#002 Stonne (1940.5.15)
#679 Counterstroke at Stonne (1940.5.15)
#172 Air Assault on the Hague (1940.5.10)
#235 Skirmish at Hustenburg (1940.5.10)
#030 Contro Attacco a Gallabat (1940.11.7) 8/21更新
今回紹介するシナリオは、「Battle of Stonne」というものです。
日本では全く知名度がありませんが、フランスでは結構有名な戦闘です。
1940年5月10日、ドイツ軍のフランス侵攻はオランダ・ベルギーから始まりました。
ベルギーを突破したドイツ軍のA軍集団は、次にアルデンヌの森を抜けミューズ川を目指しました。
(この作戦名は「Fall Gelb」と呼ばれました)
そのミューズ川を渡るためにフランスの国境にあるセダン(Sedan:スダンとも言う)という人口2万人ほどの小さな町でドイツ軍はフランス軍と激戦をしました。
この戦いが「セダンの戦い」(5月12日ー15日)です。
今回は「セダンの戦い」の最後に行われたミューズ川を渡ったドイツ軍との間で行われた「ストンヌの戦い」です。
画像で分かるようにストンヌは人口50人ほどの小さな村です。
しかしこの村にはセダン一帯を見渡すことができる高地(高地335)があり、フランス軍としてはドイツ軍の進撃を食い止めるために、このストンヌを戦略的拠点にすることは不可欠でした。
一方、ドイツ軍は奇襲によりアルデンヌの森を一気に抜けセダンを占領しましたが後続の部隊がまだ後方におり、後続部隊を待つためグーデリアン将軍はストンヌを橋頭堡とすることにしました。
ドイツ軍は第10装甲師団と精鋭部隊であるグロースドイッチュラント歩兵連隊。
フランス軍は第49戦車大隊、第45戦車大隊、第3機械化歩兵師団。
15日から17日の3日間でこの村は、17回の争奪戦があったほど激戦でした。
ドイツ軍の悩みは対戦車兵器が不足していること。
そこでグーデリアン将軍は防御戦をするのではなく、攻撃的な防御をすることにしました。
この戦闘で村は完全に破壊されてしまいましたが、現在は激戦を記念した記念碑が建てられ、戦車も野外展示されています。
この戦闘でドイツ軍は24輌、フランス軍は33輌の戦車を失いました。
またグロースドイチュラント師団においては多くの犠牲者を出し部隊を休息させなければなりませんでした。
それではシナリオを見ていきましょう。
今回の2つのシナリオはどちらも同じ戦闘を扱ったものなので、登場するユニットはよく似ています。
「#002 Stonne」は、シナリオの#002になっているので、皆さんも一度はプレイしたのではないでしょうか。
もうずいぶん昔にプレイしたので忘れていましたが、今回プレイしてみて面白かったです。
このシナリオをプレイするには、まずはこの戦車を正しく理解しましょうw
フランスの重戦車「Char b1 bis」
この戦車、実は砲塔についている砲が副主砲で、車体についている砲が主砲です。
「ええ?マジで?」
砲塔の副主砲は「47mm SA35」、車体についている主砲は「75mm SA35」で画像で見ると確認できます。
乗員は4名。
ここで大きな謎にぶち当たります。
「誰が主砲を撃っているか?」
操縦手です。
「ええ?マジで?」
砲塔の砲は戦車長が砲手をし装填手もこなします。
戦車の中では大変なことになっていたことでしょう。
戦車長 砲塔砲手兼装填手
操縦手 車体主砲砲手
車体主砲装填手
無線手 機関銃手
そのため移動後の射撃の回数が低いです。
しかも砲塔の副主砲はAP弾しか撃てない。
しかしそんなことを言っても装甲だけは厚い!
車体前面は60mm、砲塔前面は40mm
ゲーム内の装甲値でもこのとおり。
(SPWW2の装甲値は傾斜角を含めた数値として算出されています。詳しくはこちら)
ドイツ軍で登場する「3号突撃戦車A型」の装甲値が5、ちなみに4号戦車でも8なのでこの装甲値には達していません。
今回のプレイではドイツ軍の3輌の3突を撃破しました。
3突A型の主砲は短砲身7.5cm StuK37 L24。
近距離でも側面でなければ大丈夫です。
史実では重戦車Char b1 bisは、車体側面のどこかに弱点があり、そこを撃つとエンジンに命中することをドイツ軍が偶然見つけたそうです。
13ターンの状況。
残り3ターン、この後どれだけVH確保できたのでしょうかw
フランス軍は士気値・経験値が低いので、歩兵は抑圧があがると、なかなか回復に成功しません。
初心者には使いにくいですね。
史実でもフランス戦車兵の練度や士気が低かったため、味方の戦車が撃破されるとパニックになり勝手に後退してしまうことが多かったそうです。
逆にドイツ軍の回復能力や戦車への近接攻撃、遮蔽物に「take cover」(身を隠す)などの士気値・経験値の高さも目立ちます。
このシナリオは15ターンという設定でギリギリの戦いですが、なかなかよくできているなと思います。
今回はフランス軍でプレイしましたが、ドイツ軍でもプレイ可能です。
もう一つの「#679Counterstroke at Stonne」
こちらは元ネタがはっきりしています。
ASL(アドバンスドスコードリーダー」の「Annual '93b」のA66です。
またはスコードリーダーの「COD」の#28です。
やっぱりこれを見るとテンション上がりますねー
ボードゲームのこのシナリオはプレイバランスがとてもよく、ASLプレーヤーの中では今でも人気があるシナリオの一つです。
#679はマップが広く、フランス軍は歩兵を機動化させ移動させなければいけませんが、基本的に戦車で歩兵を援護しながら戦えば勝つことはできます。
このシナリオをプレイして気づいたこと。
・フランスの砲兵部隊(60mm迫撃砲)が無線を携帯していないので、ずっと司令部と連絡がつながらず、砲撃支援が数回しかできなかったこと。
史実でもフランス軍は無線機の欠如がありました。戦車にも無線機はほとんどついていません。なので諦めることに。しかし砲撃要請をしたまま、コンタクトが取れなくなると、その取り消しができなくて困ります。
(追記:無線機(radio)は携帯していましたw しかし何故、あんなにつながらないのか、現在原因究明中ですw)
・H-35、H-39が大活躍。
オチキス軽戦車H35とH39を見直しましたw
軽戦車なので移動力(H35が11、H39が12ですがw)があり、騎兵部隊のように使えます。
しかも何がすごいって砲弾の積載量です。
主砲の37mm砲のHE弾を100発積んでいます!
H35が100発、H39は50発。
(追記:これはシナリオデザイナーによって手が加えられていることが判明しました。実際は、H35も50発です)
28ターンずっと撃ってもなくならないので、対歩兵に対してホント役に立ってくれました。
・抑圧の下がらない歩兵部隊は、ロレーヌ装甲車に一度搭乗させると抑圧が下がる。
これは裏技ではないですが、序盤の戦闘で損害を出し後退・退却した歩兵ユニットに対し、無理に抑圧回復させても失敗してしまいます。
なので一度後退させ落ち着かせ、ある程度抑圧が下がったらロレーヌ装甲車に載せておくと下がっています。
このシナリオは対戦用でもありますが、ソロプレイならばフランス推奨となっています。
(2021.3.19)
ユニットガイドを書いていてオランダ軍が登場するシナリオを紹介したくなったので今回はオランダ軍のシナリオを紹介します。
と言ってもオランダ軍の登場するシナリオは全部で2つのみ。
その2つ以外にもう一つ#673があるんですが、これはブリーフィングにはオランダ軍と書かれていますが登場するのはベルギー軍となっていて、いろいろと調査した結果、これはオランダ軍が正解ということが分かりました。
なのでデザイナーのミスとスタッフのミスでしょう。
このミスがなければ本来3本ですが、今のところは2本です。
オランダのシナリオがなぜこんなに少ないかというと、オランダはドイツとわずか一週間しか戦いをしていないからですww
ドイツ軍とオランダ軍の戦いは1940年5月10日に起こりました。
ドイツ軍は1939年9月ポーランド、1940年4月ノルウェー・デンマークと侵攻し、次はフランスを目標としていました。
ドイツからフランスへ侵攻するにはベルギーを通過しなければ行けません。
地理的に見ると、オランダはドイツ軍のフランス侵攻の妨げにはなっていません。
ここが厄介なところ
ドイツの国防軍の将校の中にはオランダとは戦争したくなかったと当時のナチスに肩を持たない軍人も多かったと言われます。
そもそもオランダと言う国は、その昔からドイツとは敵対関係になかったこと、ドイツと近いためオランダ国民にとってはドイツには敵感情は薄かったこともあり、ドイツ軍は侵攻しないだろうという見解が根強くありました。
そのためオランダは中立という立場を確立するための兵力動員をしていきますが、フランスからもドイツからも兵器を購入することはできませんでした。
またベルギーのエバン・エマール要塞やフランスのマジノ線要塞のような防御施設もありませんでしたが、オランダという国は低地の国で、洪水や浸水が非常に多いことで有名です。
そのため洪水線といって、16~19世紀には意図的に川を氾濫させ土地を水浸させることで沼地とし、敵の攻撃を遅らせるという戦術が幾度も取られました。
この洪水線を利用した防衛ラインをグレッベ防衛線と言い、オランダはこの防衛線にトーチカなどを構築していました。
一方、ドイツ軍はオランダ・ベルギー・ルクセンブルグ・フランスへの同時侵攻作戦「フォンゲルブ」を発動させました。
オランダへの戦略は、空挺部隊による拠点占拠と橋の確保、その後に歩兵部隊と装甲部隊で占領というもの。
しかし主力部隊は全てベルギー方面に配備されたため、オランダには十分な兵員を動員することができず、装甲部隊も当時は貧弱な車輌しか配備されていない第9装甲師団でした。
この時点でのドイツ軍はオランダ軍には兵器では勝っていましたが、兵力では劣っていました。
1940年5月10日、ユンカースJu-52から空挺部隊が降り立ちました。
舞台もオランダ、まさしく映画「遠すぎた橋」のドイツ版といった感じです。
これは降下猟兵の降下ポイントを示した図ですが、グーグルマップと見比べてみましょう。
空挺部隊が降下したのはロッテルダム近郊で、首都のアムステルダムではありません。
これはロッテルダム近郊には軍用施設、重要な施設が多かったためです。
その一つ、ハーグ[Den Haag]という都市が地図の左上にあるのが分かると思います。
ここにはオランダ第3の都市ですが事実上、オランダの首都機能のほとんどが備わっていました。
そのためドイツ軍はこのハーグにある主要な施設を目標にしました。
それがいわゆる「ハーグの戦い」と呼ばれるもので、今回のシナリオの舞台となります。
ロッテルダム近郊、およびハーグに降下した降下猟兵のミッションは、
ハーグの都市の占領
3つの軍事飛行場を占拠
ウィルへルミナ女王と内閣、軍司令部の拘束
であり、女王に降伏を強制させ一日で戦争を終わらせるというものすごいミッションでした。
降下猟兵が降下地点としたのは、
イペンブルグ飛行場(Ypenburg)
オッケンブルグ飛行場(Ockenburg)
ファルケンブルグ飛行場(Falkenburg)
の3つの飛行場です。
しかしドイツ軍の降下はうまくいきませんでした。
なんとオランダの戦いだけで275機のJu-52輸送機が撃破されたと言われます。
部隊は散り散りに降下しましたが、3つの飛行場はその日にドイツ軍の手に落ちました。
ここからオランダの反撃が始まります。
後世、オランダで語り継がれるイペンベルグの戦いです。
すぐにオランダ軍の装甲車が到着し、飛行場の基地を占領していた降下猟兵との間で戦闘となりました。
それがこのシナリオでも描かれています。
そしてドイツ降下猟兵を基地に釘付けにし、ハーグへの進攻を妨げました。
シナリオはドイツ軍の降下から始まります。
史実通りバラバラに降下します。
オランダ歩兵は士気値、経験値ともに低いので歩兵の戦いは不利ですが、ドイツ軍には対装甲車用の武器が対戦車銃しかありません。
点在するVHを確保するドイツ軍は次第に劣勢になるでしょう。
ターンが14ターンしかないのもドイツ軍には難易度が高いです。
オランダ軍に登場する装甲車Panserwagen M36は、スウェーデンから購入したLandverk L180という車輌です。
主砲に37mm砲、副武装に機銃2挺
史実では6輌、ゲームでは10輌がイペンブルグ飛行場で戦闘に参加します。
オランダ軍には砲撃支援があります。
75mmと100mmの榴弾砲が2個ずつ。
それと空軍のフォッカーG.1Aが3機、またイギリスのブレニム爆撃機が6機。
フォッカーG.1はオランダのフォッカー社が開発した戦闘機です。
5月10日の時点で23機がありましたが、ドイツ軍のワールヘイブン飛行場への攻撃により、ほとんどが被害を受けましたが、それでも数機は地上攻撃でドイツ歩兵を機銃掃射、またJu-52とも空中で交戦しています。
もう一つのブレニム爆撃機ですが、これはイギリスの爆撃機。
こちらは高高度爆撃機(Level Bomber)
なぜオランダに登場するのかは不明ですww
オランダの戦いでイギリスから飛んできたという記録はなく、オランダが保有していた記録もありません。
ゲームでもオランダでは購入できません。
(イペンブルグ飛行場はドイツ軍の手に落ちた後、イギリス軍が爆撃機を飛ばし何度も爆撃していますのでこれのことかもしれません)
航空機は初めから砲撃要請が設定されているので、そのうち勝手に飛んできます。
高高度爆撃機はゲームに一度だけの要請で終了となります。
まためったにお目にかかれない降下イベントも見どころの一つ。
降下イベントは落下傘が開くことっすw
落下傘はターンが始まる前に自動的に地上に着陸し閉じます。
3000名の降下猟兵のうち半数ほどの死傷者を出し、多くの輸送機Ju-52を失ったことで、ドイツではこのハーグの攻撃は完全な失敗と言われ批難されました。
もう一つのオランダのシナリオも紹介しておきます。
「ハステンブルグの小競り合い」というタイトルのとおり、小競り合いの戦闘を描いたシナリオです。
日付は上のシナリオを同じ5月10日。
ハステンブルグという地名はありますが、そこで行われた戦闘に関しては日本では資料がありません。
ドイツ軍は当然、降下猟兵。
降下猟兵が制圧した拠点をオランダ軍が反撃にでるという設定です。
わずか1個小隊+αの規模で、ターンは19ターン。
ドイツ軍、オランダ軍どちらでもプレイ可能です。
オランダ軍でやってみると、自転車部隊が登場します。
オランダは世界でも有名な自転車大国で自転車先進国です。
駐車で自転車にカギをかけないと罰金を取られます。
自転車部隊はWW1から存在しました。
実はこれ輸送ユニットです。
12名の歩兵を乗車させることができます。
乗車すると、↑のアイコンですが、降車してみると・・・
きちんと自転車を乗り捨てていますがな。
小競り合い程度のシナリオですが、あたしはオランダ軍でやってみて、これが意外とよかったです。
是非、オランダ軍でやってみましょう。
今回は東アフリカ戦線を取り上げます。
日本語Wikiもないくらい、馴染みのない戦いです。
(こういうのが好きなのよ)
1940年6月から1941年11月まで続いた戦いなので、結構長い間の戦いです。
まずは1940年のアフリカの状況からみていきます。
まだ植民地支配の時代ですが、イギリス、ヴィシーフランス、自由フランス、ベルギー、スペイン、そしてイタリアなどの植民地となっていました。
イタリアは北アフリカのリビア、東アフリカのイタリア領東アフリカを持っていました。
イタリア領東アフリカは1935年に第二次エチオピア戦争でエチオピアに勝利したイタリアが、エチオピア、イタリア領ソマリランド、イタリア領エリトリアの3国を1936年に合併させたものです。
1940年6月10日、イタリアのムッソリーニは、イギリスとフランスに宣戦布告しました。
イタリア軍は1940年8月にイギリス領ソマリランドを占領しましたが、1941年に入るとイギリスの反撃が始まり、次第に劣勢になっていきます。
1941年11月27日、エチオピア内の全てのイタリア軍は降伏し、戦いは終了しました。
(その後ゲリラ戦は1943年まで続いています)
東アフリカの戦いは大きく「北部戦線」と「南部戦線」とに分けられます。
今回は北部戦線の方を紹介し、南部戦線はまたの機会にすることにします。
北部戦線では1940年8月、イタリア王国東アフリカ駐屯軍(AOI)はイギリス領ソマリランドでイギリス軍を撃退、降伏させ勝利を収めました。
これはソマリランドの戦いと呼ばれ、包囲されたイギリス軍と入植者は船で脱出しました。
そしてもう一つの戦いが今回のシナリオのスーダンでの戦いです。
イギリス・エジプト領スーダンは、イギリスとエジプトの共同統治領として1956年まであった国です。
このスーダンとエチオピアの国境付近にあるガラバットというところで戦闘が起きました。
これがシナリオ#030のガラバットの戦いです。
イギリス・エジプト領スーダンとイタリア領東アフリカのエチオピアは、1600kmの国境が接しており、イタリア軍はこの国境を越えて侵攻しました。
スーダンにあるガラバットにはガラバット砦(Gallabat Fort)という砦があり、ここは天然の要塞になっていました。
スーダンを守るために派遣されたのが、インド第5歩兵師団です。
インド第5歩兵師団は有名な師団で、イタリア軍、ドイツ軍、日本軍とたたかった数少ない師団の一つです。
ドイツ軍とは1942年に北アフリカで、日本軍とは1943年後半からビルマ戦線で終戦まで戦いました。
このガラバット砦を守るのはインド第5歩兵師団のインド第10歩兵旅団です。
そして野戦砲連隊、巡航戦車Mk.1が6輌、マーク6軽戦車が6輌、配備されていました。
対するイタリア軍は「Colonial Troop」(植民地部隊)が主力です。
この植民地部隊は「アスカリ」というエチオピアの原住民です。
しかしイタリアには強力なイタリア空軍が登場します。
多分、SPWW2のシナリオの中で最もイタリア空軍が輝くシナリオだと思います。
というのはアフリカにはまだ十分な対空砲が配備されておらず、戦闘機や爆撃機は地上からの攻撃がありませんでした。
1940年11月6日、イギリス軍はイタリア軍が守っていた砦に対し、ヴィッカーズウエルズレイ爆撃機6機、グロスターグラディエーター戦闘機9機で爆撃しました。
この戦闘の詳細は分かりませんが、11月6日はイタリア軍が砦を守っていたらしく、イギリス軍が砦に攻撃を仕掛け、その日、イギリス軍は戦車の支援と共に砦を奪取しました。
シナリオは11月7日の戦闘で、この日、イタリア軍は砦に攻撃を仕掛けます。
戦闘の結果はイギリス側とイタリア側で主張が異なっているのが興味深く、イギリス側はイタリア軍は反撃に失敗したと言い、イタリア側は砦から大部分のイギリス軍を追い出したと言っています。
ただし8日になると、イタリア軍に援軍が到着したため、砦のイギリス軍は撤退しましたが、9日には再びイギリス軍が砦を占領しました。
ゲームの方を見ていきましょう。
これがガラバット砦です。
天然の要塞のごとく、簡単には登れません。
中央にある建物群は石造、木造の建物で、この建物は機銃で簡単に破壊できます。
実際に建物にどれくらいの強度があるのか、アフリカの戦場の建物や砦の写真を探してみましたが、東アフリカの戦いの写真は少なく建物まで確認できませんでした。
ただ動画で少し出てきますが、アフリカの建物は基本はレンガのようで、木造もしっかりとしたものではなさそうです。
動画はこちら
このシナリオは30番とかなり初期のシナリオです。
以前、プレイしたときは感情移入ができず、評価はよくなかったのですが、今回、背景を理解した上でプレイしてみたら、なかなかのシナリオでした。
それはイタリア側でプレイして見ると分かります。
イタリア軍には、
SM.79 サヴォイア・マルケッティ爆撃機 12機
CR.42 戦闘機 8機
Breda Ba.65 攻撃機 12機
が上空を我が物顔のように飛来します。
「これ勝ったも同然じゃん」
と思っていると、崖をよじ登る植民地部隊がやられていきます。
そうです、空軍が建物群を破壊しても、肝心の歩兵が2個小隊ほどしかしかいません。
しかもインド軍には戦車があります。
この戦車は史実では6日の戦いで、巡航戦車MK.1が5輌、マーク6軽戦車が4輌失われており、7日の戦いではまだ数輌がいました。
うーん、獲ったVHが軽戦車により奪われました。
しかしもう反撃する余力がありません。
このシナリオはイタリア軍で勝利するのは至難の業です。
SPWW2で航空機が活躍するシナリオはほとんどありませんが、こういうのもまた面白いですね。
しかもイタリア空軍というのも渋すぎです。
プレイ推奨はイタリア側ですが、インド側でやる場合は、イタリア軍の[Troop Toughness]と[Searching]を150%にしてくださいという指示があります。
イタリア側でプレイする場合は特にありません。
(イタリア側でプレイしましょう)