Steel Panthers World War 2   JAPANESE  HQ

> シナリオガイドリスト

1945年対日戦線編 [1]

#425 Ie Shima #1 D-Day (1945.4.16)
#426 Ie Shima #1 D+ 1 (1945.4.17)
#427 Ie Shima #1 D+ 2 (1945.4.18)

#063  IwoJima First Ashore (1945.2.19)
#064  Iwo Jima Sever The Head (1945.2.19)
#065  Iwo Jima Assault Suribachi (1945.2.20-22)
#066  Iwo Jima The Meat Grinder (1945.3)
#067  Iwo Jima Last Gasp (1945.3.8)
#457  Iwo Jima D-Day (1945.2.19)
#495  A Common Virtue (1945.2.20)
#518  Charlie Dog Ridge (1945.2.25)
(#236  Iwo Jima    SPWaW シナリオ


#425  Ie Shima  #1 D-Day  (1945.04.16)
#426  Ie Shima  #2  D+ 1   (1945.04.17)
#427  Ie Shima  #3  D+ 2   (1945.04.18)

沖縄戦の一つ「伊江島の戦い」を描いたシナリオ。

ただし沖縄本土ではなく、伊江島を巡る攻防戦です。

そのため日本ではあまり知られていません。

沖縄本島から北西9kmに位置する「伊江島」ですが、面積は22.4km、現在は「伊江村」として住民は4,000名が住んでいます。

島のほとんどは米海兵隊の飛行場および演習場になっていて、普通に米第7艦隊がやってきて演習をしてます。

島には観光協会があるので、ぜひ一度、死ぬまでには行ってみようかと思ったり思わなかったり。



(死ぬほどいいところじゃん)

この伊江島には当然ですが、日本陸軍が南方戦線への中継地点として作った飛行場がありましたが、米軍の上陸を想定して3月には破壊しています。

米軍はこの島に、飛行場と海上防空用のレーダーサイトを設置するために上陸をします。

この4月16日から21日まで繰り広げられた戦闘は、「六日戦争」と呼ばれ沖縄戦の前哨戦でした。

上陸する米軍の部隊は第77歩兵師団、肩の袖に自由の女神の紋章で有名です。

この第77歩兵師団は、1944年7月にハワイを出発、その後、南フィリピンで小戦闘に加わった後、7000名の兵士は地獄が待ち受けていました。

対する日本軍はというと・・

独立混成第44旅団第2歩兵連隊第1大隊の650人を含む守備隊2000人、そして避難せずに残った村民5000人がいました。

元は飛行場施設があっただけの島だったので、戦闘できる武器・弾薬などは十分にはなく、村民は竹槍を準備したそうです。

>島への上陸は計15回行われました。

この六日間の戦闘で、日本軍の死傷者は民間人を合わせて4700名、米軍の死傷者は1120名だそです。

シナリオは、上陸1日目、2日目、3日目の3つがあります。

1日目は上陸シナリオなので、初心者の方には難しいかもしれません。

わたしも上陸はめんどくさいので大嫌いです(汗

まあそれでも根気と精神力とモチベーションが維持できたとしても、3日目はきつい!

相当きつい!

(しかもターンが短いんです)

激戦だった「Goverment House」と「Bloody Ridge」(それぞれマップに表示されています)は、トーチカだらけ。

いやいやこれはないでしょう、って感じ(笑)

火炎放射器の重要性を海兵隊と共に共感できます(アホ)


#063  IwoJima First Ashore (1945.2.19)
#064  Iwo Jima Sever The Head (1945.2.19)
#457  Iwo Jima D-Day (1945.2.19)
(#236  Iwo Jima    SPWaW シナリオ)

SPWW2で硫黄島の戦いを扱ったシナリオは8本あります。

#063〜#067 は同じマップを使った連作で、キャンペーンの#03 [Iwo Jima]と内容は同じです。

ただシナリオは一本づつ完結になっています。

また今回は特別に、SPWaWのシナリオも紹介しておきましょう。

新しいバージョンのSPWaWに収録されているシナリオ#236は、硫黄島の戦いを扱っており、かなりいい出来になっています。


さて硫黄島の戦いですが、

戦史に詳しくなくても、クリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」を見れば、硫黄島の戦いがアメリカ軍にとってどれほど過酷な戦場だったかがご理解いただけることでしょう。

映画もいいですが、こちらもお薦めです。

「The Shores of Iwo Jima」

これは1945年6月にアメリカで公開された短編映画です。

映画と言っても、戦場で撮影しており、しかもカラー(汗

これを見ると、後にCGで作られた映画であっても、ほぼ忠実に戦場を再現しているようですね。


硫黄島の戦いに関して、今回は米軍視点で見ていくことにします。

ゲームのシナリオもほぼ米軍視点で作られており、プレイも米軍側でするためです。

この硫黄島の戦いは、

この当時のアメリカのラジオ放送では、

「硫黄島での戦いはアメリカ建国史上、最もタフな戦いであった」

と言われたそうです。

まず米軍の死傷者の数が、日本軍の死傷者の数を上回ったことです。

(もちろんこれは後で分かったことですが)

米軍の死傷者は、およそ28,000名。

日本軍は、およそ20,000名。

初日だけで言うと、D-DAYの初日は、2300名の死傷者が出ています。

ちなみにノルマンディー上陸での米軍の死傷者は、やや不明な数字なのですが、多く見積もって3000名。

恐怖のタラワと言われた「タラワの戦い」では、3300名。

なので映画の中で、海兵隊がバッタバッタとやられますが、ほぼそんな感じだったんでしょう。

これは海兵隊の歴史の中で、最も過酷な戦場であったことは間違いありません。

(ちなみにアメリカ史上、最大の犠牲者を出したと言われる南北戦争のゲティスバーグの戦いは、3日間で両軍合わせて46,000名の死傷者を出しました)


それでは戦力から見ていきます。

日本軍

日本軍の主力は第109師団です。
師団長は、ご存じ栗林忠道中将。

兵力は13,586名。

そして海軍から派遣された海軍陸戦隊。

兵力は7,347名。

アメリカ軍

アメリカ軍の主力はもちろん海兵隊です。

硫黄島への強襲上陸の先陣は海兵隊でした。

硫黄島に投入された海兵隊は、

第3海兵師団
第4海兵師団
第5海兵師団

の3つの師団です。

ちなみに、

第1海兵師団は、1944年9月のペリリュー島の戦いで見事にボロボロになり、沖縄戦へ。
第2海兵師団は、タラワやサイパンに行きましたが、沖縄戦へ。
第6海兵師団も沖縄戦へ。

ということで、この3師団しか残っていませんでした。

兵力は、

第3海兵師団 - 兵力20,000人。

第4海兵師団 - 兵力25,000人。

第5海兵師団 - 兵力26,000人。

ざっとですが、約71,000人。

その他にも陸軍とか海軍の兵力も入れると、総勢110,000人。

では、次に上陸地点を見ていきます。

アメリカ軍は上陸する東海岸を7つのエリアに分割しました。

「グリーンビーチ」と「レッドビーチ」は第5海兵師団

「イエロービーチ」と「ブルービーチ」を第4海兵師団

(ブルービーチ2はなし)

第3海兵師団は予備戦力として、海上で待機。

上図のマップを見るとグリーンの中に、28という数字がありますが、それは連隊番号です。

第5海兵師団は、第27海兵連隊と第28海兵連隊。

(第26海兵連隊は予備戦力)

第4海兵師団は、第23海兵連隊と第25海兵連隊。

(第24海兵連隊は予備戦力)

予備戦力なんてのがあったんですね〜

と言っても、皆ボロボロになりますが。

それぞれの師団の目標は、

第3海兵師団は、第2飛行場。

第4海兵師団は、右側の採石場。

第5海兵師団は、摺鉢山。

D-DAYは1944年2月19日。

午前8時30分に突撃命令が下され、9時20分には、グリーンビーチ、イエロービーチ、ブルービーチから上陸が予定通り上陸できたという報告が届きます。

しかしそれも束の間、日本軍は午前10時30分ごろに一斉に反撃を開始。

硫黄島の火山灰と塹壕を掘ることのできない地形に、海兵隊は集中砲火を浴びていきます。

この辺の状況は、映画「父親たちの星条旗」にも生々しく描かれています。

午後になり、海兵隊も少しづつ反撃に転じますが、日本軍の砲撃は夜中になっても止まなかったそうです。

この日の米軍は、第一飛行場の手前まで進みました。

これが初日の戦いです。


それではこのD-DAY初日を扱ったシナリオを見ていきましょう。

シナリオはSPWW2に4本、SPWaWに1本あります。

#063は、グリーンビーチ、イエロービーチ、ブルービーチの全ての上陸部隊が登場し、VHは史実通り、第1飛行場の手前にあります。

ターンは40ターン。

#064は、グリーンビーチだけで、第5海兵師団の第28連隊のみを扱ったシナリオです。

ターン数も21ターンと短めです。

#457は、超大作です(汗

何がすごいって、いきなりB24の高高度爆撃から始まり、2ターン目から攻撃機による爆撃が延々と続きます。

ほぼ何もできることがないので、黙って見ているしかないです。

見ていると眠くなりますから。

驚くことに、なんと11ターンまで上陸部隊が登場しません(汗

12ターンになってようやく増援部隊として、一気に上陸用船艇が登場してきます。

しかも上陸用船艇が海岸から遠〜いところに・・

ターンは50ターンですが、上陸までに20ターンぐらい使ってしまうので、実際はそんなに長くないかも(プレイしてない

やりたい方はどうぞ、ご勝手に。


そしてもう一つSPWaWのシナリオ#236ですが、これは製作者がWild Bill Wilder氏、通称Wild Bill御大です。

このシナリオは、上陸から始まり、摺鉢山や元山などのVHを確保していくので、45ターンですが、大規模な展開になっていきます。

SPWaWは効果音がSPWW2の数倍いいので、いきなり攻撃機の爆撃の音や、高射砲の音にこちらは眠気が来るどころか、目が覚めるのはいいです(笑


#495  A common Virtue (1945.2.20)
#065  Iwo Jima Assault Suribachi (1945.2.20-22)

上陸の翌日から22日までのシナリオを紹介します。

20日、28連隊が摺鉢山、その他は第一飛行場の制圧に向います。

28連隊にはガダルカナルの戦いで名誉勲章(メダル・オブ・オナー)を授与された英雄ジョン・バジロン軍曹がいました。



摺鉢山の攻防は、日本軍にとって重要な戦いでもありました。

映画「硫黄島からの手紙」にも、栗林中将が摺鉢山を気にしていましたが、本来、日本軍は持久戦に持ち込めるよう2週間分の食料や弾薬を摺鉢山に蓄えたそうです。

それがわずか3日で陥落してしまうとは・・

もし摺鉢山がもう少し長く持ちこたえていたら、という気はしないでもないですよね。

昔の戦記本を読むと、摺鉢山の砲兵陣地は、海上を埋め尽くした米艦隊に発砲してしまったとも書かれています。

わからんでもないです。

あんなに船がいれば、撃てば必ず当たり、少しでも敵の戦力を減らせるんじゃないか、どうか撃たせてください!なんて上官に直訴してしまいそうです。

結果、相当の被害を与えたものの、逆に狙われ艦砲射撃を喰らい被害が出てしまったそうです。

#495は、摺鉢山を目指した第5海兵隊第28連隊の戦いを描いたシナリオです。

この28連隊を率いて摺鉢山の日本軍と戦うシナリオですが、中規模、25ターンなので短時間でプレイできます。

ちなみにこのバジロン軍曹率いる小隊も登場しますが、史実では、バジロン軍曹は19日の初日に戦死しています。


他の小隊長よりも経験値、モラル値が高いです。

このバジロン軍曹の戦死は「ザ・パシフィック」の8話に詳しく描かれているので、是非ご覧ください。

#065は、20日〜22日までの間の死闘を描いたシナリオです。

34ターンですが、難易度の高いシナリオです。

もちろん米軍側でのプレイになりますが、正面攻撃しかできないトーチカ攻撃は厳しく、米軍は摺鉢山に星条旗を立てられないかもしれません(汗

「Volcanic sand」と呼ばれる火山灰の地形は、防御効果も悪く、車輌も通れないので、ほんとやばいです。


#518  Charlie Dog Ridge (1945.2.25)

摺鉢山は3日で陥落し、第一飛行場(千鳥)は米軍の手に落ちました。

米軍は次に第二飛行場へと前進していきます。

第二飛行場の元山(もとやま)飛行場の正面からは海兵隊第3師団、その右翼に第4師団、左翼に第5師団となっていました。

この元山飛行場での攻防は、摺鉢山以上に日本軍は奮闘します。

このとき第4師団の第24連隊、第1大隊の戦いが、このシナリオです。

元山飛行場の南に尾根がありますが、この尾根を米軍は当時、ニックネームで「チャーリードッグ」と名付けていました。

(日本側では特に地名表記のない尾根で場所を探すのが厄介でしたが)

このチャーリードッグリッジの戦いは、米海兵隊第4師団第24連隊のHPに書かれています。

24連隊は上陸当日は予備部隊でしたので、被害は出ていなかったのですが、この戦いでボロボロになってしまいます。

この戦いだけで、米軍は2000名を超える死傷者を出しました。

ただ海兵隊の士気は非常に高く、どれだけ死傷者を出そうとも、体勢を立て直し戦い続けました。

そして次第に日本軍は弾薬が消耗していき、26日、元山飛行場が米軍の手に落ちます。

シナリオは製作者がWild Bill 御大。

むか〜しのシナリオの移植ものですが、いい出来のシナリオです。

ターンも18ターンとお手頃になっていますので、気軽にプレイできます。


#066  Iwo Jima The Meat Grinder (1945.3)

摺鉢山、第1千鳥飛行場、そして第2元山飛行場を確保した米軍は次に、元山飛行場の北一帯にある元山〜玉名山へと進撃します。

しかしここは摺鉢山に次ぐ標高があり、この元山から二段岩、玉名山までを日本軍は鉄壁とも言えるコンクリート要塞で固めていました。

そのことを米兵は、「肉挽き機」(The Meat Grinder)と名付けました。

こういうジョークのような感覚って、日本にはないですね〜

米軍側では、二段岩は「Hill 382」、玉名山は「Turkey Knob」、二段岩と玉名山の間に日本軍が作ったコンクリート要塞のことを「Amphitheatre(円形劇場)と呼んでいました。

円形劇場とは、ローマコロッセオにある円形劇場のようなコンクリート要塞であったことからつけられたのでしょう。

実際、この戦いは凄惨な戦いとなり、第4海兵師団は一日で800名を失っています。
戦いは2月25日から始まり、元山の西(Hill 362)が次々と陥落、そして二段岩が3月5日に陥落します。

しかし玉名山だけは陥落しませんでした。

米軍は作戦を変更、玉名山を迂回することにします。

この玉名山、通称「肉挽き機」の要塞を指揮していた千田少将は、10日に戦死(あるいは自害とも言われていますがいずれも最後を見届けた生存者がおらず詳細は不明)、そしてその後、残った部隊はゲリラ戦を展開し、米軍に多大な被害を与えました。

米軍はこの肉挽き機の戦いで、850名の戦死、2800名以上の負傷者を出しました。

#067シナリオは、2月28日から3月5日までの戦いを描いています。

ターン数は27ターンですが、米軍はトーチカに手こずり苦戦を強いられるでしょう。

(日本軍スナイパーだらけだしw)

もうトーチカなんて見たくなくなってきますw



#067  Iwo jima Last Gasp (1945.3.8)

シナリオブリーフィングによれば、3月8〜9日の間に、アメリカ第23連隊と24連隊の合間を日本軍が奇襲をしかけてきたとあります。

これはバンザイ突撃の可能性があります。

この頃の日本軍には食料はおろか、飲料水が底をついていました。

絶えず洞窟に隠れているため、地上で雨が降ってもその水を得ることができず、ボウフラの湧いた水を飲んでいたと言われています。

8日、玉名山で海軍の生き残り1000名による総攻撃が決行されました。

もちろんこの攻撃に勝機などなく、ただこのまま黙って全滅するぐらいならば、せめて一矢報いんとするもの。

日本軍は800名が戦死、残りは陣地へと引き返しました。

アメリカ第4師団の兵士も、350名の死傷者(戦史を含む)を出したと言います。

この#067シナリオは、その戦闘を描いたものなのか、詳しくは分かりませんが、その可能性は十分あると思います。

硫黄島のシナリオの中では唯一、米軍側の守備戦となっています。

(プレーヤーは米軍プレイ推奨とあります)

18ターン。

米軍は豊富な砲兵部隊と、砲撃要請に、事前照準登録がいくつもあるので、砲兵の援護がカギになってくることでしょう。


<終わりに>

さてさて、今回は硫黄島の戦いを取り上げるということで、以下の3本の映画を順番に観ました。

ザ・パシフィック8話

父親たちの星条旗

硫黄島からの手紙

この中で、「父親たちの星条旗」にまつわるエピソードが最近、明らかにされたということなので紹介しておきます。


映画のあらすじは、星条旗を摺鉢山頂上に立てたときに映っていた兵士の物語ですが、

写真には6名の兵士が映っています。

そのうち、3名は硫黄島で戦死し、残りの3名は帰国して、映画ではこの3名がどうなっていくかを描いています。

映画の中の最後の方で、実は一人だけ間違っていることが明らかにされていましたよね。

お尻を見て、これは息子のお尻だと分かったあのお母さんのことです。

しかしこの話、実は続きがあったというのです。

2014年、映画の主人公でもあった英雄”ドク”、ジョン・ブラッドリーさんが実はその後の調査で、違っていることが明らかになりました。

えええっーーーーーーー

笑うしかないです。

本物だと判明した「ハロルド・シュルツ」さんは硫黄島で戦死しています。

ジョン・ブラッドリーさんは、死ぬまで硫黄島のことは家族にも誰にも話さなかったそうです。

いずれにせよ、生きて還ってからも大変だったんでしょう。

あと、この「父親たちの星条旗」を見るときは、あらかじめ兵士の名前と顔をメモして、どの兵士が6人の兵士なのかを理解して観た方がいいです。

誰が誰でがよく分からないまま観ると、あまり面白くないです。

(私が最初見たときそうでした)

そして日本側の方も最後に。

硫黄島では、戦後も英霊たちの幽霊が頻繁に出るという話はよく聞く話です。

1994年、天皇陛下が硫黄島をご訪問されてから、ピタリと出なくなったそうです。

映画でも「天皇陛下バンザイ!」と言って自決していくシーンがありましたが、その天皇陛下が来られたということは、自分たちが命をかけて国を守ったということ、英霊たちは納得して成仏されていったことでしょう。

天皇陛下のご訪問というのは、もしかして我々が知らないような意義があって行われているのかもしれません。