Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 28

Ehrhardt E-V/4 (ルーマニア)(ポーランド)
Peuget AC / AM (ポーランド)
Peuget 1918 (ルーマニア)

Wz.29 Ursus (ポーランド)
Wz.34 / Wz.34(37mm) / Wz.34 II / Wz.34 II (37mm) (ポーランド)
Wz.34 (ルーマニア)

OA vz.27 (チェコスロバキア・スロバキア)(ルーマニア)
OA vz.30 (チェコスロバキア・スロバキア)(ルーマニア)
Tetra T-72 (ハンガリー)
OA vz 30bis (スロバキア)
PZInz 303 Opanc (ポーランド)
PZInz 222 (ポーランド)

Ehrhardt E-V/4 (ルーマニア)(ポーランド)


この車輌はドイツ軍の装甲車輌です。

「エーアハルト EV/4」と言い、1916年にドイツで作られました。

(呼び方はエールハルトかエーアハルトか、どちらか)

ベルギーの「ミネルバ装甲車」の成功により、ドイツ軍でも装甲車輌の開発に乗り出しました。

ドイツ人で発明家、実業家の「ハインリッヒ・エーアハルト」の自動車会社「ハインリッヒ・エーアハルトAG」で開発されました。

トラックの車体に9mmの装甲板を取り付けた車輌ですが、乗員が8〜9名で、武器の機銃は砲塔に1丁、車体に2丁搭載されています。

(ゲームでも武器は機銃3丁です)

この車輌は、「1915年型」「1917年型」「1918年型」とタイプがあります。

ゲームに登場するのは「1918年型」です。

初期のタイプはルーマニア軍により実験的に使用されました。

生産は53輌。

ドイツでは第一次大戦では軍に配備されましたが、戦後、1919年に起こった「シレジア蜂起」ではこの車輌はドイツ、ポーランド両方で使用されました。

ゲームではドイツ軍には登場しません。

ルーマニアでは、1930年1月〜1935年12月

ポーランドでは、1930年1月〜1931年12月

Peuget AC / AM  (ポーランド)
Peuget 1918 (ルーマニア)


プジョー装甲車はフランスで作られた4輪装甲車です。

1914年、フランス軍はドイツ軍の進撃を食い止めるために急きょ、プジョートラックの車体を使って装甲車を開発しました。

(フランスは1908年に最古の装甲車「Charron 1905」を開発しています)

プジョー装甲車は二つのタイプがあります。

「Peuget AC」(ACはAutocannon)は、「37mm砲 SA18」を砲塔に装備しています。

この車輌は「プジョー18CV」の車体を利用したもので、装甲板は5.5mm。

150輌が生産されました。

「Peuget AM」(AMはAutomitrailleuse)は、6.5mm機関銃を搭載。

プジョー20CVの車体を使用しています。

120輌を生産。

第一次大戦ではフランス軍は速度を生かした索敵任務に利用しました。

1920年、ポーランド軍はフランスから18輌を購入し、1939年にドイツ軍とも戦っています。

ポーランドでは

「Peuget AM」は1930年1月〜1939年10月

「Peuget AC」は1930年1月〜1935年4月

またゲームではルーマニアにも登場します。

ルーマニアは「Peuget 1918」ですが、これは「Peuget AC」です。

1930年1月〜1941年8月


Wz.29 Ursus (ポーランド)


ポーランドが開発した装甲車。

wz.28」が性能面で多くの問題があったため、ポーランド軍は新しい装甲車を設計することにしました。

設計はポーランドの技師「ルドルフ・グンドラフ」でこの人は戦車の開発したグンドラフ・ペリスコープは後にソ連のT34に搭載されています。

車体は「ウルサス A」トラックを使用し、10mmの装甲板と砲塔を搭載しました。

砲塔からは四方八方に銃が突き出ていますw

主砲はフランスの37mm SA18、それと7.92mm機銃が2丁、車体後部にも機銃が1丁搭載されています。

ただし砲塔は一人用で、当然銃を撃つ人も一人であるため、ゲームでもこれらの全ての銃を使用することはできません。

ゲームでは第2火器までとなっています。

また画像の車輌は対空機銃が砲塔から上向きに取り付けられています。

この機銃は、後に全く役にたたないことが分かったため取り外されました。

ゲームではこの機銃の異なる2種類のタイプの車輌は登場しますが、これらは前期型と後期型とは区別していません。

1931年までに10輌が生産されました。(13輌という記録もありますが)

ポーランドでは第二次大戦が始まるまで装甲部隊に配備されており、ドイツ軍と戦いました。


(ドイツ軍に撃破されたwz.29)

対空機銃搭載車輌は、1931年7月〜1932年12月

機銃搭載車輌は、1932年1月〜1939年10月


Wz.34 / Wz.34 (37mm) / Wz.34 II / Wz.34 II (37mm)
(ポーランド)
Wz.34 (ルーマニア)



ポーランド軍はあまりにも不評だった「Wz.28」を改修し、改造し直して「Wz.34」を完成させました。

「Wz.28」はハーフトラックだったので、全く違う形状になっています。

1934年に完成、その後、1938年までに87輌が作られました。

「Wz.34」には「Wz.34 I」と「Wz.34 II 」があり、「Wz.34」が60輌生産されました。

車輌の性能には差はありません。

そしてどちらにも「37mm砲 SA18」と「7.92mm機銃」を搭載した2種類があります。

ゲームでも「I」と「II」、そして「37mm砲」と「機銃」の4種類が登場します。

ポーランド軍には装甲車輌が不足していたため、開戦当時でも装甲部隊に配備されドイツ軍と戦いました。

9月1日〜5日の戦闘で、ドイツ軍の攻撃を退ける活躍を見せています

生き残った「Wz.34」はドイツ軍により鹵獲され、警察部隊で使用され、1941年にはクロアチアの対パルチザン用に送られました。


(この迷彩塗装は1932〜1936年に使用された日本式迷彩)

Wz.34は、1934年4月〜1936年12月

Wz.34 (37mm)は、1937年1月〜1939年10月

Wz.34 IIは、1935年1月〜1936年12月

Wz.34 II (37mm)は、1935年1月〜1939年10月

またルーマニアではドイツ軍のポーランド侵攻後、鹵獲した車輌を購入しています。

1939年10月〜1941年12月


OA vz.27 (チェコスロバキア・スロベキア)(ルーマニア)


チェコスロバキアの「シュコダ社」で作られた4輪装甲車。

「Skoda PA-III」とも言われます。

この車輌の前のタイプに「PA-II」という車輌があります。(↓)

この「PA-II」はゲームに登場しませんが、画像のように装甲が美しく湾曲していて、どことなく近未来的なSF映画に出てきそうな感じがします。

このモダンな車輌が1924年に作られたことが驚きですが、高価すぎたため、わずか12輌を生産したのみに終わりました。

そこで開発された「PA-III」、「OA vz.27」は、湾曲な装甲ではありませんが、シンプルで小型軽量化された車輌です。

1927年に完成し、1929年までに16輌が生産されました。

装甲は5.5mm、砲塔と車体には7.92mm機銃を装備しています。

チェコスロバキア軍の装甲部隊で使用され、1939年のチェコスロバキア解体後、ドイツやスロバキア、ルーマニアで使用されました。

チェコスロバキアでは、6輌が装甲部隊に、9輌は騎兵部隊に配備されました。

チェコスロバキアでは1930年1月〜1939年3月まで

スロバキアでは3輌を押収しましたが、これらの車輌は訓練用に使用され、1943年に廃棄されました。

スロバキアでは1939年4月〜1943年10月まで

ルーマニアでは3輌をチェコから受け取りました。

ルーマニアでは1939年3月〜1941年12月

ドイツには登場しません。


OA vz.30 (チェコスロバキア・スロベキア)(ルーマニア)
Tatra T-72(ハンガリー)


こちらはチェコスロバキアの6輪装甲車。

チェコの「タトラ社」で作られました。

「タトラ社」は1850年に馬車の製造で始まりました。

その後、1897年に自動車製造になり、戦前は鉄道車両、航空機などを製造しました。

戦後は共産主義下で自動車を製造しましたが、現在はトラックや軍用車両などを生産しています。

車体にはタトラ社の軽トラックである「タトラ72」を使用し、1930年から1934年にかけて設計がされました。

1934年に完成し51輌が生産されました

装甲の厚さはわずか6mm、しかもエンジンの馬力がなく、欠点が多かったそうです。

この車輌もチェコスロバキアの解体により、ドイツ、スロバキア、ルーマニアで使用されました。

チェコスロバキアでは1930年1月〜1939年3月

スロバキアでは18輌を引き継ぎました。

1939年の「スロバキア・ハンガリー戦争」で、そのうちの1輌がハンガリー軍の手に渡っています。

スロバキア軍の車輌は1941年6月、バルバロッサ作戦に参加しています。

スロバキアでは1939年4月〜1943年10月

ハンガリーで登場するのは、スロバキアから鹵獲した1輌のみです。

この1輌は、「Tatra T-72」として登場します。

この名前は車体に使われたトラック「Tatra72」のことです。

ハンガリー軍はこの車輌を使用しませんでしたw

ドイツ軍には登場しません。


OA vz.30 bis (スロバキア)


スロバキア軍の「OA vz.30」は1941年6月24日にバルバロッサ作戦に参加しました。

しかし7月8日のソ連軍第44山岳師団との戦いに敗北し、8月には全ての車輌がスロバキアに回収されました。

このときに武器が強化された車輌があったようです。

主砲が7.92mm機関銃から、2cm Kwak 30に換装されています。

スロバキア軍で1940年1月〜1943年10月まで

画像はスロバキア軍の「vz.30」だが、主砲は7.92mm機関銃です。


PZInz 303 Opanc (ポーランド)


ポーランドの装甲車。

戦前、ポーランドには国営工場を含め、いくつかの自動車会社がありました。

「CWS」社、「Ursus」社、それとこの「PZInz」社もその一つです。

1928年に設立された「PZInz」社は、民間の自動車をはじめ、軍用トラック、戦車、オートバイなどを生産し、ポーランドの主な軍事産業を担いました。

この「PZInz 303」は、元はジープとして開発された車輌です。


1938年、軍の指揮車輌として作られたこの車輌は、走行試験ではオフロードでも性能を発揮し操作性もよかったと言われます。

しかし生産が始まる1939年に戦争が始まったため、プロトタイプ車輌しか作られませんでした。

この車輌を装甲化した装甲車がゲームに登場します。

実際、この装甲化した装甲車は、ドイツ軍の「SdKfz 251」のようなハーフトラックの用途で生産する予定でしたが中止となり、作られませんでした。

プロトタイプで作られた車輌は、ドイツ軍との戦いで使用されたと言われます。

機銃を1丁装備。

「Prototype Tank」で購入可能。

1938年8月〜1939年9月


PZInz 222 (ポーランド)


こちらもポーランドの「PZInz」社が開発した輸送用のハーフトラック。

車体はイタリアの「FIAT」社とライセンス契約を結んだ「Fiat 618」です。

開発は1938年、生産は1939年からの予定でしたが、戦争が始ったため、1939年の夏までにわずか13輌が生産されました。

この車輌は砲の牽引、兵員の輸送に加え、通信器機を装備していたため、偵察にも使用される予定でした。

ドイツ軍にはゲームで登場しませんが、鹵獲したこの車輌を改造し砲を搭載したものもあります。



ドイツ軍ではこの車輌に名前を付けていないようです。

ポーランドでは、1939年6月〜1939年9月まで

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