Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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Churchill III (イギリス)(カナダ)
Churchill IV (イギリス)(ANZAC)(ソ連)
Churchill Na 75 (イギリス)
Churchill V (イギリス)
Churchill VI (イギリス)
Churchill VII (イギリス)(ANZAC)
Churchill VIII (イギリス)(ANZAC)
Churchill Oke (イギリス)(カナダ)
Churchill Crocodile (イギリス)(カナダ)(ANZAC)
Churchill SPG (イギリス)
Black Prince (イギリス)
Matilda Frog (ANZAC)
「チャーチル III」は主砲に待望の6ポンド(57mm)砲が搭載されました。
車体にあった砲は機銃になっています。
この型から、履帯の上部分が装甲で覆われるタイプとなりました。
675輌が生産されました。
イギリスでは1942年5月〜1943年11月
カナダでは1942年5月〜1943年3月
「Churchill IV」は事実上、最も生産されたタイプです。
1622輌が生産されました。
砲塔が溶接式から鋳造式に変わっただけで、後は「III」と同じ。
鋳造式とは型に鉄の溶かしたものを流し込み作るもので、砲塔をよく見ると溶接した後がないので、のっぺりした感じになってるのが分かる。
イギリスでは1943年1月〜1944年10月
ANZACでは1945年2月〜1946年12月
またソ連軍もレンドリースで使用しました。
レンドリースでソ連軍に送られたチャーチル戦車は「III」と「IV」だけです。
(「III」はゲームにはソ連軍には登場しません)
1942年7月に最初のチャーチルが到着し、1942年に83輌、1943年に179輌が配備されました。
スターリングラード、キエフの解放、クルスク、そして1944年のフィンランドとの戦いに使用されました。
ソ連では1942年7月〜1944年9月
「Churchill Na 75」は、砲塔にシャーマン戦車の75mm砲を改造し装備したもの。
地雷により足回りをやられたシャーマン戦車の砲を取り付けたもので、北アフリカ(North Afurika)で現地改造が行われたため「75 Na」と名付けられました。
120輌が生産されました。
1944年7月、イタリア戦線にも投入されました。
イギリスで1943年8月〜1945年5月
「チャーチル V」は砲塔に95mm榴弾砲を搭載した車輌です。
ドイツ軍の「sIG33」(150mm 自走重歩兵砲)のように、コンクリート構造物のトーチカなどを攻撃するための歩兵支援車輌です。
241輌が生産されました。
榴弾砲のためHE弾しか撃てませんが、HEAT弾も12発積載しています。
1943年1月〜1944年10月
「Churchill VI」は強力な「75mm Mk.V1砲」を搭載しています。
特徴は砲塔前面部分に装甲板のようなものがついていることです。
200輌が生産されました。
イギリス軍では1943年11月〜1944年12月まで
タミヤ模型から出ているチャーチル歩兵戦車のプラモデルがこの「VII」
これまではマイナーモデルチェンジだったが、この「VII」型からは全体を再設計されています。
なので後期型とも言われる。
まずは装甲が全体的に厚くなりました。
車体前面装甲が95mm、砲塔前面装甲は152mmとなり、車体も大きくなり、砲塔も新しくなりました。
主砲には「75mm砲 Mk.V」
しかしあまりにも重くなりすぎたため、速度は20km/hしかでず、「Heavy Churchill」と呼ばれました。
生産は約1600輌。
イギリス軍では1944年2月〜1946年10月
ANZAC軍では1945年2月〜1946年12月
「Churchill VIII」は主砲に95mm榴弾砲を搭載した歩兵支援用戦車。
同じ95mm榴弾砲を持つ「Churchill V」と見比べてみましょう。
まるで間違い探しのようで、どこが違うのかよく分かりませんw
少数のみ生産されました。
イギリスでは1944年2月〜1946年12月
1944年半ば、チャーチルの熱帯森林地方での試験が行われ、チャーチルは非常に優秀な性能であることが実証されました。
オーストラリア陸軍で46輌のチャーチルを購入しましたが、太平洋戦線では使用されませんでした。
ANZAC軍では1945年2月〜1946年12月
(ゲームに登場するANZAC軍のチャーチルは全て購入年代は同じです)
チャーチル戦車は装甲こそ厚かったものの、火砲ではドイツ軍戦車と互角には戦うことができず、1944年のノルマンディー上陸の頃には、様々な特殊車輌に改造されました。
「Churchill Oke」は、「Churchill III」にロンソン火炎放射器を搭載させた車輌。
ロンソン(Ronson)火炎放射器はイギリス製の火炎放射器で、大戦中、米国の車輌にも取り付けられました。
車体後部にドラム缶のような燃料タンクがあり、また車体後部上面に、洗濯物でも干すような竿のようなものがあるのが特徴。
(上の画像で判断してください)
1942年、「J.M.Oke 少佐」により考案されました。
1942年に、3輌のみが作られ、「Boar」「Beetle」「Bull」と名付けられました
その3輌はカナダ軍と共に、あのディエップの上陸作戦に投入されました。
しかしこの3輌は全てが上陸時にドイツ軍にやられるか、自沈しています。
ゲームに登場する車輌は、
主砲に2ポンド砲、そして第4火器に火炎放射器を装備しています。
イギリス軍とカナダ軍では1942年8月〜1943年12月
チャーチル戦車と聞くと、おそらくこの戦車を思い浮かべる人の方が多いのではないでしょうか。
「チャーチル・クロコダイル」火炎放射戦車です。
この車輌は、「チャーチルVII」の車体を改造して作られました。
車体に牽引されているのは燃料トレーラーにはガソリン1800リットルを積んでいます。
砲塔の75mm砲は飾りというわけではなく、きちんと撃つことが可能。
火炎放射は、車体前方にある機銃を取り除き、そこに発射器を取り付けました。
火炎放射の射程は約110mほどあったそうで、これは工兵が持つ火炎放射器よりはるかに距離が長く、ドイツ歩兵に恐怖を与えるだけでなく、ドイツ軍のトーチカ、ブンカー、要塞などの攻撃に非常に有効でした。
ノルマンディー上陸以降の戦いに、イギリス第79機甲師団で使用されました。
西部戦線で最も激しい戦いだったとされる「ブレストの戦い」(1944年8月7日〜9月19日)では、イギリス第79機甲師団のチャーチルクロコダイルがアメリカ軍と共に、ドイツ軍の要塞を3日かけて攻め落とした活躍をしました。
また、朝鮮戦争にも投入され、防衛戦で活躍を見せました。
イギリスでは1944年1月〜1946年12月
カナダでは1944年1月〜1946年12月
ANZACでは1945年2月〜1946年12月
ゲームでは火炎放射器は32回撃てますw
チャーチル戦車の2ポンド砲の火力不足から緊急措置として、イギリス軍はさらに大口径の威力のある車輌を生産する必要がありました。
1941年9月、それまでイギリス海軍艦艇や、潜水艦に搭載されていた旧式の「QF 3インチ20cwt高射砲」をチャーチル戦車 Iに取り付けました。
この3インチ砲というのは、口径が76.2mmで、大戦初期、イギリスではまだ現役で本土防衛の役割を果たしていました。
1942年に24輌(あるいは50輌)の試作車輌が作られましたが、実戦には投入されていません。
使用しなくなった車輌は、スネーク地雷除去車輌として改造されました。
ゲームでも[Prototype]として登場してきます。
1942年3月〜1944年6月
イギリス軍の戦車が装備していた2(40mm)ポンド砲や6ポンド(57mm)砲ではドイツ軍のティーガーやパンテルには対抗できないため、イギリスでは17ポンド(76.2mm)砲を搭載した戦車の開発を急ぎました。
その結果、クロムウェル巡航戦車→チャレンジャー巡航戦車、コメット巡航戦車
そして、チャーチル歩兵戦車→ブラックプリンス歩兵戦車
という流れになりました。
新しい戦車を開発するよりも従来の車輌を改造した方が早かったという訳です。
チャーチル歩兵戦車の車幅を拡大させ砲塔に17ポンド砲を載せてみると、あまりにも重量すぎてしまい、速度がわずか17km/hしかでなくなってしまいました。
(チャーチル歩兵戦車も25km/hしかでなかったがさらに遅い)
そのせいか、開発が1943年に始まったにもかかわらず、試作車輌が完成したのは1945年で、大戦も末期になってからです。
6輌が完成しましたが、ドイツの降伏により、生産はされませんでした。
そしてこの車輌で、歩兵戦車というのも最後になりました。
(以後はセンチュリオン汎用戦車の時代になります)
ゲームではスピードが7ですw
1945年4月〜1946年12月
なお、「ブラックプリンス」(黒太子)という名前は、イギリスのエドワード黒太子のことで、世界史が得意な皆さまなら既にご存知のことでありましょう。
エドワード3世の長男であった、このエドワード黒太子は、参加した戦には百選百勝、捕虜にしたフランスの国王ジャン2世に臣従の礼を持って遇したということで、中世騎士道を代表する人物の一人と言われました。
オーストラリア軍はイギリスから購入した409輌のマチルダのうち、何輌かを改造し火炎放射戦車にしました。
そして1945年の「ボルネオの戦い」に投入されました。
この車輌は砲塔の主砲を火炎放射器にしたものなので、火炎放射攻撃がメインです。
1943年1月〜1946年12月
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