Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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戦車・装甲車 27

Austin (イギリス)
Austin I / II / III (ポーランド)
Austin-Putilow / Austin-Kegresse / White-Austin (ポーランド)
Ford Tf-c (ポーランド)
Wz.28 / Wz.28(late)  (ポーランド)
Citroen-K P17 (フランス)(ポーランド)
Citroen-K P19 / Citroen P19 AA / CP 19 25mm AC (フランス)

Ursus A / Ursus (ポーランド)
FN-Kegresse 3T (ベルギー)
Minerva AC (ベルギー)

 Austin (イギリス)


オースチンはイギリスの自動車会社。

ハーバート・オースチンにより1905年に設立されました。

オースチン社はどちらかというと大衆向けの小型車を作りました。

戦時中は、乗用車の他にトラックや爆撃機も生産していました。

戦後、日本の日産自動車がライセンス契約を結びオースチン車を販売していました。

オースチン社は1995年にBMW社に買収され、その後、MGローバー社を経て、2005年に、中国の南京汽車の手に渡っています。

上の画像は、中型車の「Austin 12」と呼ばれるもので、1921〜1939年までに88000台が生産されました。

小型車で言えば、「Austin 7」で、こちらは1922〜1939年までに29万台が生産されています。

他にも大型車の「Austin 20」は、1919〜1930年までに15000台が生産されました。

ゲームには「Utility Vehicle」(多目的車輌)として登場しますが、どの車種なのかは分かりません。

ただし、ゲームに登場する車輌は「Carry Capacity」が「106」なので、小型の砲牽引や兵を6名搭乗させることが可能です。

となると、大型車の「Austin 20」になるのでしょうか。

1930〜1946年までいつでも購入可能。


Austin I  / II /  III  (ポーランド)


オースチン社が製造した装輪装甲車。

こんな装甲車、見たことないという方も多いのではないでしょうか。

いかにも古そうな感じがしますが、それもそのはず。

1914年に時のロシア帝国がイギリスに発注したことで製造が始まりました。

車体にはオースチン車の乗用車を使用、厚さ4mmの銅板の装甲に、マキシム機関銃を左右に2つ搭載した車輌となりました。

上の画像の「Austin I 」は、1914年型とも言われ、48輌が生産されました。

「Austin II 」は画像がありませんが、1915年型と言われ、装甲が若干、強化されたのと、エンジンの馬力がよくなり、60輌が生産されました。


こちらは「Austin III 」

若干の変更はあったものの性能にはあまり差がありません。

生産は1916年に60輌。

以上はロシアによる発注で、ロシアに送られています。

ロシアに送られた上記のオースチン装甲車は、あまり評判がよくなく、受け取るやいなや、すぐ改修されたりしました。

そしてロシア内戦にも使用されました。

その後、1919年4月のポーランド・ソビエト戦争で赤軍により使用されましたが、このときに20輌がポーランド軍に鹵獲されたと言われます。

(ポーランドが勝利しています)

ゲームではこのときポーランドが鹵獲した車輌が登場します。

ソ連には登場しません。

ポーランドではこのとき鹵獲した車輌が1930年代まで使われました。

「Austin I 」「Austin II」「Austin III」は全て、1930年1月〜1931年12月まで購入可能。


Austin-Putilow  / Austin-Kegresse / White-AusAtin
(ポーランド)


こちらも「オースチン装甲車」

上記の「オースチン I〜III」はイギリス製ですが、この車輌はロシアで作られました。

ロシアの「プチロフ工場」で作られたため、「Austin-Putilov」と名付けられました。

ゲームに登場するユニット名はポーランド語の「Ptilow」になっています。

33輌が生産されました。


こちらは上の「オースチン・プチロフ」の車体に、半装軌車に改造した車輌。

この「Kegresse」(ケグレッセまたはケグレス)は、1916年にロシアの技師として皇帝に仕えていたフランス人ケグレスが開発したもので、冬のロシアでは積雪のため自動車走行が不可能となるために考え出しました。

後輪がゴム製で柔らかいベルトになっています。

(後に各国でも半装軌車が開発されていきます)

12輌が生産されました。

最後は「White- Austin」

この車輌は、ロシア内戦中に破損した車体を修理改造して作ったもの。

画像の車輌はポーランド軍により鹵獲され、「MARS」と名付けられました。

上記のオースチン装甲車は、ロシア軍の写真はあまりありませんが、ポーランド軍に鹵獲されることで多くの写真を残しています。

ポーランド軍に登場する車輌は、全てロシア軍から鹵獲した機銃「Maxim 1905」を「7.62mm wz.05S」として搭載しました。

(ゲームでも「7.62mm wz.05S」として搭載)

「Austin-Putilow」「Austin-Kegresse」「White-Austin」は全て、1930年1月〜1931年12月まで購入可能。

ポーランド軍では1931年以降、訓練用として使用しました。


Ford Tf-c (ポーランド)


ポーランドが初めて設計し生産した装甲車。

「Ford Tf-c」あるいは、「Ford FT-B」とも呼ばれる。

その名のとおり、アメリカのフォード・モータース社の「フォード・モデルT」という自動車を改造して作ったものです。

フォード社は、1903年にヘンリー・フォードが設立した会社。

「フォード・モデルT」は、1908年に発売され、1927年までに1500万台を売り上げた世界的な車です。


(フォードT 1920モデル)

(日本ではT型フォードと呼ばれています)

ポーランド軍は1919年に起こった「ポーランド・ソビエト戦争」以来、装甲車輌の不足に悩まされていました。

上で紹介した「オースチン装甲車」をロシアから鹵獲して使用していましたが、次第に損失していったため、急きょ、開発を急ぎました。

1920年にすでに完成し、前線に送られました。

17輌が生産されたました。

車体はオースチン装甲車に比べると半分ほどの大きさしかなく、乗員2名の車内は狭かったのですが、機動性・高速性に優れ、1920年8月の「ワルシャワの戦い」などでは活躍しました。

武器は「7.92mm wz.05S」機銃が1丁。

1930年1月〜1931年12月まで購入可能


Wz.28 / Wz.28(late) (ポーランド)


ポーランドが製作した半装軌式装甲車。

前述の「Austin-Kegresse」装甲車で、ロシアでケグレス式の半装軌車輌を作ったアドルフ・ケグレスは、ロシア革命により、再びフランスに戻っていました。

(この人、ロシア皇帝に仕えていたフランス人です)

そしてフランスで研究開発を進め、フランスの「シトロエンB2 10CV」で半装軌車輌「シトロエン・ケグレス」を製作しました。

ポーランドは1925年、この「シトロエン・ケグレス」を135輌購入しました。

1928年、この車輌に装甲板をつけた「wz.28」が完成、生産は全部で90輌。

しかし期待されたよりも機動性は低く、半装軌部分はよく故障し、そして横に転倒しやすかったそうです。


そのため完成した90輌は再び回収されることになり、その後、4輪の「Wz.34」へと生まれ変わりました。

ゲームでは後期型の車輌も登場しますが、性能は同じです。

また武器にはフランスの「37mm SA18」砲を搭載したものと、7.92mm機銃を搭載したものがあります。

実際は30輌が37mm砲を装備し、60輌は7.92mm機銃でした。

購入は全て1930年1月〜1936年12月まで


Citroen-K P17 (フランス)(ポーランド)
Citroen-K P19 / Citroen P19 AA / CP 19 25mm AC
(フランス)


アドルフ・ケグレスが出たついでに、アドルフ・ケグレスが作った「シトロエン・ケグレス」を紹介しておきます。

ケグレスは1928年、シトロエン社の「シトロエンC4」を車体にした「シトロエン・ケグレスを開発しました。

その後、エンジンを強化した「Citroen-Kegresse P17」が完成し、主に砲牽引車輌として砲兵部隊に配備されました。

全部で1440輌が生産されましたが、速度が30km/hしか出なかったため、対戦車砲を牽引する前線では敵の砲火を受けました。

しかしフランスでは1930年代、考古学者らによる未開への探検でシトロエン・ケグレス車は砂漠を走破しています。

フランスでは1930年1月〜1940年7月

ポーランドでは1931年6月〜1940年6月


こちらは「Citroen-Kegresse P19」

「P17」よりも大きい6気筒のエンジンを積んでいます。

「P17」は乗員5名ですが、「P19」は6〜8名。

最高速度は45km/h。

生産は1100輌。

1930年1月〜1943年4月まで

フランス侵攻後、ドイツ軍もこの車輌を鹵獲し、使用しています。

またゲームに登場する「P17」と「P19」は、積載能力や速度が同じになっています。

積載(Carry Capacity)は[110]、速度は12

(裁判長、異議あり!)

フランスで1930年1月〜1943年4月


こちらは「Citroen-Kegresse P19」の車体に「13.2mm高射砲」を搭載させた改造車輌「Citroen-Kegresse P19 AA」

実際に使用された重機関銃は「Hotchkiss 13.2mm wz」

当時は対空砲として海軍でも使用されていました。

(日本軍も使用しました)

1930年1月〜1940年6月

最後は「Citroen-Kegresse P19 25mm AC」

この車輌は、車体に「25mm砲 SA34」を搭載しています。

この画像以外の画像もなく、情報もありませんので詳細は不明です。

1937年1月〜1943年4月


Ursus A / Ursus (ポーランド)


「Ursus」はポーランドの車輌です。

「ウルサス」というのは、ポーランドの農業機械の工場です。

元は1893年に設立されたエンジンを作る会社でしたが、1930年に国有化されました。

現在はトラクターなどの農業機械を製造する会社で、1930年代は軍用トラクターを製造しました。

画像を見てお分かりのようにトラックです。

1924年、ポーランド政府は3トントラックの生産を命じました。

そのためイタリアの「SPA 25C」というトラックのライセンス契約を結びました。

ワルシャワの新工場の建設が遅れ、1928年から生産が始まり、民間車輌を含め、884輌が生産されました。

ゲームに登場する「Ursus A」は、中型トラックとして、[Carry capacity]が[120]となっています。

1930年1月〜1939年9月まで


また「Ursus A」を改造した「Ursus A1」という装甲車輌もあります。

(ゲームでは「Ursus」で登場しますが、正式には「Ursus A1」)

この装甲車輌は、上の「Ursus A」トラックに6mmの装甲板を付けたものです。

警察用の装甲車として使用されました。

武器は「7.92mm wz.25」が一丁です。

1930年11月〜1939年9月


FN-Kegresse 3T (ベルギー)


ベルギー軍の砲兵牽引トラクター。

1930年代になると、どの国も機械化を目指しますが、ベルギーはフランスの「シトロエン・ケグレス」とのライセンス生産を結びました。

「FN」は、「FN Herstal」というベルギーの会社で、機銃や拳銃を製造している会社で、この会社も製造に加担しています。

1934年、ベルギーの自動車会社「ミネルヴァ」で、初の試作機が完成。

その後、1940年までに130輌が生産されました。

この砲牽引トラクターはベルギー軍が保持していた唯一の牽引車輌で、1940年のドイツ軍の侵攻により、ほとんどがドイツ軍に鹵獲され、東部戦線で使用されました。

(ゲームではドイツ軍には登場しません)

[Carry Capacity]は[116]

1934年6月〜1940年6月まで


Minerva AM (ベルギー)


ミネルバ装甲車はベルギーの車輌です。

と言っても、作られたのは1914年と古く、第一次大戦のときの車輌です。

ベルギーのミネルバ社で作られました。

ミネルバ社は1900年に設立され、1956年に廃業になっている自動車会社です。

約30輌が生産され、第一次大戦ではベルギー軍に使用されています。

武器はホチキスの8mm機関銃。

1930年1月〜1935年6月


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