Steel Panthers World War 2 JAPANESE HQ
<ドイツ>
StHGr 24 (ドイツ)
Geballte Ladung (ドイツ)
Panzerhandgranate 41 (ドイツ)
Panzereurfmine L / K (ドイツ)
Gewehrgranate (ドイツ)
PzGwrGranate 30 / 40 (ドイツ)
PzGwrGranate 46 / 61 (ドイツ)
Kampfpisole (ドイツ)
Brandflasche (ドイツ)
Haft-HL3 (ドイツ)
Panzerhandmine 3 / 4 (ドイツ)
Tellermine (ドイツ)
Rohrladung (ドイツ)
<日本>
Type 91 Grenade (日本)
Type 10 Grenade (日本)
Type 97 Grenade (日本)
Type 91 Rifle Grenade (日本)
Type 2 Rifle Grenade (日本)
5cm Type 10 GL (日本)
5cm Type 89 GL (日本)
Lunge Mine (日本)
Type 99 AT Mine (日本)
Type 3 AT Grenade (日本)
<フィンランド>
Kasapanos (フィンランド)
Pole Mine (フィンランド)
Molotov (フィンランド)
ドイツのM24型柄付手榴弾
正式名称、Stelhandgranate 24
連合軍からは「ポテトマッシャー」(じゃがいもつぶし)とも言われました。
1915年にM15が開発され、WW1で使用されました。
その後、M16、M17と少しづつ改良型が出ましたが、基本的な形は同じです。
1924年に作られたM24型は、ドイツ軍の標準装備となりました。
冬季の東部戦線では凍結により、ヒューズが作動しないことが確認されたため、耐寒性爆薬が開発され、ドイツ語の「Kalt」(Cold)を表す「K」が表記されたものが作られ、配備されました。
大戦中だけで7500万個が作られました。
また1943年にM43型が作られ、低コストで安全性の高いものとなりました。
ゲームではドイツ軍の手榴弾はHand Granadeとなっていますが、M24型のことです。
中国軍はドイツからこの手榴弾も購入し、中国人の体系に合わせ、10cmほど短くした鞏式柄状手榴弾を作りました。
また日本軍は日中戦争で中国軍から鹵獲したドイツ製のM24手榴弾を元に九八式柄付手榴弾を満州の工場で生産しました。
PEN値1
KILL値6
ドイツの対戦車用収束手榴弾
一般的な和訳では梱包爆薬になりますが、昔からこの武器は収束手榴弾と言われました。
7つの手榴弾を束ねて対戦車用に使用しました。
大戦初期のドイツ軍歩兵には対戦車武器がなかったため、このような武器が使用されました。
戦車の装甲を破壊するというよりは、爆発により内部装甲が剥がれ、乗員にダメージを与えることができました。
PEN値2
KILL値7
ドイツの対戦車用手榴弾
正式名称は、Panzerhandgranate 41
ドイツで最初に作られた対装甲車用の手榴弾です。
1943年初めに作られ、50万個が生産されました。
重さが1kg弱あり、約30mmの装甲に有効だったそうですが、評判が悪く、すぐに吸着地雷へと開発が向けられました。
主に戦車の装甲ではなく、エンジン部分に投下させエンジン故障を狙うのが目的とされましたが、あまり効果がなく1943年には生産が終わっています。
写真もほとんど残っておらず、この兵器に関しては詳しいことは分かりません。
後にPanzerwurfmine が開発されました。
PEN値2
AP弾のみ
ドイツのパンツァーヴルフミーネ
成形爆薬の対戦車用手榴弾です。
このように投げると傘のようなものが開きます。
パンツァーファウストと構造がよく似ていました。
1943年5月に生産が始まり、20万3000個が作られました。
ドイツ空軍により開発されたため、主にドイツ空軍の地上部隊や空挺部隊で使用されました。
Panzerwufmine LのLang(ドイツ語)は「長い」を意味し、その後、Panzerwugmine Kurz(短い)が作られましたが、90度の角度で命中させることが難しいこともあり実用的でなかったことから生産中止になりました。
L型は80mm、K型は150mmの装甲を貫通できたと言われています。
PEN値10(L)、15(K)
HEAT弾のみ
ドイツのライフルグレネード(榴弾)
ドイツ軍には様々な種類の対人用のライフルグレネード弾がありました。
どのタイプも同じグレネードランチャーで使用できました。
ランチャーに擲弾を装着させ、空砲で発射させます。
またこれらの擲弾は手榴弾のように投げることも可能でした。
射程4
PEN値1
HE弾のみ
KILL値2
通常の手榴弾と比べると、KILL値(殺傷値)が低いです。
ドイツの対戦車用ライフルグレネード30
正式名称は、Gewehr-Panzergranate 30
上記のライフルグレネードと同じグレネードランチャーで使用できました。
成形爆弾で、命中時に爆発します。
1942年2月から使用されました。
しかし射程が100mと短く、40mm装甲しか貫通できなかったため、すぐに改良型が作られました。
射程4
PEN値3
HEAT弾のみ
ドイツの対戦車グレネード40
正式名称は、Gross Gewehr-Panzergranate 40
弾頭径が40mmになり、貫通性能が向上しました。
1942年11月から使用され、大戦中、ドイツ軍で最も使用された対戦車用グレネード弾です。
最大射程は100mですが、80mmの装甲を貫通できました。
射程4
PEN値7
HEAT弾のみ
1800万発が大戦で使用されました。
ドイツの対戦車用ライフルグレネード46
正式名称は、SS. Gewehr-Panzergranate 46
1944年1月に武装親衛隊SSにより開発されたもので、通常のライフルグレネードとの互換性はありましたが、武装親衛隊にのみ使用されました。
弾頭径46mm、射程150m、90mmの装甲を貫通できました。
少数の生産となったため、レアな武器です。
射程4
PEN値9
HEAT弾のみ
ドイツの対戦車用ライフルグレネード61
正式名称は、SS. Gewehr-Panzergranate 61
1944年9月から武装親衛隊により使用されました。
これも武装親衛隊が開発した武器で、Gewehr-Panzergranate 46の改良型です。
弾頭径61mm、射程150m、120mmの装甲を貫通できました。
これも少数生産で終わり、レアな武器です。
射程4
PEN値12
HEAT弾のみ
Gewehr-Panzergranate 46と61は、武装親衛隊の「InGrp (sw) SS」の1ユニットのみ登場します。
ドイツのワルサー・カンプピストル
ドイツのワルサー社が開発した小型擲弾発射機。
よく映画でも見かける信号弾や照明弾を撃つための拳銃を擲弾専用のものとして開発したものです。
当初は榴弾を装着させましたが、成形炸薬弾(HEAT弾)が開発されるようになり、対戦車用の武器となりました。
画像は、Panzerwurfkorper 42というHEAT弾で、射程69m、90度の角度で80mmの装甲を貫通できました。
ただし発射時は反動も大きかったそうです。
射程2
PEN値3
HEAT弾とHE弾装備
KILL値3
ドイツの火炎瓶
ドイツの火炎瓶は緑色のガラスをしていました。
火炎放射器で使用するオイルが3分の1、ガソリンが3分の2の混合物で、ビンの外にゴムでできた点火用の信管に火をつけて投げました。
PEN値9
HEAT弾装備
KILL値4
ドイツの吸着地雷
正式名称は、Hafthohlladung 3
磁石により戦車の装甲に張り付け、信管を引っ張り爆破させるものでしたが、初期に生産されたものは爆破までに4.5秒しかなく爆風から身を守るのも命がけでした。
成形炸薬弾(HEAT弾)を使用していたので、3kgの爆薬で140mmの装甲を貫通できたと言われます。
1942年11月から1944年5月まで使用され、55万個が作られました。
パンツァーファウストが使用されるようになると、次第に使われなくなりましたが、備蓄がなくなるまで使用されました。
日本軍も同じような吸着させる九九式破甲爆雷を開発しています。
PEN値12
HEAT弾使用
「Panzerknacker」部隊が装備しています。
ドイツの吸着地雷
正式名称は、Panzerhandmine 3 、panzerhandmine 4
ドイツでは、PHM3とも呼ばれます。
これも戦車の装甲に磁石で吸着させる地雷です。
ただしルフトヴァッフェ(ドイツ空軍)により開発されたもので、1942年に初めての実験を行っています。
そのためHaft-Hohlladung Luftwaffe とも呼ばれます。
空挺部隊やドイツ空軍の地上部隊で使用されたそうですが、ゲームでは特に制限はありません。
詳細な記録は不明ですが、Panzerhandmine 3は3kg爆薬を使用し、130mmの装甲を貫通しました。
またPanzerhandmine 4 は4kg爆薬を使用し、150mmの装甲を貫通したと言われています。
Panzerhandmine 3は1942年から登場しますが、Pazerhandmine 4は1944年からの登場となっています。
PEN値13(Panzerhandmine3)、15(Panzerhandmine4)
HEAT弾のみ使用
ドイツの対戦車地雷テラーミーネ
テラーミーネには4種類ありました。
画像の兵士が持っているのはテラーミーネ43ですね。
ソ連兵が掘り出しているのもテラーミーネ43です。
テラーミーネ43は1943年から終戦までに360万個が作られました。
ほとんどがこのテラーミーネ43だと思われます。
TNT火薬5.5kg
東部戦線からノルマンディーまで多くの戦場で使用されました。
ゲームでは埋設用の地雷としてではなく、あくまでも歩兵の対戦車用兵器として登場します。
ユーゴスラビア(クロアチア)では、テラーミーネ43を完コピしたTMM-1が登場します。
PEN値8
AP弾のみ
ドイツのバンガロール爆薬筒
正式名称は、Rohrladung Stahl 3kg
工兵隊により鉄条網の除去に使用されました。
使い方は他国のものとほぼ同じで、ドイツ軍は3kgのTNT火薬を使用しました。
クレタ島の戦いでの降下猟兵により使用されました。
ゲームでも工兵隊のみが使用可能です。
PEN値18
HEAT弾装備
これもバンガロール爆薬のようです。
日本の九一式手榴弾
十年式手榴弾の改良型
外見上は十年式手榴弾を同じですが、十年式手榴弾よりも安全性と火力に優れていました。
1931年に制式化され、日中戦争、太平洋戦争で使用されました。
擲弾筒やライフルグレネードで使用できました。
SPWW2の日本軍は全て九一式手榴弾となっています。
PEN値1
KILL値5
日本の十年式手榴弾
1921年に開発されましたが危険性が高かったことから、1931年に九一式手榴弾が開発されるようになりました。
擲弾筒やライフルグレネードでも使用可能。
SPWW2には登場しませんが、SPWAWに登場するため紹介しました。
日本の九七式手榴弾
九一式手榴弾の改良型として1937年に作られました。
九一式手榴弾は信管を抜いて爆発までに7秒かかり、敵に投げ返されることから九七式手榴弾が開発されました。
九七式手榴弾は4秒くらいと早くなりました。
火薬の量は九七式手榴弾と同じTNT 65gですが、重さが80g軽くなりました。
九七式手榴弾はライフルグレネードとしては使用できず手投げ専用の手榴弾です。
これもSPWW2には登場しませんが、SPWAWに登場するので紹介しました。
(SPWAWには九一式手榴弾は登場しません)
日本の九一式擲弾器
擲弾器とはライフル銃で手榴弾を遠くへ飛ばすための発射器です。
なのでライフルグレネードというよりは、ライフルグレネードランチャーのことです。
日本軍には九一式、三式、二式、一〇〇式と4種類の擲弾器(ライフルグレネードランチャー)がありました。
この擲弾器に手榴弾をはめ込み、空砲を撃って遠くに飛ばしました。
画像は一〇〇式擲弾器で、インターネットには九一式擲弾器がなかったので、代わりに一〇〇式擲弾器を載せました。
また九一式は三八式歩兵銃専用の擲弾器でした。
射程3
PEN値1
HE弾のみ
日本の二式擲弾器(ライフルグレネードランチャー)
通称「タテ器」とも呼ばれます。
二式擲弾器は対戦車用として作られ、30mm対戦車擲弾と40mm対戦車擲弾の2種類がありました。
画像は40mm対戦車擲弾です。
擲弾には対戦車成形炸薬弾のタ弾で、30mm弾は貫通力が乏しく生産中止になったと言われ、40mm弾は重さ370g、全貫通で50mm、半貫通で60mmでした。
40mm弾の生産は推定約20000発。
三八式歩兵銃と九九式短小銃に対応しました。
詳細な記録が残ってないため戦果は不明ですが、軽戦車には有効的でしたが、M4中戦車には効果があったかはよく分かっていません。
しかし戦場からはさらなる弾薬の要求があったことから一定の戦果はあったと思われます。
実質の射程は50mほどだったと言われ、訓練なしでは命中させるのが難しい兵器でありました。
射程2
PEN値7
HEAT弾のみ
ゲームにはAP弾装備と表示されますが、実際はHEAT弾装備です。
「Imperial Guards」「SNLF」(海軍陸戦隊)などのエリート部隊が装備しています。
日本の十年式擲弾筒
GLは、Grenade Launcherの略
「擲弾筒」は日本が開発した独特な兵器です。
迫撃砲のように手榴弾を発射します。
1925年から1937年まで約7000挺が作られました。
口径50mm、重量は2.6kgと軽量で、飛距離はライフルグレネードよりも長く、最大で175mありました。
手榴弾は十年式手榴弾、九一式手榴弾を使用します。
射程4
KILL値5
HE弾のみ
日本の八九式擲弾筒
十年式擲弾筒は、射程距離も短く命中させるのも難しく兵士からは評判は悪かったため、改良型の八九式が開発されました。
1920年代に開発、試験が行われましたが、生産は1932年からで1945年までに約12万挺が作られました。
後に米軍により「ニー(膝)モーター」と呼ばれるようになりました。
口径50mm、重量は4.7kg、弾薬は十年式手榴弾、九一式手榴弾も使用できますが、特別な八九式榴弾という弾薬を使用することができました。
(八九式榴弾は↑の画像にも見えます)
射程は通常の手榴弾だと200mですが、特別な八九式榴弾を使用すると670mと驚異的に長くなりました。
また八九式榴弾の威力は通常の手榴弾の2〜3倍はあったとされています。
編成は射手、第一弾薬手、第二弾薬手の3名で1班となっており、弾薬は一人18発を運搬しました。
とにかく命中精度が高く、兵士はほぼどんな標的にも確実に命中させることができたと語っています。
砲撃支援のほぼなかった日本軍にとっては重要な武器でした。
殺傷範囲は10m、野砲のような着弾音も米軍の兵士を悩ませました。
日本軍は米軍の機関銃の火点を見つけると擲弾筒で機関銃座を潰し、即座に移動し、米軍を苦しめました。
射程13
KILL値5
HE弾のみ
日本の刺突爆雷(さしとつばくらい)
英語名では「Lunge mine」
大戦末期に日本軍が作った対戦車用爆弾。
竹の棒の先に円錐状の成形炸薬弾頭をつけただけの武器です。
先端にある3本の針のようなものは装甲に突き刺すものではなく、爆発の効果を保つものだそうです。
敵戦車に対し十分に接近できたら、安全栓を抜けば起爆する仕組みになっており、その際に兵士は身を隠すことも手を離すことさえもできないので助かる見込みのない兵器でした。
日本側では戦場での詳細な記録は残っておらず、逆にアメリカ側の記録から詳細なことは伝えられています。
アメリカ軍ははじめてこの兵器を見たのは1944年10月のレイテ島での戦いだと言われています。
しかしアメリカ側の記録ではこの武器の攻撃で被害が出たという報告はされていません。
PEN値15
HEAT弾のみ
日本の九九式破甲爆雷
亀の子と呼ばれました。
ドイツ軍の吸着地雷のように装甲に張り付けるタイプの対戦車地雷です。
四方に4つの磁石があり、それで貼り付けます。
1935年に考案され、1939年から実戦配備されたと言われますが、このような日本軍の肉薄用兵器には生存者が少なく、後世に語り継いだ証言も残っていません。
どれくらい作られたのか、どれくらいの戦果があった等は不明です。
この写真は海兵隊による吸着検分の様子です。
2015年に占守島で発見された九九式破甲爆雷です。
腐敗はしていますが磁石や本体の部分は残っていたようです。
占守島の戦いは1945年8月17日に行われたソ連との戦いです。
現在はソ連領ですが民間人はおらず、近年も発掘調査が行われているようです。
PEN値3
HEAT弾のみですが、PEN値は低めです。
日本の三式対戦車手榴弾
1944年に製造が始まり、2年間で25万個が作られました。
麻袋に包まれており、貴重だった金属を使用あまり使用していなかったこともあり、これだけ作られたのかもしれません。
現地でも手製で作ることができました。
上に飛び出している麻束をつかんで投げるそうですが、重量が700〜800gと重く、それほど遠投はできなかったため、道連れで使用したことでしょう。
フィリピンの戦いや沖縄戦で使用されたと言われますが、どれくらいの戦果があったのかは不明です。
PEN値6
HEAT弾使用
フィンランドの梱包爆薬
フィンランドでKasapanosと言います。
ゲームでは「Grenade Bunbde」で登場します。
フィンランド製の手榴弾m/32をドイツ軍の収束手榴弾のように束ねました。
束ねられた手榴弾は緑の薄い金属のカバーで覆われています。
1936年に開発され、2kg、3kg、4kgとサイズがありました。
また戦場で兵士により手製の爆薬も作られました。
フィンランドでは継続戦争で85000個の梱包爆薬を使用しました。
1944年ごろからパンツァーファウストが導入されましたが、梱包爆薬は終戦まで使用されました。
PEN値2
KILL値7
フィンランドのバンガロール爆薬筒
バンガロールの詳細はこちら
フィンランド語では「Putkiraivain」と言います。
フィンランド軍でも工兵部隊により鉄条網や地雷の爆破のために使用されましたが、詳細は不明です。
この画像はフィンランドの工兵部隊の訓練の様子です。
木材のようなものがバンガロール爆薬筒だそうです。
他にもフィンランドで作られた梱包爆薬を携帯しているのが分かります。
PEN値18
HEAT弾使用
フィンランドのモロトフカクテル(火炎瓶)
モロトフカクテルが装甲車輌に初めて使用されたのは1936年のスペイン内戦ですが、フィンランドのモロトフカクテルは冬戦争の直前にクイッテネン大尉により開発されました。
この「モロトフカクテル」という名前はフィンランドがソ連の外務大臣だったヴャチェスラフ・モロトフという当時スターリンの片腕とされた人物から取ったもので、これには逸話がありますので紹介しておきます。
冬戦争の初日、ソ連はフィンランドの民間人を空爆しました。
その空爆にフィンランド政府は抗議すると、モロトフは「これは空からパンを投下しているのだ」と言ったそうで、そのとき投下した焼夷弾をフィンランドは「モロトフのパン籠」とあだ名をつけました。
フィンランドは焼夷弾のモロトフのパン籠に対して、そのお礼を火炎瓶でお返しするという意味でモロトフと名付けました。
フィンランドのラヤマキというウォッカを蒸留する有名な地があり、そこで約50万本のモロトフが作られました。
ソ連軍はここを空爆しましたが工場は爆撃を免れたそうです。
冬戦争でソ連軍は1919輌の戦車、装甲車を失いましたが、そのうち436輌が火災により損失し、これはモロトフカクテルによるものだと言われています。
この冬戦争の戦果はT-26戦車などで、戦車後部のエンジンがある辺りを目がけて投げれば、ガソリンがエンジンに引火しやすいことを知っていたことが要因です。
その後、ソ連軍はディーゼルエンジンに切り替え、T34やKV-1などはエンジンが完全に防備されたため、火炎瓶では全く破壊できなくなりました。
そのため1942年頃からは対戦車用兵器としての火炎瓶の使用を廃止しました。
PEN値9
HEAT弾使用
KILL値4