Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
グライダーが軍用に使われたのは第二次大戦が最初で最後だと言われます。
(大戦以降はヘリコプターによる輸送になった)
グライダーを用いた作戦は強襲作戦であるため多くのリスクが伴いました。
また低空で着陸しなければならないので撃墜されたり、墜落する危険も多く伴いました。
ゲームでもグライダーの着地地点は見晴らしのいい開けた場所にしなけばいけません。
着陸は低空で着地地点に降下していきますので、その手前に森や高い地形があると、そこにぶつかってしまいますから、着地地点を決めるときはよく地形を見なければなりません。
そ して建物や森に激突すると全ての搭乗部隊は死亡確定ですw
アメリカのワーコ 社で作られたグライダー
1942年に完成し、その後12000機が生産されました。
ちなみにこのグライダーを作ったワーコ社は、大戦が終わるとグライダーの発注が全くなくなり、会社が潰れていますw
ノ ルマンディー上陸作戦、マーケットガーデン作戦、その他には対日ビルマ戦線やユーゴスラビアのパルチザンへの物資供給などに使用されました。
[Lift Capacity]は[215]
すなわち重砲1門、と兵員15名を積載可能
アメリカでは1943年3月~1946年12月
アメリカ軍だけでなく、イギリス軍にも供給されました。
ゲー ムではイギリス軍には登場しませんが、インドで登場する「Hadrian」という名前はイギリスでの呼び方です。
イ ンドでは1943年1月~1946年12月まで
イギリスのグライダーです。
「Airspeed A.S51 Horsa」は、ホルサとかホーサと呼ばれます。
あの映画「遠すぎた橋」に出てきますよね。
曳航されながら飛行し、目的地で胴体着陸します。
1941年から生産が始まり、3700機が作られました。
イギリスでは1942年6月~1946年12月まで
イ ギリスでの[Lift Capacity]は[216]
イギリス空挺部隊は「75mm榴弾砲」や「6ポンド対戦車 砲」「17ポンド対戦車砲、「Tetrarch」戦車などを グライダーに搭乗させたため、ゲームでも空挺部隊専用ユニットとして購入できます。
ポー ランドでも購入可能
ポーランドでは1943年1月~1946年12月まで
ポー ランドでは「Tetrarch」戦車の購入は不可能。
ただし、ポーランドの[LIft Capacity]は[229]
なぜポーランドの方が多めなのかは謎
こらもイギリスのグライダー
「General Aircraft GAL.49 Hamilcar」、通称「ハミルカー」
連合軍最大のグライダー
ゲームでは空挺戦車「Tetrarch」は、上記の「ホルサ」でもこの「ハミルカー」でも積載可能だが、実際はテトラーク戦車はこのハミルカーに積載しました。
1944年6月5日のノルマンディー上陸前夜 のトンガ作戦、1944年9月のマーケットガーデン作戦、1945年3月のライン河渡河のヴァーシティ作戦などで空挺部隊を着陸させました。
1942年に生産が始まり、344機が生産されました。
イギリスでは1943年1月~1946年12月まで
[Lift Capacity]は[226]
上記と同様、榴弾砲や対戦車砲、テトラーク戦車を空挺部隊として購入可能。
ポーランドでは1944年6月~1946年12月まで
[Lift Capacity]は[240]
ソ連のグライダー 「Gribovski G-11」
1941年から生産が始まり、500機ほどが作られました。
ただし、大々的な空挺作戦で使用されたことはなく、小規模な空挺作戦とパルチザンへの補給に使用されました。
1942年1月~1946年12月まで
[Lift Capacity]は[112]
空挺部隊として82mm迫撃砲部隊を購入できる。
ドイツ軍のグライ ダー「DFS 230」
ドイツ軍が行った数々の空挺作戦で、降下猟兵と共に作戦に参加してきた機体。
あのムッソリーニ救出作戦はあまりにも有名。
また北アフリカや東部戦線における補給物資の輸送にもこのグライダーは使用された。
クレタ島の戦い(メルクール作戦)では、ドイツ軍は作戦には成功したものの、降下猟兵を載せたグライ ダーが岩場に着陸するなどして21000名の降下猟兵のうち、6600名が死傷する大被害を出しました。
この戦闘はシナリオ162番「Gliders at creta」を参考にしてください。
1938年1月~1946年12 月まで
[Lift Capacity]は[112]
ルーマニアでは 1941年6月~1945年1月まで
[Lift Capacity]は[110]
ドイツ軍にはも う一つのグライダーが登場します。
「Gotha Go-242」、通称「ゴータ Go-242」
上記の「DFS 230」よりも大型の輸送機として生産化されました。
1941年に生産が始まり、1522機が作ら れました。
このグライダーは自力飛行が可能な液体燃料ロケットエンジンが取り付けられたタイプもあります。
しかし低速だったこともあり、連合軍の飛行機の餌食になったことから、1942年以降はあまり使用されなくなりました。
ドイツ軍のグライダー付き空挺部隊を購入する際の制作スタッフからの触れ書きに、
デフォルトは「DFS 230」で購入すること
とあります。
ドイツ軍では1942年1月以降、「Gotha Go-242」か「DFS 230」のどちらかを選択できますが、その場合、特にこだわりがなければ「DFS 230」で購入するということです。
また、1942年にはブランデンブルグ隊もグライダー付きの中隊が購入できます。
[Lift Capacity]は[221]
購入はドイツ軍のみで、1942年1月~1946年12月まで
イタリアのグライダー「Aeronautica Lombarda AL12P」は、通称「Ambrosini AL12P」とも言われる。
1942年に16機が生産されました。
[LIft Capacity]は[114]
イタリアでは1941年5月~1943年8月まで
RSIでは1943年10月~1946年12月まで
日本のグライダー 「Kokusai Ku.8」、日本名称「国際 四式特殊輸送機(ク8)」です。
1941年から試作機が作られ、 その後、約700機が生産されたといいわれます。
ただし日本ではグライダーの開発が遅かったため、大戦中は実戦で部隊を降下させる作戦には使用されませんでした。
もちろん制空権の確保が難しかったというのもあるでしょう。
[LIft Capacity]は[120]
1941年1月~1946年12月まで
こちらも日本の大型 グライダー
「Kokusai Ku7」、日本名称「国際 ク-7」、愛称「まなづる」
上の「Ku.8」よりも後に開発されました。
大型で物資も輸送できるグライダーの開発は、1944年にようやく試作機が完成しました。
この機体は発動機付きで計画されており自力飛行が可能となっていましたが、ご存知のとおり、制 空権を失ったあとでは叶わぬ夢となりました。
結局、試作機のみの製造に終わりました。
しかしゲームでは購入可能です。
日本軍に登場するこの機体は、「Glider」と「Heavy Glider」があります。
名前は同じですが、[Lift Capacity]が異なります。
[Glider] は[132]
[Heavy Glider]は[215]
ただし、 [Heavy Glider]は[MISC]からの購入のみです。
両方とも1944年8月~1946年12月まで
輸送機・グライダー特集もこれが最後です(涙)
これも日本軍のグライダー
ただし日本軍では登場せず、登場するのはタイです。
タイ国は大戦中、日本と同盟を結び枢軸国として戦ったので、日本は多くの物資を援助しました。
そのタイで登場するの は、グライダー「キ24 初級滑空機」です。
この機体は立川飛行機で1937年に110機が作られました。
で、 ですが・・
実物はというと、グライダーはグライダーですが、写真のように単なるグライダーですw
この写真はタイの王立空軍博物館所有の機体で、ここにはきちんと実機が展示あれています。
なのでタイにはこの機体は あったことは確かなんですが、この機体どう見ては輸送用ではありません。
ゲームに登場するユニットのデータは [Lift Capacity]が[129]です。
ということは、別の機体の可能性が高いと見ていいでしょう。
下のアイコンからずばり
Kokusai Ku.8
だと思います。
これも検証報告に書いておきます。
購入は1943年6月~1946年12月まで
> 航空機4