Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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砲・ 武器・特殊兵器 10

Type 24 HMG / Colt HMG /   (中国)
Madsen LMG   (ノルウェー)(中国)
Vickers HMG  (イギリス)
4.5inch  Gun M1  (アメリカ)
155mm  M1 Howitzer  (アメリカ)
155mm M2    (アメリカ)
8inch  M1  Howitzer  (アメリカ)
8inch Gun M1  (アメリカ)
240mm M1 Howitzer (アメリカ)



Type 24 HMG / Colt HMG /   (中国)


中国軍には連合軍も枢軸軍も関係なく様々な兵器が登場しますので、一気に紹介しておきます。

「Type 24 HMG」は「二四式重機関銃」と呼ばれているもの。

これはドイツの「MG08」重機関銃を中国でライセンス生産したものです。

ドイツは中国に対して、中独合作により多くの軍事援助をしており、この「MG08」も無償で設計図を提供しました。

中国はこの機関銃を改良し、1935年に完成させました。

「Colt HMG」は、アメリカの「M1917重機関銃」です。

中国ではレンドリースにより、アメリカからこの機関銃を2160挺を手に入れたそうです。

「Type 24 HMG 」は、1930年1月〜1942年12月

「Colt HMG」は、1930年1月〜1937年12月


Madsen LMG  (ノルウェー)(中国)

デンマークで開発された「マドセン軽機関銃」

あまり知られていませんが、この銃が世界で初の軽機関銃となりました。

1896年に作られ、1902年にデンマーク軍により採用され、その後、世界の多くの国々で長い間使われました。

口径は6.5mmから7.92mmまで様々あり、特徴の弾倉も、25発入り、30発入り、40発入りなどあります。


(デンマーク軍のマドセン)

第二次大戦ではドイツ軍でも、ノルウェー侵攻時に鹵獲し使用しています。

ゲームではノルウェー軍に登場します。

1930年1月〜1945年12月まで

中国では、「FM03」という名前で登場します。


中国は、清の時代の1908年ごろに、この銃を購入し自国の工場で生産を試みますが、うまくいきませんでした。

中国統一後に国民党はデンマークから、この銃を3300挺購入し、ライセンス生産をすることになりましたが、1930年に入ると、日本軍との戦闘でその機会も失われました。

中国軍はイタリアから購入した豆戦車「CV-35」に、このマドセン機関銃を搭載させています。

1930年1月〜1937年12月まで


Vickers HMG  (イギリス)


あまりにも有名なイギリスの「ヴィッカーズ重機関銃」

マキシム機関銃を開発したマキシムは、アメリカ生まれですが、アメリカでは成功できず、イギリスに移住をし、マキシム機関銃を開発しました。

このときマキシムが設立した会社を融資したのがヴィッカーズで、後にこの会社の会長になり、その名を後世に残しました。

マキシム機関銃が最初に作られたのが1884年、その後、1896年にヴィッカーズ社によりマキシム機関銃を改良したヴィッカーズ重機関銃は開発されました。

イギリス軍が正式採用したのは1912年、第一次大戦では威力を発揮しました。


ゲームでもイギリス以外でも多くの国に登場します。

そしていつでも購入可能です。




4.5inch  Gun M1  (アメリカ)


アメリカ軍が開発した「4.5in カノン砲(野砲)」

(4.5インチは、120mmです)

この砲は第一次大戦で使われた「4.7inch M1906」砲の代わりとして、新しく設計され、1942年から生産が始まり、1944年までに416門が作られました。

同時期に作られた155mm M1砲と比べると、射程こそ長かったですが、口径の割に砲弾の威力においては105mm榴弾砲とあまり差がありませんでした。

射程距離は最大で19.3km。

そして運用のコストもかかるため、戦争終結と共に一線を退いています。

1943年1月〜1945年9月まで購入可能


155mm M1  How  (アメリカ)


アメリカ軍には3種類の155mm砲がありました。

まず最も古い砲の155mm M1918榴弾砲

これは以前紹介しましたが、フランスで1920年代に生産された砲です。

アメリカ軍はこの砲が時代遅れになったことから、新しい155mm砲の開発を進めました。

それがこの155mm M1榴弾砲です。

この155mm M1 砲は、1962年に「M114  155mm砲」と再命名されています。

ゲームでは「155mm M1 How」で登場します。

1941年から1953年まで生産が行われ、約10,300門が生産されました。

射程距離は最大で14.6km。

また大戦後、朝鮮戦争でも活躍し、ベトナム戦争でも使用されました。

日本の自衛隊でも使用されていました。

1941年7月〜1946年12月まで


155mm M2    (アメリカ)


もう一つの155mm砲が、この「155mm カノン砲」

「M1 155mm」「M2 155mm」と言われていましたが、後に「M59」となりました。

この砲は通称「 ロングトム」と呼ばれました。

(あだ名がついているぐらいなので活躍した兵器です)

アメリカが設計した初めての重砲であり、重さ14トン、7トントラックで牽引されました。

最大射程23.7km、通常射程が14.7kmと長く、45kgの砲弾を一時間に40発発射することができました。

そのためドイツ軍の88mm高射砲陣地への攻撃に威力を発揮したと言われます。

戦場では対歩兵への殺傷能力も高く、アメリカ陸軍だけでなく海兵隊でも使用されました。

1938年に正式に採用され、1943年の北アフリカで初めて実戦に投入されました。

また太平洋戦線の沖縄でも使用されました。


(沖縄の慶伊瀬島に設置されたロングトム砲兵陣地)

日本の自衛隊も以前は使っていましたが、現在は展示されています。


1944年1月〜1946年12月まで


8inch  M1  Howitzer  (アメリカ)


アメリカが開発した「203mm 榴弾砲」

当時は「8inch M1 Howitzer」だったが、その後、「M115 203mm Howitzer」に再命名されました。

アメリカ軍が長距離砲として設計した2つの砲の一つです。

(もう一つは上記の「155mm ロングトム」)

1940年に生産が始まり、500門が生産されました。

こちらは口径203mm、重量15トンで、155mm砲と同じ砲架なので、一見間違えてしまいやすいです。

砲弾の重さは200ポンドで、最大射程は23km、その威力はすさまじく、軽装甲車も吹き飛ばしました。

大戦後の朝鮮戦争で活躍し、ベトナム戦争でも使用されています。

自衛隊でも米軍からの供給品を使用していました。

1940年8月〜1946年12月





8inch Gun M1  (アメリカ)


この砲も上の砲と同じ8インチで、しかも「M1」とあるので正直、どれがどれだか分かりづらいです。

上記の砲は榴弾砲だが、こちらはカノン砲です。

榴弾砲とカノン砲の違いって、そもそも何なの?

とお嘆きの貴兄も少なくはないはず。

そういう私もよく知りません。

知りたい方はこちらを

カノン砲の特徴は射程距離ですが、1944年に正式に採用されたこの重砲は、第二次大戦中のアメリカ軍の砲の中で、最大の射程距離を持っていました。

最大射程距離は32km。

しかし命中精度の悪さと砲身の寿命が短く、生産は少なく、終戦までに139門にとどまりました。

その後、自走砲にする計画もありましたが、うまくいかず現役を退きました。

1944年4月のイタリアキャンペーンでのアンツィオの戦いで初めて実戦に投入され、ドイツ軍の170mm砲に対してカウンター砲撃を行いました。

1944年1月〜1946年12月まで


240mm M1 Howitzer (アメリカ)


240mm榴弾砲は、兵士たちからは「ブラックドラゴン」(Black Dragon)と呼ばれていました。

この兵器は大戦中のアメリカ軍の兵器の中で最も強力な兵器でした。

本来はコンクリートなどでできた頑丈な要塞をターゲットにするものでしたが、大戦中はこの砲が威力を発揮できる目標物がなかったと言われています。

1940年、アメリカ軍はそれまで使用していたフランスの「240mm M1918 Howitzer」に代わる新しい砲の開発にかかりました。

1943年に正式採用され、1944年から45年まで生産が行われ、315門が作られました。

最大射程は23.1km。

ゲームでの[KILL]値は39。
(KILL値は歩兵殺傷能力です)

1944年のイタリアキャンペーンのアンツィオの戦いで実戦に投入され、ドイツ軍の砲兵陣地に対してカウンター砲撃を行いました。

またこの攻撃により、ドイツ軍は「クルップK5」(28cm列車砲K5)と呼ばれた列車砲を使用することを断念したと言われています。


(ドイツ軍の列車砲クルップK5)

太平洋戦線でも使用されています。

1944年8月〜1946年12月まで



兵器11