Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 33

L6/40 Ricerca (イタリア)(RSI)
L6/40 [37] (RSI)

L6 Lanciaflamme (イタリア)(RSI) 
SMV L40 47L32  (イタリア)(RSI)
M41 Munizioni  (イタリア)(RSI)
L6  Munizioni   (RSI)

M11/39 (イタリア) 
Fiat M11/39 (ANZAC)

M13/40  (イタリア)
Fiat M13/40  (ANZAC)

M14/41  (イタリア)(RSI) 
Carro M40 OA  /  M41 OA  (イタリア) 
M14 Sgombratore (イタリア)

SMV M40 75L18  (イタリア)(RSI)
SMV M41 75L18  (イタリア)(RSI)

Armato M32(P)  (イタリア) 

L6/40 Ricerca (イタリア)(RSI)
L6/40 [37] (RSI)


しばらくイタリアの戦車が続きます(汗)

これまでに紹介したイタリアの戦車は、

CV-29
L3-33 (CV-33)
L3-35 (CV-35)
L3-38 (CV-38)

これらは全て「豆戦車」(タンケッテ)と呼ばれ、戦前はその機動性を活かし、多くの国で使用されましたが、さすがに無砲塔、軽装甲、弱武装では他国の戦車に追いつくことができなくなってきました。

そのため「フィアット・アンサルド」社は、3トン級の軽戦車から、5トン級の軽戦車の設計に入りました。

この「L6/40」の車体は、上記の「CV-33」のものを流用していますが、足回りは全く異なったものとなっているのが特徴的です。

これは転輪2個のボギーをトーションバーと呼ばれるアームに接続するもので、これはイタリアの戦車ではこの車輌のみが持つもので、「トーションバー・サスペション」と呼ばれます。(画像でも分かりますよね)

砲塔には、20mmのM35ブレダ機関砲を搭載、装甲は最大で30mmでした。

L3の後継車輌として、1941年から生産が始まりましたが、この「L6/40」の砲塔を「AB40」に搭載させた「AB41」の生産が優先されたため、1942年までに283輌の生産に終わっています。

しかし最高速度42km/hを出すことができたため、イタリア軍、ドイツ軍はこの車輌を対パルチザン用に使用しており、戦後も生き残っています。

イタリアでは、1941年12月〜1945年12月

RSIでは、1943年10月〜1945年12月


L6 Lanciaflamme (イタリア)(RSI)


上記の軽戦車L6/40は、1941年に生産が終了しましたが、発注が残り300輌ほどあったため、様々なバリエーションの車輌に改造されています。

その一つが火炎放射戦車です。

200リットルの燃料を車内に搭載していたそうです。

試作車輌が完成しましたが正式採用されませんでした。

画像は貴重な一枚です。

ゲームには試作車輌でも登場しますが、イタリアとRSIで登場する車輌は少し異なります。

イタリア軍で登場する車輌は、放射回数が16回と多く、燃料タンクを牽引していません。



イタリアでは、1941年1月〜1945年12月

一方、RSIで登場する車輌は、放射回数が4回と少ないにも関わらず、燃料タンクを牽引しています。

RSIでは、1943年10月〜1946年12月


SMV L40 47L32   (イタリア)(RSI)


イタリア軍の最初の突撃砲戦車。

車体は上記の「L6/40」を使用しています。

1939年からイタリア軍は突撃砲の開発を進めていましたが、「L3軽戦車」では車体が小さすぎました。

そこで次に、「L6/40」の砲塔を取り外しオープントップにし、戦闘室左前面に32口径の47mm砲(47L32)を取り付けました。

この47mm砲「Da 47/32」は、オーストリアのベーラー社のものをイタリアのアンサルド社でライセンス生産したもので、他国の47mm砲に比べると、破壊力があり優秀な砲でした。

装甲は最大30mm。

1941年から1943年まで生産が続き、約300輌が作られました。

北アフリカ、イタリアでの戦闘では善戦しました。

イタリア降伏後、ドイツ軍が使用し、バルカン半島での対パルチザン用に配備されました。

ゲームでは主砲の47mm砲が第4火器になっています。

(第1火器、第2火器はなく、第3火器は機銃)

これは非常に使いづらく、抑圧があがるとほぼ主砲は撃てません。

イタリアでは、1942年3月〜1945年12月

RSIでは、1943年10月〜1945年12月


M41 Munizioni  (イタリア)(RSI)
L6 Munizioni (RSI)


この車輌も、「L6/40」の改造車輌。

「Munizioni」は弾薬運搬車の意味。


セモベンテ Da 90/53

この車輌は、90mm砲弾を車内にわずか6発しか積載できなかったため、この車輌専用の弾薬運搬車輌を作りました。

弾薬運搬車輌には26発、牽引トレーラーには40発を積載できました。

ゲームでは全ての車輌の砲弾を運搬します。

イタリアでは、1942年3月〜1944年12月

RSIでは、「M41」と「L6」が登場します。

ただし、「L6 」のアイコンは牽引トレーラーがついています。

RSIでは、1943年10月〜1945年12月


M11/39  (イタリア)
Fiat M11/39 (ANZAC)


ここからイタリア軍の中戦車の紹介になります。

1935年、イタリアではそれまでの軽戦車(いわゆる豆戦車)ではなく、8トン級の中戦車の開発に成功し、試作車輌が完成しました。

この試作車輌、スペイン内乱のときに実戦に参加し、軽戦車以上に活躍を見せたことにより、イタリアでは11トン級の中戦車の開発を進めていきます。

そして完成したのが、「M11/39」です。

1939年に生産が始まり、1940年までに100輌が作られました。

しかし主砲の37mm砲を砲塔に搭載することができず、37mm砲は車体右側に取り付けられ、砲塔には8mm機銃が搭載されています。

ただし、この8mm重機銃は連装式になっています。

車体に搭載された37mm砲は、自走砲のように視界が狭く限られているため、戦闘では不利でした。

また、足回りは「リーフスプリングボギー式」という新しいサスペション方式が採用され、これは以降のイタリア戦車へと受け継がれていくもので、エンジンは当時、ヨーロッパでは珍しかったディーゼル・エンジンへと換わっています。

1939年に北アフリカと東アフリカの部隊に配備され、1940年、イギリス軍の攻撃により壊滅しています(涙)

またこの戦闘で生き残った車輌は、オーストラリア軍により鹵獲され、後にイタリア軍との戦闘で使用されました(号泣)


車体にカンガルーの模様を入れたオーストラリア軍のM11/39

イタリアでは、1939年1月〜1941年9月

ANZAC軍では「Capture Tank」として、1941年3月〜1942年10月


M13/40 (イタリア)
Fiat M13/40 (ANZAC)


「M13/40」の[13]は、13トン級の意味、そして[40]は正式に採用された年代。

なのでこの「M13/40」は、13トン級の中戦車で、1940年に正式採用となった車輌です

「M11/39」の改良型として作られました。

車体は、「M11/39」の車体を拡大して使っています。

砲塔は大きくなり、主砲32口径47mm砲、副武装には8mmブレダ機関銃が砲塔と対空用にそれぞれ武装されており、車体正面の機銃は連装になっています。

装甲は最大40mmですが、車体側面にあるハッチの装甲が8mmであったため、ここを狙われました。

1940年7月から1943年までに、710輌が生産されました。(自走砲は除く)

1940年2月のリビアでの戦いで、実戦に投入されましたが、砂漠の熱帯での環境で故障車が続出しました。

イタリアでは、1940年5月〜1942年11月まで

またこの車輌も、アフリカでの戦闘でオーストラリア軍に鹵獲され、後に対イタリア軍との戦いに使用されました(号泣)

ANZAC軍では、1941年3月〜1942年6月

M14/41 (イタリア)(RSI)


この「M14/41」は、故障が続出した「M13/40」の改良型でです。

と言ってもエンジンのみの改良のため、外見は全く同じ(に見えます)。

「M13/40」は小さな車体を重くしたため、エンジンの出力不足に悩まされました。

そのため改良型である「M14/41」は、出力を向上させたエンジンを搭載しています。

1941年から1942年までに、約800輌が生産されました。

この「M13/40」と「M14/41」は、イタリア軍の主力戦車となりました。



イタリア戦車の写真って、格好いいのがほとんどありません。

やらせで降伏しているものだったり、残骸のものが多いです(号泣)

イタリアでは、1941年9月〜1944年12月

RSIでは、1943年10月〜1944年12月

Carro M40 OA / Carro M41 OA (イタリア)
M14 Sgombratore (イタリア)



「Carro M40 OA」 と 「Carro M41 OA 」は、「M13/40」「M14/41」の砲塔を除去し、コマンド用車輌に改造した車輌です。

武器は車体前方の機銃のみ。

車輌には2つの無線器が装備されていました。

ゲームでは、「FO車輌」(前線観測車輌)として登場します。

どれくらいが作られたのかは不明です。

「M40 OA」が、1940年6月〜1942年11月

「M41 OA」が、1941年9月〜1943年9月

また「M14 Sgombratore」という車輌も登場します。

これは工兵用の車輌で、車体にドーザーが取り付けられているものです。


画像はシャーマン戦車にドーザーを取り付けたものですが、こんな感じですw

というのも、この車輌の画像が見つからないどころか、記録さえも見つかりませんでした。

(SPWW2の中でも画像が出ていません)

詳しいことは不明です(怒)

砲塔の47mm砲はそのままです。

1943年6月〜1943年9月

SMV M40 75L18 (イタリア)(RSI)
SMV M41 75L18 (イタリア)(RSI)


セモヴェンテ(Semovente)[SMV]は、イタリアでの突撃砲、自走砲を表す言葉。

イタリアでは先に紹介した「SMV L40 47L32」の開発と並行して、47mm砲より強力な75mm榴弾砲を装備した車輌の開発が進められていました。

「SMV M40 75L18」の車体には上記の「M13/40」中戦車のものを利用し、「Da 75/18」 75mm榴弾砲を装備しました。

1941年に試作車輌が完成、その後、60輌が生産されています。

また、同じように「M14/41」の車体を利用した「SMV M41 75L18」は、162輌が生産されました。

この車輌の考案者であるイタリア軍のセルジオ・ベルレセ大佐は、ドイツ軍の3号突撃砲のような歩兵支援用の装甲戦闘車輌が必要であるとの考えから開発に至りましたが、イタリア軍では突撃砲としての任務と、砲兵用の間接射撃の任務も果たしました。

車体は3号突撃砲よりも15cm低かったのですが、傾斜角はなく、前面装甲は50mmでした。

主砲の75mm榴弾砲は、当時、イタリア軍戦車が装備していた砲の中では唯一、イギリス軍の厚い装甲の戦車や、シャーマン戦車、M3グラントなどと対抗できる砲であったため、北アフリカ戦線では活躍を見せました。

ただし砲身も短く初速も遅かったため、通常の75mmAP弾ではそれらの厚い装甲の戦車には対抗できず、75mm対戦車榴弾という砲弾のみが対抗できました。

ゲームではこの砲弾は、「HEAT弾」として登場します。

イタリア軍に登場する「SMV M40 75L18」は、HEAT弾を装備しない車輌と、装備する車輌が登場します。

イタリア軍の「SMV M40 75L18」で

HEAT弾を装備しない車輌は、

1941年8月〜1942年5月

HEAT弾を装備する車輌は、

1943年3月〜1943年12月

RSIでは、全て装備する車輌で、

1943年10月〜1943年12月

「SMV M41 75L18」は、全てHEAT弾を装備しています。

イタリア軍では、

1942年6月〜1943年12月

RSIでは、

1943年10月〜1943年12月


Armato M32(P)  (イタリア)



右側の車輌がM32

年代が前後しますが、「Armato Model 32」を紹介しておきます。

この戦車は12トン級の車輌として、「フィアット・アンサルド社」で開発され、1933年に試作車輌が完成しました。

車体には砲塔はありませんが、車体前面に45mm榴弾砲を装備、また車体の前後側面に4つの機銃口がありました。

速度は最大23km/hが出たと言われます。

しかし生産には至らず、試作車輌のみに終わっています。

ゲームでは1932年9月〜1937年9月まで購入できます。


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