#229 Brest Litovsk (1941.6.22)
#034 The Fallujah Road (1941.5.17)
#441 Sidon (1941.6.15)
#282 With something to Prove (1941.6.15)
今回は要塞戦の紹介です。
第二次大戦ではいくつかの要塞戦がありました。
「要塞」という言葉を聞くと胸がときめくのは、ミリオタだけかもしれません。
「ナバロンの要塞」(1961年)
「荒鷲の要塞」(1968年)
「テレマークの要塞」(1965年)
テレマークの要塞は見てませんw
ナバロンの要塞と荒鷲の要塞は見ました。
ナバロンの要塞は最近、DVDで見直しましたが、やっぱりいい映画です。
今回、紹介する「ブレスト要塞」ですが、
こちらはなんと2010年にロシアで映画化されています。
最近のロシア語の戦争映画は、がっかり映画が多いですが、この映画はベラルーシも協力していて、なかなか面白そうです(汗)
それでは、ブレスト要塞についてみていきましょう。
「ブレスト」と聞いて、「ブレスト=リトフスク条約」を思い浮かべる方は、若い頃、かなり世界史を勉強した方でしょう。
「世界史は苦手だった」
とお嘆きの貴兄のために、ご説明すると、
「ブレスト=リトフスク条約」というのは、第一次大戦の終結を巡って1918年にドイツ側(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、その他)とロシア(ソ連)が結んだ講和条約です。
というのも、第一次大戦でロシアはドイツに完璧に打ち負かされました。
そしてロシア国内の政情が悪化、1917年、ロシア革命が起こり、ソ連が成立します。
ソ連としては一刻も早く戦争を終わらせたかったため、ブレスト=リトフスク条約を締結しましたが、この条約はソ連にとって一方的不利となる賠償が条件でした。
しかし1919年のヴェルサイユ条約でこの条約は失効となり、その後、破棄されました。
そんな歴史の舞台となったのが、ブレストという場所です。
現在はベラルーシという国の一都市で、人口はわずか29万人。
ベラルーシと言えば、金髪美女が世界で最も多い国ですよね〜
「夢のようです」
そのブレストに要塞を作ったのは、19世紀の初期だと言われます。
要塞は星形の輪郭をしています。
これは中世の要塞に多く、日本にもいくつかありますよね。
ブレスト要塞は、この旧要塞を外側をさらに大きくして作られました。
独特な赤レンガの壁で作られた砦は12000人を収容でき、要塞の外堀はブーク川とムハヴェツ川によって守られています。
それでは戦闘を見ていきましょう。
1941年6月22日にブレスト要塞の戦闘は始まりました。
6月22日というと、ドイツ軍による「バルバロッサ作戦」が開始された日です。
そうなんです。
このブレスト要塞というのは、ポーランドの国境付近にあり、ドイツ軍は既にポーランドを占領しポーランド国内にいますので、ブレストはソ連侵攻と同時に最初の目標となりました。
6月22日午前3時15分に始まったバルバロッサ作戦、ポーランド国内で対峙するドイツ軍からはまずか数キロしか離れておらず、まさしく目と鼻の先の目標でした。
その辺の内容は、パウル・カレルの名著「バルバロッサ作戦」の「上巻」に書かれていますのでそこから参照していきます。
「第45歩兵師団は6月22日には、この古い国境の要塞でどれほどの血を流すことになるか、まだ予想もしていなかった。プラクサ大尉はブレスト要塞心臓部への攻撃をごく慎重に準備した。第135歩兵連隊第3大隊は西島と兵営のある中央区を占領することになって、図上演習を正確に行った。航空写真と古い市街図をもとに市の模型を作り上げた。これはポーランド戦のときのもので、ソ連側に引き渡すまで、ブレストはドイツ軍が占領していたのである。ここは歩兵でしか落とせないということは、はじめからグデーリアンの参謀たちにはわかっていた。戦車では歯が立たないのだ」
第45歩兵師団は、ゲームに登場する部隊です。
ドイツ軍にとって、ブレスト要塞というのは、ポーランド戦で一度占領していて、その後、独ソ不可侵条約に基づき、ソ連側に引き渡していたので、実はどれだけ難攻不落の要塞かは分かっていました。
続きを見ていきましょう。
「3時15分に砲撃が始まったとき、第135歩兵連隊第3大隊はブーク前面30メートルの地点に伏せていた。西島のすぐ前である。大地は震え、空は火と煙にのまれた。要塞を射すくめるべき砲兵とは、あらかじめ各方面にわたり相談ができていた。4分ごとに弾着を100メートル延伸する。地獄の精密作業である。
これでは瓦礫しか残るまい・・・・川の手前で地面にぴったりと伏せていた兵士たちは考えた、それが願望だった」
この日からドイツ軍は敗北の道に進んでいきますが、それが分かっている立場で読んでいくと、とても緊張感を感じてしまいます。
このシナリオではブレスト要塞の全体ではなく、北島と西島の戦闘を再現していることが分かります。
ということはドイツ軍の戦力は、第45歩兵師団の第135連隊第1大隊と、第3大隊ということでしょう。
ブレスト要塞の戦いは、ドイツ軍は第45歩兵師団の17000名。
要塞を守るソ連軍は、第6、第42ライフル歩兵師団、国境警備隊、そしてNKVDなど約9000名。
当初、ドイツ軍は一日で陥落させることが目標でしたが、29日に守備隊が降伏するまで、ほぼ一週間がかかりました。
損害は、
ドイツ軍が死者429名、負傷者668名。
ソ連軍は死傷者2000名、捕虜6800名。
このドイツ軍の死者429名は、6月30日までにドイツ軍が東部戦線で出した死者数8886名のうちの5%以上に至っており、このブレスト要塞での戦闘の過激さを物語っています。
30日にソ連軍に撤退命令が出され、7月2日に生き残った部隊は要塞を放棄しました。
ところが・・
(いつもここからオチが始まります)
ドイツ軍に占領されたブレスト要塞でしたが、少数のソ連の残存兵は要塞の地下に潜んで身を隠していました。
そしてドイツ軍と徹底抗戦をしました。
7月23日、ついに残存兵らはドイツ軍に捕らえられました。
戦後、ソ連ではプロパガンダの目的でこの要塞に立て籠もってドイツ軍に抵抗した兵士を英雄とし物語を作り出しました。
実際にこの要塞で7月23日の最後までドイツ軍に抵抗した兵士「ピョートル・ガブリロフ」は、捕虜になり収容所生活をしていましたが、戦後、解放されるとすぐに、英雄となりました。
戦後はシベリアで日本人収容所の所長をしていたこともあります。
1957年にすごい勲章を授与されました。
国家最高の勲章です。
ジェームス・ボンドも1985年の「007美しき獲物たち」の映画の中で受章しているそうです。
さて、シナリオの方を見ていきましょう。
ゲームでは、バルバロッサ作戦の口火を切った「ネーベルヴェルファー41」が登場します。
あまり使う機会がない兵器ので、惜しみなくどんどん使っていきましょう(笑)
そのほかにも支援砲撃は迫撃砲、15cm榴弾砲があり、充実しています。
(援軍で弾薬補給部隊も到着します)
そしてルフトワッフェも空から支援してくれます。
「ハインケル111」
「ユンカース87B」
そして歩兵部隊の友である「3号突撃砲B型」が援軍で登場します。
ターン数は33ターン。
トーチカに立て籠もるソ連軍、そして凄腕のスナイパーとの戦いとなりますので、ドイツ軍にとっては厄介な戦いになりますので、煙幕をうまく使っていきましょう。
ドイツ軍歩兵は、各分隊、渡河用ボートを所持しており、必ずしも橋を渡る必要はなく、ボートで渡ることもできます。
ソ連軍は戦車、装甲車を持っています。
T34は登場しませんが、援軍で到着するT-26戦車を撃破するためには、37mm対戦車砲が必需品となってくるでしょう。
いずれにしても要塞のVHを獲る戦いは、史実どおりの厳しい戦いになると思われます。
真夏にプレイするには、ぴったりのシナリオですよね。
今回取り上げるのは「シリアレバノン戦役」というもの。
「戦役」って何?
と何十年も日本人をやっていても、よく意味が分からんとですw
戦役のwikiのページをいくら読んでもあたしにはチンプンカンプン。
英語だと「Military Campaign」
これでいいんですよーw
シリアは現在はトルコ、イラク、ヨルダン、レバノン、イスラエルに接していて、人口2200万人、首都はダマスカスです。
近年、シリア内戦でアメリカからはテロ支援国家とされており、どうしても危険なイメージしかありませんが、考古学的には多くの遺跡が発掘されており、人類史にとても重要な場所です。
このシリア一帯はその昔オスマン帝国でした。
オスマン帝国は第一次大戦にドイツ側の同盟国で参加しましたが降伏、イギリス・フランスに占領されてしまいます。
シリアはフランス委任統治領シリアとなります。(1946年にフランスから独立)
レバノンもフランス委任統治領大レバノンとなります。(1943年にフランスから独立)
イラク地域はイギリス委任統治領メソポタミアとなります。(1932年にイラク王国設立)
1920年代、フランスからの独立を主張しフランスシリア戦争が起きますが弾圧され、1930年代にシリア共和国になりましたが、フランスから独立はできませんでした。
そして第二次大戦が勃発、1940年、ドイツはフランスに侵攻。
フランスはドイツと休戦協定を結び、フランス首相ペタンは首都をヴィシーに移しドイツ寄りの国家となり、ヴィシーフランスが誕生しました。
そのためフランスが持っていた植民地もヴィシー政権となりました。
(フランス領のインドシナだけは日本が占領していました)
ここで少し上でイギリス委任統治領メソポタミア、すなわちイラクについて書きましたので、イギリスの話をすることにします。
時は1941年前半、ロンメルのドイツアフリカ軍団の登場による北アフリカでの劣勢、クレタ島での撤退、ギリシャでの敗北、ドイツ軍によるユーゴスラビア侵攻などイギリスにとっては大変試練の時期でした。
そんな中、イギリス委任統治領だったイラクでクーデターが起こります。
イラクは1932年にイラク王国になってからも親イギリス政府が統治していましたが、1941年4月、ナチスドイツの援助を得た政権がクーデターを起こしました。
チャーチルは苦渋の決断しイラクへの攻撃を決行、これが「アングロイラク戦争」です。
イギリスは北アフリカ戦線に兵力を当てているため、インド軍、オーストラリア軍、ギリシャ軍などが参加しました。
一方のクーデターを起こしたイラク軍は歩兵4個師団のほかにイタリア製のCV-35豆戦車、Crossley装甲車(ゲームではロールスロイス装甲車で登場)の2個大隊。
イラク軍は連合軍の前に苦戦を強いられ、ドイツ空軍の支援と武器弾薬の援助を受けファルージャでイギリス連合軍と戦うも敗北、クーデターの首謀者はその後、トルコへ逃亡し終結しました。
さてそれでは最初のシナリオ「#034 The Fallujah Road」を見ていきましょう。
まずこのゲームのプレーヤー選択で、
両方ともイギリス軍になっています。
これはイラク軍がSPWW2にはないのでこうなっています。
実際にはこのようになっています。
(SPMBTにはイラク軍はあります)
イラク軍のA0ユニットは「German Advisors」となっています。
「ドイツ軍事顧問」なんですね、面白い。
イギリス軍の方に登場する「Arab Legion」という騎馬ユニットは有名な「アラブ軍団」です。
砂漠地形なので騎馬ユニットは移動に適しています。
また「RAF」というユニットは、イラクでイギリス軍として従事していた「Royal Air Force」(王立空軍)の部隊です。
ゲームは25ターン。
両軍とも砲撃要請も爆撃機要請もなく、主武器は機関銃です。
登場する装甲車は、イギリス軍ロールスロイス装甲車、イラク軍はCV-35とCrossley装甲車。
このCrossley装甲車はイギリス軍には登場しないためロールスロイス装甲車で代用しています。(名前だけCrossley AC)
ロールスロイス装甲車は、史実ではこのイラク、シリアでの戦闘でとてもいい活躍を残しています。
ただゲームでの苦言を言うと、今回のシナリオではVickers中機関銃以外の武器がないため、装甲値1を貫通できません(涙
(タイヤへの命中判定がないのです)
イギリスの1941年の続きです。
イギリスは劣勢に陥っている地中海での戦況を打破しようと「エクスポーター作戦」を発動します。
あまり聞いたことがない作戦ですよね。
簡単に言えば、シリアやレバノンのヴィシーフランス軍をそのままにしておけば、地中海のドイツ軍に対して抵抗できなくなるためシリアとレバノンに侵攻しました。
これがシリアレバノン戦役です。
このエクスポーター作戦やシリアレバノンの戦いは、イギリスでもほとんど戦史で紹介されず、知っている人があまりいないというぐらいマイナーな戦史です。
チャーチルの命令でしぶしぶこの作戦を指揮したのが、有名な「アーチボルド・ウェーヴェル将軍」です。
敗北の将とも言われる人で、北アフリカでロンメルに敗北、その後アジアで日本軍にも敗北しますが何故か元帥に昇進しています。
エクスポーター作戦は、本国イギリスの部隊を使えなかったため、オーストラリア軍、インド軍、自由フランス軍で構成されました。
自由フランス軍というのは、ほとんどがフランス植民地からの徴集兵や外人部隊です。
ヴィシーフランス軍はフランス兵の他、シリア兵、レバノン兵で構成されていました。
1941年6月、イギリスは5月の戦い(上で紹介した)で占領したイラクとパレスチナからシリアに入り、戦闘は一か月間続きました。
連合軍はヴィシーフランス軍に手こずりますが、援軍が到着することでヴィシーフランス軍を制圧しダマスカスを陥落、そしてベイルートに迫りましたが、ヴィシーフランス軍が休戦協定を求め終結しました。
それではシナリオをみていきましょう。
「#441 Sidon」と「#282 With something to Prove」 はそれぞれ戦闘日時が同じ6月15日ですが戦場は異なります。
「#441 Sidon」から見ていきます。
シドンは旧約聖書にも登場する歴史的都市。
オーストラリア軍第21歩兵旅団がシドンを攻撃します。
このシナリオはオーストラリア軍でのプレイ推奨となっています。
11ターン、シドンの町を攻めるオーストラリア軍の様子。
序盤は数的優位を活かし、ヴィシーフランス軍の拠点を潰していきます。
しかしヴィシーフランス軍は中盤から増援部隊の戦車が到着し、それまでの劣勢を挽回していきます。
いい感じで作られたシナリオなので初心者から中級程度まで十分楽しめます。
中盤、ヴィシーフランス軍に到着する援軍がフランスの主力戦車だったルノーR-35。
R-35はシリアでオーストラリア軍に鹵獲された画像が多く残っています。
当時、95輌のR-35がシリアに配備されていましたが、これらの戦車は戦後も生き残り、パレスチナ戦争でも使用されました。
最後のシナリオ「#282 With something to Prove」を見ていきましょう。
こちらも6月15日の日付の戦闘です。
この戦闘は、「Battle of Merjayoun」(メルジャユンの戦い)の一部です。
オーストラリア軍は歩兵第25旅団。
ヴィシーフランス軍はよく分かりませんが、「Legionnaire」フランス外人部隊で構成されています。
この「Legionnaires」部隊(通称「FFL」)は、志願兵ということもあり経験値+15、士気値+8と精鋭部隊なみに高いです。
この戦闘はメルジャユンを守るオーストラリア軍に対し、ヴィシーフランス軍が攻撃を仕掛けるというもの。
今回はヴィシーフランス軍をプレイ推奨のためR-35を使う側です。
R-35は2人乗りで移動力は8しかありません。
しかも主砲は37mmSA18砲。
これは弱すぎw 命中しても貫通でけへん。
一応、徹甲弾はAP弾ではなくSabot弾を50発積載していますので、近距離でならなんとか装甲車と戦えますw
オーストラリア軍のダイムラー装甲車の2パウンド砲にガンガンやられました、やっぱりダイムラーは傑作車輌です。
R-35を使ってみると、なるほどこれではドイツ軍とは互角に戦えなかったのを分かりますな。
史実ではオーストラリア軍はこの日の戦闘で撤退しましたが、24日までの戦闘ではメルジャユンを取り戻しました。