#293 Tigers Counterattack (1943.1.7)
#590 SPzAbt 503 Counterattack (1943.1.7)
#007 Ferdinands at Kursk (1943.7.5)
#372 Fire of the Ferdinands (1943.7.14)
#214 The Schoolhouse (1943.7.9)
#541 Battle of Ponyri (1943.7.9)
今回は第503重戦車大隊の戦闘を紹介します。
重戦車大隊というのは、ティーガーやティーガー2などの重戦車で編成された部隊であり、陸軍の中でも独立部隊でもありました。
独立部隊は日本でも「独立戦車中隊」などがありますが、作戦において敵陣を突破することを目的として作られました。
ドイツ陸軍には501、502、503、504、505、506、507、508、509、510、511、301がありました。
武装親衛隊には101、102、103がありました。
1942年、ティーガーが誕生するとドイツ軍は各戦車兵の中から練兵を選びティーガー専用の戦車兵に訓練していきました。
1942年のティーガーの運用は、
第502重戦車大隊がレニングラード方面へ。
第501重戦車大隊が北アフリカへ。
の2つの大隊のみ。
第503重戦車大隊はと言うと、そもそもティーガーの生産が遅々として進んでいなかったことと、戦車兵の訓練も未完だったため編成が進んでいませんでした。
しかしスターリングラードの戦況が日に日に劣勢になっていくこともあり、第503重戦車大隊は1942年12月21日、緊急輸送列車群でドイツを発ちます。
行先は、ミンスク〜ハリコフ〜ロストフ経由のプロレタルスカヤ。
プロレタルスカヤはロストフにあります。
ミンスクは今のベラルーシにあり、ハリコフの左上をずっと行ったところ。
東部戦線を理解する上で、ハリコフ、ロストフ、そしてスターリングラードの位置ぐらいはポンと出るようにしておきましょう。
三次にわたる大攻防戦があったハリコフ。
スターリングラードは現在のヴォルゴグラード。
ロストフはスターリングラードの降伏からわずか12日後にソ連軍に奪われています。
今回のシナリオの戦場である「スタヴロポリ」はロストフの南に位置します。
地図で見ても距離間がつかめそうでつかめないのが東部戦線です(汗
1月3日、第503重戦車大隊を基幹とする防衛群が編成されプロレタルスカヤに集結しました。
プロレタルスカヤは第503重戦車大隊の兵士たちがドイツからの列車を降りた場所で、ここは軍司令部や修理中隊があったのでしょうか、戦闘が終わるとここまで引き返しています。
プロレタルスカヤに集結した部隊は、ソ連軍がスタヴロポリを攻撃することを知ります。
ちなみにプロレタルスカヤからスタヴロポリまで距離約180km。
180km !!
東部戦線は距離感がつかめないというのはこういうこと草。
180kmの道のりをティーガー一行が時速40キロで走っても5時間くらいかかりますわな草
道路上であればティーガーは時速40キロは出せますが、そんなスピードを出していたらエンジン故障の原因になるのでもっと遅かったと思います。
第503重戦車大隊のランゲ中隊長によると、100kmなどの長い行軍の際、ティーガーは20km毎に点検整備のため停止したということで、そのことで脱落を防げたと述懐しています。
(ティーガーの記録を見ていくと、初期型のティーガーは戦闘で撃破されるよりもエンジン故障や機関部故障で脱落というのがほとんど)
1月4日、ソ連軍はスタヴロポリに侵入してきました。
ソ連軍は第2親衛軍などの強力な部隊です。
第503重戦車大隊にとってはこれが初めての戦闘となりました。
この攻撃でスタウロポリの前面までは進出できました。
1月6日、再度スタヴロポリの攻撃に出ます。
これが今回のシナリオの戦闘です。
シナリオの日付では1月7日になっていますが、これは6日から7日にかけて行われたのでそうなっているんだと解釈します。
第503重戦車大隊はプロレタルスカヤに到着した時点で、ティーガー20輌、3号戦車31両を持っていたという記録があります。
(20輌は多そうに思いますが、3個中隊に分けると1個中隊あたり6輌ぐらいになります)
(1943年はじめの重戦車大隊にはティーガーだけでなく3号戦車も配備されていました)
それではこの日の戦闘を見ていきましょう。
1月6日朝、激しい吹雪の中、攻撃再開。
ドイツ軍は第503重戦車大隊と第128擲弾兵連隊。
マップのVHがあるコナルテリ村の正面からは第503重戦車大隊の第1中隊と擲弾兵連隊が攻撃を仕掛けます。
そして第503重戦車大隊第2中隊は左側面から敵を攻撃します。
シナリオでもマップの上の方に第2中隊がいますよね。
この日の戦闘ではティーガーは敵戦車18両を撃破し、5門の対戦車砲を破壊しました。
そしてソ連軍がスタヴロポリから後退したのを追撃し3号戦車1輌がやられましたがティーガーはやられていません。
(第503重戦車大隊でティーガーが撃破されたのは、1月17日の戦闘で大破したため自爆させるのが初めてです)
大隊は7日のうちにプロレタルスカヤに帰還、8日ホート上級大将からこの戦闘での功績を称えられています。
以上が戦闘記録です。
2つのシナリオの題名は異なりますが#590と#293は全く同じです。
修正版、改訂版という意味でもなく、2018年にもう一度シナリオリストに再登場させたようです。
(なぜ?)
初期配置からこんな風に歩兵がぎっちり積まれたトラックを見ると、みるみるうちに心が重くなっていきますw (あたしだけ?)
ターンは26ターン。
始まって数ターンはとにかく移動。(めんどくさい)
「歩兵などおらんでも我が戦車隊だけで十分!」
と、日本軍の戦車長のようなことを言っているとマジで大変な目に遭いますから。
(砲撃されて歩兵部隊が無惨に壊滅します)
コナルテリ村には侵入を阻止するためにソ連軍が待ち受けています。
正直ティーガーが1輌も撃破されていないのが理解できない。
ソ連軍の76.2mm対戦車砲が命中するたびにヒヤヒヤします。
ゲームには76.2mmと出ていますが正確には76mmです。
パックフロントではドイツ軍から「ラッチュ・バム」として恐れられました。
通常のAP弾であれば、ティーガーの場合ほぼダメージはないのですが、「SABOT弾」は威力があります。
ソ連軍のSABOT弾はBR−350PというAPCR弾(高速徹甲弾)がありました。
ティーガーに対しては、入射角によってダメージは異なりますが、史実でも貫通させるのは難しかったそうですが、キャタピラを狙って移動不能にしたそうです。
もちろん3号戦車など一たまりもありません。
1943年1月のソ連軍の主力戦車T34/76(1942型)ですが、これだって油断できない。
こちらは76.2mm F-34砲。
76mm ZIS-3野砲よりも少し性能は落ちますが、こちらもAPCR弾を積載しています。
T34/76との正面対決は95%、ティーガーに軍配があがりますが、側面からぶち抜かれましたw
対戦車砲を一つ一つ潰すのは時間がかかるので、できるだけ煙幕を張り射線を消していく方がいいと思います。
今回はティーガーには煙幕弾がないので、3号戦車に煙幕弾を撃ってもらいました。
3号戦車は歩兵支援で活用します。
その他の問題は歩兵の降車タイミングです。
前が詰まってなかなか歩兵を下すのに適当な場所まで行けません。
そのうちソ連軍の砲撃が落ちてきます。
う〜ん悩ましい。
史実ではティーガーは全車帰還していますが、一体どうやって戦ったのか興味がありますね。
(追記:ヘタレプレイで申し訳ない)
12ターンに敵砲撃を受けて2個中隊完全壊滅...
こんなん初めて見ました。
士気崩壊しました。
今回は前々からずっと気になっていた「エレファント重駆逐戦車」を取り上げようと思います。
皆さんもご存じですよね。
あのクルスクの戦いに登場し期待されたにもかかわらず、残念な感じの戦車として記憶にあるのではないでしょうか。
あたくし実はそういう戦車大好きです(汗
今回、このエレファント駆逐戦車の特集にしようとしたところ、「ええい、7月なんだからクルスクまでやるか!」ということでクルスクの方までやることにしやしたw
どうですか、カッコいいですよねー
1943年夏の攻撃作戦「チタデレ」
ドイツ軍には2匹の猛獣がいました。
一匹は「虎」、そしてもう一匹の猛獣が「象」です。
「エレファント」という名前は1944年2月に総統命令により付けられた名前で、それまでは設計者のフェルジナンド・ポルシェ氏から取った「フェルジナンド」と呼ばれていました。
ここでは「フェルジナンド」で書いていきます。
フェルジナンドはフェルジナンド・ポルシェが開発したティーガーVK4501(P)が車体となっています。
ティーガーはヘンシェルのVK4501(H)とポルシェのVK4501(P)の2タイプが試作され、審査によりヘンシェルのVK4501(H)が採用、ポルシェのVK4501(P)は不採用でした。
しかし天才ポルシェ博士はヒトラーが当然自分のを採用すると思い込んでおり、90輌を既に生産していました。
この90輌が砲塔のない駆逐戦車へと変身していきます。
なのでフェルジナンドは全部で90輌しかありません。
88mm L/71を装備し、前面装甲200mm、重量は68トンのこの猛獣は1943年のドイツ軍にとっては期待の戦力となったことでしょう。
さてドイツ軍はこの90輌のフェルジナンドを第653重戦車駆逐大隊と第654重戦車駆逐大隊の二つの大隊のみに配備しクルスクへ投入しました。
(この二つの大隊は第656駆逐戦車連隊に含まれます)
フェルジナンド駆逐戦車に関しては、この二つの重戦車駆逐大隊の残した戦歴が全てです。
ところが・・・・
摩訶不思議なことに、第653重戦車大隊も第654重戦車大隊も今日までチタデレ作戦でどのように戦ったのかという実態がほとんど残っていません。
クルスクでは第505重戦車大隊と共に戦ったのですが、その実体については虚構と中途半端な真実しか伝わっていないとドイツの戦記本にもあります。
戦果については、8月6日の国防軍報告に7月5日から7月27日までにソ連戦車502輌、対戦車砲約100門、火砲約100門を破壊したとあります。
たった一か月で502輌もの戦車を撃破しています。
凄まじいですね。
にもかかわらず後世に戦記が詳しく残されていないというのは厳しい戦場を物語っているのでしょうか。
それともう一つ、フェルジナンド駆逐戦車は欠点だらけの戦車だったという記憶についても述べておきます。
「車体機銃がないため、敵歩兵の肉弾攻撃に脆かった」
「機関部の故障が頻発した」
よって期待通りの活躍を示すことはできなかった、そしてこれがクルスク戦の敗因の一因となった、というようなことがこの記事をご覧になっている諸先輩の方々の脳裏に刻み込まれていることと思います。
ですが・・・
それは1980年までの古い資料によるもので、1990年代に見つかった新たな資料では、実際には故障はほとんどなかったということと、歩兵による肉迫攻撃を受けて生きたまま破壊された車輌は夜間攻撃を受けた際の1輌のみだったということが分かっています。
多くの車輌がオーバーオールの限界を超えて使われており、戦場で故障が発生しても回収できずに自爆させた車輌が多かったそうです。
この資料はドイツ側のみならずソ連側からによるものというのが興味深いところです。
発見されたソ連側の資料によると、ソ連軍がまともに撃破したフェルジナンドは1輌だけだったらしく、当時ソ連軍の戦車兵はフェルジナンドを相当脅威と見ていたそうです。
1990年代という現代になり、ここまで評価が変わった戦車も珍しいです。
それでは今回のシナリオを見ていきましょう。
まずは「#007 Ferdinands at Kursk」
SPWW2の初期のシナリオです。
登場する部隊は、第653重戦車駆逐大隊の方です。
第653重戦車大隊を率いるのはシュタインヴァクス少佐。
第653大隊は第292歩兵師団を伴い前進をします。
(シナリオに登場するのも第292歩兵師団)
このシナリオは1943年7月5日の「Panzer Hill」(257.7高地)を巡る戦いです。
この「Panzer Hill」の攻撃に関しては記録がわずかに残されていますが、この戦いで中隊長のシュピーマン大尉は重傷を負いました。
(G0の戦車長です)
シナリオが始まるや否や、空からと砲兵によるすさまじい援護射撃が。
特にネーベルヴェルファーはすごいですね。
そして久しぶりにフェルジナンドを使ってみて一言。
「遅い・・・」
前面装甲値は申し分ないのですが、移動力がたったの7。
歩兵が6なので、ほぼ歩兵と同じ速度しかでませんw
一応、整地では時速30km/hは出るそうですが、移動力7なので10km/hぐらいの気がしますw
とにかく遅い。
射撃をしたり地形の移動コストがかかると、2,3へクスしか移動できません。
この画像は9ターンの様子です。
この後、地雷原に突入し被害が続出してしまいます。
また工兵部隊の地雷除去の速さに感動します。
このシナリオのターンは25ターン。
フェルディナンドの移動力ではVHを獲るだけの時間がありません。
援軍として後方に到着する3号突撃砲部隊をどうするかが作戦の大きなカギとなってきそうです。
また援軍として登場するブルムベア(4号突撃戦車)
これは第656駆逐戦車連隊の車輌です。
ブルムベアもあまり使う機会がないので、使えるのはうれひい。
(どこでどうやって使えばいいのかよく分からなかったりするけど)
地雷原、航空機、砲撃支援、塹壕戦(ブンカー)など全体的に見て難易度高めですが、いい感じのシナリオです。
そしてもう一つのシナリオ「#372 Fire of the Ferdinands」
こちらは一転、防御戦です。
まずはクルスク戦を作戦級の視点から見てみましょう。
「チタデレ」作戦は、クルスクを中心とする敵戦線の突出部を北と南から攻撃する挟撃作戦です。
北からは「中央軍集団」
南からは「南部軍集団」
中央軍集団の第9軍を率いるのがモーデル将軍。
フェルディナンドのいる第653、第654重戦車駆逐大隊はこの第9軍の中の第41装甲軍団に編成されていました。
7月5日、ドイツ軍は攻撃開始。
第41装甲軍団の先頭は第505重戦車大隊の31輌のティーゲル、その左翼にフェルジナンドの大隊、そして突撃砲62輌。
初日の攻撃でドイツ軍はソ連の防衛線を約10km突破しましたが損害も多く7000名の死傷者を出しました。
その後の数日間はドイツ軍にとって厳しい戦いになります。
ポニーリとオリフォヴァトカではソ連軍の激しい反撃により両軍消耗戦となっていきました。
7月10日、中央軍司令部はこれ以上の前進は不可能と判断、前進は完全に止まってしまいます。
その後はソ連軍の反撃に防戦一方となります。
クルスク戦というと有名なのが史上最大の戦車戦と言われた「プロホロフカの戦車戦」。
でもこれは南方軍集団のお話(汗
南方軍集団は有名な第1SS、第2SS、第3SSなど華のある部隊が揃っていて南方軍の華々しい戦闘とは裏腹に北方軍の方はフェルディナンドの話ぐらいしかありません。
しかもその話さえもほとんど残されていません。
シナリオ「#372 Fire of the Ferdinands」は7月14日の戦闘です。
既に10日に前進は止まっていますから後は防御戦です。
なのでこのシナリオは防御戦です。
フェルジナンド駆逐戦車の消耗についてですが、
7月5日〜14日までに19輌
さらに8月1日までに+20輌
この時点で合計39輌が失われており、残り50輌中、稼働できたのが26輌でした。
(全車両89輌で、1輌は戦線に来ていません)
その後の状況は詳しく伝えられていませんが、8月26日に整備のため一時後退。
11月29日、オーバーオールのため完全後退。
この時点で48輌が残存していました。
その後、車輌はエレファントとして改良されイタリア戦線などに投入されました。
フェルジナンドは防御戦ではかなり威力を発揮したと言われていますが、たしかにこの残存数を見ると4ヶ月間、ほとんどやられていませんね。
さてシナリオを見ていきましょう。
今回も第653重戦車駆逐大隊です。
ドイツ軍は2か所の陣地を守らなければなりません。
登場するフェルジナンドは5輌。
そのうち4輌は北と南の中間にいますw
このままではダメなので移動させなければいけません。
これが悩ましいー
どこからソ連戦車が来るか分からない。
(それが面白いんですけどね)
あたくしは2輌を手前の丘へ、2輌を南の陣地へと移動させましたが、南の2輌を失いました。
(笑いごとじゃない)
それにしてもフェルディナンドの88mm砲はえぐい。
35へクスの距離からでもT34貫けます。
動かなければまじで強い!!
ターンは27ターン。
ソ連戦車がこれでもかというほど湧いてきますw
なので最近ストレスのある人にはお薦めのシナリオです。
ただフェルディナンドは積載が50発しかできず、AP弾は35発なので残弾数には気をつけてくださいよ。
【後記】
フェルジナンドの移動力についてですが、通常は「10」ですが、シナリオ#007に登場する車輌は全て「7」になっています。 なぜでしょうかw わざとそうする理由が分かりません。 それでもドイツ軍の戦車の中では一番遅いです。 ティーガー2が「13」、ヤークトティーガーが「12」なので、もう少し速くしてもいいと思いますけどね。
今回もクルスクの戦いの中央軍集団のシナリオを取り上げます。
前回、7月5日から10日までの流れを簡潔に書きましたが、
『ドイツ軍が持てる全ての戦車や予備戦力も全て投入した作戦なのに、なぜわずか5日で前進を止めてしまったのだろう?』
と不思議に思われた方も多いのではないでしょうか。
この地図を見てみると南から南方軍集団がクルスクを目指すよりも北からの中央軍集団がクルスクを目指す方がかなり近いことが分かります。
いつものようにグーグルマップで見てみましょうかw
中央軍集団はクルスクまで直線で約60kmほどです。
ロシアの地形で60kmは、それほど遠い距離感ではないです。
そうそう、第503重戦車大隊のところで書きましたが、ティーゲル部隊が援軍として駆けつけるのに180kmの行軍をしていましたよね。
それに比べりゃ、大したことなどw
チィタデレ作戦は挟撃作戦(挟み撃ち)で、北と南から攻めクルスクで合流、そしてその中にいるソ連軍を一網打尽にする作戦です。
そのための鍵は中央軍集団が先にクルスクに到着することでした。
中央軍集団の第9軍の戦力は
6個装甲師団
1個装甲擲弾師団
8個歩兵師団
兵員約20万人
7月5日、中央軍集団(第9軍)は前進を開始。
このときの進路は、
モロテッチ、オリフォヴァトカ、ポニーリ(ボヌイリ)の3つ
グーグルで見てもそれほど大きい町でもないのに、なぜここが重要だったのか?
それは高地があったからです。
モロテッチには「272高地」
オリフォヴァトカには「274高地」
ポニーリには「253.5高地」
(前回取り上げたシナリオ「#007 Ferdinands at Kursk」も「257.7高地」を巡る戦いでした)
ロシアの大地では高地を制することは戦略的に非常に重要でした。
特に274高地のあるオリフォヴァトカの丘陵地帯は、ここからクルスクが遠望できるため、ここの奪取はクルスクへの扉を開くカギとされていました。
それはソ連軍も同じで、オリフォヴァトカの制圧はこの地帯一帯の制圧を意味していました。
今回はソ連側の戦力については書いていませんが、ソ連軍はドイツ軍のチィタデレ作戦を事前に察知しており、十分な計画と準備をしていました。
ある戦記本によると、ドイツ軍はソ連の前線陣地についてはかなり詳細に研究していたが、それよりさらに後方のソ連軍兵力についてはしばし誤断していた、とあります。
これはソ連軍が偽部隊を集結させたり、部隊を隠蔽していたためです。
もしドイツ軍指揮官がソ連軍の全容を知っていたら、たとえどんなに自信家であっても怯えていたであろうと書かれています。
7月5日は5、6kmを進みました。
上の画像の矢印の半分くらいです。
ソ連軍は6日、反撃命令を出します。
オリフォヴァトカを死守するため戦車200輌を保有するソ連第16戦車軍団は第505重戦車大隊のティーガーと遭遇、激しい戦車戦が繰り広げられました。
場所はポニーリとソボロフカの間。
(上の地図ではポニーリとオリフォヴァトカの間)
戦闘は4日間にわたって続き、両軍合わせて1000輌の戦車による戦車戦が行われたのですが、この戦いは何故か名前がついていませんw
第505重戦車大隊がいましたので、今ではかろうじてその戦況について残されています。
第505重戦車大隊は2個中隊31輌のティーガーを保有、その後8日に第3中隊がクルスクの戦場に到着するも、3日間の戦闘でわずか数輌を残すだけのとなり、9日に戦場を離脱し被弾車輌の修理・整備に入りました。
す、すさまじいですね。
オリフォヴァトカの戦闘が激しく続いたため、7日、ドイツ軍は攻撃の主軸をポニーリへ移しました。
それが今回のシナリオの舞台です。
ポニーリはオリョールからクルスクに続く鉄道の駅があり、ここの高地も戦略的に非常に重要でした。
そのためソ連軍はこの町の周辺に地雷原を作り、町を要塞化しドイツ軍を待ち受けます。
ポニーリを守備するソ連軍の主力は第307狙撃兵師団
ドイツ軍は第86歩兵師団、第292歩兵師団、第78突撃歩兵師団、第9装甲師団。
ドイツ軍の攻撃は7日未明から12日まで続きましたが、この戦いは「クルスクのスターリングラード」と呼ばれ、両軍は多くの兵を消耗した戦いとなりました。
ソ連軍は32回ものドイツ軍の猛攻に耐えながら、最後はこの町を守り抜きました。
中央軍集団はオリフォヴァトカ、ポニーリの奪取に失敗し、その後は防戦になっていきました。
ドイツ軍は既に予備戦力までも投入してしきっている状態ですが、ソ連軍には後方から次々と予備戦力が到着していきます。
10日、中央軍司令部はこれ以上の前進は不可能と判断、14日に撤退を始めます。
「ソ連軍が強すぎた」
というのが正直なところです。
ソ連側の工兵と対戦車準備、縦深にわたって兵力を集結させたこと、諜報活動、新戦車軍の機動力。
最近、ソ連戦車が活躍するロシア映画をよく見かけます。
多少、贔屓目に描かれていますが、もしかしてあんな感じでドイツ軍はやられたのかもしれないなとさえ思ったりします。
ポリーニの戦いは現在ではロシア側で詳しく研究されており、ポニーリの戦いはクルスクでの勝利につながったと語られています。
それではシナリオを見ていきましょう。
(ポニーリは昔の戦記本ではボヌイリと表記されています)
今回のシナリオは2つとも日付が7月9日となっています。
「#214 The Schoolhouse」
これはスターリングラード化したポニーリをスモールサイズで作ったシナリオのため全体的にコンパクトに仕上がっています。
「校舎」「駅舎」「給水塔」「トラクター工場」などにVHが集結しています。
ターンは18ターンですが、短くもなくちょうどいい感じ。
1へクス前進するとあちこちから銃弾が飛んできて見る見る死傷者が増えていくので精神的にはきついっす。
フェルディナンドが4輌、歩兵を支援しますが市街戦では機銃がないと戦いづらい。
8ターン目で9個のVHを確保。
フェルディナンドのHE弾(榴弾)は15発しかないので、もうなくなりかけています。
ここまではドイツ軍が押し気味。
しかしホッとするのも束の間・・
この後ソ連軍の強力な援軍がやってきます。
久しぶりに握るマウスに汗をかきましたw
胃がキューンとなって面白いのでお薦めです。
もう一つのシナリオ「#541 Battle of Ponyri」
こちらも日付は7月9日となっています。
ポニーリの戦闘はドイツ軍が押しつつも、ソ連軍は後方から援軍が到着しこれを撃退。
これが何度も繰り返されます。
ポニーリ駅は特に激戦になりました。
ドイツ軍は9日、ポニーリ駅を占領。
しかし戦車に支援されたソ連軍は奪い返します。
ソ連軍の第4空挺師団が到着し、10日にはほぼソ連軍が占領しました。
その後、11日までドイツ軍は攻撃を仕掛けましたが失敗、12日にはポニーリから撤退しています。
このシナリオの元ネタはこちら
GMT社の「PANZER」
このシナリオ12の移植です。
シナリオのブリーフィングを読むと、12日にドイツ軍はポニーリを占領したと書かれていますが、12日には撤退しているので、これはちょっと違いますね。
なのでこのシナリオが9日の戦闘のシナリオなのかは少し疑問です。
ま、それでもマップも広々としていて、遠距離からの射撃もできるのでフェルジナンド向けですw