Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

> ユニットガイド  > 短機関銃 2


SMG  短機関銃 1

MP28          (ドイツ)
SIG M1920 SMG     (日本)
MP18-1       (ノルウェー)(フィンランド)

MP 1934      (ベルギー)
MP28/ll (フィンランド)
Lanchester SMG   (イギリス)
Type 100  SMG     (日本)
MP34 (ö)        (ドイツ)
MP 35/1 ・MP 34/1    (ドイツ)
MP38/40   (ドイツ)
MKb 42(H)   (ドイツ)
StG 44        (ドイツ)
Sten  SMG  (イギリス)
MP749(e)     (ドイツ)
Austen  SMG   (ANZAC)
Owen  SMG     (ANZAC)
Thompson SMG  (アメリカ)
MP760 (a)    (ドイツ)

M1928A1 SMG (フランス)
M1 /M3 SMG  (アメリカ)
Reising M50   (海兵隊)
M97 Shotgun (海兵隊)

MP28  (ドイツ)

ドイツ軍が1917年に開発したMP18の改良型。

MP18はドイツのテオドール・ベルグマン社で作られましたが、第一次大戦の塹壕戦でその性能を発揮、25000丁が製造されました。

(MP18は今では入手困難な貴重品です)

その後、へーネル社でヒューゴ・シュマイザーによりMP28が開発されましたが、1930年代、ドイツは武器の生産ができなかったので、他国でライセンス生産をさせました。

M28は武装親衛隊の制式サブマシンガンとなりましたが、性能はよかったものの製造コストが高くMP38/40が開発されたことで切り替わっていきました。

大戦中、MP28はドイツ国防軍には採用されませんでしたが、治安維持部隊や国民突撃隊には配備されて使用されました。

1940年まで製造されています。

9mm弾、7.65mm、7.63mm弾が使用可能。

初期の降下猟兵か秩序警察(Ordungs polizei)、あるいは対戦車銃ユニットの第2火器として搭載されています。


SIG M1920 SMG (日本)
MP18-1  (ノルウェー)(フィンランド)
MP 1934  (ベルギー)
MP28/ll (フィンランド)

第一次大戦後、ドイツは武器の製造と輸出を禁止されたため、ベルグマン社はスイスのSIG社にMP18のライセンスを譲渡し、SIG社で1920年から「SIG M1920」として生産が始まりました。

そしてSIG社は、この銃を他国に輸出させました。

日本には1931年頃に海軍が使用し始めました。

「Type Be 」(べ式機関短銃)と呼ばれ、べ式の「べ」は、ベルグマンの「べ」だそうです。

これは日本では初めての短機関銃でした。

画像のように銃身の先の下部に着剣装置があるのが日本式だそうです。

海軍では約6000挺を輸入しました。

日本軍仕様は7.63mm弾です。

ゲームでも「SNLF」(海軍陸戦隊)のユニットが携帯しています。

フィンランドとノルウェーでは、M1920をコピーし生産しています。

フィンランドは約1500挺を購入しましたが、生産はわずかに終わっています。

こちらは7.65mm。

こちらは「M18-1」となっています。

中国では大都市で大量生産され、日清戦争でも使用されました。

(ゲームには中国では登場しません)

ベルギーでは、1934年にMP28をライセンス生産をしました。

このベルギーでのライセンス生産によりドイツ軍でも使用可能となりました。

「MP 1934」(Mitraillette Pieper 1934)として、歩兵や植民地歩兵が第3火器で携帯しています。

フィンランドでは、M28をベルギーから171挺を購入し、冬戦争でも使用されました。


Lanchester SMG (イギリス)

こちらはイギリスの「ランチェスター短機関銃」

イギリスには短機関銃がありませんでしたが、ダンケルク撤退後、武器の需要が拡大したため急きょ、ドイツのMP28をコピーして生産することにしました。

ランチェスター氏がMP28を改良して設計、1941年から1945年まで95000挺が生産されました。

ほとんどが海軍部隊に使用されましたが、一部はコマンドスでも使用されています。

ゲームではコマンドス(コマンド部隊)と、RM(イギリス海軍)部隊の一部に第1火器として登場します。


Type 100 SMG  (日本)


日本軍が開発にほとんど力を入れなかった兵器の一つがサブマシンガン(短機関銃)です。

購入したMP18やMP28を参考にし研究が進められましたが、1920年から1934年まではほぼ研究は停滞したままでした。

1935年にようやく試作が完成し1939年から生産されました。

「一〇〇式機関短銃」

短機関銃を持ったり装備した日本兵の画像ってあまり見ないですよね。

そもそも陸軍に配備される予定だったこの銃は、前線にさえ到着しませんでした。

戦争終盤になり使用されたという記録はありますが、日本陸軍が戦った戦場には塹壕戦や市街戦がなく不向きだだったのでしょうか。

前期型と後期型のタイプがありましたが、前期型は1000挺、後期型は9000挺が作られました。

この後期型を製造したのが、名古屋造兵廠鳥居松製造所です。

この工場では主に九九式小銃を作っていましたが、8月14日、模擬原爆パンプキン爆弾という「かぼちゃ爆弾」を落とされています。

現在、愛知県春日井市にある「王子製紙」に工場はありました。

日本陸軍では主に空挺部隊用として使用されたそうですが、ゲームでも空挺部隊の第1火器として登場します。


MP34 (ö) (ドイツ)


オーストリアのシュタイラーゾロトゥルン社(Steyr-Solothurn)で作られた短機関銃。

表記の(ö)は、絵文字ではないですww

これはオーストリア(Österreich) のことっすw

ゲームにはMP34(o)として表記されています。

というのも、MP34という短機関銃は二つがあり、もう一つは次に紹介します。

MP34 (o) は、MP18を改良し作られ最高の素材を使用し性能が優れていたため、短機関銃のロールスロイスとまで呼ばれましたが、その分コストも非常に高かったと言われています。

1929年から1940年まで生産され、オーストリア警察で使用されていましたが、1938年にドイツはオーストリアを併合した後、SS親衛隊に配備されました。

ゲームでこの武器を装備しているユニットは重装備(sw)の歩兵ユニットの一部のみです。


MP 35/1 ・ MP34/1(ドイツ)

こちらはMP18を作ったベルクマン氏の息子のベルクマンによって作られたMP35。

1932年にデンマークのシュルツ&ラーセン社でドイツからの外注として生産されましたが、これは2000挺程度でした。

その後ワルサー社に生産工場が変わり、MP35/1 としてドイツ国内で生産されるようになり、1944年まで40000挺が作られました。

MP34/1、MP35/1、MP35などと言われるのは、若干のバリエーションの違いですが、一般的にはMP35と言われています。

ほとんどは武装親衛隊により使用されました。

ゲームでもSS部隊の一部が携帯しています。


MP38/40  (ドイツ)


↑ボードゲームの箱絵にもなった有名な写真ですねー

MP38およびMP40については説明する必要はないでしょう。

1938年から1944年の間に104万挺が生産されました。

大戦当初は小隊長や分隊長にのみ配備されていたのですが、東部戦線での市街戦などでは威力を発揮したため、生産が大幅に増加されました。

そしてライフル銃と短機関銃という形から、アサルトライフルへと変わっていきました。

ゲームではドイツ以外でも登場しますが、今回は省略します。(めんどくさい)


MKb 42(H)  (ドイツ)


ドイツ歩兵の武器であるライフル銃や短機関銃はソ連歩兵に比べ火力不足があげられました。

短機関銃は速射性はあったものの、拳銃用の9mmルガー弾を使用していたため威力と射程の問題がありました。

そこでこれらの問題を解決するため、新型の自動小銃の開発が進められました。

MKb42は、ヘーネル社とワルサー社がそれぞれ研究開発をし、1941年、ヘーネル社のMKb42が採用されることになりました。

MKb 42(H)の(H)はヘーネル社のHです。

この銃の設計は「ヒューゴ・シュマイザー」氏で、MP40の前身であるMP28、MP34を設計した人で「短機関銃の父」とも呼ばれた人。

1942年に実験用に前線で使用された結果、兵士からは好評でしたが、1943年までに試験用に12000挺が生産されますが、ヒトラーに生産中止を命じられました。

しかしその後も密かに開発は進められていき、MKb 42(H)は若干改良され、MP43となりました。

15000挺が作られ、初めは武装親衛隊に配備されましたが、1943年10月、東部戦線のドイツ第93歩兵師団に実験的に配備され実用性が実証されました。

ゲームでは、MKb 42(H)として1943年12月までの歩兵部隊、SS部隊の一部が携帯しています。

StG44  (ドイツ)



ヒトラーによる生産中止命令にもかかわらず、極秘に開発が続けられたMP43は、前線の兵士たちの熱い要望によりヒトラーを動かしました。

1944年、MP43はMP44として採用されることになり、そして「Sturmgewehr 44」(StG 44)と改名されました。

ここに初めて「アサルトライフル」という言葉が誕生、生産されたStG44は東部戦線の部隊から配備されていきましたが、MP40に比べ射程が長く精度もよく極寒の中でも故障しない優れた銃でした。

425000挺が生産されています。

射程は8

ゲームには登場しませんが、「StG 45」というアサルトライフルを紹介してきます。


こちらはモーゼル社が設計した銃で、「StG 45(M)」ともMP45(M)とも言われます。

もちろん(M)は、モーゼル社のこと。

StG44の改良版として作られましたが、時すでに遅くわずか30挺が作られたに過ぎませんでした。

ゲームにも登場しません。


Sten  SMG  (イギリス)


イギリスが開発したステン短機関銃。

イギリスにとってダンケルクの撤退は、ある意味新しい兵器の開発へのきっかけとなりました。

なんせ兵士に持たせる武器がないw

ドイツ空軍はそんなことを知ってか、ドーバー海峡を渡りイギリス本土を空襲し武器製造工場を攻撃します。

ますますやばい。

そんなことでイギリスは低コストで作れる武器の開発に乗り出しますが、イギリスにはドイツのMP28をコピーした「ランチェスター短機関銃」がありましたが、ランチェスター短機関銃は性能はよかったもののコストが高かったため、それほど多くは生産されていませんでした。

出来る限り安く作れ!

1941年に作られた最初のステン短機関銃タイプ「Mk I  Sten 」は、製造単価がわずか7ドル60セントというとんでもない安さで作られました。

低コスト、低性能だったため兵士からは、それはそれは最低なあだ名がつけられた銃ですが、終わってみれば成功した銃となりました。

ゲームでも射程は3ではなく2となってます。

イギリスお得意の改良に次ぐ改良を重ね、400万挺が生産されました。

ちなみに高性能、高コストのランチェスター短機関銃は後継銃として「スターリング短機関銃」が作られます。

スターリング短機関銃は大戦中に設計されましたが生産は大戦が終わってからされ、その後1990年代までイギリス軍で使用されました。

スターリング短機関銃はゲームには登場しません。


MP749 (e)  (ドイツ)

↑分かりずらいですが、左の兵士の持っている武器が「MP749(e)」

ドイツ軍はイギリス軍から鹵獲した「ステン短機関銃」を「MP749(e)」として採用しています。

1942年8月の上陸作戦「ディエップの戦い」でイギリス軍から多数の武器を鹵獲しました。

ステン短機関銃の「Mk .I」は「MP748(e)」、「Mk .V」は「MP751(e)」となっていたそうです。

MP749(e)は、200万挺と最も多く生産された「Mk .II」だと思います。

ゲームには「MP749(e)」として秩序警察部隊「Ordnungs polizei」の1部隊にのみ登場します。


Austen  SMG  (ANZAC)


オーストラリア軍の武器はほぼイギリスから供給されていましたが、ダンケルク撤退後、イギリスから武器を供給することが困難になりました。

そのためオーストラリアも独自で武器の製造をすることになっていきます。

この短機関銃は、イギリスのステン短機関銃とドイツのMP40を合わせたような設計になっていますが、名前はオーストラリアとステンを合わせた「オーステン」となっていますw

1942年から2万挺が生産されました。


Owen  SMG  (ANZAC)

オーストラリア軍の軍人であったオーウェンによって開発された短機関銃。

画像の銃をかまえた人物がオーウェン氏w

若きオーウェン氏はなんと独学で自家製の銃を製作していきます。

1938年、銃は完成しましたが軍はそんなものに興味すら持ちませんでした。

1940年オーウェンは兵役に就くため家の前に無造作にこの銃を出してあったのを偶然、金属加工会社の人が見つけ、そこからこの銃の運命が拓かれていきます。

その後オーウェンは入隊しますが銃は開発されていき、1941年のテストに合格、1942年から生産が始まり、5万挺が生産されました。

短機関銃は日本軍とのジャングルでの近接戦闘に効果を発揮しました。

オーストラリア軍ではオーステン短機関銃よりも、オーウェン短機関銃の方が人気が高かったそうです。


Thompson  SMG (アメリカ)
MP760(a)  (ドイツ)


アメリカの軍人ジョン・トンプソンによって作られた「トンプソン短機関銃」

別名トミーガン。

この短機関銃も第一次大戦の塹壕戦を想定し作られ、1917年に開発が始まり、1920年に最初のM1919 が完成。

その後、改良が重ねられ1939年に、M1928A1が軍により採用されました。

56万挺が生産され、世界各国で使われました。

日本軍もシンガポールで降伏したイギリス軍から鹵獲しています。

(ゲームには登場しません)

ドイツ軍は鹵獲したトンプソンM1928A1短機関銃を「MP760 (a)」として使用しました。


M1928A1 SMG (フランス)


アメリカのトンプソン短機関銃

トンプソン短機関銃は本国アメリカよりも他国で先に認められました。

WW2勃発直後、イギリス、フランス、スウェーデンはこの銃を採用し購入しました。

これによりアメリカも再評価をし、その後大量に生産されることになりました。

フランスは3750挺のM1928を購入しています。


M1 / M3  SMG  (アメリカ)


トンプソン短機関銃を改良して作られたのがM1、M1A1型で、これは1928型に比べるとコストも費用も半分に抑えることができ、大量生産されました。

トンプソン短機関銃は大戦当時、主力の短機関銃として使用していましたが、さすがに設計されたのが1920年代だったことから、アメリカは新しい短機関銃の設計に乗り出します。

トンプソン短機関銃の後継銃として開発された「M3短機関銃」です。

別名「グリースガン」

見た感じが↓のグリースガン(グリースさし)だったことからそう付けられました。


見て分かるようにM3は鋼板のプレス加工と溶接のみでできていて、非常に安く作ることができました。

アメリカでは1943年ごろから配備されましたが、実際に使われたのはノルマンディー上陸作戦での空挺部隊が初めだそうです。

M3短機関銃は戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争で使用されたり、中国がコピーしたりして活躍しました。

また様々なアニメや映画にも使用されたため、どこかで見た気がする人も多いのではないでしょうかw


そういえばこの人も持っていました。

ゲームでは「M1 / M3 SMG」として登場します。

Reising 45 SMG  (海兵隊)


これはアメリカのH&M Firearmsという銃を作っている会社で作られたもの。

1941年に警察用として開発されました。

太平洋戦線のようなジャングルでの戦いで短機関銃は威力を発揮しましたが、トンプソン短機関銃は不足しており海兵隊までは供給されませんでした。

そこでこの「レイジング M50」が採用されましたが、扱いにくく信頼性が低かったそうです。

約1万挺が生産され海兵隊によって使用されました。

ゲームでも海兵隊にのみ登場します。


M97 Shotgun  (海兵隊)

ついでにショットガンの紹介を一つだけしておきます。

M97 ショットガンは、「ウインチェスターM1897」とも言われます。

アメリカのショットガンの歴史は古く南北戦争でも使用されました。

第一次大戦では塹壕戦での威力がすさまじく、トレンチガン(塹壕ガン)とも言われ、ドイツからは戦争法に違反しているといちゃもんが付けられたほどです。

第二次大戦の欧州戦線ではほぼ使用されませんでしたが、太平洋戦線では優れた武器となり海兵隊に重宝されました。


ゲームでは海兵隊にのみ登場します。

余談ですがバイオハザードではハンターを倒すにはショットガンですよね。


> 短機関銃 2