Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
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Renault Type 79
Renault 87 / Renault 89
Carden-Loyd
Type 92
Type 94 TK
Type 97A Te-Ke
Type 95 Ha-Go
満州国の戦車を見ていきます。
満州国は1932年3月1日に創設されましたが、日本は1931年の満州事変のときに臨時派遣第一戦車隊を満州へ送りました。
このとき戦車隊を率いたのが百武俊吉大尉という人でこの人は、日本の戦車隊の創成期に戦車部隊を作り上げた人です。
満州へ送られた臨時派遣第一戦車隊というのは、福岡の久留米の第一戦車隊と千葉の歩兵学校教導戦車隊からなっており、当時日本にはこの2つしか戦車隊はありませんでした。
そしてありったけの戦車をかき集めて満州へ送っています。
このとき国産戦車が間に合わず、ルノー甲型とルノー乙型(NC27)を送ったと記録にあります。
↑の写真も満州のルノーFT-17の貴重な写真です。
その後のルノー甲型やルノー乙型は八九式中戦車と代わりました。
また満州国には関東軍の後方部隊として満州国軍が創設され、陸軍・海軍・飛行隊(空軍)が組織されました。
満州にいた中国の軍閥である奉天軍(奉天派)は大富豪で、個人でFT-17を所有していた人が何人もいたそうで、それらの兵器は満州国軍にが譲り受けています。
実際に何輌のFT-17があったのかは分かりませんが、意外と満州国軍にはFT-17が揃っていたのではないかと推測します。
満州国のルノーFT17は、「七九式」と表示がありますが、これは海外では「Type 79 Ko-Gata」という表記がされることからそうなっていると思います。
「タイプ79」は、皇紀2579年の79のことです。
性能および武器は日本の「ルノー甲型」と同じです。
購入は1930年からとなっていますが、満州国が登場するのが1932年3月なので、1932年3月からの購入となります。
満州国ではルノーFT17の他にルノーNC27も登場します。
表記が「ルノー87」「ルノー89」とあるのがそうです。
搭載武器、スピード値、装甲値を見た限りで、この車輌は日本軍が購入した「ルノー乙型」に間違いないと思います。
ルノー乙型は日本での呼び名で、元はルノーNC27と言われフランスがFT-17の後継機として輸出用に製造した車輌です。
フランスで20輌しか製造されず日本が10輌を購入し、しかも戦場にも投入されたことから、かろうじて戦車史には残っています。
満州国に入った経路としては、
「満州事変のときに日本軍が本土から送った車輌がそのまま満州国軍に引き渡された」
という経路しかありません。
いろいろ調べてみましたが、どれくらいの数があったのかは全くもって分かりませんでした(汗
日本が購入した10輌のうち、満州・中国で生き残った数輌は本土に帰還しているため、あったとしても1輌、2輌ではないでしょか。
これは妄想ですが、故障や破損が原因で現地に残された車輌を修理したとも考えられます、リペア大好きな日本人ならやりそうですw
イギリスのカーデンロイド豆戦車
満州国に登場するカーデンロイド豆戦車ですが、これに関しては今のところよく分かりません。
満州国がカーデンロイドを正式に購入した記録はなく、日本軍から譲り受けたという記録もありません。
ここには、20輌のカーデンロイド豆戦車があったとされていますが、20輌も購入したならば当然記録にも残っているはずですが、記録にはないため不明瞭な情報です。
カーデンロイドは2輌や1輌購入した国でも記録が残っています。
まして20輌を購入となれば、残っていないはずはありません。
日本、中国に登場する型と同じで、車体上部が閉じられています。
日本の九二式重装甲車
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満州軍にも登場します。
日本のものと全く同じです。
ただし満州軍に九二式重装甲車があったというソースはありませんでした。
日本の九四式軽装甲車
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満州国軍は1943年に10輌を受け取り、戦車中隊に配備されました。
改良型の方です。
日本の九七式軽装甲車
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九七式軽装甲車が満州国軍に配備されたという記録はありません。
1943年に九四式軽装甲車が満州国軍に渡っていることから、1937年1月にあったとは考えにくいです。
日本の九五式軽戦車
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↑の画像は満州の国境の九五式軽戦車
1943年から1944年に訓練用に使用されたそうです。
1945年8月のソ連対日参戦のとき、満州には290輌の戦車があったそうですが、九五式軽戦車が何輌だったのかは分かりません。
詳しいことは分かりませんが、満州と中国にはかなりの数があったのではないでしょうか。