Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 30

Shanghai M.31 (中国)
Lancia IZ / IZM / IZII (イタリア)
Lancia IZM  (中国)

Type92 Ni-Ku (日本)
Alvis Strausler (オランダ) 
M39 Van Doorne (オランダ) 
PzSPw.L202(h) (ドイツ)

Guy Mk.1 / Guy Mk.1A / Guy AA Mk.1 (イギリス) 
Rover (ANZAC) 
Ironside Mk.I  / Humber LRC II  / LRC III (イギリス)
Ironside Mk.I  / Humber LRC III (カナダ)
Humber LRC III (ポーランド)

Humber Scout I  /  II  (イギリス)
Humber Scout I / II  (カナダ)(ANZAC)(インド)(ポーランド)(フランス)

Shanghai M.31 (中国)


中国国民党の装甲車輌。

詳細は不明。

アメリカのGMCを改造して作られたのではないかと思われる。

ここに中国軍が使用した武器、兵器がありますが、これを見ると、装甲車輌のところに「GMC M1931」というのがあり、画像を見ると、車体が「GMC」に似ていることから推定しました。

この他にも中国軍が車輌を改造して作った簡易装甲車輌はありますが、詳しいことは不明です。

この「Shanghai M1931」は、37mm砲と機銃を装備しています。

1931年3月〜1939年12月


Lancia IZ / IZM / IZII (イタリア)
Lancia IZM (中国)


イタリアの装甲車。

イタリア軍はアルプス国境の警備用の車輌の開発に乗り出しました、

イタリアのアンサルド社とランチア社で1915年に開発が行われ、「Lancia IZ」は1916年に完成しました。

車体には「ランチア」社のIZトラックを使用し、回転式の砲塔には機銃を装備、車体後部にも機銃を装備していて、当時、イタリアでは近代的で成功した車輌です。

初期型の「Lancia IZ」は砲塔の上にもう一つ砲塔がある珍しい「二重砲塔」でした。

「Lancia IZ」は37輌が生産されました。

改良型の「Lancia IZM」は、1917年に完成し、砲塔が一つになっています。

こちらは113輌が生産されました。

ゲームには「Lancia IZII」というタイプも登場しますが、これは「Lancia IZ」の機銃が替わっただけです。

(正式には「Lancia IZII」というのはなさそうです)

第一次大戦では山岳地帯に配備されました。

その後、北アフリカと東アフリカの植民地にも配備されました。

第二次大戦では東アフリカにあった車輌がイギリス軍と戦いました。

またドイツ軍により、何輌かは使用されました。

「Lancia IZ」は1930年1月〜1936年5月

「Lancia IZM」は1930年1月〜1939年5月

「Lancia IZII」は1936年1月〜1939年5月

そして中国にも「Lancia IZM」が登場しますが、実際にあったのかどうかは不明です。

(そのような記録は見当たりませんでした)

1937年12月〜1939年12月


Type 92 Ni-Ku (日本)


日本軍の「九二式八屯牽引車」(ニク)

15cm重砲を運搬するための車輌で、東京瓦斯電気工業社で開発され、1932年に完成しました。

同じく石川島自動車で開発された「九二式五屯牽引車」(イケ)もあります。

エンジンは6気筒の水冷式ガソリンエンジンで時速約16km/h(乙型は20km/h)

甲型は1932年、改良型の乙型は1936年に開発されています。

生産は1657輌。

1932年6月〜1946年12月


Alvis Strausler (オランダ)


オランダの装甲車。

ハンガリーのストラウス社とオランダのアルヴィス社の提携より「アルヴィス・ストラウス社」で作られました。

AC1、AC2、AC3 がありますが、これはAC3です。

1938年に完成し、27輌が生産されました。

そのうちの12輌はオランダ領東インドの「KNIL」軍に配備されました。

4輪で水冷式エンジンを持ち、砲塔と車体には機関銃を装備した車輌です。

見た目はドイツ軍の「SdKfz.222」にも似ているため設計上、影響を与えたのかもしれません。

この車輌は東ジャワで日本軍との戦闘でも使用されましたが、オランダ軍が日本軍に降伏した後、日本軍によって9輌が鹵獲されたことが確認されています。

1939年9月〜1942年5月


M39 Van Doorne (オランダ)
PzSPw.L202(h) (ドイツ)


オランダの装甲車。

1936年、オランダは植民地用と偵察用に新しい装甲車の開発を始めました。

この車輌はオランダのアイントホーフェンにある「DAF」社で製造されました。

「DAF」社は、1928年に「Hub Van Doorne」が設立した会社で、軍用の車輌を生産し、戦後は大型車輌や乗用車を生産しました。

「Van Doorne」氏が開発した「Trado」というサスペンションシステムが採用されたこの車輌は、「Pantrado 3」と呼ばれ、1939年11月から1940年5月までに12輌が完成しました。

「Trado」サスペンションによる車体は75km/h で走行でき、傾斜装甲を持った車体の装甲の厚さは10mm、スウェーデンの「Landsverk」社の砲塔には当時、強力だったボフォースの37mm砲を装備していました。

1940年5月、ドイツ軍の攻撃時には、全ての車輌はアイントホーフェンにありましたが、武装準備ができていませんでした。

数輌はドイツ軍の攻撃に反撃をしたものの、その後、ドイツ軍により鹵獲されました。

ドイツ軍では、「Panzerspahwagen DAF 201(h)」と名付けられ、偵察大隊で使用されました。

(なお、ゲームにドイツ軍で登場する「PzSPw.L202(h)」は、ユニット名が間違っていいると思われます

(「PzSPw.L202(h)」は、「Panserwagen M36」「Panserwagen M38」のことであり、以前、「戦車7」で紹介しました)

ドイツ軍では東部戦線でも使用されており、残っている画像はほとんどがドイツ軍仕様のもので、オランダ軍としての画像はわずかしかありません。

オランダでは1939年6月〜1940年5月

ドイツでは1940年7月〜1944年12月


Guy Mk.1 / Mk.1A / AA Mk.1 (イギリス)


イギリスの「ガイ・モーターズ」社で作られました装甲車。

「ガイ・モーターズ」社は、シドニー・S・ガイ氏により、1914年に設立されました。

戦時中は軍用車輌、戦後は民間のバスや大型車輌を作りましたが、徐々に衰退し、1980年代半ばに倒産しています。

1938年、イギリスで初めてとなるリアエンジン、4輪駆動の装甲車が完成しました。

また当初、不可能と思われていた車体の装甲を全て溶接する技術がイギリスで初めて使われました。

「Guy Mk.1」と「Guy Mk.1A」があります。

「Guy Mk.1」は、砲塔にヴィカーズ機関銃を装備し、50輌が生産されました。

「Guy Mk.1A」は、砲塔機銃がベサ15mm機関砲に代わっていて、51輌が生産されました。

また詳細は不明ですが、ゲームには4連装の「ベサ対空機関銃」を装備した「Guy AA Mk.1A」も登場します。

Guy Mk.1は、1939年6月〜1940年9月

Guy Mk.1Aは、1940年10月〜1946年12月

Guy AA Mk.1Aは、1941年1月〜1945年10月


Rover (ANZAC)


オーストラリア軍の軽装甲車。

イギリス軍は兵器・車輌不足により、植民地における装甲車輌を配備することができなくなったことから、オーストラリア軍自らが生産した車輌。

車体にはカナダのフォード3tトラック(GMCトラック)が使用され、生産はメルボルンのラスキン社で行われました。

1941年に完成し、1943年までに238輌が生産されています。

武器は機銃が装備されましたが、実戦には配備されず訓練用として用いられました。

1941年6月〜1945年12月


Ironside Mk.I / Humber LRC II / LRC III (イギリス)

イギリスで開発された軽偵察車。

名称は「Humber LRC 」、あるいは「Ironside」と呼ばれる。

(LRCは、Light Reconnaissance Carの略)

開発はイギリスの「ルーツ・グループ」(Rootes Group)という自動車会社。

ルーツ・グループは、1913年にウイリアム・ルーツにより創業された会社で、1950年代はイギリス第2の規模を誇りましたが、1977年に倒産しています。

ハンバー社(後にルーツ・グループに統合)により、1938年に作られた「Humber super sniper」という車輌の性能がモントゴメリー元帥の目に止まります。

そしてこの「Humber super sniper」は、陸軍により4輪駆動の汎用車輌として改造され砂漠の戦場でも高い性能を発揮しました。

この車輌を装甲車にしたのが、「ハンバー軽偵察車」です。

1940年から1943年までに3600輌が生産されました。

また北アフリカからヨーロッパ、またはインドや太平洋戦線でも使用されています。

「ハンバー軽偵察車」には数種類のタイプがあります。


これは「Mk.1」

オープントップの車輌で、前面装甲は10mm。

1940年7月〜1941年6月まで購入可能

こちらは「Mk.II」

丸い砲塔が特徴的。

車体前面に「Boys 対戦車銃」を搭載しています。

1941年2月〜1944年6月まで購入可能



こちらは「Mk.III」

1941年に生産された車輌ですが、外見は「Mk.II」と同じです。

1942年11月〜1946年12月まで購入可能


Ironside Mk.I / Humber LRC III (カナダ)
Humber LRC III (ポーランド)

ハンバー軽偵察車はイギリス以外の国でも登場します。

カナダ軍では

Ironside Mk.I が、1942年1月〜1943年12月

Humber LRC III が、1943年1月〜1945年12月

ポーランド軍では

Humber LRC III が、1945年1月〜1946年12月


Humber Scout I  /  II  (イギリス)


ハンバー社(ルーツ・グループ)により生産された車輌にはいくつかの偵察車輌があります。

とても紛らわしいのですが、これは「ハンバー偵察車」

イギリス軍の代表的な偵察車と言えば、「ダイムラー偵察車」ですが、ダイムラーだけでは絶対的に数が足りなかったため、ルーツ社でも似たような車輌を製造しました。

ダイムラー偵察車はオープントップですが、このハンバー偵察車は装甲車となっています。

火器はブレン機関銃が1挺、緊急時にはもう1挺が装備できるようになっていました。

乗員は2〜3名。

生産は1942年から始まり、1945年までに4298輌。

タイプは「Mk.1」と「Mk.2」がありますが、「Mk.1」は1698輌が生産されました。

ゲームでは「Mk.2」の装甲値が1→2になっています。

イギリス以外の国々の軍でも使用されました。


Humber Scout Mk.I / Mk.II
(カナダ)(ANZAC)(インド)(ポーランド)(フランス)

イギリス以外の連合国に登場するハンバー偵察車です。

カナダ、ANZAC、インドでは

「Mk.I 」が、1941年6月〜1946年12月

「Mk.II 」が、1943年6月〜1946年12月

ポーランドでは

「Mk.I」が、1943年12月〜1944年5月

Mk.II」が、1944年6月〜1946年12月

フランスでは

「Mk.I」が、1946年1月〜1946年12月 「Mk.II」が、1946年1月〜1946年12月忘れていましたが、ハンバー偵察車は映画「遠すぎた橋」にも登場しましたよね。


一番下の車輌です。

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