legionnaire」は「フランス外人部隊」
1831年に創立というから、その歴史はナポレオン時代にまで遡る。
それも大したことだが、フランスって国はずっと前から戦争ばかりしている国なんです。
そのためか人口が減ってしまい、徴兵制では間に合わなくなったため、外国人による志願兵部隊が誕生したというのがきっかけの一つ。
世界 100ヶ国から志願兵を募り、第1次大戦ではドイツ軍相手に奮戦したという。
1930年から1939年には日本人も60名が参加している。
ゲームでは1930年から1946年までフランスで購入できるが、フランスが降伏後、この部隊にいた多くの外国人兵士はドイツ軍に配属されました。
ノルウェーでのナルビクの戦い、北アフリカでのエルア ラメインの戦いやビル・アケムの戦い、ドラグーン作戦、インドシナでの戦い(日本でいう明号作戦)などに参加していますが、ビル・アケムの戦いを以外は目 立った役割ではありませんでした。
また、有名な話ですが、戦後、生き場を失ったドイツのSS親衛隊の兵士たちは、自分たちが活躍できる戦場を求め、このフランス外人部隊に傭兵として加わり、第1次インドシナ戦争(1946−1954)で活躍したと言われます。
士気値・経験値共に+8
1930年1月〜1946年12月までいつでも購入可能
もちろん現代でもフランス外人部隊は募集しています。
そこのあなた!
ゲームばかりやっていないでフランス外人部隊にでも行ってこい!
竜騎兵はフランス、ナポレオン1世の頃の騎兵隊の部隊名です。
当時のフランス軍には、重騎兵・竜騎兵・軽騎兵の3種類がありました。
重騎兵は鎧を身にまとい重装備で敵歩兵めがけて突進していく騎兵です。
軽騎兵は鎧はつけずサーベルなどを装備し、偵察が主な役割です。
竜騎兵はその重騎兵と軽騎兵の中間で、鎧はつけていないが、小銃は持っているという騎兵です。
小説やゲームに出てくるイメージとはちょっと違うかもしれません。
ゲームではいくつかの国に「Dragoons」という名前で登場するユニットがあります。
登場する国は、オランダ、ノルウェー、チェコ、スロバキアです。
こ れらの国に「Dragoons」という部隊が実際に存在したかどうかは不明です。
オランダに登場する部隊は、「Lancers」(槍歩兵:重装備の騎兵)
ノルウェーに登場する部隊は、「Cavalry」(騎兵)
チェコ(スロバキア)に登場する部隊は、「Cavalry」(騎兵)
となっており、「Dragoons」というユニットが特別なユニットという訳ではありません。
オランダの竜騎兵は1930年1月〜1942年12月
ノルウェーの竜騎兵は1930年1月〜1940年6月
チェコの竜騎兵は1930年〜1939年3月
スロバキアの竜騎兵は1939年4月〜1943年10月
「Dragons」つながりで、フランス軍の主力部隊で ある「Dragons」も紹介しておきましょう。
第2次大戦で「機械化歩兵」という言葉をよく目にします。
それは戦場の主役は「戦車」になり、戦車を中心とした電撃戦(機動戦)が行われるようになったために、歩兵はその戦車に遅れをとらずについて行くためです。
というのも、戦場での戦車は歩兵の支援が絶対であるからです。
この歩兵を初めて機械化(自動車化)させたのはドイツです。
(ただし、ドイツ軍は全ての歩兵を機械化させることは不可能でした。その点、アメリカ軍はすごいです)
フランス軍は1939年の冬に歩兵の機械化が始まりました。
(遅すぎるが・・)
それが「DLC」 (Division L?g?re de Cavalerie )、英語では「Light Cavalry Division」、日本語では「軽機甲師団」とか「軽機械化師団」とか呼ばれます。
この機械化師団は、重戦車編成の戦車師団とは違い、中戦車(ソミュアS35)と軽戦車(ホチキスH39)で編成されていて、1個戦車旅団と1個自動車化歩兵 師団からなっていました。
フランスには5つの「DLC」がありました。
その「DLC」には「Dagons」連隊、「Chasseurs」連隊と呼ばれる部隊がいます。
「Dragons」(竜騎兵連隊)は、ご存知のように伝統のある部隊で、元は騎兵部隊でした。
「Chasseurs」連隊は、フランス版「猟兵」です。
猟兵はドイツ軍の「J?ger」が始まりですが、フランスはそれに対抗し 1740年、「chasseurs ? pied」(シャスール)を創設しました。
この「DLC」の編成ですが、
1re DLC
2nd Cavalry Brigade
19th Dragoon Regiment
1st Chasseur Regiment
11th Light Mechanised Brigade
5th (mot) Dragoon Regiment
1st Reconnaissance Regiment
1st Divisional Anti-Tank Squadron
Support:
75th All-terrain artillery Regiment
Divisional Anti-Tank Battery (47mm)
Battery, 409th Anti-Aircraft Battery (25mm).
これは第1機械化師団の編成です。
ゲームでは購入画面でのみ、「Dragons」部隊と「Chasseur」部隊を購入できます。
この部隊には特別な経験値・士気値がありません。
この両部隊は、1930年1月〜1940年7月まではフランスで購入可能
1940年7月〜1943年4月はヴィシーフランス で購入可能です。
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