Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

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航空機 7


Junkers A-20 (ブルガリア)

Junkers A20

ドイツのユンカース社が開発した高速連絡機。

1923年に初飛行

生産は43機

ゲームでは偵察機としてブルガリアに登場します。

1930 年1月〜1936年12月

Junkers A20


Caproni 113 (ブルガリア)

Caproni Ca113

出ました!カプロニの登場です。

カプロニはイタリアの航空機会社です。

カプロニについては輸送機「Caproni Ca.133T」のところで触れました。

ここで登場するのは、練習機としての複葉機です。

「Caproni Ca.113」は1931年に初飛行

飛行機としての性能はよく、多くの曲芸飛行の記録を持つ機体です。

この機体はイタリアだけでなく、 子会社のあるブルガリアでも生産され、107機が生産されました。

そしてほとんどはフルガリア空軍により使用され ました。

1936 年1月〜1941年12月

Caproni ca113


Letuv S 328 (ブルガリア・チェコ)

Letov S328

「Letuv S328」はチェコスロバキアの偵察機。

(ゲームでは「Letuv」表記だが、 「Letov」という表記が一般的)

このレトフ機は、「S-28シリーズ」として1928年に初めて「S- 128」が作られました。

その後、 「S-128」「S-228」を経て、「S-328」が開発され、これが生産化されました。

シリーズは「S -428」「S-528」と続き、生産は全て合わせて470機です。

ブルガリアはドイツ軍のチェコ占領後、 ドイツ軍から62機を購入しました。

チェコでは1935年1月〜1939年3月まで

ブルガリアでは1939年3月〜1946年12月まで

Letuv s328


Cr.42 CN Falco (イタリア)

Cr.42

通称 「CR.42」、または「FIAT CR.42」はイタリアのフィアット社で作られた第二次大戦最後の複葉戦闘機です。

初飛行は1939年

複葉機としては世界最高速度を記録するほど優れた機体でしたが、当時の最新鋭の戦闘機には勝てず、生産された1819機のうち、ほとんどが撃墜されてしまいました。

しかし大戦末期になっても、 ドイツでは夜間攻撃がこの機体で行われ、しかも生産も続いていたと言われます。

偵察機としてはイタリアのみに登場

1943 年9月〜1946年12月

CR.42


I.A.R.39  (ルーマニア)

I.A.R.39

I.A.R.39 はルーマニアのIAR社で作られた偵察機兼軽爆撃機。

IAR社とはルーマニア航空機工業。

この「I.A.R.39」は「I.A.R.37」を改良した機体です。

95機が生産されました。

1939年1月〜1946年12月

IAR39


WM-21 Solyom (ハンガリー)

WM-21 Solyom

「Weiss WM-21 Solyom」はハンガリーの「Weiss」社で作られた偵察機兼軽爆撃機です。

オランダの「Fokker C.V」を元にして作られました。

1937 年に初飛行

生産は128機ですが、1945年まで前線で使用されました。

1936 年1月〜1942年12月

Weiss WM-21 Sólyom


Nieuport NiD52 (スペイン・ベルギー)

Nieuport NiD52

「Nieuport - Delage NiD52」はフランスの戦闘機です。

初飛行は1927年

主にスペイン内乱で両国により使用されました。

135機が生産されました。

ベルギーも「NiD72」を3機購入しました。

スペインでは1930年1月〜1936年7月

ベルギーでは1930年1月〜1934年12月

Nieuport NiD52


Gonzalez GP-1 (スペイン)

González Gil-Pazó GP-1

この「Gonzalez Gil-Pazo GP-1」はスペインの練習機。

初飛行は1934年

わずか4機が作られました。

1936年7月〜1939年4月

González Gil-Pazó GP-1


Mitsubishi F1M (日本)
F1M2 Mitsubishi (タイ)

F1M2

いよいよ偵察機シリーズも最後です。

日本軍機の紹介です。

この機体は「零式水上観測機」と呼ばれ、略符号は「F1M」。

初飛行は1936年

日本海軍で使用され、1118機が生産されました。

生産型は「F1M2」型で、 ゲームに登場する日本とタイの機種もこの型です。

タイではタイ海軍でも使用されました。

日本では1938年1月〜1946年12月

タイでも1938年1月〜1946年12月

ゲームで日本に登場するこの機体は、 「Amphibious」(水上移動)値が3になっていますが、特に役に立つものではありません。

F1M


E13A1 Aichi (日本・タイ)

E13A1

こちらは「零式 水上偵察機」で「E13A」

愛知航空機が開発しました。

真珠湾やミッドウェー海戦などで偵察機として活躍しました。

生産は1418機

タイにも少 数が送られています。

また、戦後は中国軍やフランス軍が鹵獲した機体を使用しています。

日本では1941年1月〜1946年12月

タイでは1942年1月〜1946年12月

E13A1


Aichi D1A (日本)

Aichi D1A

この機体は通称「九四式艦上爆撃 機」、 海軍記号は「D1A1」

この機体が偵察機に使われたかどうかはよく分かりません。

ドイツのハインケル He 66を元にして作られました。

初飛行は1934年

生産は162機

1930年1月〜1941年3月

ゲームで登場する年代が早 す ぎますね。

(この機体に関しては、偵察機として登場させたことと、年代が早すぎること、 など制作スタッフのミスなのかもしれません)

Aichi D1A


E9W1 Watanabe (タイ)

九六式小型水上偵察機

通称 「九六式小型水上機」、「E9W」

1935年に渡辺鉄工所で作られました。

日本海軍の潜水艦搭載用の機体であり、潜水時は潜水艦の格納庫に分解して格納できるようになっていました。

初飛行は 1935年

33機が生産されました。

しかしタイで使用されたかどうかは不明です。

タイでは1943年1月〜1946年12月まで

九六式小型水上偵察機


Ki-79a Nakjima (タイ)

Ki-27a

さて問題の機 体の登場です。

タイに登場するこの日本の飛行機ですが、「Ki-79a Nakajima」とあります。

そもそも「Nakajima」ではなく、「Nakjima」になっているところも怪しいですが。

こ の名前の機体は実は存在しません。

一応、「Ki-79」はありますが、中島ではなく、これは「満州飛行機」の製作 で練習機です。

そして中島の機体では、「Ki-27a」というのがあり、これは「九七式戦闘機」と呼ばれているも のです。

それでゲームのタイでは戦闘機として登場する「Ki-27a Nakajima」という機体があり、画像やアイコンは全く同じであることから、これは「Ki-27a Nakajima」であると判断しました。

これも制作スタッフのミスでしょうw

(検証報告にも書いておきます)

九七式戦闘機は1936年に初飛行

3386機が生産されました。

タイにも輸出され、米軍機と戦っています。

1939年6月〜1946年12月

九七式戦闘機


Mitsubishi Ki15  (満州国)

九七式司令部偵察機

いよいよ最後となりました。

最後は「九七式司令部偵察機」です。

三菱重工業で作 られたこの機体は、世界初の戦略偵察機として活躍しました。

要するに高速で敵の戦闘機を振り切り、かつ中国奥地に まで潜入できる機体であったということです。

初飛行は1936年

約500 機が作られました。

満州国では1940年1月〜1945年12月

九七式司令部偵察機