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LWPの戦車

≪LWPについて≫
T-38
SU-76M
T-70 M1942 / T-70 M1943
SU-85
SU-100
ISU-152
ISU-122 / ISU-122S

LWPについて


LWP(Ludowe Wojsko Polskie)

LWPをポーランド人民軍と言います。

いわゆる東部戦線でドイツ軍と戦った部隊のことです。

1943年5月に第1タデウシュ・コシチュシコ歩兵師団ポーランド第1歩兵師団)がソ連で結成されました。

この師団はソ連のスターリンが正式に認可した部隊で、ポーランド軍というのではなく、あくまでも赤軍師団としての位置付けでした。

主に1939年のソ連のポーランド侵攻で捕虜になったポーランド兵、1939年から1941年にかけてソ連占領下のポーランドから追放されたポーランド人から募集されました。

1943年10月12日、ベラルーシのレニノの戦いで最初の戦闘を行いました。

ベラルーシの小さな村レニノで、ドイツ軍第113歩兵師団第337歩兵師団に対して攻撃しましたが、ドイツ軍は空軍の支援もあり、逆に反撃に遭い、2日後には弾薬も不足、2日間で3000名の死傷者を出し撤退しました。

完全な敗北ではありましたが、ポーランドが存在感を示すことができた戦いであったことで、戦後、ポーランド戦史に刻まれました。

師団は消耗してしまいましたが、再び徴集をし、1944年3月にはポーランド第1軍に拡大、ベルリン軍と呼ばれ、1945年1月にワルシャワ占領、1945年5月にはベルリンの戦いで、国会議事堂周辺で戦っています。

ベルリンの戦いでは、74000名の兵力で戦いましたが、10000名の死傷者を出しています。



ポーランド第1軍

これとは別にもう一つ東部のポーランド軍と呼ばれた部隊があります。

それがアンデルス部隊(Ander's Army)と呼ばれる部隊で、これは非公式のポーランド軍でした。

この部隊は1941年、亡命政府のヴワディスワフ・シコルスキ首相の呼びかけで、ソ連の捕虜になっていたヴワディスワフ・アンデルスを釈放させ、ソ連で捕虜となっていたポーランド人から25000名を徴集しました。


アンデルス将軍

1942年、ソ連は戦況が悪化する中、スターリンはこの部隊を中東へ移動させることに同意、約79000名の兵士と37000名の民間人はソ連を離れることになりました。

その後、イギリスの中東軍としてイギリスの統制下におかれ、1943年7月、ポーランド第2軍団となりました。

ポーランド第2軍は1943年12月にイタリアへ移動、イギリス第8軍に所属し、1944年1月、イタリアのモンテカッシーノの戦い、6月のアンコーナの戦い、1945年3月のボローニャの戦いなどでイタリアでの戦場で活躍しました。

ポーランド第2軍団は、東部のポーランド軍と呼ばれますが、東部戦線で戦ったわけではないため、LWPではなく、ポーランドの方に登場します。


T-38


LWPが鹵獲した車輌

ドイツの軽駆逐戦車ヘッツァー

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ドイツの第743駆逐戦車大隊のヘッツァーは1944年8月にワルシャワ蜂起の市街戦で使用されました。

このときがヘッツァーの初陣だったそうですが、中央郵便局を巡る戦いでポーランドの反乱軍により1輌のヘッツァーが鹵獲されました。

火炎瓶による攻撃だったため、乗員は全員戦死、車体も一部炎上してしまいました。


バリケードとしてのヘッツァー

その後、車体を修理し、バリケードとして設置されました。

この車輌は、「チュワト」と名付けられました。

撤去が決まり、郵便局の車庫に保管されていましたが、建物は崩壊し、そのまま生き埋めになったままでしたが、戦後、瓦礫の中から発掘され、ワルシャワの博物館に飾られていたそうです。

戦後、ポーランド第6歩兵師団の第5独立自走砲師団でT-38として使用されたとあり、その車輌が登場します。



SU-76M


ワルシャワにあるSU-76M

ソ連のSU-76M自走砲

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ポーランド人民軍は、SU-76Mを大戦中にソ連から供給されました。

1944年6月、4つの自走砲中隊が作られ、各中隊に13輌づつの計52輌が送られ、1945年の戦争終結までに130輌が送られました。

1970年代初めまで軍で使用されました。



T-70 M1942 / T-70 M1943


ソ連のT-70軽戦車

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1943年、ポーランド人民軍に53輌のT-70が配備されました。

一部は訓練用に使用され、1945年7月の時点では41輌のT-70 M1943があり、戦後1949年まで使用されました。





SU-85


ポーランド人民軍のSU-85

ソ連のSU-85自走砲

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ポーランド第1軍団にはSU-85が配備されていたことが分かっています。

画像は1944年11月のプラハでのSU-85で、10月27日のドイツ軍との戦闘に4輌が参加しました。



SU-100


ソ連のSU-100自走砲

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1945年5月1日、ソ連はポーランド人民軍の第46自走砲連隊の編成を始めました。

このとき2輌のSU-100をソ連から受け取りました。

戦後、26輌を購入しました。



ISU-152


ソ連のISU-152自走砲

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ISU-152はポーランド人民軍とチェコスロバキア軍に配備されました。

どれくらいあったのかは不明です。



ISU-122 / ISU-122S


ソ連のISU-122とISU-122S自走砲

これらはポーランド人民軍にも配備されました。

何輌かはドイツ軍が鹵獲し使用したと言われます。

どれくらいあったのかは不明です。