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航空機 6

PZL L-2a (ポーランド)

PZL L-2

PZL L-2はポーランドで作られた機体です。

1930年に初飛行をし ましたが、ポーランド空軍ではこの機体よりも「Lublin R-XIII」を採用することにしたため、生産は34機のみです。

1930 年1月〜1933年4月

PZL L-2a


Lublin R-XIII A  / D / G  
Lublin XIX
(ポーランド)

Lublin R-XIII D
Lublin R-XIII G

「ルブリン R-13」はポーランドで作られた偵察機です。

ルブリンというのはルブリン国営工場のことですが、 最初に造られたこの機体はルブリン国営工場ではなく、「プラーゲ・イ・ラスキーウイッツ」社でした。

しかし「プラーゲ・イ・ ラスキーウイッツ」社が倒産、その後、ルブリン国営工場で生産されました。

初飛行は1931年

ポーランド空軍と海軍により使用されました。

1939年のドイツ軍との戦い直前にはポーランド空軍には150機の 「ルブリン R-XIII」があり、そのうち40機が破壊されましたが、ドイツ軍機や高射砲で撃ち落されたのはわずか数機っだったと言われます。

このルブリンR-13は、試作機を含めると16種類もタイプがあります。

(SPWW2はポーランドびいきなので 試作機でも登場します)

ゲームに登場するものだけを紹介しておきましょう。

「Lublin R-XIII A」はプロトタイプ(試作機)で1機のみ

1932年6月〜1936年9月

「Lublin R-XIII D」は標準型といわれるタイプで、95機が生産

1935年9月〜1939年9月

Lublin R-XIII D

「Lublin R-XIII G」は画像下のように水上型で海軍が使用、6機

1934年7月〜1939年9月

「Lublin XIX」(16)はV字尾翼の試作機で、1機のみ

1935年1月〜1939年10月

Lublin XIX


RWD-8 (ポーランド)

RWD-8

「RWD-8」はポーランドの練習機です。

戦前はポーランド空軍だけでなく民間機用としても使用されました。

1933年に初飛行、1934年から1939年 の 間に550機以上が生産されました。

1933年1月〜1939年10月まで

RWD-8


RWD-14b Czapla (ポーランド・ルーマニア)

RWD14b Czapla

上 記のRWD-8をさらに発展させて作ったのがこの「RWD-14」

この機体は始めから偵察機として作られました。

1935 年に初飛行をしましたが、その後、RWD社が売却されたため、LWS(ルブリン国営工場)で生産されました。

そのため「LWS Czapla」とも呼ばれます。

試作機を含め69機が生産されました。

対 ドイツ戦では49機の機体が偵察機をして活躍しましたが、35機が撃墜され、残りの14機はルーマニアで回収されました。

1938年8月〜1939年9月

ルーマニアはポーランドから回収した機体をそのまま使用しました。

ルー マニアでは1939年10月〜1944年8月

RWD-14b Czapla


LWS-3 Mewa (ポーランド)

LWS-3 Mewa

これもポーランドのLWS社(ルブリン国営工場)で作られた偵察機。

1938年に初飛行

RWD-14 Czaplaよりも最新の偵察機で、30機が完成していたそうですが、実戦には参加することができませんでした。

「MEWA」 はかもめの意味

1939年7月〜1939年9月

LWS-3 Mewa


PWS-26 (ポーランド)

PWS-26

ポーランドの最後の偵察機です。

こちらはPWS社(ポーランド航空機工場)で作られた練習機。

1935年に初飛行

320機が生産されました。

1937年1月〜1939年10月

PWS-26


Fieseler Storch 
(ドイツ・ブルガリア・ルーマニア・ノルウェー)

Fieseler storch

お待たせしました。

ようやくドイツまできました。

「Fieseler Stroch」はドイツが開発した偵察機・連絡機で、「Fi 156 シュトルヒ」とも呼ばれます。

シュトルヒは「こうのとり」の意味

フィーゼラー社により開発されたこの機体は、大変優秀な機体でした。

各国の偵察機を見ていて気付くことは、滑走路での離 陸までの距離が短い機体が戦時には活躍しているということ。

その点、この「Fi 156」は離陸までに50m、着陸にはわずか20mあればよかったとされています。

最大速度は175km/hです が、低速では50km/hで飛ぶことができたため、遅すぎて戦闘機が後方につけず、あまり撃墜されることはありませんでした。

1936年に初飛行、1937年から運用が始まり、第2次大戦の全ての戦線で使用されました。

また、前線の偵察だけでな く、負傷兵の輸送や要人の救助にも使われました。

有名な話は、1943年9月12日、幽閉されていたムッソリーニをオットー・スコルツェニーが救出した「グラン・サッソ襲撃」があります。

約2900機が生産され、戦後も生産は続きました。

ドイツでは1938年6月〜1946年12月

ブルガリアでは1941年3月〜1944年9月

ルーマニアでは1941年1月〜1946年12月

ノ ルウェーでは1945年1月〜1946年12月

Fieseler Stroch


S14 Fi. Stroch (スウェーデン)
Fi 156 Ciguena (スペイン)
CASA C-156 (スペイン)

S14 Fi. Stroch

ス ウェーデンは上記の「Fieseler  Stroch」の改良型「Fi 156 K-1」を購入しました。

1938年1月〜1946年12月


Fi 156 Ciguena

スペインでは「Fi 156 Ciguena」と「CASA C-156」で登場します。

「Fi 156 Ciguena」の「Ciguena」はスペイン語のこうのとりです(笑)

こちらはドイツから購入した機体で 1937年1月〜1939年8月

「CASA C-156」はスペインのCASA社で作られた「Fi 156」

1939 年9月〜1946年12月


He 46 (ドイツ)
He 46E-2un (ハンガリー)

He 46

ドイツのハインケル社が開発した偵察機

「Heinkel He 46」

初飛行は1931年とかなり古い。

生産は1933年から1936年までで約500機。

ドイツでは1940年ごろまで偵察機として使われた後、一線を退きましたが、夜間爆撃機として1943年まで再び使用されました。

ドイツでは1933年1月〜1938年5月

ハンガリーに登場する機体は改良生産型の「He 46E-2」

1942年1月〜1946年12月

He 46


Heinkel 45 (ブルガリア)

He 45

「He 45」はドイツのハインケル社で開発された軽爆撃機

初飛行は1931年

「He46」 と共に開発され、当初は練習機として作られたが、後に、偵察機や軽爆撃機として使用されました。

512機が生産さ れました。

ゲームでは偵察機としてはブルガリアで登場。

1939年1月 〜1942年12月

He45


FW 189 Uhu (ドイツ)
FW 189 Oko (ブルガリア)

FW189

FW 189

「Focke Wulf 189」はドイツのフォッケウルフ社で開発された偵察機。

1938年に初飛行

「Uhu」 (ウーフー)はワシミミズクの意味

双胴式の双発機というなんとも変わった機体です。

かといって、秘密兵器でも何でもありません。

いや〜ほんとに見れば見るほど当時の飛行機とは全然異なるので面白い。

乗員は中央のガラス張りのコックピットに乗り込み、ここから下界を偵察したそうですが、視界が効いていて、その上、飛行も安定していたため、乗員からは大変好評でした。

1940年から部隊配備されました。

864機が生産されまし た。

ゲームでは偵察機のほか、爆撃機や戦闘機でも登場します。

ただしこち らの「UHu」は、「パンターG Uhu」のように、赤外線暗視装置を装備しているわけではないので、ゲームでは夜間だからといって特別な性能はありません。

ブルガリアに登場する「FW 189 Oko」も同じ機体。

「Oko」はブルガリア語で「目」の意味。

ドイツでは1940年9月〜1946年12月

ブルガリアでは1943年1月〜1944年9月

FW189

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