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戦車・装甲車 31

Humber Mk.I (イギリス)(カナダ)(ANZAC)(インド)
Humber Mk.II (イギリス)(ANZAC)(ポーランド)(インド)
Humber Mk.III (イギリス)(カナダ)(ANZAC)(ポーランド)(インド)
Humber Mk.IV  (イギリス)(カナダ)

Humber AA Mk.I (イギリス)
Fox Mk.I (カナダ)(ポーランド)
AB Volpe (イタリア)

Ford Dingo (ANZAC)
AEC Mk.I  / Mk.II  / Mk.III  (イギリス)
Otter (カナダ) 
Otter II (イギリス)(オランダ)(ポーランド)

Daimler Dingo (イギリス)(ANZAC)(インド)(ポーランド)
Lynx  (カナダ)(ANZAC)
Lancia Lince (イタリア)(RSI)
Lancia 3Ro (イタリア)(RSI)
Lancia 3Ro APC (イタリア)(RSI) 
3Ro 90L53 (イタリア)(RSI)
3Ro 100L17 (イタリア)

Humber Mk.I (イギリス)(カナダ)(ANZAC)(インド)
Humber Mk.II (イギリス)(ANZAC)(ポーランド)(インド)
Humber Mk.III (イギリス)(カナダ)(ANZAC)(ポーランド)(インド)
Humber Mk.IV (イギリス)(カナダ)

ハンバー社(ルーツ・グループ)が製造した4輪装甲車はこれで最後です。

もう一度、整理しておこう。

ハンバー軽偵察車(Light Reconnaissance Car)
ハンバー偵察車(Scout Car)
ハンバー装甲車(Armoured Car)

この「ハンバー装甲車」は、前出の「ガイ装甲車」と形が似ています。



(ガイ装甲車)

というのも、「ガイ装甲車」の補充として生産された車輌だからです。

砲兵用のトラクター「KT4」のシャーシに、ガイ装甲車の車体を組み合わせた車輌で、1941年から生産が始まり、1945年までに3652輌が作られました。

北アフリカの戦場から、ヨーロッパ、またはビルマでも使用されています。

タイプはいくつかあります。


これは初期型の「Mk.I」

砲塔には15mmのベサ機銃と、7.092mm機銃を搭載。

300輌が生産。

イギリスでは、1941年9月〜1942年7月

カナダでは、1940年11月〜1943年6月

ANZACでは、1940年11月〜1942年9月

インドでは、1942年1月〜1943年12月


こちらは「Mk.II」

砲塔が替わっているのと、装甲が厚くなりました。

440輌を生産。

イギリスでは、1942年1月〜1943年6月

ANZACでは、1941年8月〜1943年6月

ポーランドでは、1942年6月〜1943年12月

インドでは、1941年8月〜1945年12月


これは「Mk.III 」

砲塔が少し大きくなっていますが、素人には分かりませんw

イギリスでは、1942年8月〜1944年3月

カナダでは、1941年12月〜1946年12月

ANZACでは、1943年1月〜1946年12月

ポーランドでは、1942年6月〜1943年10月

インドでは、1945年1月〜1946年12月


これは「Mk.IV 」

最も多い2000輌が生産されました。

主砲が37mm砲に代わっています。

イギリスでは、1943年5月〜1946年12月

カナダでは、1944年6月〜1946年12月


Humber AA Mk.I (イギリス)


この車輌は、上記のハンバー装甲車の砲塔に対空機銃を取り付けたもの。

ハンバー Mk.I の砲塔に、4挺の7.92mmベサ機関銃を装備しています。

ただし、どれくらい作られたのかは不明。

現存している写真もほぼなく、どうしようもありません。

イギリスでは、1943年3月〜1945年12月まで


Fox A/C (カナダ)
Fox Mk.I (ポーランド)
AB Volpe (イタリア)


カナダのフォックス装甲車。

カナダのゼネラル・モータース社(GMC)が製造した車輌。

車体にはゼネラル・モータースの「CMPトラック」が使用され、上記の「ハンバー装甲車」の設計を元に製造されました。

したがって外見上、ハンバー装甲車とよく似ている(ほぼ同じ)。

1506輌が生産され、カナダ以外でもイギリスやインド、イタリアでも使用されました。

ゲームではポーランドとイタリアに登場します。

また戦後、旧植民地での反乱を阻止するためにポルトガル軍により使用されました。

カナダでは、1942年1月〜1944年12月

ポーランドでは、1943年10月〜1945年12月

イタリアでは、車名が「AB Volpe」として登場します。

1945年1月〜1946年12月

Ford Dingo (ANZAC)


オーストラリアの偵察車輌。

大戦が始まったとき、オーストラリア軍には十分な車輌がなく、主な供給先であるイギリスもダンケルクの撤退により、物資のほとんどを放棄してしまったため車輌は不足していました。

そのためオーストラリアでは、自国で車輌の生産を行うこととなります。

この車輌は、フォード社の「フォード30cwt」の車体を使用し、マーモンヘリントン社の全輪駆動キットを装着させた4輪駆動車です。

エンジンはフォード社のV8エンジンです。

1942年に生産が始まり、245輌が生産されましたが、その後、オーストラリアはイギリスからの車輌の供給が本格化したため、生産は終わりました。

1942年6月〜1944年6月


AEC Mk.I  / Mk.II /  Mk.III  (イギリス)


イギリスの重装輪装甲車。

一般的には「AEC装甲車」と呼ばれる。

イギリスの「AEC社」(Associated Equipment Company)は、バスやトラックを製造する会社でしたが、戦時中は軍用トラックを約1万台生産しました。

その中に4×4のマタドール砲兵用トラックと、6×6のマーシャルトラックがあり、それらの車体を利用して装輪装甲車の開発を行いました。

装甲車ですが、主砲にはバレンタイン戦車と同じ2ポンド砲を搭載し、強力な火力を誇りました。

正面装甲は65mm、そして頑丈なAECのディーゼルエンジンを搭載していて、最高速度65km/hは決して速くはありませんでしたが、長距離偵察に適していました。

1942年から1943年までに、629輌が生産されました。

1942年の11月のエル・アラメインの戦いで実戦に投入されたとされています。

バリエーションは「Mk.I」「Mk.II」「Mk.III」の3つ。

「Mk.I」は上の画像。

主砲は2ポンド砲。

1942年4月〜1943年4月まで購入可能


こちらは、「Mk.II」

主砲が6ポンド砲(57mm)になりました。

1944年1月〜1945年12月まで

こちらが、「Mk.III」

主砲がさらに強力な75mm砲に代わっています。

1944年5月〜1946年12月まで


Otter  (カナダ)
Otter II (イギリス)(オランダ)(ポーランド)


カナダ軍の軽偵察車。

オッター軽偵察車は、前出の「フォックス装甲車」と同様、カナダのGMC社(ゼネラル・モーターズ)が開発し、ハンバー軽偵察車の後継車輌として作られました。

車体には、シボレーC15(GMCトラック)を使用し、装甲は12mm、特徴の丸い小さな砲塔には20mm対空機関銃を搭載していました。

1942年〜1945年に、1761輌が生産されました。

シチリア半島での戦い、ノルマンディーでの戦いなどにカナダ軍の偵察車として使用されています。

「Otter Mk.II 」はイギリス軍にも使用されました。

またオランダ軍でも戦後、使用されました。

カナダ軍では、1943年1月〜1946年12月

イギリス軍では、1943年7月〜1946年12月

オランダ軍では、1945年9月〜1946年12月


Daimler Dingo (イギリス)(ANZAC)(インド)(ポーランド)



イギリスが開発した偵察車。

1938年、イギリス軍は偵察、連絡任務のための4×4の偵察車の開発に乗り出しました。

3社の競合の結果、バーミンガム・スモール・アームズ社(BSA)設計したものが採用されることになり、BSA社の車輌部門である「ダイムラー」で作られることになりました。

この車輌の名前は「ダイムラー偵察車」ですが、「Daimler Dingo」というのは、競合の3社のうちの1社が「アルヴィス社」で、そこで作られた試作車が「Dingo」と言ったことから、「ディンゴ」とも呼ばれています。

この2人乗りの特別に恰好もよくない車輌ですが、実はイギリスで作られた車輌の中では最優秀の装甲戦闘車輌の一つとされています。

装甲の厚さは30mmもありますが、車体は軽く小さいので偵察任務には威力を発揮しました。

1939年から1945年までの間に、6626輌が生産されました。

なおこの車輌は、「Mk.I 」「Mk.IA」「Mk.IB」「Mk.II」「Mk.III」がありますが、性能の差はないため、ゲームに登場するのは全て同じです。

またゲームでは「Dingo AOP」という、FO車輌としても登場します。

イギリスでは、1939年11月〜1946年12月

ANZACでは、1943年8月〜1946年12月

インドでは、1940年1月〜1946年12月

ポーランドでは、1942年3月〜1946年12月


Lynx (カナダ)(ANZAC)


カナダのフォードで製造された車輌で、「フォード偵察車 Mk.I」あるいは、「リンクス偵察車」と呼ばれています。

この車輌は、「ダイムラー偵察車」を改造した車輌です。

そのため外見はダイムラー偵察車と似ています。

エンジンはダイムラーよりも優れていましたが、トランスミッションとサスペンションは劣っていました。

1943年から1945年までに、3255輌が生産されました。

カナダ軍では、1942年1月〜1946年12月

ANZAC軍では、1944年6月〜1946年12月


Lancia Lince  (イタリア)


イタリアの「リンチェ偵察車」

上記のイギリスの「ダイムラー偵察車」をコピーした車輌です。

そのため外見は「ダイムラー偵察車」とよく似ています。

イタリアのランチア社で作られました。

武器は8mmブレダ機関銃。

1943年から44年にかけて、250輌が生産されました。

イタリア社会共和国(RSI)とドイツ国防軍により使用されました。

ドイツ軍には登場しませんが、ドイツ軍は「Panzerspahwagen Lince 202(i)」と名付けています。

主にトート機関で使用されました。

1943年10月〜1946年12月

Lancia 3Ro  /  Lancia 3Ro APC (イタリア)(RSI)


ランチア社の他の車輌も紹介しておきます。

イタリアのランチア社で作られた大型トラック「Lancia 3Ro」

1933年に作られた「Lancia Ro」は民間用のトラックでしたが、イタリア軍は大型の砲と軽戦車の輸送用に使用しました。

「Lancia 3Ro」は、さらに強力なエンジンと改良されたタイヤで、第2次大戦中はイタリア軍の足となりました。

この車輌は、兵員輸送、砲牽引、燃料・食料輸送の他に、砲と搭載させた自走砲や対空砲車輌にも使用されました。

1938年〜1950年までに、9490輌が生産されました。

ゲームに登場するのは、全て「Lancia 3Ro」です。

1933年1月〜1946年12月

こちらは「Lancia 3Ro」のトラックを改造して作られた装甲車輌。

装甲は9mm。

車体上部に砲塔に20mm砲を搭載し、そのほかに3つの銃眼がありました。

大戦末期、イタリア軍にはまともな車輌はありませんでしたが、イタリア黒旅団によりパルチザンとの戦いに使用されました。

1943年10月〜1945年5月


3Ro 90L53 (イタリア)(RSI)


上記の「Lancia 3Ro」トラックを改造して作られた車輌。

搭載している砲は、イタリアのアンサルド社で作られた「Da 90/53」という90mm高射砲。

この高射砲は、ドイツ軍の有名な88mm高射砲「Flak 18/36/37」と同じように、対戦車砲として使用されました。

1941年に生産され、約120輌が作られました。

イタリア第133装甲師団「リットリオ」に配備され、1942年の北アフリカで戦闘に参加しました。

イタリアでは1942年2月〜1945年12月

RSIでは、1943年10月〜1945年12月


3Ro 100L17 (イタリア)


この車輌も「Lancia 3Ro」を改造して作られたもの。

搭載されている砲は、チェコ製の「Skoda 10cm Vz.1914」という榴弾砲。

生産は1941年の秋で、20輌ほど。

イタリアで1941年9月〜1943年6月


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