Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
No.68 AT擲弾 (イギリス)(ANZAC)
HAWKINS Mine (イギリス)(ANZAC)
MP28 (ドイツ)
SIG M1920 SMG (日本)
MP18-1 (ノルウェー)(フィンランド)
PM 1934 (ベルギー)
MP28/ll (フィンランド)
Lanchester SMG (イギリス)
Type 100 SMG (日本)
MP34 (ö) (ドイツ)
MP 35/1 ・MP 34/1 (ドイツ)
MP38/40 (ドイツ)
イギリスが開発した装填手榴弾。
手榴弾ではなく、画像のようにライフル銃の先に装填して発射するもの。
1940年から生産されており、1945年まで使われたとあるが、どれくらい生産されたかは不明。
対戦車用の武器として使用するものであり、実際に52mmの装甲を貫通できたと言われている。
ただし目標に命中したときの角度で威力が決まるため、約90度の角度で命中するのが望ましかった。
ゲームではイギリス軍、オーストラリア軍の歩兵ユニットの第3火器に搭載されているが、「Rifle Grenade」としか表記されていないので分かりづらい。
「Rifle Grenade」にAP弾があれば、それがこの武器になる。
この武器はPIATに先駆けたHEAT弾であるとの見方もあり、ゲームでもHEAT弾を持っている。
射程は3。
酒が入った水筒ではない。
これはイギリスの対戦車用武器で、「ホーキンス手榴弾」または「No.75戦車手榴弾」
見た目もそのままなのでこれを開発とは呼べないが、映画「ダンケルク」でもお分かりのように、イギリスは命からがら逃げてきており、砲や武器がほぼない状態だった。
そのため急きょ、作られたのがこの武器。
手榴弾として作られたが、地雷としても使え、またTNTを使用しているため、爆破装置としても使われた。
イギリスやオーストラリアの歩兵ユニットの第4火器に「HAWKINS MINE」と表記されている。
サブマシンガン(短機関銃)を紹介します。
ドイツ軍が1917年に開発したMP18の改良型。
MP18はドイツのテオドール・ベルグマン社で作られましたが、第一次大戦の塹壕戦でその性能を発揮、25000丁が製造されました。
(MP18は今では入手困難な貴重品です)
その後、へーネル社でヒューゴ・シュマイザーによりMP28が開発されましたが、1930年代、ドイツは武器の生産ができなかったので、他国でライセンス生産をさせました。
M28は武装親衛隊の制式サブマシンガンとなりましたが、性能はよかったものの製造コストが高くMP38/40が開発されたことで切り替わっていきました。
大戦中、MP28はドイツ国防軍には採用されませんでしたが、治安維持部隊や国民突撃隊には配備されて使用されました。
1940年まで製造されています。
9mm弾、7.65mm、7.63mm弾が使用可能。
初期の降下猟兵か秩序警察(Ordungs polizei)、あるいは対戦車銃ユニットの第2火器として搭載されています。
第一次大戦後、ドイツは武器の製造と輸出を禁止されたため、ベルグマン社はスイスのSIG社にMP18のライセンスを譲渡し、SIG社で1920年から「SIG M1920」として生産が始まりました。
そしてSIG社は、この銃を他国に輸出させました。
日本には1931年頃に海軍が使用し始めました。
「Type Be 」(べ式機関短銃)と呼ばれ、べ式の「べ」は、ベルグマンの「べ」だそうです。
これは日本では初めての短機関銃でした。
画像のように銃身の先の下部に着剣装置があるのが日本式だそうです。
海軍では約6000挺を輸入しました。
日本軍仕様は7.63mm弾です。
ゲームでも「SNLF」(海軍陸戦隊)のユニットが携帯しています。
フィンランドとノルウェーでは、M1920をコピーし生産しています。
フィンランドは約1500挺を購入しましたが、生産はわずかに終わっています。
こちらは7.65mm。
こちらは「M18−1」となっています。
中国では大都市で大量生産され、日清戦争でも使用されました。
(ゲームには中国では登場しません)
ベルギーでは、1934年にMP28をライセンス生産をしました。
このベルギーでのライセンス生産によりドイツ軍でも使用可能となりました。
「PM 1934」(Mitraillette Pieper 1934)として、歩兵や植民地歩兵が第3火器で携帯しています。
フィンランドでは、M28をベルギーから171挺を購入し、冬戦争でも使用されました。
こちらはイギリスの「ランチェスター短機関銃」
イギリスには短機関銃がありませんでしたが、ダンケルク撤退後、武器の需要が拡大したため急きょ、ドイツのMP28をコピーして生産することにしました。
ランチェスター氏がMP28を改良して設計、1941年から1945年まで95000挺が生産されました。
ほとんどが海軍部隊に使用されましたが、一部はコマンドスでも使用されています。
ゲームではコマンドス(コマンド部隊)と、RM(イギリス海軍)部隊の一部に第1火器として登場します。
日本軍が開発にほとんど力を入れなかった兵器の一つがサブマシンガン(短機関銃)です。
購入したMP18やMP28を参考にし研究が進められましたが、1920年から1934年まではほぼ研究は停滞したままでした。
1935年にようやく試作が完成し1939年から生産されました。
「一〇〇式機関短銃」
短機関銃を持ったり装備した日本兵の画像ってあまり見ないですよね。
そもそも陸軍に配備される予定だったこの銃は、前線にさえ到着しませんでした。
戦争終盤になり使用されたという記録はありますが、日本陸軍が戦った戦場には塹壕戦や市街戦がなく不向きだだったのでしょうか。
前期型と後期型のタイプがありましたが、前期型は1000挺、後期型は9000挺が作られました。
この後期型を製造したのが、名古屋造兵廠鳥居松製造所です。
この工場では主に九九式小銃を作っていましたが、8月14日、模擬原爆パンプキン爆弾という「かぼちゃ爆弾」を落とされています。
現在、愛知県春日井市にある「王子製紙」に工場はありました。
日本陸軍では主に空挺部隊用として使用されたそうですが、ゲームでも空挺部隊の第1火器として登場します。
オーストリアのシュタイラーゾロトゥルン社(Steyr-Solothurn)で作られた短機関銃。
表記の(ö)は、絵文字ではないですww
これはオーストリア(Österreich) のことっすw
ゲームにはMP34(o)として表記されています。
というのも、MP34という短機関銃は二つがあり、もう一つは次に紹介します。
MP34 (o) は、MP18を改良し作られ最高の素材を使用し性能が優れていたため、短機関銃のロールスロイスとまで呼ばれましたが、その分コストも非常に高かったと言われています。
1929年から1940年まで生産され、オーストリア警察で使用されていましたが、1938年にドイツはオーストリアを併合した後、SS親衛隊に配備されました。
ゲームでこの武器を装備しているユニットは重装備(sw)の歩兵ユニットの一部のみです。
こちらはMP18を作ったベルクマン氏の息子のベルクマンによって作られたMP35。
1932年にデンマークのシュルツ&ラーセン社でドイツからの外注として生産されましたが、これは2000挺程度でした。
その後ワルサー社に生産工場が変わり、MP35/1 としてドイツ国内で生産されるようになり、1944年まで40000挺が作られました。
MP34/1、MP35/1、MP35などと言われるのは、若干のバリエーションの違いですが、一般的にはMP35と言われています。
ほとんどは武装親衛隊により使用されました。
ゲームでもSS部隊の一部が携帯しています。
↑ボードゲームの箱絵にもなった有名な写真ですねー
MP38およびMP40については説明する必要はないでしょう。
1938年から1944年の間に104万挺が生産されました。
大戦当初は小隊長や分隊長にのみ配備されていたのですが、東部戦線での市街戦などでは威力を発揮したため、生産が大幅に増加されました。
そしてライフル銃と短機関銃という形から、アサルトライフルへと変わっていきました。
ゲームではドイツ以外でも登場しますが、今回は省略します。(めんどくさい)
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